連載 田中功起 質問する 10-5:小林晴夫さんへ3

第10回(ゲスト:小林晴夫)——ぼくたちはいったい何に参加しているのだろうか

横浜で「芸術を発信する場」blanClassのディレクターにして、アーティストの小林晴夫さんと「参加」をめぐり意見を交わす今回。田中さんの最終便では、自身の作品観と自らの「立ち位置」への率直な想いが綴られます。

往復書簡 田中功起 目次

件名:拡張された「作品」の中でのアーティストの位置について

小林晴夫さま

お返事ありがとうございます。
ここ最近、来年の展覧会に向けて制作の準備をしています。そこではいつものように相談とミーティングとメールによって物事が進んでいきます。撮影の設計をし、必要な本を読み、考えます。ぼくはそうした非物質的な活動も、「日々造形的な仕事をしている」ととらえています。例えばそこで考えられている撮影の設計は、カメラや人物の配置も含めて、空間的な構成とそれがフレームの中にどう再構成されるのか、それらの「かたち」を考えることです。資料を集め、読みながらプロジェクトのアイデアを考えることも、その「かたち」を作ることです。だからぼくの日々の活動は、画家がスタジオの中でドローイングをし、絵画面との絵の具のやりとりをすることと等価であるととらえています。画面に置かれる絵の具のひとつひとつの配置や修正がアーティストの判断の連続によってもたらされ、それがひとつの絵画を構成するのだとすれば、そうやって、その都度の判断によって方向性がぐらぐらしながら描かれる抽象的な絵画に近いかもしれない。でも、他方ではその活動はなにもしていないとも受け取られるかもしれません。目に見えるものがないし、なんの手仕事もしていないように思えるでしょうから。

ぼくはその意味では古典的なアーティストに属するのかもしれないとも思います。ただ、ぼくが作品として判断するその範囲が広いため、イメージされる古典的なものとはかなりずれてしまうとは思いますが。


ハマー美術館の中の犬。あれ、美術館って犬、連れていてもいいのだろうか?

アートの機能と作品の拡張

小林さんは前回の手紙の最後に「作品の拡張」の捉え方を問うなかで、そのひとつとして「アートの機能の拡張」を挙げています。ぼくはひとまず、これらを別々の問いであると思うのですが、先に「アートの機能」を考えてみます。

ボリス・グロイスが書いているのですが、「フランス革命以後、アートというのは、機能を無効化させられ、過去の死骸として公に展示されているものとして理解されている」(*1)。それまで宗教上の目的や権威の象徴として作られていた(機能的にデザインされていた)作品たちは、その機能が無効化され、純粋なアートとして美術館の中に展示された。以後アートは不条理なものや社会的に機能しないものとして受け継がれ、コンテンポラリー・アートはまさにぼくたちの生活に役立たないものの代名詞になった。つまり機能が無効化されているものを指して、グロイスはアートと定義するわけです。例えば、ぼくたちの日常的な感覚では、美容院に行けばひとりの美容師に髪を切ってもらうわけだけど、わざわざ九名も集めて一緒に切ってもらうように頼むことでアート・プロジェクトとする。これはいわば社会のルールを無効化させることで、それが基盤としているシステム/人びとの関係を可視化する、と説明できます。アートは確かに社会的な機能を失っているわけだけれども、だからこそそれをひとつの機能と考えることもできる。つまり、コンテンポラリー・アートというのは制度の機能的な側面を無効化させるという固有の機能を持つ、とも言えます。

グロイスの議論はアート・アクティヴィズムに関連するもので、ここで拾ったことはその中心ではないのですが、この定義はとても明快です。さらにこのことは、コンテンポラリー・アートがなぜポピュラーではないのかという理由にもなる。なぜなら「物事が通常そのようになるだろうと思われるようには、アートはどうしてもならない」(*2)。つまり常に機能を無効化させてしまうので、人びとがそう望むようには物事が起きない。望むようにならない/裏切り続けるということはポピュラリティを獲得できない、というわけです。

アートというのは基本的にあらゆるものを飲み込んで、上記のように「無効化」あるいは不条理化するのだとすれば、それは拡張できるのかという問いとは少しずれていきます。それはすでに拡張されることを前提としたものだからです。「アートかアートではないか」という問いに意味がないのは、機能が無効化されたものはアートと見なしうるからです。

でも「作品」という考え方は拡張できます。それは作り手がどう判断するか、という問題だからです。解釈と言ってもいいかもしれません。アーティストがそれを自らの「作品」と呼べるのかどうか、という問題。「作品」とはその意味で個人的なものですよね。だから小林さんはblanClassを「作品」とは呼ばないわけです。それは個人に還元されるべきものではありえないわけだから。

状況を造形する

ぼくはしかし、拡張されたものとしてアーティストの活動をとらえ返したいと思っています。それにはいわば「組織すること」も含まれます。先に書いたように、何にせよ、「形作る」のならばそれは造形行為です。状況を形作ることも、ぼくはアーティストの造形行為だと思うのです。ただそれは、意識的に造形行為として状況が組織されたとき(さらにその状況の質も問う)、と留保もしておきましょう。

例えばヴァルター・ベンヤミンの「生産者としての<作家>」(*3)を参照できます。ここではソビエト/ロシアの新聞やブレヒトの叙事演劇が具体例としてあげられています。そこで目指されている組織化された状況というのは相互参加を促す「作者と読者とのあいだの区別にまでも修正を加え」、「観客から協働者を作り出す」モデルとしての新聞であり演劇です。小林さんとの往復書簡を通して考えている「参加」の問題がここにもあります。作り手と受け手という二つの立場が混じり合う地点を組織すること。そうした状況を作り上げる「作家」をぼくも評価したいし、そうした状況を作り上げることでさえも、ぼくは「作品」というものが拡張した状態だと思うのです。

その立ち位置について

ぼくはこの書簡を通して、小林さんがどのような立ち位置を自らに課しているのか、どのような場所に立っているのかを「参加」の問題を通して聞きたいと思っていました。なぜならぼくの近年の実践は、組織者と参加者と観客の関係、不確かな状況の共有なども含めて、小林さんが組織するblanClassという実践にとても近いと感じたからです。お互いに状況の設定をしたあとには退散し、成り行きに任せる、というのも似ています。唯一違う点を挙げるなら、ぼくはそれを記録し、その記録したものを自身の作品として発表している、ということです。そしてぼくはこの違いにはどういう意味があるのか、を考えたかったのです。そのために「参加」はとても重要なキーワードです。なぜならぼくたちが自分自身でどのように自分の立ち位置を判断し決めても(つまり表舞台に立たないように巧妙に自分の立ち位置を消したとしても)、否応なく非対称な立ち位置は暴かれてしまいます。ぼくは、自分がどういう位置にいるべきかをまだ考えあぐねています。その点、小林さんはとても潔くその位置を決めている。だからこそこうしてぼくは、かなり失礼な質問をぶつけてきました。なぜなら、「参加」をめぐる問いにとって小林さんの態度も小林さんの立ち位置も、とても重要な判断を含むと思ったからです。それはある意味では自己犠牲的な立ち位置かもしれません。

本当は最初の書簡に書くべきことを最後に書いてしまった気もしますが、次回の返信楽しみにしています。

田中功起
2014年9月 ロサンゼルスにて

1. Boris Groys 「On Art Activism」, 『e-flux journal』 #56, 2014
  http://www.e-flux.com/journal/on-art-activism/
2. 同上
3. ヴァルター・ベンヤミン「生産者としての<作家>」『ベンヤミン・コレクション5 思考のスペクトル』(ちくま学芸文庫、2010年)

近況: 新刊『必然的にばらばらなものが生まれてくる』(武蔵野美術大学出版局)が発売中です。また、この機会にジュンク堂書店池袋本店で、選書フェア「アーティストの本棚 by 田中功起」が開催されます。

【今回の往復書簡ゲスト】
こばやし・はるお(blanClassディレクター・アーティスト)
1968年神奈川県生まれ。1992年、現代美術の学習システム「Bゼミ」運営に参加。2001年~2004年の休業まで、所長として運営に携わる。2009年にblanClassを創立、芸術を発信する場として活動を始める。毎土曜のワンナイトイベント+公開インタビュー(Live Art)や、トークイベントなどを展開中。SNSなども活用しながら、その場で起こる「作品未満」の行為、発言、発信をオルタナティブに摸索する。作家として個展「Planning of Dance」(2000年、ギャラリー手、東京)、「雪 – snow」(2001年、ガレリエsol、東京)や、グループ展「SAPアートイング東京2001」(2001年、セゾンアートプログラム、東京)、パフォーマンス「小林 晴夫 & blanClass performers [Traffic on the table]」(2011年、新・港村blanClassブース、神奈川)などでの活動も行う。編著書に『Bゼミ〈新しい表現の学習〉の歴史』(2005年、BankART1929刊)がある。
http://blanclass.com/

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