連載 田中功起 質問する 5-5:沢山遼さんヘ 3

批評をめぐる往復書簡の第3信目。書簡の2信目のやり取り後におきた、東日本大震災と原発事故をLAで受け止めた自身の経験を通して、田中さんが直接的/間接的な体験の差、さらに作品を経験することについて考察します。

沢山遼さんの第2信はこちら往復書簡 田中功起 目次

件名:その後のこと、そして見ていないものを書くことは可能か

沢山遼さま

お元気ですか。東京はいまどのような状況ですか。
この間、日本では地震と津波と原発事故という大災害が発生しました。原発事故はまだまだ継続中の出来事ですし、余震も毎日のように続いていると聞いています。一ヶ月以上の時間が経過し、長期戦の様相が呈してきました。原発事故の収束にも、被災地の復興にもかなりの時間かかかりそうですね。前回のぼくのメールの中で書いていた栃木県の益子参考館も被災し、濱田庄司のコレクションもかなりダメージを受けたようです。幸い同じ栃木にあるぼくの実家はあまり被害がなかったですが、益子全体としてはむしろ登り窯がかなり崩れてしまったらしく、益子焼復興支援ボランティアセンターが発足されたりしています。
前回までのふたりの応接は、この災害・事故の前に書かれ、サイトへのアップはその後になりました。前回の手紙と今回、その真ん中にとても大きな穴が空いてしまい、ぼくはどうにもなにを書いていいのかわからなくなってしまいました。なので、少し時間が経って間が空いてしまいました。


パリの街ではよくズボンが脱ぎ捨てられていた、冬なのに。このひとはズボンを履かずにどこにいったのだろうか。

経験の差

いまの日本の状況を、遠く離れて見ている中で考えていたことから書き始めてみます。ぼくらはそれぞれに個別の経験を日々しています。それらの個別の経験を並べて優劣をつけたり大小をつけることは基本的には難しい。質の異なる個別の経験を比べることはできません。同じ場所で同じ体験をしたとしても、それらはそれぞれのひとにとって別々の経験として成立し、記憶されるものです。仮にレストランでお皿が落ちたとして、そこに居合わせたひとびとはその出来事をそれぞれ固有の経験として得ることでしょう。割れたお皿に目をやったひと、割れた音に耳を奪われたひと、落としたひとの振る舞いに気をとられたひと、周囲のひとの反応を見やったひと。それに対して優劣や大小は一概には言えないにしても、そこには経験の差が存在する。つまり体感したもの、目で見たもの、話で聞いたもの、そうしたいくつかのレベルに分けられる経験の差。この経験の差をぼくらはどのように扱うのでしょうか(扱うべきなのでしょうか)。

表面的には、ぼくは今回の地震・津波・原発事故を被災していません。ぼくがいる部屋はとくに揺れたわけでもなく、仮に放射性物質がLAまで微量でも飛んできたにせよ、この震災・事故をこの身をもって体験したとは言い難い(ひとつ確認しておくと、西海岸に到達した日本からの津波に巻き込まれて亡くなった方がひとりいました)。しかし一方で、心理的には被災を経験しているとも言えなくもない。震災後にだれかに会うと、かならずぼくの家族・友人の安否を聞かれ、その意味ではアメリカの友人よりは相対的に被災した側に近い。また女川にいる妻の親戚はいまだに行方不明のままであり、この事実はとても重く、この震災は身近なものとしてぼくの中で経験されています。ネットを通して間接的に見聞きしたことも、この震災の経験と呼べるのかもしれません。経験が個別に形成されるものであるかぎり、物理的な被害と心理的な被害は単純には比べられません。いくつかの層に分かれて、ぼくのように遠くにいるひとにさえも、この震災は影響を及ぼしている。だから多くのひとにとって我が身に起きたことのように扱われているでしょう。

あるひとに言われたのは、いわば日本全体がなんらかのかたちでこの災害・事故を経験している。被災という事実はいわばグラデーションのように日本全体を覆っている。ぼくらは大なり小なり、みな被災している。だから被災をしている、していないの線引きが難しい、と。
とはいえ、遠く離れ、余力のあるぼくは、なにかしらの支援ができる立場にいるわけで、避難所生活を強いられる被災者とは比べものにならないのですが。

見えないものの経験

唐突にこれを作品の経験につなげてみます。作品という経験はどこまでをそう呼べるのでしょうか。例えば一枚の絵があり、それをアーティストのスタジオで見るのと、ギャラリーで見るのと、美術館で見るのと、カタログ写真として見るのと、制作者の目を通して見るのと、友人の説明を通してその絵の内容を聞くのと、どこまでがその作品の経験なのでしょうか。例えば、それが映像や写真、あるいはテキストなどの複製可能なものであったり、アイデアが構造的に組み込まれているコンセプチュアルなものの場合、事態はわかりやすいかもしれない。写真とその背景を説明するテキストが併置されるような場合、それが美術館に展示されているのと、カタログを通して見るのと、原理的には双方は限りなく同じ経験になるはずです。それでも違う経験であると言えるとすれば、その部分は作品を取り囲む環境(物理的な空間、社会的変化や時代背景など)からの影響の話になるでしょう。つまり、作品の経験が程度の問題なのだとすれば、実物を見るという経験は、他の経験と比べて多少程度が大きいということでしかなく、伝聞のたぐいでさえも、作品の経験のひとつであると言えるかもしれません。

ぼくが、はじめてティノ・セーガルの作品を知ったのは同じ作品を別々のひとから聞かされたことによってでした。彼の作品はパフォーマンス・ベースのものであるにもかかわらず、写真や映像などの記録を一切残さないようにしています。これは作家が自覚的にコントロールしている。なので作品の内容はそれを経験するか、伝聞・うわさを通してしか知りえない。ふたつの伝聞から気づいたのは、ぼくの中でその作品はひとつのかたちを結び、実物を体験する前にすでに作品として経験されていたということです。つまり伝聞から形成されたこの「作品」も彼の活動の一部であるということです。それは実際の作品とかけ離れたものなのかもしれませんが、では、そもそも「実際の作品を経験している」と言うとき、ぼくらは純粋にその作品だけを経験しているのでしょうか。その日の食事や友人との会話、天気などそういうものの影響が作品の経験に加味されていないとは言えませんよね。おそらく「作品の」経験というふうにはシンプルにそれを分けることができない。逆に言えば作品というものはそのようにいろいろなレベルにおいて経験可能であり、その経験の束が多く集まるあたりを指して「作品の経験」と呼んでいるのだと思います。ならばひとつながりの経験のグラデーションを切り分けることはできない。

「現場批評」というものがあくまでも現場での作品の経験にこだわるのだとすれば、それは上記のような経験の微細な襞を記述することになるだろうし、それはそのまま作品の記述を越え出てしまうことになるでしょう。作品について書いてあるのか、そのひとの感じた別のことについて書いてあるのか、ついにはわからなくなる可能性もあります。

作品には経験的な側面がある一方で、論理的に理解できる側面もあります。作品の記録と作品そのものは、それを経験するという意味では差があるにせよ、構造的な分析・理解においては同等なものとして扱うことができるでしょう。例えばもはや実作を見ることのできないような、テンポラリーなプロジェクト、もしくはアースワークはどうでしょうか。ロバート・スミッソンは典型的ですが、「スパイラル・ジェッティ」は環境の変化によって当時とは見え方が変化していますよね。でもぼくらの中ではスミッソンが制作した当時の記録映像や写真として記憶されている。そうしたものを前にして、批評は「経験」の層を離れ、作品の構造的な層へと向かうのかもしれません。それがどういう経験なのかではなく、それがなんであるのか、という存在論的な問いになる。経験の差は比べることができないけど、対象のあり方を分析し、構造的に明らかにする場合、それらは比較することができる。さらには現在の「スパイラル・ジェッティ」と記録の中の「スパイラル・ジェッティ」を比較することも可能になるわけです。

こうして批評は、現場主義的/経験主義的な位置から解放されるのかもしれません。ぼくはどちらかと言えば、制作者として現場主義的な立場ですが、もし作品の経験というものがどこまでも広がって行ってしまうものだとすれば、そして日々の経験との差が見分けにくいのであるのならば、むしろ必要なのは論理的な筋道の方であり、だからこそ批評的態度、そして分析的で論理的な批評がなくならないでほしいと思うのです。前回の沢山さんの言葉を受ければ、「批評」はなくなることはないのでしょうけれども。

このままでは実作を見る必要がない、記録で十分だって話に聞こえてしまうかもしれませんが、実作を見るという経験は、その作品がなんであるのかという分析を補助するような役目であり、実作を見ることで意外な点に気づくこともあるのだから、一概に排除しているわけではありません。またこれは極論ですが、実作を見なくとも「経験」をしていると言えるのならば、この程度の経験を頼りにその「作品」が構造的に読み解かれるという可能性もあるわけで、それが創造的なもの(誤読にせよ)になりうる場合もある、とも思います。

もうひとつの展覧会

最後にひとつだけ興味深い例を。
今回の震災の影響で開催が中止された展覧会に『青木淳×杉戸洋 はっぱとはらっぱ』(青森県立美術館)があります。そのカタログに掲載されるはずであった塩田純一さんのテキストが公式サイトで読むことができます(*1)。このテキストを展覧会に訪れた際に読むのと展覧会が中止されたいま読むのとでは、おそらくまったく異なった感想をぼくらは持つのではないかと思います。これはその展覧会が開催されていることを前提としたテキストであり、会場での経験を補完する意図で当初は書かれたであろうからです。テキストは、読者が会場を見た上で感じたであろう驚きを代弁するかたちではじまります。

「美術館を訪れる人はいきなり眼にするブルーシートに覆われた通常のエントランスに戸惑いを禁じ得ないだろう。」

しかしこの展覧会は開かれませんでした。なので、ぼくらは展覧会が開催されたかもしれないパラレルな世界をこのテキストを通して想像することになります。塩田さんは上記のように経験的なことをテキストの中に挿入し、一見、会場でのありうる経験を補完しようとしているように思われますが、実際に彼はそれを見ていないため、視点はあくまでも展示プランの構造的な分析へと移行していきます。このテキストが書かれた時点では杉戸さんの新作の詳細はわからなかったため、その点はそうそうに切り上げ、杉戸さんの制作アプローチをベースに青木さんとの共同作業、そこに見られる美術館建築への批評性がこのテキストの焦点です。そして不思議なのは、美術館へのふたりの批評的なアプローチを分析するこのテキストを読むことで、開催されることのなかった展覧会が(特殊なかたちであるにせよ)なぜかすでにぼくらの中で経験されているということです。このテキストを通して確かにひとつの展覧会のイメージが結ばれつつある。だからこそ開催中止が残念でならない、とひとは感じる。これは示唆的じゃないかと思うのですがどうでしょうか。

それでは最後の返信、お待ちしております。

田中功起 2011年5月 ロサンゼルスより

  1. 塩田純一「批評のトライアングル−建築家と画家と美術館と」

    展覧会カタログがオープニングに間に合っている場合、その中のテキストは、事前に、展覧会を見ずに書かれることになります。例えばそれはアーティストの構想段階の展示案を参考に書かれる場合もあるでしょう。つまり美術館学芸員は、いまだ全貌が見えていない展示の詳細を想像で書かねばならない。しかし、奇妙なことにそうしたテキストは決まってその展示を見た事後の体裁で書かれています。なぜ見ていないものを見たかのように書かかねばならないのでしょうか。以前からこれは不思議なことだと思っていましたが、この問題はまた別の機会に。

近況:4月、Cal State University付属のLuckman Galleryでのグループ展がはじまり、展覧会は一段落。少しずつ来年の展覧会に向けてアイデアを練り出す時期にさしかかってます。
また、久しぶりにポッドキャスト「言葉にする」で齋木克裕さんの回をアップしたり、この書簡でもお世話になった成相肇さんの短期連載「図工/美術教育 あしたのために」もぼくのサイトで掲載してます。

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