連載 田中功起 質問する 18-5:馬定延さんから3

第18回(ゲスト:馬定延)―アーティストへの質問、あるいは「これまで」と「これから」の間には何があるのか

映像メディア学研究者の馬定延さんとの往復書簡。馬さんの最後の手紙は、作品における「出来事とその記録」の関係性をめぐり、作家・キュレーター・参加者、そして観衆の関係性をふまえつつ、そこで開かれ得る可能性を問いかけます。

往復書簡 田中功起 目次


 

件名:終わりという可能性

 

田中功起さま

 

12月に入り、寒くなってきました。大阪は雪が降らないことで有名だということを最近知りましたが、ソウルでは先月末に初雪が降ったそうです。春の雪からはじめたこのやりとりがゆっくり進んでいるうちに、いつのまにか雪の季節が訪れたんですね。

 


来年の春18歳となる猫の毛。季節の移り変わりを感じさせ、かけがえのない時間の流れを刻んでいきます。

 

記録する映像

 

前回の手紙で紹介された「What is the Planetary? A Gathering」(*1)の話を読みながら、そこで田中さんがつないでいこうとした「惑星的思考」と「個人的なこと」の関係性が、私たちが話した「抽象」と「具体的なこと」の関係性と通じているように感じました。タイトルから想起されたのは、まず、コロナ禍の最中だった2020年12月に、ユク・ホイがe-fluxのジャーナル114号に投稿した、現在進行形のエッセイ「惑星的な思考のために(For a Planetary Thinking)」(*2)でした。それにもうひとつ、参加者たちが、地質学者、文化史研究者、アーティスト、古生物学者、人類学者、デザイナー、フィクション・ライター、哲学者、演劇研究者、歴史家、地理学者などと呼ばれていたためか、サン゠テグジュペリの『星の王子さま』に描かれていた小さな惑星のイメージが思い浮かびました。

この企画の関連インタビュー(*3)を、私たちのやりとりと結びつけて考えてみたいと思います。インタビューのなかで田中さんは、全体の構造をライブ・イベントとして設計するにあたって、人間の活動の複雑な状況を生み出すために「ワークショップと撮影の両方を使う」と言います。片方がもう片方に対して付随的になりがちな、ある出来事とその記録を対等な方法論として捉えることは、前回の田中さんの手紙のように、ライブ・イベント/ワークショップと映像制作の関わり方を語るための前提となるでしょう。両者の間で優先順位をつけるのではなく、それらの双方向的なあり方、つまり、映像制作としてのライブ・イベント/ワークショップ、ライブ・イベント/ワークショップとしての映像制作、を考えることはもちろん可能だと思います。その過程と結果に対する、参加者を含む作り手側の意識と、受け手側の鑑賞経験の間にずれが発生することもあるでしょう。研究者の立場からすると、そのずれは決して悪いものとは限らず、むしろ興味深いものですが。

いまのところ、ライブ・イベント/ワークショップとそれを記録した映像の関係性は、作家側の意識だけでなく、展覧会作りの担い手が作品をどのように見せるか、観客がどのように作品を見るかにまつわる、現実的な条件に深く関わりつつ、作品の受容における可能性を拡張させているようです。今年はヨーロッパまで足を伸ばせなかったけれど、国際芸術祭「あいち2022」で、旧一宮市スケート場の大規模映像インスタレーションとして展示された、アンネ・イムホフの《道化師》(2022)(*4)や、「釜山ビエンナーレ2022」の会場内に建てられた小屋形の暗室で、21分44秒のシングル・チャンネル・ビデオの形で展示された笹本晃のパフォーマンス作品《Yield Point(降伏点)》(2017)(*5)など、いくつかの良い事例に巡り会えた1年でした。これらは、1回性の身体表現にまつわる時空間の制約を超えて、より多くの観客に作品を届けるという、コロナ禍によって極大化された必要性に対応できる見せ方であるだけでなく、一部の観客にはライブより効果的な見せ方かもしれないと評価されるものでした。前者の場合、同時多発的に展開する集団パフォーマンスの中で、特定の人物の細かい表情の変化や動きを緻密に計算された複数のカメラが有意義な差異を作りながら追っていました。その一方で後者は、まるでアーティストと眼を合わせているかのような距離感で見る映像とその字幕を通じて、現地の観客にパフォーマンスの言語的な要素を明確に伝達していました。この「より効果的」という評価が、生の身体表現に立ち会う体験と映像記録を介した経験を単純比較して優劣をつける一般論だとは思いません。映像という形式が作品の受容を担保するものではないからです。世の中にはガスの抜けた生ぬるい炭酸水のような記録映像が数えきれないほど存在しますよね。

 

アーティストの編集・観客の編集

 

前述した2022年のインタビューの中で田中さんは、回っているカメラがワークショップ参加者に自分の行為を意識させるための「装置(device)」であり、その意識によって日常のルーティンから脱却することが可能になると言いました。映像メディアが参加者、作家、そして観客に生み出す効果という点においては、画面に映っている人物が田中さん一人だったりした初期の作品から現在の作品まで通底している答えだと思います。しかしその反面、「あなたにとっての映像メディウムの意味とは何か?(What does the medium of film mean to you?)」という質問の答えに対しては、もう少し補足説明を聞いてみたい気がします。新作の文脈から離れて、ここでもう一度同じ質問をすると、田中さんはどのように答えるのでしょう。映像を軸に完成した作品の「展示」と「上映」、そして「コレクション」について話した前回のやりとりから逆走して、「編集」についていくつか話の材料を探してみたいと思います。

いま私の手元には『STUDIO VOICE』の2006年10月号があります。「映像表現のニュー・ヴィジョン!」という特集のなかに、PV/MV、プログラミング、VJ、アニメーションなどと並んで最後にアートの項目があり、当時パリ在住だった坊主頭の田中さんと、会田誠さんの対談が掲載されています。記事の副題は「ビデオ・アートはいかにあるべきか!」ですが、二人は冒頭からビデオ・アートという用語に対する違和感を示します。いまからすると、それは容易に納得できます。二人の話題にも登った、マシュー・バーニーの『クレマスター』シリーズ(1994-2002)やミランダ・ジュライの『Me and You and Everyone We Know(邦題:君とボクの虹色の世界)』(2005)を映画館で見て「美術と映画」を議論していた、1990年代後半から2000年代半ば頃は、ちょうどビデオ・アートという用語が美術の「歴史」の領域へ移行していった時期だったからです(*6)。同時期の国内における動向を調べながら個人的に興味を持った展覧会に、2002年に水戸芸術館現代美術ギャラリーで開催された「スクリーン・メモリーズ」展(企画:飯田高誉)や2004年に栃木県立美術館で開催された「ピクチャー・イン・モーション」展(企画:山本和弘)などがありますが、田中さんは両方に参加しましたよね。

対談の中で会田さんが話した、小谷元彦さんのような作り込まれた映像よりは、田中さんの映像に影響を受けて「なんていうか日常的な、ささやかなものを撮るような」学生がたくさんいる美術大学の風景(*7)は、2007年に日本に留学した私も随所で目の当たりにしたので記憶に残っています。ここで注目したいことは、編集に対する田中さんの考えです。「それがなんであるのかということを分かってもらうために必要な編集はしてます。その最低限の情報が誰にも均等に伝わることが大切で、それ以上のことを編集の中に差し込んだりはしたくないんですね。(中略)その単純なことになにかがあると思うことや思わないこと、読み解くことや読み解かないこと、それは僕が強制することではないかな」(*8)。こうしてみると、わずか数秒から「エンドレス」の尺を持つ初期の作品と、上映バージョンでは長編映画の尺になる近年の作品の違いは、編集の段階で必要だと判断する「最低限の情報の量」のように思われます。しかも、田中さんにとって、映像の長さはインスタレーションのように変奏可能なものだったようです。例えば、「ピクチャー・イン・モーション」展に出品された《By Chance (2 Ducks)》(2003)という作品は、もともとは30分だけど5分の長さで展示され、309秒のループ上映の《かつら》(2003)は、3〜5秒の尺で展示されました。そしてその後、両方とも「エンドレス」の長さを持つDVD形式の映像作品として栃木県立美術館に収蔵されました。私が質問した展示と上映を行き来する作品の発表形式も、このような変奏の延長線上に位置付けられるものかもしれません。もしそうだとすれば、発表に先立つ段階の作業、例えば、複数の参加者が出演するライブ・イベントの記録映像を編集する際に田中さんが重視することはどのようなことなのか聞いてみたくなりますね。

『STUDIO VOICE』の対談と同誌面に掲載された研究者の光岡寿郎さんのコラム「“暴力的”なビデオ・インスタレーション、その鑑賞形式」(*9)は、美術館の環境で見る映像作品に対する鑑賞者側の身体的な負荷が前景化する状況を指摘しています 。作品の中身にふれず、鑑賞形式の面から考察する場合、「観客が疲れてしまう」現象は、展示空間の複数の映像を移動しながら自ら「編集」する能動的な役割を、観客側が自分に与えられた「自由」として享受できない場合に発生すると言えるでしょう。ところが、我慢強く最初から最後までを見る映画的慣習が支配的だった時代とは違って、個々の視聴者が再生速度を変えながらコンテンツにランダム・アクセスすることが可能になった現在は、展示という鑑賞形式に対して、むしろ「不自由」を感じる人も増えてきたはずです。もはや集中と散漫の二項対立では捉えきれない今日の映像文化の中で、「現実空間と映像内で語られていることが地続きとして経験されるか」という田中さんの問いかけは、展示と上映という鑑賞形式の議論を超えて、「なぜ作品を作るか/見るか」という根本的な問題を提起しているように思われます。

2通目の手紙で私は、自分が聞き手をつとめたインタビューの中で耳にした、「アーティストの映像作品はひどい!(Artist’s video sucks!)」という発言に言及しました。発言した人自身が主に映像メディアを活用して制作するアーティストだったので、これは単なる非難ではなく、まず自戒を込めた冷笑だったと受け止めるべきでしょう。その発言を聞いて、そこにいた全員が爆笑してしまいましたが、個人的にはその笑いが強い言葉に対するものというよりは、過去の鑑賞経験に基づいた共感を示しているように感じました。また、そのアーティストは、「芸術制度に守られながら、商業的な映像作品と競争しないことは卑怯な態度だ」とも言いました。これは「映像の質」にも関わる話だと理解していますが、田中さんはこのような考えに対してどう思いますか? 少なくとも、教育現場でこの問題を考えずにはいられません。2005年に設立されたYouTubeが普及する前に大学に入った私の世代は、多くはビューイング・コピーだった先生の私物のVHSやDVDなどを通じて、伝説的なビデオ・アートを見られる機会をありがたく思っていました。それに対して、多種多様な映像に囲まれて日常を過ごしている若い世代を対象とする授業では、「見てもらう」理由を同時代のリアリティと結びつけて批評的に説明できなければいけません。美術館に収蔵されている芸術作品だから、当時の実験的な表現だから、マスメディアに対抗する個人の表現だからなどの理由に甘えてしまうと、学生たちの視線は自然に手元のスマホの画面に移ってしまうのでしょう。

 

終わりという可能性

 

田中さんが「アートをめぐる諸問題について友人知己と交わす往復書簡」である本連載は、もともと一人のアーティストの制作に限らない、開かれた議論のプラットフォームとして機能してきました。今回、私が田中さんとやりとりをする中で、本誌面の射程が個人の制作へと狭まってしまったのではないかという不安を感じる時がありました。それは「質問する」主体を逆転させたこと、そして質問する側になった私の関心がアーティストの作品と思考の方にあったからだと思います。なので、まだまだやりとりしていないことはたくさんありますが、ここまでにしましょう。

 

そもそも完璧な映画なんてものはない。
ぼくらはハリウッドもVシネマもアニメもゴダールも知っている。すがたかたちが違っても、それらは等しく「映画」だ。この世界には無数の「映画」が存在し、一生をかけてもすべてをみることはできない。もっともそんな時間があるのならもっと別のことに勤しむべきだろうけど…。つまりぼくらにとって大切なのは無数にあるありえたかもしれない世界の可能性であり、抗うべきはその可能性を理解できないものたちの声だ。(*10)

 

いまから20年前の田中さんの言葉は、「ゴダールもこの世を去った。それでもぼくたちはまだ別の、新しい映像/映画を生み出す可能性はある、そう思います。」と書いた前回の手紙と地続きになっているように見えます。アーティストの過去を参照することによって、こうして「芯」のようなものを見つける瞬間が、私は好きです。田中さんの最後のお返事を待ちながら、私たちの手紙のやりとりが、いつかそのような過去の断片として誰かに参照される日を密かに想像してみます。

 

2022年12月
馬定延


 

近況:2022年11月12日は表象文化論学会の第16回研究発表集会でのシンポジウム「映像と時間──レトロ/プロ・スペクティヴについてのいくつかの覚書」を企画・進行し、目下その記録資料作りに取り組んでいます。11月22日には、アート・ソンジェセンターとシンガポール美術館が共催した国際シンポジウム「The Critical Dictionary of Ho Tzu Nyen」に参加しました。振り返ると、ホー・ツーニェンというアーティストの作品世界に関する研究の出発点になったのは、ART iTに寄稿させていただいたコラムでした。

 



1. 「What is the Planetary? A Gathering」は2022年10月14〜16日、世界文化の家(Haus der Kulturen der Welt [HKW])で開催された。プロジェクトのウェブサイトでは記録映像などを公開しており、今後も更新予定。
2. Yuk Hui, “For a Planetary Thinking,” e-flux Journal, Issue #114, 2020
3. “A Conversation with Koki Tanaka on Where Is the Planetary?”  Anthropocene Curriculum, 2022
4. 「アンネ・イムホフ」(作家・作品解説)、国際芸術祭「あいち2022」ウェブサイト、2022年
5. 2017年、ニューヨークのThe Kitchenで開かれた同名個展にて発表されたパフォーマンス作品。日本では2018年に国立国際美術館の開館40周年記念展「トラベラー:まだ見ぬ地を踏むために」で発表された(参考:関連インタビュー映像)。
6. 例えば、ニューヨーク近代美術館のビデオ・アート部門設置に寄与したキュレーターのバーバラ・ロンドンは、この時期の用語をめぐる変化と混乱を次のように記述しています。“Over the course of the 1990s, media art became the term that museums, foundations, art schools, and critics adopted as the generic classification for any art that depended on a technological component to function. As the handy grab-bag name for a diverse and expanding field with many subdivisions, the term was so generic it sometimes led to confusion. On the other hand, as installation became an acknowledged form, it strengthened media art’s position in the art world and is what quietly moved the term video art into the domain of art history.” (Barbara London, Video/Art: The First Fifty Years, Phaidon, 2020, p.159)
7. 工藤キキ(文・構成)「ART対談:会田誠 × 田中功起」『STUDIO VOICE』370号、2006年10月、52頁。
8. 同上、54頁。ここで例として取り上げられた39秒の作品《Beer》(2004)は、田中さんのvimeoから視聴可。
9. 同上、53頁。
10. 田中功起(出品作品についてのコメント)、「スクリーン・メモリーズ」展カタログ、水戸芸術館現代美術センター、2002年、52頁。

 


【今回の往復書簡ゲスト】

馬定延(マ・ジョンヨン)
1980年韓国ソウル生まれ。東京藝術大学大学院映像研究科修了(博士・映像メディア学)。著書『日本メディアアート史』(アルテスパブリッシング、2014)、共編著書『SEIKO MIKAMI: 三上晴子—記録と記憶』(NTT出版、2019)、論文「光と音を放つ展示空間—現代美術と映像メディア」(『スクリーン・スタディーズ』東京大学出版会、2019)、「パノラマ的想像力の作動方式」(『To the Wavering』展カタログ、ソウル市立美術館、2020)、共訳書『Paik-Abe Correspondence』(Nam June Paik Art Center, 2018)、『田中功起:リフレクティヴ・ノート(選集)』(アート・ソンジェ・センター+美術出版社、2020-21)など。現在、関西大学文学部映像文化専修准教授、国立国際美術館客員研究員。

 

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