連載 田中功起 質問する 4-6:冨井大裕さんから 3

件名:「作ること」を受け入れる(「作ること」から解放されるために)

田中功起さんの第3信はこちら往復書簡 田中功起 目次

田中功起さま

最後の返信になります。ちょっと感慨めいたことを書いてみたい気もしますが、この書簡全体を通しての僕の感想は、今後の僕の制作で応答したいと思うので書かないことにします。


玉川大学で行っている授業の課題作品の展示「ふぞろいのチューブたち」。
紙とテープで出来ています。

「技術」と「判断」の違い。それは全く前回の田中さんの指摘の通りです。僕にとって技術とは、仮に工芸的な手技であっても「どこで止めるかの判断」を要求される行為として存在します。これはおそらく僕の体験からくるもので、この観点から考えると、〈作品の内部の問題〉と〈作品と鑑賞者の関係〉の両方に技術の終着点としての「判断」が入り込んでいることになります。恐らく僕の技術と判断の交差は以上のような経緯によるものです。

田中さんが前回の書簡で言っていた「作品は作者というパラメーターとは無関係であっても存在できる」という結論、これも確かにその通りだと思います。そして、それに関連しての「元祖」について。僕は「元祖」が「元祖」として存在し続けることには否定的です。それは、作品が作者から自立しないことを意味する訳ですから、制作の本来的な営みからは矛盾することになります。僕の第2信で触れたスタン・ハンセンのラリアットの場合、ラリアットは、ひとつの技(アイデア)として普及し、プロレスラーから果てはテレビで試合を観戦した子供たちに至るまでそれをつかうようになりましたが、ラリアットが普及すればするほど、人は子供の繰り出すラリアットからもスタン・ハンセンの影を見るようになる。これはプロレスという世界(もしくはプロレスラーとしてのステータスを築くひとつの方法)としては成功例かもしれませんが、今回の書簡の方向から考えると成功とは言えません。田中さんの言うように、ラリアットは形式の発明であり、形式はあまりに広範囲の波及力を容認するが故に、逆に波及すればするほど、発明者(元祖)を逆照射してしまう。作品と作者の離反を可能にする為には、ひとつの「事例」に即したひとつの技術と視点を見つけ、洗練させる(ここでは「洗練」=「だれにでもできる明確なものにする行為」と捉えます)ことが最良の方法でしょう…考えてみると、これは不思議です。ひとつの作品の為に見いだされた技術/視点の方が、特有であるような気もしますが、実際はその逆。これって、実は優れて体験的な気づきなのかもしれません(この「体験」というのも「作る」ことにおいて、厄介で重要な問題を孕んでいるように思います)。

現実には作者不在の作品は限りなく存在しないと言えますが、作品は作者から自立しないと本来的に作品とは呼びがたい。このジレンマの渦中における作者の制作態度を「作らされる」と呼べばどうでしょう。自発的に「作る」のではなく、ある偶然からアイデアと出会い、「作らされる」。こう考えるとひとつの疑問が湧いてきます。では、アーティストとは何なのか。何を条件としてアーティストは存在するのか。この書簡はこの問題を棚上げすることで、言い換えれば逆にアーティストの存在を信頼することで(どうしても存在してしまう…話している当の私たちが、アーティストであることを前提にこの書簡を交わしているという意味においても)成立しているものだと僕は思っています。そして今回のような話は、棚上げでもしないと話すことのできないこと、そこまでしてでも考えなければならないことであると思っています。

アーティストは何の条件から、アイデアと出会い、そのアイデアを作品として保存/公開する責務を負うことになるのでしょう。オンダックのように、作品が任意の場所に出現するきっかけを作ることがアーティストの制作行為になっている場合、アーティストであることとないことの違いは、責任者かそうでないかの違い以外、存在しないように思えます。僕はそれでいいと思っています。そして、その責任も作品が存続することでいずれは風化して、作家という存在自体も消えていく可能性もあるのではないかと思います。少なくとも、そう思うことで現在の僕の制作は続いています。つまり、こういうことが言えるでしょう。作品と作者の関係は、最終的に作者の存在が消えて、作者の存在は制作という時空間の中でかろうじて見え隠れする程度が望ましいと。

作者の存在を作品に求めなければ、作品の見えも田中さんの言うように、総体としての見えを気にする必要はなく、逆にアイデアが見えに浸食されないことに気を配ればいいことになる。この作業は、田中さんのいう「判断の放棄」に繋がりますが、僕は、放棄することすらも、作品という形式が芸術の中にあり続ける以上、「作る」というカテゴリーに入ってしまうのではないかとやはり思ってしまいます。僕は、上述の通り作家が「作ること」を放棄し、作品が作家と無関係に存在すればいいと思っていますが、だからこそ僕は以下のように考えます。どこまでいっても作家は作ることから逃れることができないのならば、それを逆に受け入れてしまうことで、作ることを作家から解放することはできないのだろうか。これは今回の書簡ではっきりと気づいたことなのですが、僕の作品は作り込んだものほど直接手を下す必要がなくなり、サイズも空間に応じて可変できるものになっている。これは制作の際に残す指示書にも反映されていて、作り込めば込むほど、指示書の言葉も短く、簡潔になっていく。考えれば当たり前のような気もしますが、この当たり前のことをきちんと踏まえた作品の生成に、いま一度立ち返ることが、ひょっとすると今回の書簡の主題だったのではないかという気もします。

田中さんの仕事からも感じることですが(僕の勝手な思いこみですが)、僕らは「作ること」で作ることから離れている。何故なら、作るという体験を持っていなければ、作ることを考えることはなく、作ることを特殊/普通の二元論で捉えることもないからです。そして、その体験があるからこそ、特殊/普通の区別を無効化して「作ること」を自身から解放できる。つまりは、作ることを放棄するという判断を下すことができる。ここで今一度、アーティストとは何かという話に戻ると、アーティストとは判断(放棄するという判断も含めて)する人であり、その判断に責任を負う人であるということになる…これもまた極めて当たり前のことです。しかし、この判断と責任をどのような範囲、タイミングで取るのかによって作品の性質や強度は変わってくる。オンダックのやっていることはそのようなことだと思います。

何やら、前回の田中さんと同じような意見を書いている気がしてきました。でも、そうなんです。田中さんと僕は、違う方向から近い点に向かって考え続けているのかもしれない。そして、これは、僕らだけではなく、あらゆる「作る」ことに関わっている人達全員の問題であるのかもしれない。もっといえば、生きていればみんな何かを作っているので、みんなの問題ということになる。このように書くとかなり話を広げているようですが、そうではない。このみんなが共有する「作る」ということに一個人として、どのようにして再突入し、関わることでそこから解放されるのか。結局のところ作品って、日々、世界で営まれている「作ること」を顕微鏡で拡大して見ているようなものかもしれません。顕微鏡を覗くことなんてあまり日常的なことではないので、それを毎日繰り返している作家のような人達はなんだか変な考えを持って当たり前。でもそのままでは何だか世界は簡単でつまらなくなってしまう。だから、僕らは覗いてしまった視点を濾過し、こねくり回して変形させて、もう一度、当然のように世界に投げ返す。作家/作品という存在を消すことができないのなら、敢えて以上のように定義した上で、「作る」ことに付き合い続けるしかないのかなと僕は思います。そして、僕個人のことで言えば、「作る」ことにこだわること/関わることは、必ずしも「作る」こととイコールではない。上手く言えませんが僕はそのように思っています。

今回の僕との書簡、ひょっとすると田中さんにとって苛立ちを抱えたものになったかもしれません。でも、僕個人はとても満足しています。この書簡を通して僕は田中さんが「作っている」ことを実感することができた。僕が田中さんに勝手に抱いていた信頼を確信することができた。だって、作ることを解放するなんてことは、作ることにとことん付き合っている人からしか聞くことのできない言葉なんですから。

これまでの書簡に参加した方も同じだったと思いますが、話せば話すほど話し足りないという思いが募ります。作品を作り続けて、また田中さんとはじっくり話したいと思っています。これまでは会っても作品の話はあまりしませんでしたが、これを機会に是非!

冨井大裕
2010年11月

近況:12月に東京で二つの展覧会に参加します。偶然にも、両方とも人の作品を素材に作品を制作するという内容です。12月4日から25日「あっけない絵画、明快な彫刻」 (Gallery Countach Kiyosumi )と、 12月9日から19日「冨永大尚+末井史裕+冨田大彰+森井浩裕+末田史彰+森永浩尚(switchpoint、この往復書簡の第二回の相手、成相肇さんの企画)です。

連載 往復書簡 田中功起 目次

4-5:冨井大裕さんへ 3

4-4:冨井大裕さんから 2

4-3:冨井大裕さんへ 2

4-2:冨井大裕さんから 1

4-1:冨井大裕さんへ 1

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