連載 田中功起 質問する 8-3:西川美穂子さんへ2

今回は、田中さんも参加する『MOTアニュアル2012』展の企画者・西川さんとの往復書簡。このやりとり自体が、同展での田中功起出品作でもあります。その展覧会オープンを経て、田中さんからの2度目の書簡。グループ展の意義について考えつつ、作家の制作が生活と地続きの中で生まれてくるとすれば「作品」とは何か? との西川さんの問いに対する自身の答も探ります。

往復書簡 田中功起 目次


今回この往復書簡自体が『MOTアニュアル2012』展の田中功起・出展作品になります。

件名:だらだらとした迂回路に風が吹く(?)

西川美穂子さま

最初の返信をもらって、次いで『MOTアニュアル2012 風が吹けば桶屋が儲かる』展(以下『風』展と略す)がオープンし、そのままいくつかのぼく自身の「出品作」としてのイベントがあり、そしていま、羽田空港でパリ経由ヴェネツィア行きの飛行機を待っています。約3ヶ月という長めの一時帰国も終わりにさしかかり、なんだかいろいろあったなあとふり返りつつ、この手紙を書いています。

その中でも『風』展で自分が試みられたことは、個人的にさまざまな意味でかなり重要なものとなりました。前回の手紙の中で書いたように、展覧会がオープンしたら個別の作品(そのときぼくが意味していたのが自作についてなのか、それとも参加アーティストの作品を含むものなのか、今は忘れてしまいました)について触れたいと書いていたこと、実はいまとなってはそうすることに意味があるのかどうか、ぼくにはわからなくなってしまいました。まずはこのことから書いてみますね。

グループ展を見に行ったのに、人びとはアレが好きとかコレが好きとか言う。

ソーシャルメディアが発達したことで、ぼくたちは、そのソーシャルメディアに接続している人びとの「つぶやき」からある程度はその展覧会の評判を知ることができます。それを通して、まず我が身をふり返ったのですが、「人びと」はその展覧会が「グループ」展であるにもかかわらず、いや、だからこそ「個別の作品」について語りたくなるわけです。ぼくももちろん、グループ展を見たらそのように「個別の作品」を見てしまうでしょう。自分の好きなアーティストの作品を見に行くことでそのアーティストの成長や変化を見たいときもあるし、新しいアーティストを発見したい、知りたいということもあるでしょう。グループ展は知らず知らずのうちに個々の作品、アーティスト同士に優劣を付けたくなる、そうしたことを誘発する場所でもあります。でもそのこと自体に意味があるのだろうか。おそらく、心あるひとはそんな見方を既にしていないかもしれない。この問いかけは愚問かもしれません。でもひとまずここから出発して、もう少し大きな問いへと繋げていきましょう(*1)

一歩譲って、少なくとも鑑賞する側にはグループ展を見に行ったとき、個別のアーティストや作品を「展覧会」全体の文脈から少しだけ切り離して見ることに意味があるとしましょう。お目当てのアーティストはなかなか大きな個展ができない、だからとりえあえずはグループ展という場所で見ることしかできない、というような場合もあるでしょう。ではアーティストの側はどうだろうか。グループ展の中で自分の場所やポジションを確保すること、他のアーティストとの関係で自作の方向性を決めること、他よりもよく見せよう、よく見てもらおうとすること、まあ、それらは悪いことではないのかもしれない。ただ、グループ展の可能性はそのようなアーティスト間の力学とは無関係なところにあると思うのです。「グループ」展という仕組みに可能性があるとすれば、それは個別の問題ではなく、あくまで全体の問題なのだろうと思うのです。

全体から何かが見えてくるタイプの「展覧会」、思い出すのはドクメンタ13を見たときの経験です。参加者も多いし、イベントも含めて、とにかく量があって全体を見通すことができない展覧会、というこのドクメンタの性格からすると不思議なんですが、ある程度の会場を回った時点でいくつかの作品たちが緩やかに繋がっていたり、そこに小さなテーマが見えてきたり、作品の在り方にアーティストの態度が見え隠れし、それがディレクター/キュレイターの態度にも繋がり、強いメッセージ性がないにも関わらず、いわば弱いフレームワークの中に参加者の確信が浮かび上がってくる。多すぎること、複雑であること、文脈がわかりにくいこと、つまり少し面倒な迂回路を経なければたどり着けない場所であるにもかかわらず、その場所が辛抱強く、しかし明確に示されていた。

例えばぼくが、自分が興味を持っているアーティストの作品を個別なものとして見ようとしてこの大きなグループ展を訪れたとしよう。今回の彼の作品はいつものと較べてうまくいっていたなあ、とか、あまりうまくいっていなかったなあ、という判断をしたとする。彼自身の作品史に照らして見ている自分がいる。そういう風に思いつつも、一方でぼくは、それでもこの作品はこの展覧会の中で必要なものであったのだな、この場所で、この展覧会という文脈の中でそれを見ることがその文脈を離れてみるよりもより意味があるんだな、と思ったのです。

ドクメンタ13についての覚え書き

フランシス・アリスの「reel – unreel」というビデオはドクメンタのサイトにアップされていて、このインスタレーションがカッセルにあるものだとばかり勘違いしていた。少し中心街を外れた通りの角にある小さなスペース(おそらく使われていない商店?)を訪ねてみるとそこには小さな絵画が数点、掛かっているだけであった。通路の壁には彼のステイトメントともとれるテキストがA4のコピー紙にプリントされ無造作に掲示板にピン留めされていた。さまざまなペインターの名前を挙げ、「I think about Morandi painting on top of a hill surrounded by fascism.」(ファシズムによって包囲された丘のてっぺんにあるモランディの絵について、ぼくは考えている)という同じ構造をもつようなセンテンスがずらっと書かれている。モランディの絵はメイン会場の「ブレイン」という名が付けられた展覧会内小企画の、その中心に展示されていた。モランディが制作をしていた時代はイタリアでのファシズム全盛期であった、そのようなキャプションも絵の横に添えられていた。ここでアリスの小さな絵画(とテキスト)はモランディ(や他の画家たち)へと繋がっていく。

そしてアリスのビデオ「reel/unreel」はアフガニスタンにあるカブールのサテライト会場で上映されるという。カブールは、アリギエロ・ボエッティがワン・ホテルという民宿を70年代に経営しつつ、現地の織物を使った「Mappa」を制作していた場所だ。最初に作られた「Mappa」(地図、1971年)はハラルド・ゼーマンが企画をしたドクメンタ5に出品する予定で作られたが、諸事情で出品できなかった。そしてそのボエッティの最初の「地図」はマリオ・ガルシア・トレスによってドクメンタ13に出品され、ガルシア・トレスによる「ワン・ホテル」の現在地を探すビデオがその隣の部屋に上映された。アフガニスタンをめぐる物語は、オマー・ファストによって、さらに現在のアメリカ軍の問題へと接続される(以下、この連鎖はどこまでも続けられる)。

それらは、恣意的で表面的な繋がりでしかないと言うひともいるだろう。あるいは逆にもっと深読みをするひともいるだろう。でも少なくともこれらの繋がりは、今回の芸術監督を務めたキャロライン・クリストフ=バカルギエフのリサーチとアーティストたちとの共働からしか生まれえなかったものだ。鑑賞者はその繋がりの、かすかな連鎖を紐解くことができる。しかし、この繋がりは無理に生み出されたようには思えない。なぜならそこにはある種の押しつけがましさがないからだ。もしかすると、繋がりはたまたま後付けで見出されたものかもしれない。そのように思ってしまうほど、この展覧会は自然な繋がりを個々の作品から見出すことができ、それがひとつの展覧会全体の空気/雰囲気を形づくっている。ぼくはその「雰囲気」をいまだに保持しているのかもしれない。「テーマ」がないと言われたドクメンタは、このように自ずと見出される複数の緩やかな繋がりを通して、いくつかのテーマを想起させ、ある種の雰囲気をぼくたちにもたらした。

もしかすると「グループ」展というものの可能性はこうしたことにあるのかもしれないと思う。テーマの見出し方も、アーティストとキュレイターの共働も、すべてが自然に絡み合うことでしか生じないこと。だから個々のアーティストの評価にけっきょくのところ結論づけようとする向きには(それは見る方も、参加アーティストも、ぼく自身も)、ぼくはあまり感心しない。

コレクティブ・レイバー

おそらく『風』展が、当初、予想していたよりは少し弱々しい微風ながらも(そもそも風の強弱は問題ではなかった?)、その先にかすかに示そうとしているのは西川さんも書いている「主体」もしくは「作家性」という問題だと思う。ぼくら、アーティストが作り上げていると思っているもの、それはそのアーティストだけに帰属されるべきものではない。参加アーティストのほとんどは特殊な設定や状況を通して、他者/参加者/企画者/他作家などなどと共働で「作品」を作っている。だからそれは日本語が意味する「作品」、ひとつの主体/作家が作り上げたなにか、であるよりも、行為のプロセス(労働)をも意味する「work」(仕事/作品)と呼ぶべきだろう。あるいは沢山遼さんがカール・アンドレの制作プロセスに着目して使った「レイバー・ワーク」という呼び名に倣って「コレクティブ・レイバー・ワーク」(集合的労働/仕事)とでも言うべきかもしれない。

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と、ここまで書いたところで、ぼくはいまヴェネツィアにきています。第13回建築ビエンナーレの日本館を見ること、またそのリサイクルについて考えることが今回の目的のひとつですが、いまはそのことを離れ、もう少しこのことを考えてみましょう。


すっきりしない天気のヴェネツィア。建築ビエンナーレ、最終日。

作家性は、上記の意味ではもはや崩壊しているとも言えるし、それでも現場全体を統括し、それが滞りなく進むようにコーディネイトする「現場監督」としてアーティストはまだその位置を保っているとも言えます。

生活の切り取り、生活と地続きであることの違い

ここで前回の西川さんからの質問を考えてみます。「アーティストの制作が、生活と地続きの中で生まれてくるとしても、生活を切り取っただけでは作品にならないはず」、だから「美術の制度への懐疑」に意識的になる。では「作品とそうでないものの間には違いがある」のか? そのときぼくにとっての「作品」とは何か? これが西川さんの問いでした。

アーティストのアイデアは生活の中から生じてくると思います。ぼくもそうです、しかし「生活」の一部を切り取って「アート」という制度の中に持ち込むことでは、西川さんも書いているように、物足りないのかもしれません。かつてのようには、「生活」を切り取って「アート」と呼ぶだけではぼくらの価値は転倒しません。それはただ凡例/前例をなぞっていることでしかない。例えば「便器」を展覧会に展示して「アート」と「生活」の価値転倒を目論んでも、ぼくらはすでにデュシャンを知っているのでかつてのように制度は揺らぎません。むしろ「アート」はもうすでに「生活」なのかもしれません。あるいは街頭を「掃除」をすることをアート・プロジェクトにしても、ぼくらにはハイ・レッド・センターがいるし、それを下敷きにしたスモール・ビレッジ・センターもいます。「アートと生活の価値転倒を目論んだこと」自体も、ぼくらはすでにパロディにしているわけです。

そもそも「価値」を「転倒」させる、「生活」を「アート」と呼ぶ、逆に「アート」を「生活」から切り離す、それらの所作はもはや文化のルーティーンですよね。ぼくらは少し変わったこと、もしくはこだわったものを指して「アート」だと言います。

だからおそらく必要なのは真の意味での「価値」の転換です。「生活」はそもそも切り取れるようなものではないはずです。ぼくらの人生はだらだらとつづいていく。世界の営みは、ぼくらが思っている以上にだらだらとつながっている、さまざまなものが「地続き」の状態にあると思います。つまり極端には、もはや「作品」を作るとわざわざ宣言して作る必要もないのかもしれない。むしろなにかしらの「行為」があればいい。「行為」は必ずなにかしらの結果を生み出すから。ただ、その「結果」はあくまでもひとつの結果物であって、それを「作品」と呼ぶ必要もない。

美術の制度はこのときどのように働くのでしょうか。単純な言い方をすれば、制度は慣習/慣例に則って、自動的に「区切り」を与えてくれます。判断をしてくれます。アーティストはそのとき、できるかぎり「だらだら」と「地続き」な「行為」に明け暮れればいいのかもしれない。制度はそれを自動的に切り分け、展覧会を構成する。そのときそこに「展示」されているものは、少なくともその「だらだら」とした背景をはっきりと持っている。それは「全体」から便宜的に選ばれた「部分」でしかない。だからこの意味では、アーティストは制度によって切り取られた「部分」がどのように扱われようが、ひとまず傷つく必要もない。大切なものはひとまずは自分の方に保っておくことができるのだから。

そしてこのとき、「グループ」展という全体が持つ意味も見えてきます。アーティストたちの「だらだら」が制度によって区切られ、「部分」になり、その「部分」が複数集められた場所、それが展覧会です。複数の「部分」をはっきりと独立させることで、その集められたものたちの意図が明確に見えてくる。西川さんが、個々のアーティストの営みを最終的には独立させて見せようとしたことを、このように解釈することもできるのかもしれません。だからその舵取りはキュレイターでもいいし、キィレイターとアーティストの共働でもいい。そしてこの集合された「部分」は、さきほどの「コレクティブ・レイバー・ワーク」でもあります。それぞれの労働が集合された結果物。そこから見えてくるのは、個別の活躍ではなく、ある種の全体的な雰囲気、もう少しはっきり言えばそれはある種の「態度」を示すことだと思います。

はたして『風』展がそのようなものになっているのかどうかぼくにはわかりません。でもこのぼくは、少なくともこの微風を受け、思考しつづけています。もうしばらくお付き合いください。

田中功起 2012年11月 濃霧のヴェネツィアにて

  1. 今回の議論は、山手線内で行った「ダイアローグ・トゥー・ザ・パブリック(JR山手線)」(2012年10月30日)の、杉田敦さんとの会話に触発されて考えはじめたことです。

近況:現代と近代の名の付く美術館で展示をしています。『MOTアニュアル2012 Making Situations, Editing Landscapes 風が吹けば桶屋が儲かる』(東京都現代美術館、2/3まで)、『美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100年』(東京国立近代美術館、1/14まで)

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