連載 田中功起 質問する 7-2:片岡真実さんから1

海外での作家活動を通して、以前より日本を相対的に見られるようになってきたという田中さん。身近なアート関係者の動きからマーケットの動向まで含め、いま「日本とアジア」からアートを捉え直すことへの興味を片岡さんに伝えました。もちろん、彼女がこれまで手がけた展覧会におけるアジア観への関心も添えてーー。いっぽう片岡さんは、いままさにアジア各国キュレーターとの「光州ビエンナーレ」に向けた議論や、サンフランシスコのアジア美術館における展覧会準備の真っ最中でした。それらを通しての現状認識と問題意識とは?

往復書簡 田中功起 目次

件名:日本、あるいはアジアから「世界の」アートを捉え直す

田中功起さま

ポッドキャストやトークイベントなどを通して功起くんが近年、敢えて思いを言葉にしようとしている姿勢には関心を持っていたし、「日本、あるいはアジアからアートを捉え直す」という課題は、私自身も考え続けていることなので、今回のお誘いはちょっと楽しみです。


オークランド(ニュージーランド)郊外の海岸。映画『ピアノ・レッスン』のロケ地。

いま世界が政治的にも自然環境的にも激動の時期にあるなかで(とは言え、世の中はいつの時代にも変化しているんですけどね)、現代アートは、生命の存在価値や地球規模の未来などより根源的で広範な視点から捉え直される必要があると考えています。そのなかではアーティストもキュレーターも批評家も、自身の立ち位置、へその緒の記憶のようなものを辿る必要があります。オペラシティ時代の「JAM展」や「アンダー・コンストラクション」、功起くんにも参加してもらった「六本木クロッシング2004」など、私自身これまで展覧会の企画を通して日本やアジアの枠組みを問い掛けてきましたが、アジア太平洋地域の経済的隆盛が明らかになった今日では、その課題は不可避なものとなっているように思います。

「アジア」を巡る共通課題の不可能性

いま、今年9月から始まる「光州ビエンナーレ2012」のディレクター会議のために、毎月のように韓国に行っています(森美術館のイ・ブル展の件もありましたし)。アジアの女性キュレーター6名で共同ディレクターをしているのですが、半年近くも「共通の課題」を議論した結果、見えてきたのはそのことの不可能性。6人はそれぞれ日本、韓国、中国、インドネシア、インド、カタールを拠点にしています。東アジアから東南アジア、南アジア、西アジアまでも網羅しているけれど、実際には社会政治的にも歴史的にも状況はそれぞれ全く異なっています。

例えば、インドのキュレーターが脱植民地主義について語ろうとしても、中国のキュレーターは「中国にはポストコロニアルという概念はない」と言う。その代わり未だ自由な発言や表現が許されない社会における小さな運動の継続による効果を模索している。カタールのキュレーターは1980年生まれ。現実と蜃気楼がないまぜのような激動の社会で美術史の書き換えの必要性を感じている。1998年のスハルト政権崩壊以降、若い世代から興味深いアートが生まれているインドネシアのキュレーターも1980年生まれ。新しい世代のアーティストを代弁している。

彼女たちが生まれた年、光州では民主化のために多くの市民が軍部と衝突して命を落とした「光州事件」が起り、今は韓国の民主化の聖地。実際に韓国で民主化が宣言されたのは1987年なので、私と同世代のアーティスト(いわゆる386世代)は学生時代には民主化運動と融合した「民衆美術運動」と西欧のモダニズムを踏襲した二つの潮流をかき分けて、新しい表現を模索してきた。もちろん未だに南北問題が継続しているので、アーティストもキュレーターも政治的、社会的問題には極めて自覚的。このような背景が思想に反映されているので、6人それぞれがアラブの春に始まる世界各地の民主化運動や占拠運動には敏感に反応しているし、昨年の東日本大震災や福島原発事故についても高い関心を寄せてくれる。

そして、結果的に選ばれたテーマは「ラウンドテーブル」。共通の課題を模索するのではなく、それぞれがアージェントな課題を持ち寄って議論する場を創出しようという態度の顕われです。また恒常的に展覧会を開催する美術館とは違って、2年に一度だけ開催されるビエンナーレという枠組みは、出会い、拮抗、議論などから凝縮されたエネルギーが一気に噴出するような場であるべき、という考えにも基づいています。他者の課題を通していかにその状況を理解し、差異を受容し、異なる断片の集合体としての条件を存続させられるのか。そんなふうな世界の認識のための訓練の場とも言えます(*1)

アジア地域のネットワーク

 この10年くらいアジアの同時代のアーティストやキュレーターと仕事をするなかで、必要とされてきたのはアジア諸国と日本の近現代の歴史観を併置して見る視点でした。日本の教育のなかで、今後は世界史とともにアジアの歴史を、日本の植民地時代のことも含めて、腫れ物に触るような形ではなく、もっと丁寧に教えるべきだと真剣に思っています。世界経済の中心が欧米からアジア太平洋地域へ確実に移行しつつある今日、日本が未来の立ち位置を考えるためには対話のための基礎的な知識、相互の社会的、政治的歴史を踏まえないとお話にならない。歴史教育が戦後の日本できちんとされてこなかったことは、今後の国際関係で大きな問題になるでしょう。

 経済の隆盛とともに、アートの文脈でもアジア地域で本格的な美術館計画が各地であり、中国では雨後の筍のように公私立の美術館ができている。日本で80年代以降にあった美術館建設ブームと酷似しています。モニュメンタルな建物先行で予算やコンテンツが追いつかない。ビエンナーレやアートフェアも都市間、国際間競争のように急増している。シンガポール美術館や豪州のクイーンズランド・アートギャラリーのようにアジアのコレクション充実を図っている美術館など、この地域ではどの都市もアジアのハブを目指して戦略を立てているように思えます。もちろん香港のウエスト・カオルーン地区に計画されているM+も重要な拠点になることが期待されていますよね。

そんななかで欧米の美術館や国際展での展示経験を踏まえた意識の高いアジアのアーティストやキュレーターが、それぞれの地域にあるべき理想のスペースを思い描いている。功起くんが指摘している「アジア地域のネットワーク」はこんな背景のなかから生まれてきているものだと思います。当然、欧米の美術館でもアジアの現代アートへの関心は高まっていて、アジア系のキュレーターが採用されていることもそのニーズを象徴しています。このアジアの大きな胎動のなかで、日本は何ができるのか。日本が政治的にアジアを牽引しようとした20世紀前半、経済的に力を及ぼした20世紀後半、そして21世紀。政治でも経済でもなく、文化や芸術が世界に対して何らかの役割を果たすことができるとすれば、日本には汎アジア的かつ前近代的な視点と、それを言語化して世界に繋げる努力が求められていると考えています。

日本のアートの根幹

日本のアートのあり方、なかでも感覚的な空間認識という課題を自然観を切り口に考えたのが「ネイチャー・センス展」でした。企画当時、ロンドンのヘイワード・ギャラリーでも年間半分仕事をしていましたが、ロンドンから見えていた日本のアートは、杉本、草間、村上、奈良、森万里子、宮島くらい。ただそれらのアーティストが点として見えているだけで、アートシーンが見えてこない。ロンドンのいくつかの大学でも講義をしたけれど、教授陣や学生が知っていることはひどく限られていた。彼らが主に使っている教科書は、1994年にアレキサンドラ・モンローが企画した「Japanese Art After 1945: Scream Against the Sky」。1990年代以降の現代アートを巡るさまざまな言説がどんどん書籍化され、中国の現代アートの本なんて10種類以上並んでいるなかで、日本のアートを英語で通史的にまとめたものは1994年どまり。もう20年近く前です。

そんな状況を目の当たりにして、それは何故なのかを考えた先に見えた仮説は、日本の文化やアートの根幹を流れてきたのは、非言語的、非合理的なもので、それらは感覚を通して言葉を介さずに共有されてきたのではないかということ。形としての絵画や彫刻ではなく、物理的な作品に至るまでのプロセス、技術、素材との交感、あるいは芸能や祭祀などを通して伝承されてきた見えない存在との交感。それらを繋いでいる「何か」を皮膚感覚や身体感覚、自然観、あるいは近代化以降は限りなく語られなくなった宗教観などに求めることが可能なのではないかと考えました。「ネイチャー・センス展」の論考はまだまだ言葉足らずで、問題の表層をひっかいただけのようなものですが、それはひとつの出発点にはなりましたね。

日本からアジア、アジアから世界へ

いま、この考え方をアジア全域に広げた企画を準備しています。今年5月から9月までサンフランシスコのアジア美術館で開催される「Phantoms of Asia: Contemporary Awakens the Past」がそれです。アジアの歴史的な美術のコレクションとしては欧米でも有数の所蔵品を持つ同館が、アジアの現代アートの本格的な企画を求めていて、ゲストキュレーターとして企画を採用してくれたのです。

今日の自然観の根源が自然崇拝や山岳信仰に始まる宗教観にあることや、古代のアジア、とくにバラモン教、ヒンドゥー教、ジャイナ教、仏教などの宇宙観に興味深い共通項があることと、そこではつねに全宇宙的なマクロコスモスとミクロコスモスとしての自身の身体を結ぶ不可視のエネルギーがある、あるいは全てが縁起で繋がっていること、生と死の循環とその境界の曖昧さ、これらを論拠にしながら、言葉にならない何らかの存在の知覚をアジアの通奏低音として考えたとき、アジア美術館のコレクション群とアジアの現代美術は何の断絶もなく、沈黙のなかで継承されてきたと言えるのではないかという提案です。現代アーティスト31人のうち、日本からは杉本博司、須田悦弘、小谷元彦、松井冬子、近藤亜樹、そして京都在住の韓国人アーティスト、ヒョンギョンに出品をお願いしています。

 このような文脈のなかで、見えている世界や物理的な作品ではなく、目に見えない世界の気配、作品の周囲にある不可視のエネルギーから知覚的に現代のアートを解釈してみると、日本を含むアジアの多くのアーティストの仕事の本質がみるみるうちに明らかになるような気がしています。インドネシアの影絵の伝統も、タイの路上にあるスピリットハウスも、韓国のシャーマニズムの伝統もすべて先祖信仰や死後の世界観などと関連する不可視の世界との日常的な交感で、その感覚を共有する多くのアジアのアーティストに出会ってきました。さらにそれはオーストラリアで見たアボリジニの絵画、ニュージーランドで会ったマオリ系、パシフィックアイランド系アーティスト、カザフスタンやキルギスタンで会ったキュレーターやアーティストとも共有できるものでした。

このような不可視の世界の知覚については、その背景に気候や風土の問題が確実にあるだろうと思っていて、「ネイチャー展」の論考に書いたように和辻哲郎の『風土:人間学的考察』には非常に共感するところがあります。このことはいくら近代化や国際化が進んだとしても、アジアがヨーロッパのようにはならないだろうという論拠のない確信のようなものとも繋がります。さらに地域を拡大して考えてみると、功起くんの住んでいるカリフォルニアで1960〜70年代に発展した「The Light and the Space」と言われる傾向も、ニューヨークとは異なるロサンジェルスの光や広大な自然の空間と無関係であるとは思えません (*2)。そして、改めて歴史を振り返ってみると、西洋の歴史のなかでもユング、オットー、エリアーデなど、この領域を探求した先達にも目を向けてみるべきだと思うし、一方、1990年代の代表的な現代アートの用語になった「関係性の美学」もまた、アジア的な文脈で再検証されるべきだと思っています。この辺りのことは、また次回の書簡でお話できればと思っています。

今週後半から数日だけニューヨーク、そして再来週はドバイです。お返事楽しみにしています。

2012年3月4日
東京にて

  1. この意味では、功起くんの近作「A Piano Played by Five Pianists at Once (First Attempt)」(2012)や「a haircut by 9 hairdressers at once (second attempt)」(2010)では見事にこのテーマが視覚化されていると思っています。

  2. この傾向を総覧する展覧会「Phenomenal: California Light, Space, Surface」が、ちょうどサンディエゴの現代美術館で先頃まで開催されていた。

近況:「イ・ブル展」が開幕したので一瞬ほっとしましたが、いまは準備が遅れている光州ビエンナーレ、10月にワシントンDCで開催する「アイ・ウェイウェイ展」、11月の森美術館「会田誠展」などの企画を皿回し中。

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