連載 田中功起 質問する 9-3:杉田敦さんへ2

美術批評家の杉田敦さんと、「失敗」をキーワードに言葉を交わす今回の往復書簡。杉田さんからの「自立」と「依存」、また「協働」と「失敗」にまつわる考えに、田中さんが応えます。思考の糸口となったのは、ある著名なオムニバス映画のようです。

往復書簡 田中功起 目次

件名:距離の問題から考える

杉田敦さま

ひとつ目の返信、ありがとうございます。ぼくは今ちょうどヴェネチアに来ています。とあるツアーのガイドを任され、ビエンナーレの会場を参加者といっしょに再度見て回りました。6月のプレビュー期間に見逃していたものやそれほど興味の湧かなかったものも、再度見直してみるとなるほどと納得したり、改めて見たらかえって興味が削がれたり、一つの展覧会が異なって見えてきて貴重な体験でした。


飛行機のシートに座る犬。

相反する見方とその縫合

なるほど、杉田さんはマッシミリアーノの企画展「百科全書的宮殿」(The Encyclopedic Palace)をむしろドクメンタ12と近しいものと捉えていたんですね。確かにプレビュー週間にお会いしたときにもそのような話をしていたのを覚えています。ぼくにとっては前回書いたように、国別パヴィリオンを含めたビエンナーレ全体をドクメンタ13と近しいものとして捉えていました。いわば相反する捉え方ですね。でも杉田さんが「百科全書的宮殿」と国別パヴィリオンを分けた上で、前者について苦言を書いたように、国別パヴィリオンは各国それぞれ違ったシステムでもって(あるいは批評性で持って)、別々のキュレーターが企画をしています。国別パヴィリオンは企画展とは個別に考えられるべき展覧会群です。ぼくはいわばその二つのカテゴリーを混ぜ合わせて、ひとつの展覧会であるかのように捉えた印象を書いたわけです。ドクメンタはその点、別々の美術館を会場としていてもひとりのディレクターによって(前回は複数のエージェントといっしょに)企画されるものなので、比較すべきは、ヴェネチアの中では企画展なわけでした。

くどくど説明したのにはわけがあります。杉田さんの日常とヴェネチアがある意味では地続きとして見えたこと=ぼくの作品群を杉田さんが既に知っていたからこそ生じた感覚。杉田さんは以下のことに自覚的だと思うのですが、ぼくたちは自分たちの置かれた状況からしかものごとを見ることはできません。ぼくは、結果的にヴェネチアを二度訪れて、その中で会場には何度か足を運んだわけですが、それでも全てを見ることはできませんでした。もちろん街のなかに散らばっている国別パヴィリオンを全て見ることはかなりの時間がかかりますが、ジャルディーニとアルセナーレ内のものであっても、どうしても興味がわかずにスキップしたもの、詳細に見ようとは思えなかったものもたくさんありました。ぼくはかなり意図的に、任意に、それらの展覧会から作品たちを取捨選択し、このヴェネチア・ビエンナーレを脳内で再編集し、主観的に再構成されたものとして理解しました。ぼくは基本的に、ひとがどれだけ客観的であろうとも、そのひとが見たいようにしかものごとは見えてこないんじゃないかと思っています。この身体のある場所からしかものごとを捉えられません。だからこそそのことに自覚的であるべきで、それによって問い(自己反省)や疑問(制度批判)が持続されると思っています。その意味で、こうした大きな展覧会はそうした自身の見方を試す格好の機会でもあるわけですね。

ベトナム/ヴェネチアから遠く離れて

ヴェネチアの話はこのぐらいにして、少し遠く離れて、ベトナムのことを考えてみたいと思います。
というのも、いまさらながら映画『ベトナムから遠く離れて』(1967)を見たからです。この映画は当時のベトナム戦争に反対するクリス・マルケルの呼びかけに応じた複数の映画監督によるドキュメンタリーを集めた形でできあがっています。ニュース映像のフッテージなども使用されていますが、基本的にはベトナムとは別の場所でつくられた映像で構成されています。参加した監督の中にはゴダールも含まれます。そしてこのゴダールのパートがとても奇妙なものなのです。ゴダールはその中で、大きな35mmカメラを覗くゴダール自身の映像に、ベトナムに行って撮影をするという自身の企画が頓挫したことを語るモノローグをボイス・オーバーさせることで映像短編として製作しました。

オムニバス全体は明確な政治的意図のもとに製作されたものだけれども、ゴダールのパートだけはある種のねじれを含み込んでいるように思いました。自身の企画が頓挫したことは事実のはずですが、それがゴダール自身のぼそぼそとしたモノローグで語られることで、実際にそうなのか、それともフィクショナルなストーリーとして語られているのかがよくわからなくなってきます。映像自体も真正面や真横からの固定ショットで構成され、合間に現地のリアルなニュース映像が挿入されるため、カメラを覗くゴダール自身が作り物のように見えてきます。そしてゴダールはとてもナイーブに「それらすべて(ベトナム)から遠く離れて、映画製作者であるぼくたちにできるひとつのことは、映画を撮ることである」と語ります。

ゴダールはここで企画の頓挫(failure)を通常の成功/失敗に分けられない要素に変換しているように思うのです。つまりベトナムから遠く離れた「距離」の問題を「企画の頓挫」という物語を利用して描くこと。このパートがオムニバス全体のメタ構造として挿入されているように見えるのはそのためです。できなかったことをできることに変えようと努力するのではなく、できなかったことに含まれている/現れている問題に向き合うことで、成功/失敗問題を解消してしまう。またゴダールは「映画」内に含まれる視線をめぐる距離についても同様に扱います。通常の映画撮影ではカメラマンと監督は別々の場所にいます。カメラマンはカメラを通してその現場を見つめ、監督はモニターを通してその現場を見ているカメラの目線を確認します。いわばカメラマンは現場に入り込み、監督はモニターを通して現場からの距離がある。ベトナムとパリの距離がここにも現れています。だからこそ、ゴダールはカメラを覗く撮影者としての監督というフィクショナルな存在になって、この短編の中に存在する。「政治的」であろうとすることに躓きを与えるこの短編が挿入されることで、オムニバスがひとつの方向性に収斂していくことを防いでいるようにも思えました。

そして「依存」と「自主的」であること

失敗/成功の区分けをせずに、その場で起きたこと、その自分の立場に向き合うことで見えてくること。ベトナムから遠く離れてゴダールが試みたのはそういうことだったように思います。ゴダールは自らベトナムに行こうし、それが頓挫し、クリス・マルケルらの自主的な働きかけによって監督たちが集まって映画が作られた。この映画は、ベトナムとの距離を扱い、いわばどのように自らが当事者性を獲得していくのかという問いを立てた。

ぼくらはときに少し残酷な仕方で二つの立場を分けてしまいます。当事者であるかないのかという分け方は、成功者・失敗者の差異化にも似ています。ぼくがアートに惹かれる一つのことは、成功と失敗の境目があまりよく分からないということです。相対的な見方しかなく、その意味では価値体系がほとんど失敗していますよね。かろうじてマーケット的な価値が強いですが、その中での力点がどこに動くのかはわかりません。実際中国のマーケットに踊らされた日本のアート関係者はたくさんいたわけですから。ぼくらは基本的にさまざまな価値基準に翻弄されます。だけれども、自ら何かをするときは案外そうしたシステムに対峙できます。これはシステムから独立することではありません。ぼくらはその中からは逃げ出すことはまずできない。ならば、せめて自主的であることで、システムを撹拌するしかないのかもしれない。自主的であることが「独立的」「自律的」ではないことから、杉田さんの提示した「依存」とつながるかもしれません。

『関係性の美学』で書かれる「関係性」には”inter-subjectivity”と”inter-human”という言葉が頻出します。間主観的であることは「相互依存関係」であるとも捉えることがでいます。ぼくが依存と聞いてまっさきに思い浮かんだのは、夫婦関係です。結婚というのは相互に依存することです。ぼくの人生は二人の関係をベースに成り立っている。例えばぼくは展覧会のためにいつまでも別の国に居続けることはできません。これはひとつの条件です。制度、もしくはシステム(夫婦関係をそう書くと大げさですけど)の提示する条件を受け入れつつ、自主的な提案を行い、関係を築きあげていく。その間主観的な日々の状況、選択から、それが自ずと間主観的な実践へと繋がっていく、かもしれない。

杉田さんが提示する「依存」とはもう少し違ったものかもしれませんが、最後にそれとなくつながる糸筋を残して、今回の返信を終わりにします。

田中功起
2013年12月 途中までヴェネチア、途中からロサンゼルスにて

  • 註:前回の手紙の中にぼくが書いた「周回遅れ」について少しだけ補足しておきます。実はあれは謙遜でもなんでもなくて、本心です。ヴェネチア・ビエンナーレの制度そのものを周回遅れと捉える杉田さんの意見にも同意しますが、ぼくがここで含ませたかったニュアンスはもう少し個人的なものです。自分の立場をどの軸から見るかによってもちろん見方は違ってくるとは思いますが、ぼくはどこかで世代というものが持つある種の共通感覚を信じていました。だからその世代の中で自分がどのように展開できるのか、そんなことをどこかで意識していたように思います。これは日本の中での問題というよりは、もう少し広い視野に立って話しています。
    ぼくがティノ・セーガルの話を最初に聞いたのは2006年のことでした。あと例えばライアン・ガンダーやマリオ・ガルシア・トレスの話を聞いたり作品を見たりしたのは、もう少しあとだったと思います(確か東京で)。なんとなく自分はそのときに、ああ、こうしたある意味ではコンセプチュアリズムの復権のようなかたちで同世代のアーティストが出てきつつあるんだなあってことを感じたのでした。ぼくは自分の実践の方向性からして、こうした中にカテゴライズされていくんだろうか、などと少し呑気に思っていたのを覚えています(この時点で実は一周ぐらい遅れています)。そして彼らはまさにネオコンセプチュアリズムとしてその後評価されます。そんな彼らが、去年、2012年のドクメンタ13では、今度はパフォーマンスの要素を合わせもつ、非物質傾向をともなった世代として、なおかつその展覧会を引っ張っていく決定的な存在としてキュレーターと協働していた。この時点でぼくはおそらくこの流れにおいては、二周も三周も遅れています。一方で、ヴェネチアに出ても、その周回遅れが解消するわけではありません。ってなんだかここまではネガティブに聞こえるかもしれませんが、事実を踏まえた現状把握です。ただ、それを周回遅れと捉える必要も、もしかするとないのかもしれないと、どこかで思い始めているのも確かです。ぼくがやっていたことは、そもそもその流れとは別の、走っていた場所も別のところだったんじゃないか、っていうのが、ロサンゼルスにしばらくいて感じはじめていることです。ヴェネチアで気づいたことも、実はそういうことです。表面的に人がどのように判断しようが、それが全く別のどこかから出てきたものであること、それが少しポジティブに自分の中に芽生えた意識です。だから「周回遅れ」は蔑称でもあるけど、肯定的なものでもあるのです。
  • 近況:年末の一時帰国中に以下のイベントに参加します。保坂健二朗さんとキュレーションについて話す、「この世界とのつながりを模索するために ――「キュレーション」の足跡をたどり、明日を記憶せよ」、東京造形大学CSLABでの「質問に答え、ヴェネチア・ビエンナーレ日本館の個別の作品についても詳細に話す」、そしてCAMP企画による「現在のアート<2013>」

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