連載 田中功起 質問する 7-4:片岡真実さんから2

田中さんが森美術館チーフ・キュレーターの片岡さんと、「日本とアジアのアート」を語る今回の往復書簡。前便で田中さんが問いかけた「アジアのキュレーターに課せられた二重性」について、片岡さんから、ご自分の経験に基づいた返信が届きました。奇しくもこの間には、ふたりが別々に関わった、2013年ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館展示の決定発表もありました(選考はキュレーター指名コンペの形で行われ、代表作家に田中さんが選出されたむねは既報のとおり)。こうした国際展にも深く関わりのある内容として、注目のやりとりです。

往復書簡 田中功起 目次

件名:You can only start from where you are.

田中功起さま

お返事ありがとうございます。キュレーターはいつもアーティストの思考や実践の解釈を言語化していますが、逆にアーティストからこうして自分の仕事を言葉にされるのは新鮮です。

先日は、サンフランシスコでの「Phantoms of Asia: Contemporary Awakens the Past」展のオープニングに来てくれて有り難う。3週間半の現地滞在中、週末は展示が無いので功起くん留守中のロサンジェルスで光州ビエンナーレのためにアラン・カプローのアーカイブを調査したり、アイ・ウェイウェイ展の巡回の打合せにインディアナポリス美術館に行ったりしていました。ロスでは屋外だけ残っていた「もの派」展もちょっと見ました。


「Phantoms of Asia」展より。『如意輪観音』(部分、900-1000年)の背景左にPalden Weinrebの『Envelop (Current: Sweeping)』(2011年)、背景右にLin Xueの『Untitled (2010-0)』(2009-2010年)

二重性を内包する均衡状態

さて、せっかくなので私自身に向けられた問いに向き合ってみることにします。功起くんの指摘する「二重性」というのは、じつは「自分とは何か」という根源的な問いに照らせば、同じ課題なのかもしれません。「紹介者」としての立場は、異なる文化的、社会的な文脈との対峙があって成立する視点で、一方の現代アートのキュレトリアルなステイトメントは現代の自分を起点にして現代の時間と空間をどう認識するかという視点とも言えるでしょうか。「自分とは何か」という問いを、あらゆる存在がすべて周囲との関係性において規定される仏教の縁起的な考え方に基づいてとらえれば、世界の認識がグローバルに広がった現代では、その関係性はより複雑で重層的になっているといえます。空間的な課題と時間的な課題は不可分なものとして存在していて、世界のどの地域のアーティストと仕事をしても、彼らがそれぞれの複雑な文脈のなかに在ることが見えてくる。このような時代に求められるのは「均衡」です。それには陰陽思想や五行思想のように、森羅万象を構成する異なる要素が均衡を保っている状態、あるいは古代インドの不二一元論、梵我一如のように宇宙の原理と自己が同一であるとする全体論的な視点を参照できると思っています。

今日のグローバルな美術を解釈するためには、各地域の美術の潮流と政治経済や社会との関係性も不可分です。世界各地の今日のアートを共通の地平で眺めようとしたとき、前提として欧米を中心にした近現代美術を基盤にしがちですが、そうなると非欧米圏では元々あった固有の美術史の上に欧米中心の近現代美術を重ね合わせざるを得ない。ただ、欧米の近現代美術が共通基盤として浸透していると言えない地域も少なくありません。明治維新からすでに150年も経ている現代の日本で当時の衝撃と葛藤を実感するのは難しいけれど、脱亞入欧の時期、廃仏毀釈から仏像を保護しようとした岡倉天心の「明治維新の二重の性格は、政治的意識と同様に、いっそう高い段階に到達しようと苦闘している芸術の分野においても、明白にあらわれている」というような言葉にも明らかです(*1) 。そしてS.ハンチントンが世界の多様な文明のなかで「日本が特徴的なのは、最初に近代化に成功した最も非西欧の国家でありながら、西欧化しなかった」(*2) 点であると指摘するとおり、現在も欧米文化と同化しているわけではない。一方、第二次大戦後に宗主国から独立したアジア諸国ではポストコロニアルの議論が盛んにされていますが、各地域の近代化や民主化の内訳は実に多様です(民主化されていない国家も含め)。戦後日本から独立し、軍事政権を経て民主化した韓国、建国後の文化大革命、改革開放政策などを経て世界第二の経済大国となった中国、英国から独立したインド、その後分離したパキスタンとバングラデシュ。さらに長い歴史を見れば、台湾は、原住民の文化に、オランダ、清朝、日本などの統治代を経ているし、インドネシアもアニミズムの文化にヒンドゥー、仏教、イスラム教、キリスト教などの文化が順番に流れ込み、スハルト政権以降の民主化路線のなかでもイスラム原理主義などが新興勢力として存在感を増している。旧ソ連から独立した中央アジア五カ国では、政治的、言語的にはソ連時代の影響を強く残しつつ、先住民、モンゴル、トゥルクなどじつに多様な文化が折り重なっている。政治、経済、宗教、文化が複雑に絡み合ったこのような文脈のなかでは、単純に近現代美術として抽象表現主義やミニマリズム、ポップアートとなどを持ち込んだとしても相当無理があることは明らかです。政治的、経済的に変化の激しい社会では、自ずとその変化や喪失されそうな伝統や文化的記憶を題材にした作品が生まれるし、アジア同様、中東、ラテンアメリカ、アフリカ地域などでも、ほとんど幻影のような“欧米”という中心性に対して、それぞれ独自の文脈を紡ぎ出そうとしている。共通言語と思われて来た“欧米”の近現代美術を介在させなくとも、同じ課題を抱えたそれ以外の地域同士で、別のコミュニケーションの地平を見出そうとする議論もある。

一方、 “欧米”という中心では何が起っているのか。例えばロンドンのような街でも、実際にはロンドン・ローカルなアーティストも大勢いて、どうすればインターナショナルになれるのかと考えている。それはニューヨークでもロスでも同じ。アート界全体では、自分たちが中心であるという意識から離れて、世界の変化を客観視できている人は限られているような印象を受けます。サンフランシスコで聞いたホーランド・コッターの講演では、「マルチカルチュアリズムは20年を経て失速し、あまり見られなくなった」という発言を聞いて、正直耳を疑った。ピラミッド型あるいは垂直方向にアートシーンの優劣が論じられていた時期には、自分たちの劣位に(しばしばプリミティブに)見えていた非欧米圏のアートが、より水平方向の広がりを持つようになったら、下には何も見えなくなったということなのか。あるいは欧米で近年盛んに見られるミニマリズムやコンセプチュアリズム、パフォーマティブなプラクティスの再検証を、より自己回帰的な視点だと見れば、それもまた自分たちの立ち位置を再認識しようとする自然な欲求なのかもしれない。もちろん英語という言語のためにグローバルな議論や出版物、教育などでは米英が中心的な役割を担っていることは否定できないけれど、それと芸術生産の状況とは異なっているはず。

ただ、ここで欧米対非欧米という構造による優劣の議論をするよりは、非欧米圏、多民族国家、多文化都市で、より複雑に重なりあった文化的要素の折衷・均衡状態を解読しながら、自己の文化と他の文化相互の接合点を見出すほうが面白い。そのためには欧米でも、自分たちの構築してきた近現代美術の歴史に照らしつつ、傍流として存在していた他の地域の文化との接合点を見出そうとする比較美術史的な作業が求められるのではないかと思います。例えば、いまアメリカで「もの派」展が開催され、欧米の蒼々たる美術館が作品を購入するという事実を解読すれば、功起くんと共通の友人でもあるガブリエル・リッターとも話したのですが、アメリカン・アートの中心的なムーブメントであるミニマル、コンセプチュアルの潮流との関係性においてグローバルな美術の歴史をパラレルに考えようとしているのではないかと読むことも可能です。垂直構造の価値観ではなく、水平方向に広がった視点です。

ロンドンでの経験から

自分の話をするための前置きが長くなりました。今回のタイトルにした「You can only start from where you are.」というフレーズは、私がヘイワードで仕事をしていた2年間に自分の頭のなかで何度も反芻されていたものです。イギリスで学生時代を過ごしたわけでもないので、観客が何を共有し、何を知らないのかという社会的前提が見えなかった。そこに私自身が提示することを期待されたのは、アジアの現代アーティストを紹介することでもあり、同時にそうでなくても良かった。ただ、求められていたのは日本ではなくて中国やインドといった経済新興国の現代アート。その最新情報を嵐のような勢いのリサーチで提示できるのは、ハンス=ウルリッヒ・オブリスト(*3)やフランチエスコ・ボナミ(*4)のようなパワー・キュレーターで、もちろんそれも重要な役割のひとつだけれども、自分が提示したいと思っていた問題意識はもう少し根源的なもの、感覚的、無意識にアジアで共有されている何かだった。それをロンドンで提示する試みは短時間かつ断片的な滞在で実現できるものではなかったし、その課題を追究するにはアジアに拠点を置いている必要があると痛感していました。そして、結局は、みな自分の立ち位置を起点にすることしかできないし、同時に二カ所に存在することもグローバルに広がった現代アート全体の専門家になることもできないという不可能性と限界を実感しました。単純に物理的に。では何が可能かを考えたとき、それは特定の地域の美術の文脈化だけでなく、それを起点にした他の潮流とのパラレルな比較のなかで、複数の接合点を紡いでいくことではないかと。それがキュレーションの実践だけでなく、アーティストの解釈にも有効であると考えるようになりました。

こういった「自覚・変化・拡張」は恐らく徐々にやってくるものですが、ロンドンという環境を通してより意識的になったことは確かです。15年前も今も社会的な価値観の不均衡を是正したいという欲求はありますが、社会状況や自分の立ち位置も常に変化しているので、それに対応した「自覚・変化・拡張」でしょうか。オペラシティの構想期、プロジェクトに参画したのは1992年。20代後半でした。学生時代から主に欧米で見ていた現代美術館、クンストハーレなど時代の精神をそのまま提示するような場が東京に必要だと単純に思っていました。途中バブル期に短命で消えていった東高現代美術館やICA東京などの例もあり、現代美術を見せるためのサステイナブルなシステムの必要性も強く感じていました。1990年に水戸芸術館、1995年に東京都現代美術館がオープンし、今はすっかりエスタブリッシュされた小柳さん、小山さん、佐谷さん、和光さんなどが独立してギャラリーを始め、1960年代生まれのアーティストが登場するなど、1990年代には確実に新しい可能性が見えていた。そのなかで、等身大の現代アートを日本もアジアもヨーロッパも関係なく、自然体で見せたいと思っていたし、アーティスト達とのパーソナルな人間関係や信頼には文化や国境を越える力があるとも思っていた。今思えば若さゆえの無知とナイーブさに依るものですが、そこには真理もあると未だに思います。

1999年に東京オペラシティアートギャラリーがオープンしたときは30代前半でしたが、7年間、生命保険会社、電鉄会社、通信会社などの大型ジョイントプロジェクトのなかで現代美術の妥当性を訴え続けたので、新しいスペースの使命は自分個人の使命感でもあった。オープンから1年もしないうちに、海外からいくつも巡回展やコラボレーションのオファーが来るようになり、同時に「日本の現代アートってどうなってるの」という海外からの照会も急増し、そこで自ずと「紹介者」としての役割が求められました。「JAM展」もその一例です。一方で、同時代の批評的議論を日本にも届けたく、リレーショナル・アートの実践として「出会い展」(2001年)や「リクリット・ティラバーニャ」(2002年)などを企画しました。オペラシティで実際にキュレーションをしたのは3年ちょっとですが、今思い出しても濃密な時間でした。当時の展覧会に祝祭的な傾向があったのは、ホウ・ハンルゥのような人との仕事も影響しているかもしれませんが、現代アートのための場で生み出される新しいエネルギーや可変性、流動性への関心が強かったこともあるでしょう。

森美術館に2003年に移ってすぐ「六本木クロッシング2004」をやったのは、日本の現代アートシーンを定点観測するという館の意向ゆえですが、オペラシティ時代から感じていたニーズとも合致していました。予算、スペース、組織、入場者数がすべて数倍から10倍位のスケールへ拡大してしまったので、その意識改革は大変でしたね。数十万人という不特定多数の観客に向けて提示する現代アートでありながら、そこに何らかの批評的な視点を込めることの困難もありました。そのひとつの回答例のような「笑い展」(2007年)をやった後、ロンドンのヘイワードギャラリーで館長になったラフル・ルゴーフが呼んでくれて、年間半分のロンドン生活が始まりました。ロンドンであれば入場者数など気にせず企画ができるかと思っていたら全く違っていた。ポピュラーでエンタテイニングなものが特にマーケティング部門から求められたし、展覧会のタイトルでさえキュレーターに決定権は無かった。もちろん批評家のレビューの影響力は大変大きなものでしたが、前述のとおりグローバルに広がるアートシーンと彼らの認識との距離を痛感しました。結局、「You can only start from where you are.」という当たり前のことを実感し、それを前提にしたタクティクス(戦術)を考えるようになったということでしょうか。

接合点を紡ぐ作業へ

ロンドンと東京を往復しながら「アイ・ウェイウェイ展」も準備していました。1980年代をニューヨークで過ごし、1993年に北京に戻った彼の立ち位置や思想からはさまざまな影響を受けました。「西洋の美術から学ぶだけでなく、自分たちの日々の経験や自分自身の考え方を検証し、批評する必要がある。根本的な存在の基盤や心理状態を問うこと。これが知性の本質であり、芸術の本質でもある」という彼は、西洋からの参照も可能な審美的クオリティやフォーマリスティックなアプローチを保持しつつ、自分自身あるいは中国社会の在り方を問い続けている。また3年前に個展の準備を始めた韓国のイ・ブルも自分と同世代でありながら、軍事政権から民主化へと社会が変化するなかで、常に個人と社会の関係を意識しつつ、その参照先を韓国社会からより広い社会へと拡大してきたアーティスト。いずれも自分自身の立ち位置を起点にしながら、グローバルな文化との接合点を確保している。彼らの姿勢はキュレーションをするうえでも非常に示唆的でした。

では、日本のことをどう捉えれば良いのか。この10年で経済力も躍進的に高まり、前向きなエネルギーに溢れた青年のようなアジア諸国の現代アートシーンは確実に充実度を増しています。それは香港や上海を訪れれば肌で感じるものです。そこでは前時代の価値観を越えた新しさや若さという価値基準、あるいはポストコロニアルな立ち位置での独自性が重視される。一方、近代化を他のアジア諸国とは異なるタイミングで達成し、美術館ブームも経た日本では、新しさや若さに価値を見出すのではなく、近代化、高度経済成長の過程で見過ごしてきた伝統や歴史や社会の周縁、さらに言えば人類に共通した文明の起源や古代の宇宙観などを再検証するところから、社会の均衡を回復していく必要がある。2年間の東京—ロンドン往復生活を終えた2010年、森美術館では「日本を再考する」という年間テーマを掲げ、そのなかで日本の自然観をインスタレーションという空間構成との関係で検証したのが、前回の書簡でも触れた「ネイチャー・センス」展です。そして、その可能性をさらに汎アジアに拡張したのが、これも前回の繰り返しになりますが、サンフランシスコ・アジア美術館での「Phantoms of Asia: Contemporary Awakens the Past」展です。この方向性は殊に震災を経た日本から発信するステイトメントとしてはとても重要だと思っています(*5)

また、11月開幕の「会田誠」展では、作家本人の極めて多様で混沌とした実践を紐解いて行く過程で、それが近代化以降の日本社会や美術の多重性の小さなモデルのように見えてくるのではないかと考えています。そして、これも最近思っているのは、多重性を内包した均衡状態のなかで接合点を紡ぐ作業を展覧会というフォーマットで提示するためには、視覚的、空間的体験としての「展示」、知識や多様な視点を補完する「カタログ」と「パブリックプログラム」という三つがそれぞれ異なる役割を果たし、均衡を保っている必要があるのではないかと。言い換えれば、視覚や空間体験を通した感覚的な鑑賞と、美術史的、社会的、歴史的な文脈を知識や情報として理解する知的な鑑賞、さらには個々の鑑賞者の私的な記憶や体験などとの接合点を上手く均衡させて現代美術の解釈を考えることで、現代の複雑な世界を多面的に反映したアーティストの理解が可能になるのではないかということです。知的な解釈だけが優先されてもそれは現代アートを単に難解なものに見せてしまうし、一方で感覚的な鑑賞だけでは現代世界の複雑さを伝えきれず、ともすればポピュラリティやエンタテインメント性だけが優先されてしまう。異なる個性や要素が同時に存在しながら絶妙な均衡を保つこと、その状態を流動性と可変性のなかで追究し続けること、それがいまとても面白いと思っています。それは「自分とは何か」を周囲との関係性のなかで問う作業でもあるし、それが陰陽思想や五行思想が示唆的であると冒頭に述べた理由です。

ちょっと長くなってしまいましたし、質問の回答になっているかどうか定かではありませんが、お返事楽しみにしています。

片岡真実

  1. 岡倉天心 『東洋の理想』(”The Ideals of the East, 1904年)、講談社学術文庫、1986年

  2. サミュエル・ハンチントン『文明の衝突と21世紀の日本』(鈴木主税訳)、集英社新書、2000年

  3. China Power Station: http://www.serpentinegallery.org/2006/10/china_power_station_part_i_8_o_1.html
    Indian Highway: http://www.serpentinegallery.org/2008/06/indian_highwaydecember_2008_fe_1.html

  4. Alllooksame?: http://www.fsrr.org/eng/mostre/archivio-mostre/116

  5. 2013年のヴェネチア・ビエンナーレのコンペに杉本博司を提案したのも、この思考の流れのなかにあります。でも、もちろん功起くんの日本館、とても楽しみにしています。

近況:森美術館の「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」が5月末にぶじ終了。上述のとおり、ゲストキュレーターとして企画したサンフランシスコ・アジア美術館での「Phantoms of Asia: Contemporary Awakens the Past」展がスタートしました。また、アジアの女性キュレーター6名で共同ディレクターを務める「光州ビエンナーレ2012」(9月開幕)、ワシントンDCのハーシュホーン美術館に巡回する「Ai Weiwei: According to What?」(10月開幕、その後、北米巡回)、森美術館での「会田誠展」(11月開幕)の準備もそれぞれ進行中です。

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