連載 田中功起 質問する 17-4:2019年9月9日のあなたへ

第17回(ゲスト:田中功起)―過去との往復書簡 あいちトリエンナーレ2019の、渦中のひとに向けて

「あいちトリエンナーレ2019」参加前後の自分自身との往復書簡。今回は、「表現の不自由展・その後」をめぐって閉鎖された展示全ての再開を目指す「ReFreedom_Aichi」が記者会見を開く直前、2019年初秋のある日の田中さんへの手紙です。

往復書簡 田中功起 目次


 

件名:表現の自由をめぐる戦い その1

 

2019年9月9日のあなたへ

 

あなたからの返事がないまま時間は過ぎていく。この手紙も、宛先には届かないのかもしれない。そもそも誰に向かって書いていたんだっけ。過去の自分、未来の自分? いや、きっとこの連載を読んでいる観客もどこかにいて、続きを待ってくれているのかもしれないし、コロナ禍であいトリをめぐる問題なんてどうでもいいと思われているかもしれない。目の前に無限に広がる空白。相手がいる往復書簡をずっと書いていたはずなのに、いつの間にかぼくは一人になって虚空に向かって書いている。まあ、それでもいいだろう。結局のところこの手紙は(いままでの手紙でさえも)、ぼく自身の整理のために書いているようなものなのだ。あなたの世界がその後どうなったのか、この世界とどう違うのか、そちらの日本も、コロナ禍に対する行政、それぞれの地方自治体の政策によって、同調圧力による相互監視社会が進んでいるのかどうか、興味は尽きないけれども。


鴨川のヌートリア

 

「表現の不自由展・その後」について 政治的一貫性

 

そうそう、まずこの騒動の発端になっているあいトリの展覧会内展覧会「表現の不自由展・その後」について書いていなかった。簡単に「表現の不自由展・その後」とはどんな展示だったのかをふり返っておく。

ぼくが知るかぎりでの経緯はこうだ。2012年、元慰安婦を撮影した安世鴻さんの写真展(新宿ニコンサロン)がニコンから展示中止を通告される。これはあいトリのときと同じ、右派系「市民」による電凸が原因だったようだ(*1)。その後、裁判所による施設使用の仮処分が出たことで展覧会は実現される。このときの抗議運動が、2015年の「表現の不自由展 消されたものたち」(ギャラリー古藤、東京)に繋がる。そこには過去に展示中止、作品撤去、自粛、「検閲」などによって展示ができなかった作品たちが集められ、キム・ソギョン&キム・ウンソン《平和の少女像》も昭和天皇の肖像を使った大浦信行の作品も展示された。そして2019年、先の抗議運動やその後の展覧会企画に関わった美術批評家やジャーナリスト、アライ=ヒロユキ、岩崎貞明、岡本有佳、小倉利丸、永田浩三らの5名で構成された「表現の不自由展、その後」実行委員会が、いわばコレクティブとして、津田さんによってあいトリに招待された。

「その後」展の16組の出品アーティストは、2015年展を拡大し、2019年までに起きた「事件」も含むかたちで不自由展実行委員会によって選ばれ、津田さんの提案でChim↑Pom、小泉明郎さん、白川昌生さんも加わっている。展示空間は、作品の規模や数からすれば狭いと感じられたけど、それが逆にある種の熱量として見えてくる。日本社会における政治的タブーが、渦巻き状に連なる独特の展示構成になっていたと思う。

ただ、この展示では政治性がアートとしての判断基準に優先されているため、キュレーションの質を問題にしない。本来、コンテンポラリー・アートにおいては、異なる美学(というか感性)の混在が重要なはず。展示の美学よりも、政治性が強まるような、例えば2012年のベルリン・ビエンナーレがオキュパイ運動に展示空間のひとつを任せたような、そうした方法論なんだと思う。多くの作品を圧縮展示し、作品解説もあいトリ公式のものとは別に独自に掲示し(ちなみにぼくの展示空間でも公式の作品解説とは別のテキストを掲示していた)、個々の作品/事件の文脈理解のために資料ファイルも並べる。そして「検閲」を受けた作品たちという政治性の一点において空間が統一されている。例えば直接的に「検閲」されたわけではない、いわば間接的な作品が含まれている(大浦さんは《遠近を抱えて》と共に、かつての「事件」を踏まえた上で新たに作られた映像も展示しているし、《平和の少女像》については模型の方が実際に撤去されたものである)というキュレーションのほころびは、政治的一貫性を崩さない。

「権力」による不当な圧力によって撤去された作品たちを通して「表現の自由」が脅かされているという主張、この政治的な一貫性こそがこの展覧会の要である。

その意味では、現代美術的な展示の美学(というか感性)ではなく、政治性を優先するという潔さがあって、「表現の不自由展、その後」はあいトリ全体の「現代美術らしさ」を笑い飛ばす力もあった、と思う。ぼくはそこにある資料ファイルを、それら個別のケーススタディを、じっくりと見る/読む時間がほしかった。

でも、この政治的一貫性にも、実はほころびがあった。その点を気付かせてくれたのが、キュレーターの遠藤水城くんが書いた「政治的不徹底」さについてのメモ(*2)

それはアーティストの岡本光博の《落米のおそれあり》についてである。それは沖縄での基地問題を扱った作品なんだけど、地元の人たちに対する配慮がなかったことが原因で撤去されたという経緯がある。この地元の怒りに対して(あいトリで「不自由展」が閉鎖されたことについての、アーティストによるfacebookポストに対する批判というかたちでそれは再度表明されている)、不自由展実行委員会が立つべきは沖縄の声の側であってアーティストの側ではない、と遠藤くんは書いている。なぜなら美学よりも政治性を優先したわけだから。これは例えばサム・デュラントの大型屋外彫刻《Scaffold(絞首台)》(1862年にダコダ族が処刑されたアメリカの黒歴史である「マンカトの虐殺」のときの絞首刑のデザインが使われている)がダコタ族からの抗議によって撤去されたことと同じ問題である。つまり、政治性を優先しているかぎりにおいては、芸術よりも、傷ついた人びと(この場合はアメリカにおけるマイノリティだけれども)の側に立つ態度が政治的には正しいはずだ。そうした個別の、しかしとても大切な細部はこの騒動の中でほとんど聞こえなくなってしまっていたと思う。

ぼくは上記の視点を獲得したことで「表現の不自由展、その後」に対して複雑な思いがある。だとしても、ひとつの展覧会の中で誰かの展示が不当に閉鎖されたならばその再開のために行動をするのはあたり前だと、いまでも思う。

 

クロノロジ—3 9月7日から9月21日まで

 

9月7日、この日ぼくは当初から計画されていたパフォーミングアーツ部門でのエクステンション企画(展示をパフォーマンスとして拡張するという相馬千秋さんのアイデア)「アセンブリ(集会)」を行う。1時間半程度の展示鑑賞のあと、観客は4つのグループに分かれ1時間程度の対話をする。出演者の4名がそれぞれのグループのホストになり、観客に質問を投げる、という形式にした。どうしても観客から出演者への質問が多くなると思ったからだ。チケットの事前予約制だったこともあり、参加者は主に美術・演劇関係者かあいトリのボランティア・スタッフなど関係者が多めだったと思う。様子は撮影記録され、『抽象・家族』の劇場版に収録されている。反省点としては圧倒的な時間の短さ。美術館閉館後にしかイベントができなかったため、展示の鑑賞時間も短いし、対話の時間は全く足りなかった。しかしこれは、展示ボイコット後に新たに追加した9月14日のアセンブリでは少し解消される。

9月10日 、ReFreedom_Aichiが記者会見を日本外国人特派員協会で行う。この記者会見には、卯城竜太、高山明、小泉明郎、ホンマエリ、大橋藍、加藤翼、藤井光、村山悟郎が参加している(*3)

9月13日、「表現の不自由展・その後」実行委員会があいちトリエンナーレ2019実行委員会に対し展示再開を求める仮処分の申立書を名古屋地方裁判所に提出する。ぼくはこれが展示再開に向けた重要なパズルのピースのひとつだったと思う。これが意味するところは展示再開をする主導権が大村知事(津田さんには最初から決定権はなかったようなので)から裁判所(命令)に移ったということ。

9月14日、展示ボイコット後に新たに追加したこのアセンブリでは、2時間程度の鑑賞時間を設け(開始以前に来たひとも見られるようにしていたはず。少し記憶が曖昧)、社会学者のハン・トンヒョンさんをゲストに迎え、ヘイトをめぐるあいトリ問題の核心を話し、それをイントロにして、小さなグループに分かれた観客同士での意見交換をしてもらい、最後にそれを会場で共有した(*4)

9月17日、「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」第2回が開催される。
同じ日に「あいち宣言・プロトコル」に向けたクローズドな関係者会議が東京の無人島プロダクションで行われる。

9月18日、余裕ができたのかこの日、ぼくは京都の出町座で映画『よこがお』を見る。ちょうどそのあと津田さんから電話があって、再開までのロードマップを聞き、ボイコット組はどんなふうにいま考えているのか(例えばタニアたちは10月5日の国際フォーラムまでに再開しないならばボイコットを続ける。ぼくは、確か、10月1日には再開してほしいと伝えたと思うけど、この辺も記憶が曖昧)などを話す。ここではカタログ掲載へのボイコットの可能性も伝えたと思う。ぼくの行動も含めてアーティストの選択を尊重してくれていると感じる。

9月19日、「あいち宣言・プロトコル」のことで村山悟郎くんと話す。ぼくは観客の見る権利についての項目に違和感があった。それについては前々回の手紙で書いている。
また「芸術の自由」を守ると宣言するその主語は、最初「愛知県」、最終版ではあいちトリエンナーレ実行委員会会長である大村知事を想定している。しかしぼくはそれでいいのだろうか、と思っている。「芸術の自由」という、もっともアーティストが大切にすべきことを、行政の庇護の元に宣言するということは何を意味するのだろうか。宣言させることによって、その中で語られている自由が、行政機関によって実際的には守られるのかもしれない。それは逆に言えば、その自由が行政によって認められたり、認められなかったりすることを受け入れることでもあると思う。自由についての判断を明け渡すことように見えてしまうこと、つまり理念をとるか、実効性をとるか、ぼくには判断がつかない。

9月21日、パフォーミングアーツ部門での二回目のイベント「アセンブリ」を豊田市美術館講堂で行う。下地ローレンス吉孝さん、清水知子さんなど『抽象・家族』の撮影関係者にホストになってもらい、観客が複数のグループに分かれ意見交換する。
この日は、「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」が「表現の自由に関する国内フォーラム」を開催する。

 

ReFreedom_Aichiは、いったい何を自由にしたのか

 

世代を越えて連帯が生まれたことはよかったはずだし、個別のプロジェクトの中には興味深いものもあったし、ぼくもそうだったから必要に駆られて行動していたのはよくわかる。その意味ではReFreedom_Aichiを単に批判するつもりはない。友人たちもたくさん参加しているし、少しだけ手伝ったものもあるし、でもぼくは参加しなかった。正直なところ、ある種の政治的正しさが全面に出ているということもあって、当時、正面切っての批判はしにくかった。不自由展の再開までは余計なことは言わないでおこうとか、文化庁の不交付問題でも動き出したから決着するまでは言わないでおこうとか、そんな風に思っていた。

ReFreedom_Aichiは、あいちトリエンナーレの参加アーティストと不自由展参加アーティストの一部が参加することで、あいトリ期間中に立ち上げられたプロジェクト、ある種のコレクティブである(*5)。目的は「展示中止や一時的なボイコットなどによって現在閉鎖されている、全てのトリエンナーレ出品作家の展示再開を目指すプロジェクト」と最初に発表されたステートメントには書いてある。それは「戦後日本の芸術における最大の「表現の自由」をめぐる戦い」であり、「あいちトリエンナーレという一つの芸術祭の存続をはるかに超えた、人類の自由を賭けた大きな挑戦」であり、「あいちトリエンナーレを「検閲」のシンボルから「表現の自由」のシンボルに書き換え」ることであると。

実際に行われていたことは、アーティスト・ラン・スペース「サナトリウム」の運営(ここでは右派系市民や、少女像や大浦作品を激しく批判した、芸術祭実行委会長代行でもある河村名古屋市長との対話も行われた)や、閉鎖された不自由展に繋がるドアに、観客が各々の「不自由」を綴ったポストイットを貼っていく《#YOurFreedom》プロジェクト(これは性暴力を可視化するモニカ・メイヤーのプロジェクト《The Clothesline》の方法論を借りている)、ジェンダーフリー・ステートメントの署名促進、ある意味では電凸対策のプロジェクト《Jアートコールセンター》、「芸術の自由」を守るためのあいち宣言(プロトコル)の作成など。それぞれ別々の参加アーティストたちが中心になって行われ、外部の関係者やエキスパートを巻き込むかたちで運動化していった。またサナトリウムやジェンダーフリー・ステートメントは、ReFreedom_Aichiの立ち上げ前にはじまっていたものを、それを始めたアーティストたちが立ち上げメンバーに入ることで、その枠組みの中に収められたんだと思う。そして9月10日から会期終了までつづいたクラウド・ファウンディングでは約1100万円以上を集めた。文化庁補助金不交付についてのアクションもあるけど、それは次の手紙を待ってほしい。

もちろんこれは一面から見れば成功だったと思う。多くの注目を集めたのはクラウド・ファウンディングの金額を見れば分かる。でも、ここで行われたことは、果たして本当に「表現の自由」をめぐる戦いだったのだろうか。

例えばいくつかのレイヤーがある。「不自由展」の再開という一番のコアに着目した場合、それは確かに再開した(9月9日のあなたには朗報、ってちょっと口が滑ったかな?)。しかし、再開には、上記のReFreedom_Aichiの個別のアクションたちはそれほど関係していなかったんじゃないかと思う。再開の一番の理由は、不自由展実行委員会が仮処分申請を裁判所に出していたことだからだ。あとはいくつかの要素がパズルのように組み合わさって物事が進むんだけれども(これについても次の手紙で詳しく書く)。もちろんReFreedom_Aichiという運動体自体は一定の力をもったかもしれないし、それぞれのプロジェクトには個別の意義があったかもしれない。でも全体としては表面的なパフォーマンスに終始しているようにしか見えなかった。ただ、再開に向けた立役者は藤井光さんと小泉明郎さんだから(それ以外にどんな動きがあったのかぼくが知らないだけだとも思うけど)、彼らもReFreedom_Aichiの一員であるという意味において、ReFreedom_Aichiも再開に絡んでいたといちおうは言えるかもしれない。ReFreedom_Aichiは一枚岩ではない。賛同アーティストたちによる複層的なプロジェクトとして動いていたことも知っている。ボイコット組のアーティストも多く参加している。でもぼくは、「表現の自由」というフレームが強すぎたため、目立った動きができたアーティストたちによって、複層性が失われた空虚なパフォーマンスのように見えた。

もう一点、「表現の自由」という大きなフレームを持ち出すのではなく、以下のようなロジックもありえたはずだったと思っている。そもそも不自由展の展示中止は、政治的タブーである慰安婦と天皇に関わっている。それはレイシズムとナショナリズムの問題である。レイシズムを解体し、ナショナリズムを再考する、という方向で運動が立ち上げられることもできたはず。それこそが、本来の、真っ当な議論だったんじゃないだろうか。9月9日のあなたにとっても、それはぎりぎりすぎるかもしれない。なぜなら9月10日にはReFreedom_Aichiは東京で記者会見を行うわけだから、その準備をしているし、「賛同アーティスト」でないあなたからの提案は遅すぎるはずだからだ。

ぼくが参加しなかった理由も書いておこう。ReFreedom_Aichiは枠組みを作ったと思う。それ以前にばらばらに行われていたタニア・ブルゲラを含む主にスペイン語圏のアーティストたちによる展示一時停止という抗議も、ぼくの再設定という名のボイコットも、サナトリウムやジェンダーフリー・ステートメントも含めて、不自由展展示再開に向けてのさまざまな行動を、「表現の自由」という大きな枠組みを被せることでまとめ上げた。でもそれって、強い抽象的な言葉で、個々の具体的な差異を消してしまうような態度でもあったと思う。ぼく自身が悩みながら決断したことが、後出しの強い一手によって、あるいは連帯という名の元に飲み込まれてしまう。それでも連帯したかった気持ちもある。それでもぼくは差異を消し去ってしまうような、パフォーマティブな方法論が危険だと感じている。今、コロナ禍を経験する中ではっきりと分かるのは、強く抽象的な言葉、例えば「不要不急」とか「外出自粛」とか「接触8割減」とかによって、どれだけ社会が壊され翻弄されているか、ということ。あいトリ騒動をめぐるさまざまなアーティストたちの、ひとりひとりの機微や迷いを覆い隠し、大きな枠組みの中で、連帯の身振りだけが演出されてしまっている。ばらばらの行動を保ったまま連帯するという身振りもあったのは知っている。でもぼくにはReFreedom_Aichiが、上に書いてきたようなものに見えていた。

でもね、もし過去に戻れるのならば、もし9月9日のあなたの立場になれるならば、いまからでもいいからReFreedom_Aichiに参加してほしい。それならば、情報がより共有され、内部からさまざまな疑問を投げることも、上記のような批判をすることもできる。もしかするとそれによって何かが変わったかもしれない。もちろんあなたの力では何も変わらない可能性もある。でもそこに参加しないかぎり何も変えることもできない。

ぼくがここに書いたことはどれもこれもいまさらなものばかり。そしていまさらこんなことを書いても、ただ友人たちが離れていくだけかもしれない。それを変えることができるのは過去のあなただけだ。細部に気をつけること。まあ、なかなかできないことだ。こうしていま気付いたときには遅すぎる。あなたはいつも遅すぎる、残念ながら。

田中功起
京都にて
2020年5月

 


近況:
引き続きvimeoでいくつかの作品、プロジェクトを有料公開中

 


1. 「ニコンに会場提供を命令 東京地裁、慰安婦の写真展で」、『日本経済新聞』2012年6月22日、日本経済新聞社
2. 遠藤水城「それでもアートをやる、ための自己反省(2.5.1)- 2019年9月11日」
3. 「あいちトリエンナーレ参加作家による新プロジェクト『ReFreedom_Aichi』がスタート。『あいち宣言』草案作成やコールセンターも」、ウェブ版『美術手帖』、2019年9月10日
4. ハン・トンヒョン(韓東賢)「『早さと遅さ、両方の行動をアーティストが取れるようになっていけば』田中功起インタビュー」、2019年9月30日
5. ReFreedom_Aichiウェブサイト
ReFreedom_Aichi賛同アーティストは、伊藤ガビン、今津景、イム・ミヌク、岩崎貴宏、碓井ゆい、遠藤幹子、大浦信行、大橋藍、岡本光博、カタリーナ・ズィディエーラー、加藤翼、キュンチョメ、キャンディス・ブレイツ、クワクボリョウタ、小泉明郎、白川昌生、スチュアート・リングホルト、高嶺格、高山明、タニア・ブルゲラ、Chim↑Pom、津田道子、ドラ・ガルシア、毒山凡太朗、永幡幸司、ピア・カミル、ペドロ・レイエス、藤井光、藤江民、藤原葵、ホー・ツーニェン、桝本佳子、マネキンフラッシュモブ 、村山悟郎、モニカ・メイヤー、吉開菜央、葛宇路、鷲尾友公。


参考文献:
・『あいちトリエンナーレ2019 情の時代 Taming Y/Our Passion』、あいちトリエンナーレ実行委員会、2020年
・『REAR 』44号(特集:Y/Our Statement〔私(たち)の声〕)、リア制作室、2020年
*ほか、前回の書簡で示した参考文献。

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