連載 田中功起 質問する 6-5:林卓行さんへ 3

「メディウム」と「end (終わり=目的]」の関連を議論のテーマにという林さんの希望に応え、作品の終わりとはメディアによって決定されているのではないかという問いについて、さらに「作品」と「展覧会」の関係性も射程にいれた、田中さんの最後の返信。

林卓行さんの第2信はこちら往復書簡 田中功起 目次

件名:「出来事」をメディアが再構成すること

林さま

こちらもすっかりお返事が遅くなってしまいました。ここのところ来年はじめに控えている個展の制作が佳境で、その他、テキサスの美術館でのトークなどがあり、なかなか時間を作ることができませんでした(*1)


テキサス、チナティ財団のすぐ隣にビンテージ・トレイラー・ハウス。映画みたいだと思い泊まってみたが、現実のトレイラー・ハウスは寒すぎた。

さて、そうですね、オープン・エンドの問題は、前回までのやりとりを通してある程度確認できたと思います。僕の近作を見ているひとは、おそらくこのやりとりを読んで多少は不思議に感じたかもしれません。なぜなら、受け取り方によっては、僕の近作は「関係性」へと横滑りしていくオープン・エンドなものとして受け取られるものでしょうから。

確かにビデオ作品となる以前の、行為そのものはオープン・エンドかもしれません。それらの行為は、アートであるなしにかかわらず、そして作品であるなしにかかわらず、そのまま生の出来事であり、いわば後ろ盾がなく守られてもいない。その時点ではそれがどこに向かうのかさえも、当事者にも分かっていない。僕はひとりの観察者として成り行きを見守っているだけなわけです。ある程度の範囲は設定されているにせよ、コントロールはまったくきかず、開かれている。オープン・エンドですね。しかしそれらが映像によって記録されている、映像作品となる前提のもとに記録されているという事実は、実はかなり重要です。つまりそれは後にひとつの視点から編集(再構成)されることがあらかじめ約束されているからです。

林さんのご提案のように、この最後のやりとりでは作品における「end(終わり=目的)」と「メディウム」の問題を考えましょう。作品の終わりとはメディアによって決定されているのではないか、という問い。そしてこのとき「作品」と「展覧会」の関係(作品は展覧会にフィットするものであってはならないのではないか、という僕の問い)も自ずと解決・解消されるようにも思います。

事後的に見出されるメディア

まず基本的な事柄から確認しておきます。例えば僕は映像メディアを使用することが多いですが、自ら「映像作家」であるとは捉えていません。どう呼ばれるかについては特にこだわらないので「映像作家」と呼ばれても「クリエイター」でも「美術家」でもかまいませんが。自らが「映像作家」であると捉えていないのは、僕が扱うメディアはだいたい事後的に選ばれているものであり、最初から「こうした映像を作ろう」という始まり方をしているわけではないからです。出発点に「映像」があるわけではなく、それが「絵画」になるのか、「パフォーマンス」になるのかが分からない以上、僕は自らを「何々作家」であるとは自己規定できません。僕らには最初に与えられたひとつのアイデアがあり、それを実現するのに必要なメディアはあくまでも事後的に選ばれる、というのが筋なはずです。

つけ加えておけばこの出発点では美的な要素はほぼ考慮されず、そこにはただ作品のアイデアだけがあるわけです。メディアが決定されていない以上、どのようなこだわりをもった(美しい緻密な)仕上がりが得られるかを考えることはそもそもできません。つまり最初の時点では、作品とは美的なものとは無関係なものとして考えられている。その意味では「美術家」という名称さえもあやういですが。

もちろんひとりのアーティストの中でひとつのメディアがくり返し選ばれることもあるでしょう。なぜならアイデアというものは連鎖的に、芋ずる式に見つかるものなので、特定のメディアを利用して複数のアイデア(実験)を行うこともできるはずです。一方でまったくばらばらのメディアが選ばれることもあるでしょう。例えばひとつのアイデアが複数のメディアにまたがって展開・検証が可能な場合は、そうなるかもしれない。いずれの場合においても、メディアは事後的に決定される、と思うのです(*2)

そしておそらくアイデアに対応したメディアを見い出せた時点で、林さんも指摘していたように、作品はある程度完成しているとも言えるのかもしれません。なぜならそれぞれのメディアには、それ自体に備わる制約や限界があるからです。作品はそのメディアによる制約や制限によって終わらざるをえない。

出来事を再構成する

例えばひとつの出来事は僕たちが知覚しきれないほどの微少で複雑なさらに小さな出来事の複合体で出来ています。仮に僕らがそこに参加していたとしても、その「出来事」のいったい何を受け取れた、分かったと言えるのでしょうか。「僕たちはそれを経験した」と言葉で分節化したにしても、それはほとんど何も言っていることにはなりません。おそらくアーティストにできることは、その「出来事」を別のメディアに移し替えることで、その過程でかなりの情報が切り捨てられるわけですが、なんとかその「出来事」の一面を理解しようとすることなのではないでしょうか。

イーゼルを立て屋外で風景を描くことでさえ、同様の問題を含みます。目に見えるままにはもちろん描くことはできないから、目前の風景は絵画というメディアのもつ限界とアーティストの目と手というフィルターを通して情報が取捨選択され、再構成される。ランダムな情報のある程度が捨像されたことによって、しかし、目前の風景の一断面がキャンバスの上に定着される。それはただ漫然と見ていた風景ではなく、意識的に再構成された景色として、絵として認識される。時にはそれは、もうひとつ別の豊かな出来事として経験されることもあるでしょう。すぐれた絵画はいつも僕たちに複雑な経験を与えてくれます。

膨大な情報を整理し、捨て去り、再構成することがメディアの特性であるとすれば、展覧会とは、たくさんの再構成されたメディアの中から、概観しうる一部を集める制度であると言えます。「展覧会」も膨大な情報から取捨選択をして、再構成をしているという意味では、個別のメディアを束ねる大きなひとつのメディアですね。だから展覧会というメディアにスペシフィックな作品もありますし(例えばひとつのカテゴリーとしての制度批判。マイケル・アッシャーによる美術館を24時間毎日オープンさせるプロジェクトなどはまさにこれですね)、単にその制度に寄り添うだけの作品も作られるわけです。

イベント

日本語の「出来事」は英語では「イベント」と訳すこともできます。展覧会の中で、パフォーマンスなどを含むある種の「イベント」が行われることが特に日本の現代美術の展覧会の中では多くなってきているように感じます。しかしそれらがどうにも座りが悪く感じるのは、イベントにおける「イベント性=出来事性」を捉え損ねているからじゃないだろうか、と思うからです。つまり「イベント=出来事」とは先に書いたように、微少で複雑なさらに小さな出来事の複合体であり、その豊穣で複雑なカオスは、そもそも「展覧会」という制約には収まりきらないはずです。「展覧会」そのものが「イベント」と呼ばれるように、いわば「イベント=出来事」の大きさの中に「展覧会」は含まれてしまう。逆に言えば、「展覧会」によって捨像された「出来事」の微細な有り様をもう一度取り戻すための抵抗の身振りが「イベント」というメディア/方法にはあるのかもしれません。

「イベント」の限界も書いておきましょう。「イベント=出来事」は、それを体験していないものには理解できないということです。当事者以外にはなにも伝わらない。それを伝えるためには、より制約の多いメディアを必要とする。例えば映像などに変換されてはじめて、しかし少し別様なものとして理解される。

これらのことを僕の近作に沿って考えてみます。まず展覧会のために「ひとりのモデルの髪を9人の美容師が切る」という「イベント」が企画され、非公開のもと行われる。それは映像として記録され、後にビデオ作品として展覧会の一要素として展示された。僕はなぜそれを「公開イベント」にしなかったでしょう。これには明確な理由があります。なぜならその「出来事」は当事者/参加者=美容師とモデルにとってももっともリアルな体験であり、その場にいた僕でさえも実際のところ何が実際に起きていたのかはよく分からなかった。いや、もちろん遠く見ているわけですが、髪を切ったり切られたりしていないという意味で当事者でない僕は、その「イベント=出来事」そのものを経験できていないと言えます。僕はあくまでの映像として記録された「イベント=出来事」を自宅に帰ってから見直すことで何が起きていたのかを知り、記録を通して知った「イベント=出来事」の一断面を編集技術を使って再構成したわけです。

さて、「イベント=出来事」がオープン・エンドなものであるとすれば、それは言ってみれば素材の状態です。素材は調理されて初めてひとつの料理として完成する。素材自体の味ももちろん大切だし、そのままの味もなかなかいいものかもしれません。しかし、料理人の腕によって再構成された料理はまた別の次元を僕たちに見せてくれます。とはいえ、僕はどちらかと言えば味音痴で、アメリカにきて完全に僕の舌は麻痺しきってますが。

それでは最後の返信、楽しみにしています。

田中功起 2011年11月 ロサンゼルスより

  1. テキサスではマーファにあるチナティ財団とジャッド財団を見てきたのですが、そこでは恒久展示という方法によって仮設的な展示や美術館における常設展という展覧会のフォーマットを越えた作品の設置が行われていたのでした。ジャッドを含む複数のアーティストの作品は基本的にその場所に合わせて制作され、建物とセットになって恒常的に設置され、別の場所に移動されるということがない。ジャッドの「100 untitled works in mill aluminum」(1982~1986年)は作品にとってのユートピアとでもいえる理想的な条件のもとに置かれている。作り手は作品に合わせて、展覧会というシステムそのものを強引にカスタマイズしたわけですね。いわばそれは会期のない終わらない展覧会としてこの砂漠の街に存在しつづけるわけです。http://www.chinati.org/

  2. ただし、メディアとアイデアが一体になって思いつくという可能性もあるでしょう。メディアの限界の中にアイデアが見つかる。しかしこの方向性はそのメディアが普及したときにかなりやり尽くされてしまう。例えばビデオというメディアがもつ特性(撮る/撮られる、など)を利用した作品は70年代にほぼ出尽くしてしまっている。何かしらのアイデアが思いついても、それはすでにだれかがやっている。「すでにだれかがやっている」ということが起きるのは、メディアの特性から考え得るアイデアにはある程度限界があるということを意味しています。

近況:来年1月から始まる個展「A Piano Played by Five Pianists at Once (First Attempt)」を準備中。

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