連載 田中功起 質問する 1-2:土屋誠一さんから

第1回 展覧会という作法を乗り切るために(2)

田中さんの第1信はこちら往復書簡 田中功起 目次

田中功起様

お便り拝読いたしました。田中さんは今ロスですか? それともどこか別の場所を飛び回っておられるのか? 今私は、沖縄のビーチで波の音を聞きながらこのメールを書いています……、というのは勿論ウソで。深夜に自宅で引きこもって仕事をしつつ、お返事書いてます。今年の夏は半分くらいしか沖縄にいなくて、私事で東京にいた以外は、必要あって筑豊炭坑の跡を探るため、福岡に滞在していました。現代美術が私の本旨のはずなんですが、一体自分がどこに向かおうとしているのか、自分でも意味がわかりません……。


いかにも南国の早朝らしい風情の、自宅私室からのぞむ美しい風景

と書き始めてみましたが、往復書簡というものはとても座りの悪いものですね。しかも、ネット上でテクストを交わすには、この往復書簡という形式、随分旧弊なもののように思わないでもありません。そもそもこの「公開」を前提とした往復書簡って、紙媒体という枠組みにおいてこそ、その「公開」の特権性が維持されていたものではないでしょうか? という、いかにもありそうなツッコミをひとまず先取りしておいて、往復書簡のお相手としての田中さんからの直々のご指名、即座に乗ってしまうとしましょう。ウェブ上でわざわざ(あるいはわざとらしく?)「公開」で書簡を交わすなんて、美術などという旧弊なジャンルに関わっている私たちとしては、なかなかいい感じじゃありませんか!

さて、本題に入りましょう。なるほど、台北でのふたつの展覧会の対比、興味深い話ですね。私も似たような光景を少し前に見ているので、そのことを書いてみます。私の自宅の傍に、沖縄県立博物館・美術館という美術館があります。そこで4月から5月にかけて、『アトミックサンシャインの中へin沖縄』という、やはり現代美術を中心とした展覧会が開かれていました。これはフリー・キュレーターの渡辺真也氏が企画し、ニューヨークを皮切りに東京、沖縄へと巡回した展覧会で、東京展ではそれなりに話題を呼んでいたので、おそらく田中さんもこの展覧会のことはご存知なのではないでしょうか? 沖縄に巡回した展覧会には、NY、東京での出品作家に加え、沖縄出身のアーティストが多く追加されていました。

この展覧会には、「日本国平和憲法第九条下における戦後美術」という副題が付いていて、タイトルから想像が付くとおり、極めてポリティカルなテーマによる展覧会でした。そして、現実に政治的な事件(といっていいのかな?)が発生しました。出品作家の中には当初、最近では『日本心中』という針生一郎氏を主役とした映画がありましたが、その監督でもある作家の大浦信行氏による、昭和天皇の肖像写真をコラージュした作品「遠近を抱えて」が含まれていました。富山県立近代美術館での事件から始まる、この作品のこれまでの経緯に関しては、特に説明する必要はないでしょう。それで、今、「出品作家の中には」と書きましたが、これは沖縄展については正確ではありません。沖縄展については、大浦氏は出品作家のラインナップに含まれていなかったからです。しかし、展覧会オープン早々、あるきっかけがあって、企画進行過程において、大浦氏の作品を出品するというキュレーターの渡辺氏の企図に対し、美術館側からケチがついて、結局大浦氏の出品を諦めざるを得なかったという経緯が明らかになりました。このことは、表現の自由という題目をめぐって、検閲か否かという議論が起こりました。

一方、沖縄側のアーティストの一部から、キュレーターに対する非難の声が上がりました。この展覧会は、大和(すなわち旧版図における日本)による、沖縄に対する収奪なのではないか、と(ちなみに、キュレーターの渡辺氏は、「大和」出身です)。沖縄の歴史を少しかじるだけでもわかるとおり、この大和による沖縄の搾取という構図は図式的に聞こえるかもしれませんが、日本による沖縄の植民地化という歴史的経緯や現在にまで至る基地問題を含めて、耳を傾けざるを得ない。私自身、沖縄側の出品作家に知人が含まれているということもあったりして、会期中のその動静に注目していました。

これだけでは説明が足りないかもしれませんが、文化的なポリティクスの側面において極めてデリケートな話なので、説明を加えれば延々と長くなってしまいます。ですのでこれ以上の説明は控えます。ともかく、そのような経緯があった展覧会の最終日に、関連企画としてシンポジウムが開かれました。私は一聴衆としてシンポジウムを聞きに行ったのですが、開始早々、捉えようによっては沖縄という共同体とその歴史を愚弄しかねないパフォーマンスが壇上で始まりました。それ自体私にとっては非常に不快だったのですが、そのパフォーマンスに割って入るように、沖縄側の出品作家の一人が、パネリストやパフォーマーを含めた壇上の人々に対して沖縄口で怒鳴りちらすという場面がありました。私自身、口喧嘩は嫌いではないので、そのことは問題ないのですが、その出品作家の態度が半ば沖縄というパトリオティズムに立ったところでの(つまり安全地帯からの)発言のように聞こえたので、重ねて不快に思い、会場を退席することにしました。

美術館側も、キュレーター側も、沖縄の出品作家側も、全部が全部最悪だ、などと内心毒づきながら、暗澹たる気持ちでシンポジウムの会場を出たのですが、そこで展覧会場に入場する人たちの長蛇の列を目にしました。私が展覧会に行く時には、いつも美術館はガラガラなのに、現代美術の展覧会にこの人の山とは凄いもんだ……。と思ったのですが、よく見てみればその列に並んでいる人たちは、同時に開催されていた『人体の不思議展』の入場者なんですね(笑。ちなみにこの『人体の不思議展』、数年前から日本各所で開催されていたよなぁ……と思ってちょっと調べてみたら、どうやら2002年(!)頃から各地を巡回し続けているようなんですね。これもある意味凄い)。この長蛇の列を見ると、私の怒りや不快感や内心の毒づきなどは、相対化されざるを得ない(笑)。つまり、何が言いたいかというと、以上つらつら書いてきたことは、乱暴に一言で行ってしまうと美術と政治に関わる問題になるわけですが、『人体の不思議展』の圧倒的なプレゼンスとポピュリズムを前にしては、極めてローカルな話にならざるを得ない、ということです。即座に言い添えますが、文化と政治をめぐる問題は、少なくとも美術に関わっている私たちにとっては、勿論極めて重大な話です。けれども、田中さんが例に挙げた現代美術の展覧会と『ピクサー』対比って、個々のコンテクストの差異を捨象して言えば、私が例に挙げた話と、構図としてはまったく同じ話になります。

田中さんの問いにあった(というか、私がかつて「美術犬」のシンポジウムの際に発言したことですが)、現代美術と制度の問題、というか、現代美術の多くが美術の制度内のジャーゴンや「儀礼」に従ったゲームであって、土屋はそれに対して「嫌気がさしている」というが、じゃあどうすればいいか、という話です。けれども、以上に書いた話に引きつけて言えば、本当に問題なのは、『人体の不思議展』や『ピクサー』に対してコミュニケーションが可能な言語を、少なくとも「美術についての語り」が持ち得ていない、ということなのではないでしょうか(この田中さんと私とのやり取り自体もそうなっている可能性が高いですが)。現代美術は、好むと好まざるとにかかわらず、極めてテクスチュアルかつコンテクスチュアルなものです。このことについては、いちいち説明は不要でしょう。私が以前シンポジウムで発言した際は、現代美術の「作品」に比重を置いて話をしましたが、だとするとこれは幾分修正する必要があるのかもしれません。本当は、作品そのもののあり方が問題なのではなくて、端的に私たちがテクスト=言葉を充分に持ち得ていないということなのではないか、と。

田中さんが例として、「映画のフォーマット」に「文句をいうひとはまあほとんどいない」と書いているのは、このことを考えるためにはちょっと興味深い事例です。確かに私たちは映画館に文句を言わずに行く場合がしばしばあります。けれども、その「場合」は、それこそ「ピクサー」の(この固有名は例えば、「ジブリ」の、でもいいのですが)映画のように、メディアミックスが所与とされているようなケースに限ってではないでしょうか。つまり何でピクサーなりジブリなりの映画を、映画館に観に行くのかといえば、それは単にDVDのソフトが発売されるのが待てないからでしょう(勿論、映画館で映画を観賞することの優位性を主張する論者は多くいますが、それは単なるディレッタンティズムに過ぎません。私はそのような、ジャンルの特殊性を無反省に強調するような態度を、基本的には軽蔑します。さらに付け加えると、美術において「メディアミックス」が一番成功した例は、アンディ・ウォーホルでしょうね)。しかし、かといって私はこの種の「待てない」ような欲望を、否定する気は全くありませんし、原理的に不可能です。なぜなら、近代以降に発生したメディアは、そのような欲望に忠実なメディアであるからです。ましてや、美術を専門とするウェブサイトで、このような往復書簡を書いてしまっている以上、言い換えれば、そのような情報インフラの上で私たちがものを考えている以上……。

一方では「歴史にヒントを求めることもできるでしょう」という田中さんの言葉尻だけ、あえて捉えさせてもらうと、美術はそれ自体について考える際に、あまりにもその「歴史」とやらが邪魔になり過ぎているのかもしれません。と、こんな話題を突然振ったのは、例えば映画のようなポップ・カルチャー(という言い方は正確ではないかもしれませんが)の短い歴史と、美術のそれとの対比、ということもあるのですが、もう一方、現代美術は、それが属する「美術」という歴史をむしろ切断しようとする、あるいは脱歴史化するものとして作動しようと、ここ数十年の間(そして今も)苦慮してきたように思うからです。恐らく、この点については、ちょうどこの田中さんの連載が開始したお隣で、椹木野衣さんが大竹伸朗氏の非(あるいは「脱」と言うべきか)歴史性について述べておられることとも関わると思います。

と、お隣の芝生にまで立ち入ろうとしたところで、ひとまず第一信は唐突に締めくくらせて頂きます。どうも旧弊なせいか、ネットというメディアの特性(というか、空気、ですね)を読めず、だらだらと文章が長くなってしまいそうですので。このメールでは田中さんの問いかけに、きちんと回答できていない上、話が中途半端に取っ散らかりつつも、尻切れトンボになっちゃいました。続きは田中さんの次の返信を受け取ってから、即興的に打ち返したいと思います。でもせっかくこの「わざとらしい」往復書簡の形式をネット上で行うんですから、即興的にお隣の芝生に介入しようとしちゃっても、それはそれでなかなかいい感じじゃないですか!

2009年10月17日早朝 那覇より
土屋誠一


つちや・せいいち(美術批評家・沖縄県立芸術大学講師)

1975年生まれ。主な論考に、「写真史・68年」「デジタル・イメージ論」など。現代美術と言説との相関について考える運動体「美術犬(I.N.U.)」メンバー。

関連リンク
美術犬(I.N.U.)
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近況:「美術犬(I.N.U.)」のシンポジウムを、10月24日(土)、BankART Studio NYKで開きます。テーマは直球で「批評」(!)です。12月27日(日)にも、シンポジウムを開催します。詳細は「美術犬(I.N.U.)」ウェブサイトで!

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