[目次] 連載 田中功起 質問する

国際的に活躍する気鋭のアーティストが、アートをめぐる諸問題について友人知己と交わす往復書簡。ものづくりの現場で生まれる疑問を言葉にして、その言葉を他者へ投げ、投げ返される別の言葉を待つ……。

 


第16回 ハン・トンヒョンさんと
アーティストは「社会」を必要としている、のか

社会学者のハンさんと、アーティストの社会問題への関わりについて意見交換します。

1:ハン・トンヒョンさんへ  協働のあとで

 


第15回 藤田直哉さんと
展覧会の「公共性」はどこにあるのか

批評家の藤田さんと、芸術祭(展覧会)の「新しい公共性」について意見交換します。

1:藤田直哉さんへ  「新しい公共性」について
2:藤田直哉さんから 芸術祭と公共性
3:藤田直哉さんへ  その先の先、の先?
4:藤田直哉さんから 美術に公共性が必要なのはなぜ?
5:藤田直哉さんへ  一時的と長期的なことの往復
6:藤田直哉さんから アレントの芸術観に抗い、アレントの美学を作る(試み)

 


第14回 高橋瑞木さんと
社会的実践とコンテンポラリー・アート

キュレーターの高橋さんと、「社会的実践としてのコンテンポラリー・アート」について意見交換します。

1:高橋瑞木さんへ  引き裂かれから始まる
2:高橋瑞木さんから アーティストの生き方の形式(フォーム)
3:高橋瑞木さんへ  予感に促されて
4:高橋瑞木さんから 「形式」への敏感さについて
5:高橋瑞木さんへ  いくつかの循環について
6:高橋瑞木さんから 沈黙、雄弁、言葉

 


第13回 菅原伸也さんと
現在の日本で共同体を再考することについて

美術批評・理論の菅原さんと、「共同体の再考」について意見交換します。

1:菅原伸也さんへ  共に、同じことをする、身体
2:菅原伸也さんから 参加とその不満――共同体への転回
3:菅原伸也さんへ  問いの剥奪、フィクショナルな集まり
4:菅原伸也さんから 共同体と社会
5:菅原伸也さんへ  類似と抽象と、人間と人間の間
6:菅原伸也さんから あたかも一本のフィルムであるかのように

 


第12回 遠藤水城さんと
アートの社会的な取り組みとそれによって生じる倫理的な問いについて

インディペンデント・キュレーターの遠藤さんと、「アートとその社会への影響」「アーティストの倫理」について意見交換します。

1:遠藤水城さんへ  そこで目指されている世界とはどのような世界なのだろうか
2:遠藤水城さんから 風雨強かるべし
3:遠藤水城さんへ  二つの世界のあいだ、社会が変わらないのだとしても
4:遠藤水城さんから 風雨強かるべし
5:遠藤水城さんへ  断片の寄せ集めによる中断と付与された余裕
6:遠藤水城さんから 風雨強かるべし

 


第11回 星野太さんと
参加が目指すところはいったいどこなのだろうか

美学/表象文化論の星野太さんと、前回までのキーワード「参加」に引き続きこだわりつつ、また違う視点から意見交換します。

1:星野太さんへ  出来事の記録と共同体の制作
2:星野太さんから 「参加」をめぐるいくつかのメモ
3:星野太さんへ  善きことから遠く離れて、不誠実さを称揚する?
4:星野太さんから 参加の始まり/失敗の終わり
5:星野太さんへ  許されざる者としての枠の設定者
6:星野太さんから 制度分析としての「参加」の可能性

 


第10回 小林晴夫さんと
ぼくたちはいったい何に参加しているのだろうか

blanClassのディレクターにしてアーティストの小林晴夫さんと、彼のさまざまな活動とも深く関わる「参加」をキーワードに意見交換します。

1:小林晴夫さんへ  参加、教育、作者性のクレジットをめぐって
2:小林晴夫さんから 「参加」するというよりも「立ち会う」とか、単に「居る」ということ
3:小林晴夫さんへ  それでもやはり「参加」について
4:小林晴夫さんから なるほど「参加」ですね。
5:小林晴夫さんへ  拡張された「作品」の中でのアーティストの位置について
6:小林晴夫さんから 拡張できるのは「作品」だけではないはず

 


第9回 杉田敦
失敗し、それでも自主的であろうとすることについて

美術批評家の杉田敦さんと、第55回ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館の特別表彰における意外(?)なキーワードでもあった、「失敗」をいとぐちに意見交換します。

1:杉田敦さんへ  迂回と失敗のあとで
2:杉田敦さんから 成功に奉仕することのない失敗について
3:杉田敦さんへ  距離の問題から考える
4:杉田敦さんから 失敗は誰のものか?
5:杉田敦さんへ  主体が手放されたとき
6:杉田敦さんから 断片的、断続的、あるいは依存的、であれ…

 


第8回 西川美穂子さんと
どうすればほんとうに『風が吹けば桶屋が儲かる』のか

東京都現代美術館キュレーターの西川美穂子さんと、展覧会/企画者/参加作家の関係性について意見交換を行い、そのやりとり自体を『MOTアニュアル2012』への出展作とします。

1:西川美穂子さんへ  なぜ「making situations, editing landscapes」は「風が吹けば桶屋が儲かる」のか」
2:西川美穂子さんから 風が吹けば八百屋が儲かる?!
3:西川美穂子さんへ  だらだらとした迂回路に風が吹く(?)
4:西川美穂子さんから タイムラインの風を横目に、踊り場で見る風景
5:西川美穂子さんへ  まずは地図を広げる
6:西川美穂子さんから 「遅いイメージ」で大いにつくる

 


第7回 片岡真実さんと
どのように日本のアートを捉え直すことができるのか

森美術館チーフ・キュレーターの片岡真実さんと、「日本とアジアのアート」をテーマに意見交換を行います。

1:片岡真実さんへ  日本、あるいはアジアからアートを捉え直す
2:片岡真実さんから 日本、あるいはアジアから「世界の」アートを捉え直す
3:片岡真実さんへ  素材と環境、課せられた二重性について
4:片岡真実さんから You can only start from where you are.
5:片岡真実さんへ  見えないこと
6:片岡真実さんから 不可視の領域を意識しながら世界をみる

 


第6回 林卓行さんと
制作の予定調和を回避するために

美術批評の林卓行さんと、制作における予定調和について意見交換を行います。

1:林卓行さんへ   まずは前提の確認から
2:林卓行さんから  作品の終わり
3:林卓行さんへ   文字通りの終わり、理念的な終わり
4:林卓行さんから  ふたたび、「けり」をつけること:「オープン・エンド」を終わらせるために
5:林卓行さんへ   「出来事」をメディアが再構成すること
6:林卓行さんから 「終わり」にかえて:「できごと」と「メディウム」

 


第5回 沢山遼さんと
批評になにができるのか。

美術批評の沢山遼さんと、作品と批評との関係をめぐって意見交換を行います。

1:沢山遼さんへ  批評の役割について
2:沢山遼さんから 批評的トートロジーについて
3:沢山遼さんへ  批評的態度、お皿は一万年後もお皿か
4:沢山遼さんから 批評というリヴァイバル
5:沢山遼さんヘ  その後のこと、そして見ていないものを書くことは可能か
6:沢山遼さんから 経験的レベルの差は解消しうるか?

 


第4回 冨井大裕さんと
「見る」という行為が「作品である」ということに近づくとき、
「作品」とはなにか、アーティストはなにをしているのか。

アーティストの冨井大裕さんと、「作品」とはなにかをめぐる意見交換を行います。

1:冨井大裕さんへ  「見ること」がそもそも彫刻であるとして
2:冨井大裕さんから 「見ること」と「もの」の循環
3:冨井大裕さんへ  技術について
4:冨井大裕さんから 元祖とは(見つけたあとにどうするか)
5:冨井大裕さんへ  「作ること」をアーティストの手から解放する
6:冨井大裕さんから 「作ること」を受け入れる(「作ること」から解放されるために)

 


第3回 保坂健二朗さんと

東京国立近代美術館研究員の保坂健二朗さんと、「アウトサイダーとインサイダー」をめぐる意見交換を行います。

1:保坂健二朗さんへ  内側と外側から
2:保坂健二朗さんから 孤独であること
3:保坂健二朗さんへ  つくることを確保し、見せることを確保し、さて、しかし。
4:保坂健二朗さんから 見届けること
5:保坂健二朗さんへ  気づいたことのまとめとリスト
6:保坂健二朗さんから ノーテーション的につくること

 


第2回 成相肇さんと

府中市美術館(当時)の成相肇さんと、「作ることと見せること」について意見交換を行います。

1:成相肇さんへ  行為と作品と展覧会の関係
2:成相肇さんから 作ることと見ること
3:成相肇さんへ  別にありえたかもしれない関係、強い鑑賞、見届けについて
4:成相肇さんから 作ることと見ること(2)

 


第1回 土屋誠一さんと

批評家の土屋誠一さんと、現代美術の制度について意見交換を行います。

1:土屋誠一さんへ  展覧会という作法を乗り切るために(1)
2:土屋誠一さんから 展覧会という作法を乗り切るために(2)
3:土屋誠一さんへ  展覧会という作法を乗り切るために(3)
4:土屋誠一さんから 展覧会という作法を乗り切るために(4)

 

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