田中功起 質問する 15-4:藤田直哉さんから2

第15回(ゲスト:藤田直哉)― 展覧会の「公共性」はどこにあるのか

批評家の藤田さんとの往復書簡。藤田さんの2通目は、ここで改めて「公共性」なる語の定義を整理することで、田中さんからの問いと自身の変化について考察します。

往復書簡 田中功起 目次


 

件名:美術に公共性が必要なのはなぜ?

田中さま

こちらこそ、お返事ありがとうございます。
世界を飛び回ってお仕事をされていて、大変羨ましい。こちらは、いくつもの原稿の締め切りに追われながら、いつも同じパソコンの画面と睨めっこです。


東工大大岡山キャンパス。花見のシーズンには地元の方々に場所を開放している。「花見」は、日本の文化に根付いた「公共空間」候補かも。上野公園などが花見禁止になったら人々は抵抗してオキュパイするだろうか。

さて、前回は、ネットや路上などの「公共圏」の話をしました。
本題と絡むのですが、用語の整理から始めさせてください(ネットで「美術」と「公共性」について検索する人が読んで理解を促進する手助けにもなるかもしれませんし)。

「公共性」ってなんだろう? まず、これが、よくわからない。
そこで、権安理さんの『公共的なるもの アーレントと戦後日本』(*1)という本を手がかりに、まずはちょっとした整理を試みてみたいと思います。ご存知のことで、当たり前のことだったら、申し訳ありません。

 

3つの「公共」について

「公共圏」とは、ハーバーマスの使う「Öffentlichkeit」の訳語だけれども、同時に「公共性」と訳されることがある。では「公共圏」と「公共性」が同じかというと、日本語としての用語法としてはちょっと違うらしい(前回の手紙では、同じ意味として使っています)。

「公共性」の哲学者として日本に導入された著名な人としては、ハーバーマスとアレントがいて、どちらかというとハーバーマスの方は、カフェとか、文芸公共圏とか、メディアスペースを重視するタイプ。

それに対して、アレントは、ちょっとややこしいのだけれど、労働のような生存の必要性とは異なる、ある自由の中で人々が「活動」する場所を「公共性」として語っている。「活動」と言っても、人と交わるとか、会話するとか、芸術表現をするとか、まぁ時には演説したり政治をしたり。そういう公共空間の中でこそ、ヒトは「人間」になると考えた(『人間の条件』)、らしい。

で、そのような西洋での文脈とは別に、戦後日本における日本語としての「公共性」というのもあり、これも色々と変化したりして、混乱のもとであるらしいです。稲葉振一郎さんの『「公共性」論』(*2)では、「公共性」は「社会批判のための便利な『マジックワード』」と呼ばれているようです。これも実感としてよく分かります。

権さんのまとめ方を参考に、「公共」についての3つの使い方を分けてみようと思います。日本では、戦後すぐは、「公共」と言えば、国家と結びついていた。「お上」のイメージですね。「公共政策」とかでいう「公共」。その「公共」は、個々人に忍従を強いる抑圧として機能していたらしいです。「公共のために新幹線を通すから、騒音は我慢しろ」みたいに。

その後、公害問題などをきっかけに、「対抗的公共性」が出てくる。市民が主体になって、「国家」に占有されていた「公共」の概念を奪い返す闘争が行われたわけですね。「公共」の概念はこの頃から徐々に変わりつつあった、と言います。この時期の「公共性」に影響を与える度合いが強かったのは、ハーバーマス(『公共性の構造転換』)だったと言います。アレントの大々的な輸入は後のことのようです。

次に「公共性」についてのあり方が(実態としても、言説としても変わる)契機が、阪神・淡路大震災。この辺りで、「市民活動」が「公共性」と見られるように変わっていった。「市民運動」ではなく「市民活動」なことに注目してください。いわゆる「運動」というよりは、カルチャースクールとか、ママさんバレーとか、そういう日常レベルの「活動」をも「公共性」の内容に含みこむように変わっていった。これは重要な変化で、「対抗的公共性」の場合は、「普遍的」な「公共性」を主張しなければいけなかったので、いわゆる「地域エゴ」みたいなものは抑圧される傾向にあった。さらには、「強い主体」だけにしか担われないものにならざるをえなかった。そこから零れ落ちる人たちの、日常レベルでの「活動」の中に「公共性」を見出すように変わっていった。

「市民活動」という言葉遣いと、アレントのいう「活動」に直接の関係性があるとは言えないらしいですが、この時期にアレントが日本の公共性論に大々的に導入されるようになったこととも無関係ではないはずだ、と権さんは言います。その曖昧な「活動」を「クレオールな活動」とでも名づけておきましょうか。
美術が公共性と本格的な関わりを持ち始めるのは、おそらくこの辺りでしょう。

「公共性」の実態や言説がこうも曖昧なのは、その言葉がこのような性質を持っているからではないかと思われます。

「公共性もしくは〈公共的なるもの〉の定義は意味の精緻化や細分化として展開されるが、それは少なくとも権利上は無限に続く。だが実際には、それが永続することはない。定義に価値観や理念が導入される、あるいは一定の価値観の下で定義が進められ、やがて終焉するからだ。あらかじめ設定された価値観に沿うような定義が、ある程度明らかになった時点でそれは終了する」
(『公共的なるもの アーレントと戦後日本』、p.38 太字箇所は原書では傍点)

これが「公共性」の厄介なところで、かつ「面白い」ところであり、美術のあり方と重なり合うことで相互に豊かな何かを生み出し蓄積しうる領域を生み出す部分なのだと思われます。未知の何かに向けて自己更新していくという行為遂行的なあり方と、重なっているような部分があるのではないかと思います。

 

美術にあてはめてみたとき

正直に告白すると、ぼくは、「なぜ美術は公共的でなければならないのだろう」というそもそも論的なところが、どうも腑に落ちていませんでした。歴史的に、美術に対する言説で、「公共性」が大きく取り沙汰されたことは、それほど多くはなかったように思います。だからそれをうまく理解する思考の枠組みをもてなかった。

だけれども、権さんの「公共性」についての考えに触れているうちに、なんとなく理解が進んできた部分があります。
ぼくは「前衛のゾンビたち」で、「前衛の頽落」という言い方で現状への違和感を示していました。たとえば60年代の芸術では「前衛」が問題になった。社会も、学生運動などの「カウンター」の時代です。公害運動などをきっかけに、国家や大企業などに対抗する市民の運動が盛り上がり、「対抗的公共性」が生まれてきた時代です。

この時代の「運動」や「芸術」は、「カウンター」であり、それは「非日常」性への志向を強く持っていました。それを参照項にしながら、現在の美術を理解しようとしたときの齟齬の感覚が、あの論には満ちていたのだと思います。それを修正し、アップデートするヒントがあるような気がします。

少し話は飛びますが、非日常に「本来性」を見出し、そこに芸術の価値を見つけようとした哲学者がハイデッガーでした(『芸術作品の根源』)。アレントはハイデッガーの弟子で、日常での、様々な活動をこそ重視しようする哲学を展開しています。そのアレントの公共哲学から導かれるであろう「美学」というもの、あるいはそれに類するパラダイムでこそ、現在の美術は理解されるべきだったのだろうな、と、今になって思うようになってきています。

一回目の書簡で田中さんから、このような問いを投げかけられました。「以前の藤田さんによる問いかけからすると、そこにある種の変化を感じとりました。藤田さんはかつてこのように言っていました。日本各地で行われている芸術祭において前衛芸術が形骸化している。体制批判的であった美術がむしろ体制による地域活性化に利用されている。そうした社会的効用性とは別の、アート固有の『美学』はどこにいってしまったのか」。これはなかなか本質を抉る問いです。これに対する答えは、ここにあるのかもしれません。「対抗」ではなく、日常での「活動」にこそ美学を見出す感性を、徐々に理解してきたというのが大きな変化です。

この「活動」は、「社会的効用」や「公益性」には還元できない。アレントの定義によれば、労働とか仕事のような「必然性=必要」の領域とは違い、自由な領域で行われるものですから。そしてそこで行われることによって、ぼくたちは単なる動物としてのヒトではなく、「人間」になるとされています。他者と交わり、議論や衝突を繰りかえし、理解したり理解できなかったりの中で、ヒトは始めて自己を知る。それはどういうことか。パッと分かるのは難しいのですが、単純に言うと、こういう理屈になっている。

人は、自分自身で自分のことを知らない、と権さんは言っています。アイデンティティを構成する属性である肩書きなどをいくら羅列しても、そこからはみだす、一人一人の唯一無二性というものがありますよね。それをWhoと呼んでいますが、アレントはこう言っているようです。「確実なのは、これほど明白に間違いなく現れるwhoは、ギリシア正教のダイモンのように、その人自身には隠蔽されたままである」(『公共的なるもの』、p.139)。つまり、自分自身には常に見えない。他者との関わりの中で、初めて自分が誰(Who)なのかがわかって来る。

己が何なのか、何をしているのか、自分自身で自覚してもいないし気づいてもいなかったものが、他者によって見えてくる。これをアレントは大事にしている。なぜこれが大事なのかは、ぼくはちょっといまいち、分かっていない部分はあるのだけど、それは置いておきます。

そのアレントの言うWhoは、「卓越性」と関係しているとされます。それがいわゆる限られた人に限定されるのか、あらゆる人にもある唯一無二性のことと解釈するべきなのかは、議論があるようですが、これは、現在の美術作品、もしくは作家のあり方と関係しているのだな、とも思いました。歴史に名を残したり美術館に収蔵されることで「選ばれる」「非日常」的な卓越ではなく、誰しもが日常の中で持っている唯一無二性を尊重するような卓越の方へと、美術のパラダイムを変えようとしていく作家や作品のことを、どうしても連想してしまう。いわば市民の「活動」の中に溶け込もうとする、地域アートや、ワークショップアーティストの試みは、個々の唯一無二性を確認する「活動」における拓きの中に芸術的な価値のコアを置く賭けなんじゃないか。
そんな風に理解されてきました。

 

「活動者」と「観衆」の相互応酬の中に生まれる空間

ところで、これも孫引きなのですが、アレントは『カント政治哲学の講義』で「公共的領域(=公共空間)は、演技者=活動者ではなく、批評家と観客によって構成される」(『公共的なるもの』、p.139)とも言っているようです。

少しこれを言い換えると、こういうことだと思います。自分自身に自分自身は見えないのだから、それが「現れ」るためには、他者が注意深く観察したり、耳を澄まさなくてはいけない。そして、その意見を交換していく中で、己自身も知らなかった己が次々と現れていく。生成されていくとすら、言ってもいいのかもしれません。ここで言っている「批評家」は、職業批評家のことを指すのではなく、万人のことを指すのでしょう。誰もが「演技者=活動者」であり、同時に「批評家=観客」であり、その相互作用の中に「公共的領域」が立ち現れる。それは物理的な空間であると同時に、言語に限らない相互の応酬そのものである。

これを読んで、ぼくは思わず、ミュンスター彫刻プロジェクトで観た、田中さんの作品のことを思い出していました。田中さんの作品は、実際に複数の人たちが泊り込みでワークショップやディスカッションなどを行っているフェイズと、それを撮影し編集したものを複数のモニタなどで展示するフェイズとに分かれています。一般の観客たるぼくは、後者の展示空間でのみ、それを見ています。

この作品の構造を、アレントの考え方を参考にしながら考えたら、どうなるのか。
映像作品の中でワークショップを行っている当人は、リアルタイムでは「演技者=活動者」ですね。彼らは料理や睡眠など、日常的な事柄を、日常から半歩離れた状況でしていたということも、注目されるべきことでしょう。

他のメンバーやスタッフは、相互に他のメンバーに対する「批評家=観客」である。映像となって上演されるときには、自分自身が自分自身に対する「批評家=観客」にもなる。展示空間では、複数のモニタで、集団としての彼らの振る舞いや、それを振り返る個々人の発言が上映されている。

ワークショップと映像の両方を使って、映像というメディアや、この展示方法がなければ生まれなかったような、「相互応酬」のトラフィックが生じている。「活動」の行われる「公共空間」を――物理的なものというよりは、対話や理解、共感、軋轢、敵対などなどを通じて、自己発見や自己更新が行われていく精神的な――新しく発明し、それによってこれまでとは異なる「活動」や「人間」や「公共」のあり方を作り出しているのだろう。

そう考えると、色々と腑に落ちるのです。観客であるぼくには想像するしかありませんが、実際の参加者の場合、それを強く体感として理解しているのかもしれません。
「自己」を知るとは、自分たちがどんな「主体」であるのかについてのイメージを変えていく、新しく生み出していく、ということとパラレルであると思います。人々のそれ自体の、集団としての自己認知自体を、未知の方向に拓きながら、変えていく。そこにこそ、美術における「公共」の賭け金がある、と考えてみてもいいのかもしれません。

美術が、新しい社会や、新しい公共性のモデルになるかもしれない、ということの意味を、ようやく理解した気がします。そこで生まれるものは、「美」というか、新しく定義された人間というか、新しく定義された公共性とでもいうのか、そういうものが生み出されている。それは、単純な有用性や有益性とは異なる価値を生み出していると理解されてしかるべきですね。そこに賭けられているもの、そこで生まれているものが、なんとなく見えてきた気がします。

 

再び「新しい公共性」について

さて、『公共的なるもの』では、ゼロ年代以降の状況についても分析されています。ここでは多少の懸念が示されています。2010年に『「新しい公共」宣言』が発表されました。これは内閣府の「『新しい公共』円卓会議」が検討したものです。内閣府のHPを見ると、「新しい公共」についての議論が行われている。

これがいいことなのか悪いことなのか。ぼくには、地域アートの隆盛と似た事態に思いますが――「公共性」のある時期の定義からすると、それは国家に対する対抗的な側面を持っているものでした。しかし、NPOを政府が促進するなど、いまは「活動」を国家が包摂しようとしてしまう。権さんが警戒しているのは、それが国家による動員につながることと、本来政府などがやるべき仕事を安価にアウトソースしてやらせているだけになるんじゃないかということです。「活動」は、本来、アレントを参照するなら「自由」なもので、「労働」や「仕事」とは違うものです。しかし、そうはなっていない。「活動」の際たるものである「ボランティア」も、オリンピックのような国策への動員に使われそうで、国家との対抗的な契機が薄れて、包摂されてしまいそうですよね。「前衛のゾンビたち」でぼくが危惧を示した内容と、これは奇しくも重なっているように思います。鋭敏な美術作家たちはこの問題を明らかに意識されていますね。この中で何をするのかを、みなが真剣に模索しているように思われます。

このような悪用というか、概念の横領から、いかにして「新しい公共性」を救うか。そして、芸術でしか可能でないような、単純な形での有用性や公益性ではない、特異な価値を提示するのか。それを行うための参照ポイントとしてのアレントは有効だと思いますし、「アレントの公共哲学」ならぬ「アレントの美学」を析出してみてもいいのかもしれない。さらにそれを日本社会の「公共性」の発展史と接合し、説得力のあるロジックが作れたら、なお、よい。

そういう美学理論みたいなものを作ることができたら、高山明さんの「ワーグナー・プロジェクト」や、田中さんの作品や、あるいはふれあい館などの(芸術的?)価値や意義を、多くの人に伝えられるように言語化する手助けになるのではないのかな、なんて、想像しています。

批評家なんていうのは、作家の実践の後追いで、好き勝手な解釈をしながら、遅れて理解し、なんとか言語化していく宿命を持った存在なので、「何を当たり前のことを今更言っとるんじゃ」と言われそうですが、ご容赦ください。

 

藤田直哉 2018年4月 東京にて

 

近況:震災後の当事者たちの言葉を集めた文芸誌『ららほら』を立ち上げました。作品募集をしています。震災や震災後に対しての「言葉」を集めて公共性を立ち上げようというプロジェクトです。ぼくなりの、アートプロジェクトのやりかたの文学への輸入のようなものだと考えています。まだ工事中ですがサイトはこちら。
https://rarahora.wordpress.com/


1. 権安理『公共的なるもの アーレントと戦後日本』作品社、2018年
2. 稲葉振一郎『「公共性」論』NTT出版、2008年


【今回の往復書簡ゲスト】
ふじた・なおや(批評家)
1983年、札幌生まれ。東京工業大学社会理工学研究科価値システム専攻修了。博士(学術)。著書に『虚構内存在』『シン・ゴジラ論』(作品社)、『新世紀ゾンビ論』(筑摩書房)、編著に『地域アート 美学/制度/日本』(堀之内出版)、『3・11の未来 日本・SF・創造力』(作品社)、『東日本大震災後文学論』(南雲堂)など。

 

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