連載 田中功起 質問する 17-5:再び2019年9月9日のあなたへ

第17回(ゲスト:田中功起)―過去との往復書簡 あいちトリエンナーレ2019の、渦中のひとに向けて

「あいちトリエンナーレ2019」参加前後の自分自身との往復書簡。前回の手紙に続き、芸術祭の一部展示中止をめぐり発足した「ReFreedom_Aichi」の記者会見直前、渦中にいる(または今現在も続く渦中の前半を生きる)田中さんへの手紙です。

往復書簡 田中功起 目次


 

件名:表現の自由をめぐる戦い その2

 

再び2019年9月9日のあなたへ

 

この手紙は前回のものと連続しているから、できればそれも一緒に読んでほしい。そして今日は、終わりまで書いてみようと思う。


鴨川のカモたち

 

クロノロジ— 9月22日から現在まで

 

9月22日、藤井光さんが、エクステンション企画(本人によるレクチャーパフォーマンス)のなかで自身の展示を中止する意向を表明する。これはその場でも語られたけれども、あいトリ事務局と不自由展実行委員会、不自由展参加アーティストの三者協議を要求するかたちで実行された。
藤井さんはこのようなロジックで語っていた。展覧会の閉鎖が市民という主権者によってなされた。そして、それを再開するための主権/決定権はいま知事にある。それに対して、不自由展実行委員会は法的機関を使って、判断を法に頼った。主権がいま法的機関に委ねられている。だから、展覧会の主権をアーティストと観客に取り戻すためにこの三者会談を求めることが必要なんだと。
この間の問題は、津田さんと不自由展実行委員会の話し合いが平行線であったことに関係している。津田さんから聞いていたのは不自由展実行委員会に会合を持ちかけてもなしのつぶて、逆に藤井さんから不自由展の状況を聞くと、あいトリ事務局に会合を持ちかけるもなしのつぶて、と双方から双方を理由にして協議が持たれない、ということだった。ただ、ここで理解できるのは、再開の決定権は津田さんではなく、あいトリ事務局、つまりあいちトリエンナーレ実行委員長の大村知事にある。だから不自由展としては大村知事と直接の交渉が必須であり、津田さんとしては不自由展をあいトリに招待した責任から自分が交渉窓口になるのが筋だと考えていたんだと思う。
同時にぼくは、ボイコット組のメーリスに連絡をして、10月5日に開催される国際フォーラムの場で遅くとも8日に不自由展の再開がなければボイコットを会期最後までつづけることを取りまとめようとしていた。

9月23日、キャンディス・ブレイツがボイコット組に参加し、展示を一時的に閉鎖、ただ土日祝は開放していた。彼女とはずっとやりとりをしていたので(ぼくがタニアたちのステートメントに署名する段階で彼女も一緒にという感じだった)、彼女が一時閉鎖を求めていた当初の日程からかなり遅れたのが気になっていた。事務局とのやりとりが案外難航していたのかもしれない。

9月25日、「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」第3回が開催され、津田さんと不自由展委員会に対する運営や判断プロセス、キュレーションついての厳しい批判があった(*1)。検証委員会から不自由展実行委員会に対して、「表現の不自由展・その後」のキュレーターを降りてほしいと伝えられたということも聞いた。さすがにこれはおかしいと思った。例えばぼくの展示空間を、アーティスト不在で勝手に変更することなんて許されるだろうか。
そしてこの委員会の中で大村知事は再開を示唆し、その上で津田さんには不自由展実行委員会との交渉窓口を外れてもらう、と名言する(ただし芸術監督は続投のままで)。つまり再開に向けた交渉窓口が事務局に移る。おそらく実務的に担当していたキュレーターが交渉窓口になったのだと思われる。
不自由展実行委員会は、翌日の9月26日に記者会見を予定していると聞いた。しかし翌日、事態は急展開する。

9月26日、ボイコット組のアーティストで10月5日までに再開しないかぎりボイコットを継続するという短い手紙を大村知事に送る。
そして同日、萩生田光一文部科学大臣が臨時会見で補助金適正化法等を根拠に、あいトリに対して文化庁が採択を決めていた補助金の不交付を決定したと発表する(*2)。これに対して文化庁前で補助金不交付撤回を求める緊急抗議が行われ、100名余りが参加する。ReFreedom_Aichiは署名サイト「change.org」で「文化庁は文化を殺すな」キャンペーンを行い、最終的に11万筆以上の署名を集める。

9月27日、おそらくこの日、再開についての裁判所からの仮処分命令が出る予定だったのかもしれない。文化庁はそれを見越して補助金不交付を決定し、さらにこの急展開を受けて、不自由展実行委員会の動きも変わる。愛知県/あいトリ事務局との対立よりも、大きな、文化庁という問題が生じたわけであるから。名古屋地方裁判所はこの日、9月13日付で不自由展実行委員会が申し立てた仮処分の第2回審尋を開く。そこで不自由展実行委員会は、10月1日に中止前の状態で展示を再開するよう和解を提案する。

9月30日、名古屋地方裁判所が、仮処分の第3回審尋を開き、展示を再開する方向であいちトリエンナーレ実行委員会と不自由展実行委員会が和解する(10月6日~8日の間に再開する方向で調整に入る)。
大村知事はずっと最後の二日間の再開をイメージしていたようだが、早期再開の可能性が生まれたのは、補助金不交付に対して抗議する(つまりは表現の自由を守る)という、政治的パフォーマンスの旨味が生じたからだと理解できる。

しかし、ここから実務者会議が持たれて再開に向けて動き出すのかと思いきや、不自由展内での写真撮影(とくに隣に座って写真を撮ることも作品の内容の一部であるとする《平和の少女像》をめぐって)をオーケーにするのかどうか(SNSに拡散され、閉鎖前と同じ状況になるのではないかという懸念)で事態がこじれていく。

10月5日、国際フォーラム「『情の時代』における表現の自由と芸術」(二日間つづく)。実際のフォーラムの内容はこの文脈ではあまり重要ではない。朝の登壇者向けミーティングに、登壇者ではないぼくと大舘さんも参加する。この場には、津田さんと山梨俊夫さん(あり方検討委員会座長)、アライ=ヒロユキさん(不自由展実行委員会)、飯田志保子さん(チーフ・キュレーター)そして藤井光さんと小泉明郎さん、その他の登壇者がいた。つまり、再開に向けて、実務的な会議をするべきキーパーソンがその場には揃っていたわけだ。多少、強引でもあったけど、藤井さんや小泉さん、ぼくや大舘さんが介入的な発言をすることで、再開に向けての率直な議論が再燃する。それが長引くことによって、国際フォーラムに登壇をする予定であった数名が、そのまま実務者会議を始めることになる。ぼくは部外者(?)であったので、途中からは参加していない。

結果、この日の時点では、知事と条件が合わず、再開の見込みがなくなる。藤井さんとぼくはボイコットを続けることを確認し、どうやってボイコット組のアーティストたちにそれを伝えるのかを相談する。実は、このままぼくは釜山国際映画祭に参加するために韓国へと移動する。そのため、残念ながらぼくは詳しい事情を知らない。不自由展実行委員会とあいトリ事務局との交渉も、知事との交渉もどのような動きがあったのかを知らない。聞いたところによると、ここで小泉さんが動き、藤井さんが暗躍する。この二人の行動が再開に向けたとても重要なパズルのピースのひとつだったようだ。

10月6日、この日、ReFreedom_Aichiのプロジェクトのひとつとして、高山明さんがアーティスト自身による電凸対応プロジェクト「Jアートコールセンター」を始めると発表。

10月8日、「表現の不自由展・その後」が午後2時10分に再開する。入場は1日2回に制限。抽選で1回につき30人に絞られる。当選した観客は金属探知機によって検査され、身分証明書の提示が求められる。同日、河村たかし名古屋市長は会場の建物前で7分間ほど抗議の座り込みをし「公金不正使用を認めるな」と訴える。

10月14日、あいちトリエンナーレ2019は閉幕する。

ここまでがぼくの知っているかぎりでの一連の経緯である。本当はもっと細かい話があったはずだけどもうそれらは忘れてしまった。ぼくと藤井光さん、小泉明郎さん、高山明さん、大舘奈津子さんによるLINEグループでのやりとりは10月25日までつづく。

10月16日、大村知事は定例会見の質疑応答で(*3)、文化庁補助金不交付問題に対して、「『我々は瑕疵は全くない。対応をただしていく』と批判した。その上で『(文科省が)どういう手順を踏み、誰が意思決定したのか明らかにしてほしい』と述べた。」(*4)

10月24日、大村知事は補助金不交付に対して、文化庁の調査がずさんであり、決定は違法であるとし、補助金適正化法に基づく不服申立書を文化庁に提出する(*5)

2020年3月4日、高山さんが「Jアートコールセンター」によって文化庁の芸術選奨文部科学大臣新人賞(芸術振興部門)を受賞する。

3月19日、愛知県は文化庁に対して、「安全や円滑な運営を脅かすような事態が想定されたにもかかわらず、県として文化庁に申告しなかったのは遺憾」とし、不服申立てを取り下げた上で、企画展の再開に要した経費などを除いて減額した上、補助金交付を再申請する。

3月23日、文化庁は、あいトリへの補助金を一部減額した上で交付することを決定する。これは当初の決定である全額不交付の撤回ではなく、あくまでも愛知県の「遺憾」、つまり県が申告ミスを認めたことを受けた再申請に対する処置である。

 

厳密には99パーセントの再開

 

再開のための強力な一手は不自由展実行委員会による仮処分申請だったと思う。これが再開を決定できる大村知事へのプレッシャーになったはず。なぜなら、藤井さんが言っていたように、大村知事から裁判所にその決定権が移ってしまうわけだから。知事自身が再開したというストーリーを作るためには、裁判所命令が出る前に決定しなければならない。しかし、文化庁補助金不交付というより大きな問題が出てきたことで、両者は歩み寄り、和解する。その後、多少もつれるにしてもなんとか不自由展は再開にこぎ着け、ぼくも含めたボイコット組のアーティストたちも同時に展示を再開する。観客には、きっとそれはハッピーエンドに見えたと思う。
でもぼくには、ひとつだけどうしても気になる点がある。10月8日から最終日の14日まで、すべての展示が、本当にあいトリ開幕当初の状態に100%戻っていたのだろうか。

厳密にはそれは実現されていない。指摘していた人がいたのかどうか分からないけど、これは重要な細部だと思う。10月8日も、小田原のどかさんの展示(豊田)は開幕当初の状態にはなっていなかった。ボランティア・スタッフの安全面を配慮して(なぜならこの展示空間は街中での展示のため、警備スタッフがいない)、不自由展の展示中止後、アーティスト自身の自粛によってひとつの写真作品(そこにはソウルの日本大使館前の《平和の少女像》の顔が写っている)だけが撤去されていた(展示の一部自粛の説明文を掲示した上で、その他の展示は継続している)。そしてこの一枚の写真は、10月14日の最終日にしか再展示されていない。やはり安全面への配慮から、アーティスト自身が現場に居られる最終日にだけ再展示するということだったようだ。不自由展にはあれほどの安全配慮があって再開を迎えたのに、あいトリ事務局はどうしてこの豊田の街中会場に警備員を配置できなかったのだろうか。ぼくにはわからない。せめて10月8日からの一週間だけでもよかったはず。それによって、厳密な意味で、すべての展示が回復したと言えたはずなのに。再開後の喧噪の中、こうした細部は気にもされなかった。

 

文化庁補助金不交付と減額交付

 

文化庁による補助金不交付は、萩生田光一文部科学大臣のときに決定されたわけではなく、前任の柴山昌彦氏が関係していたのではないかという見立てがある。萩生田大臣が「トリエンナーレ」という単語を会見で正確に言えなかったことを踏まえると、この見立てはそれほど外れていないかもしれない。大村知事が不服申立を取り下げず裁判になっていたならば、不交付決定のプロセスは開示されただろうか。その議事録は残されていただろうか。

いずれにしても、この決定は文化への政治介入という道筋にお墨付きを与えたし、文化従事者とくに公的資金を使う文化機関、国公立美術館などのキュレーターなどに萎縮効果を与えるだろう。展覧会が始まってからその展覧会を閉鎖に追い込むような脅迫などがあり、「円滑な運営」が脅かされた場合、後出しで補助金/助成金が不交付になる可能性がある。不交付判断の撤回がされていないのだから、これはいまでも有効な前例のままだ。だから不交付のリスクを避けるため、政治的にきわどいプロジェクトや作品はそもそも企画に含めないという判断は今後もありえるはずだ。

その意味では、ReFreedom_Aichiが行った抗議署名に10万人以上が賛同したことは希望でもあると思う。ただ残念なことに、この署名は2020年5月現在、まだ文化庁には手渡せていない。

はたして不交付に対する撤回要求という圧力にこの署名がいまでも効果を持っているのかはわからない。なぜなら文化庁は愛知県に一部再交付を決定してしまったからだ(*6)。大村知事の歯切れの悪い会見を見ればわかるように、それは政治的妥協でしかなかったと思う。愛知県が運営面での問題を認め、文化庁の不交付決定の言い分を飲むことで再交付になったわけだから。大村知事による勇ましい文化庁批判、警備等の手続きの不備を指摘されたことに対して「我々に瑕疵は全くない」という2019年10月時点での言葉と、不当な政治的圧力に対して表現の自由を守るという強い姿勢は、この減額交付というある種の手打ちでもって消えてしまった。

 

芸術選奨文部科学大臣新人賞としての「Jアートコールセンター」

 

高山明さんが文化庁からの芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞したことについて気になっている。選評には以下のように書かれている。

高山明氏は現代社会が抱える問題と深く向き合いつつ、演劇や美術、さらには、芸術という枠組みすらも超え、作品でありながら都市の一機能となるような独自の表現活動を続けている。「Jアートコールセンター」は、あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」が電凸攻撃などで展示中止になったことに応答する形で立ち上げられた作品で、アーティスト自身が電話を通じて市民との対話を重ね、芸術の役割を問い掛けようという行為は、芸術と社会の間に新たな回路の構築を期待させる。(*7)

この評価はまったくその通りだと思う。
気になるのは次の二点。一つ目は、不交付問題について実際に文化庁前でも抗議をしていた高山さんがこの賞を受けたこと。二つ目は、この「Jアートコールセンター」が不交付問題に抗議をしていたReFreedom_Aichiのプロジェクトのひとつであったということ。抗議をしている対象から評価され、それを受け入れてしまったように見えているという点がもやもやする。実際に何かしらの戦略があったにせよ、どのようにこの受賞が見えてしまうのかというそのパフォーマティヴな効果が問題だと思う。

この文化庁の不交付問題は、政治による芸術への目に見える抑圧だったわけだし、「表現の自由」をめぐる問題の本丸だったと思う。多くのひとが未来の文化状況の中で生じる表現の萎縮(とくに社会政治的な表現や問題提起的実践に対するさまざまな効果があると思う)を心配していたし、その未来の「表現の自由」を守ることがこの抗議の本質でもあったはず。だから、この「Jアートコールセンター」が受賞するということは、その批判対象であった文化庁との関係において、問題をめぐる焦点が転倒してしまったように思えてしまう。

高山さんは友人でもあるし、尊敬もしている。本人を知っているからこそ、高山さんが言うような(*8)、文化庁との友-敵関係に収まらない回路を開くためという理由も理解できる。一方的な抗議ではなく、交渉の回路も残しつつ、対話は続けばいいと思う。けれども、そのためには批評的な距離感も必要じゃないだろうかとも思う。ReFreedom_Aichiという文化庁に敵対関係にあったこちら側があちら側に取り込まれてしまったように見えては、むしろその回路が閉じてしまったように感じる。そう思うのはぼくだけだろうか。

ぼくは受賞をめぐる、真の理由もあとから聞いて知っている。宮田文化庁長官は10万人の抗議署名を受けとってくれない、だから贈呈式の場でそれを実現する、というアイデアが狙いとしてあった。理解はできる。コロナ禍で贈呈式が結果的に流れてしまったということは残念だったかもしれない。でもこの受賞によって、遡って先の抗議が空転して見えてしまっていいのだろうか。個人的には、「Jアートコールセンター」の中で電話を取った一人として、そこでの経験も、それこそ電話相手の本気さも(ぼくの担当時に電凸をしてきた相手は最後にはこちらに理解を示した)、不要な細部として吹き飛ばされてしまったような感覚もある。とはいえ、この「受賞」というアクロバティックな判断をきっと高山さんも迷っただろうし、贈呈式でのアクションというアイデアはひとりで決めたものだったのだろうか。

もちろんぼくも文化庁をまるっと批判したいわけではない。不交付手続きの不透明さと、宮田文化庁長官のふがいなさはなんとかしてほしい。でも実際に働いている職員たちは、ぼくたちアーティストの理解者でもある。もしかすると手続きの不透明さと長官の態度に同じような疑問を持ち、板挟みのつらい思いしている人もいただろう。だからこそ、内と外という適度な距離をお互いで保ちつつも、これからも共に闘えるかもしれない可能性もあると思う。

 

いろいろと書いたけど…

 

あいトリの問題はレイシズムをどう解体し、ナショナリズムをどのように再考するのかをめぐるものになるはずだったと前回書いた。それが文化庁の補助金不交付を期に「表現の自由」をめぐる戦いへと発展していった。「表現の自由」ももちろん大切。コロナ禍において集会の自由も移動の自由も強く制限されている中、もう一度それは考えられるべきだと思う。でも、あいトリ全体を通しては、いつの間にか前者の問題は脇に追いやられてしまったと思う。

ヘイトスピーチをめぐる問題については改めて明戸隆浩さんのまとめを上げておきたい。

ヘイトスピーチを規制するということは、誰かが不快になるような表現はいけないので禁止します、ということではないということだ。ヘイトスピーチの核心は「差別煽動」であり、それ自体は特定の個人や団体に向けられたものでなくても、それを聞いた人が特定の個人や団体に被害を与えうる、という点にポイントがある(*9)

「慰安婦像」や「天皇の肖像を焼く」のは日本人へのヘイトだというのは、定義上まちがっている。この二つの作品を見ても、日本人への差別扇動には繋がらない(例えば「日本人は日本から出ていけ」とはならない)。論理じゃなく、感情の問題なのはわかっている。でもひとまずここはもう一度確認しておこう。

さて、ここまでがぼくからあなたに伝えるべき、2019年のあいトリで起きたこと、考えたことのほとんどすべて。あたり前だけど、これはこのぼくの場所から観測したことだから、他のすべての関係者、ぼくのプロジェクトに関わってくれた人たちも含めて、参加アーティスト、キュレーター、スタッフ、ボランティア、それこそ警備員も、そしてその他、挙げきれないけど、それぞれの観測地点からの別々の見え方や考えがある。だからここで書いてきたことは偏っている。

少し付け加えておけば、状況のただ中にあるとき、あいトリのキュレーターたちからの声明やそれぞれの声が広く公開されなかったことを残念に思っている(もちろんSNS等を通して語ってはいたひともいるけれども)。アーティストもディレクターもそのときどきで言葉にしたことで、多くの批判も賛同もあった。どの立場を取るにせよ、キュレーターも同じくそこに立ち、言葉を紡いでほしかった。成功も失敗も含めて、ぼくたちが最大限に学べる場がそこにはあったはずだから。刻一刻と変化する中で考えたことを言葉にすることのリアリティは、その瞬間にしか経験できない。そのときの迷いと恐れも含めて。それらはあとからこの手紙のようにふり返ることができ、時には間違いを認め、次に進む糧になる。

この数通の手紙は過去に届かなかった。それでも、ここで書いてきたことを通してあなたの、あるいは誰かの未来の参考になればと思う。こうした出来事/騒動/事件はどこかでいつかまたくり返される。ぼくはもっと何かできたはずだったと思う。あれが限界だったのかもしれないとも思う。次はどうだろうか。あなたはどうだろう。あなたはどうするだろうか。

田中功起
京都にて
2020年5月


 

1. 「あいちトリエンナーレのあり方検討(検証)委員会」、愛知県ウェブサイト
中間報告では、検証ポイント38「芸術監督の一連の行動と発言にはどのような問題点があったか」に三つの要点についてまとめられている(p.59-60)。いわく、(1)本来業務に関する判断、あるいは組織運営上の問題点、(2)背信とのそしりを免れない行為、(3)ジャーナリストとしての個人的野心を芸術監督としての責務より優先させた可能性。ぼくはしかしこれら三つのポイントについて津田さんを責めることは妥当ではないと思う。なぜならこれらは、あくまでも不自由展が開催されるまでと、閉鎖に至った経緯についての検討/検証だからだ。ぼくは不自由展が開催されるに至った経緯については、津田さんを全面的に支持する。彼でなければできなかったと思う。ぼくが気になるのは、閉鎖を決めたあとどのようにこの問題全体を彼が捉えていたか、そして閉幕後どのように捉えているかの方なんだ。

不自由展実行委員会については以下のように書かれている。「(3)まとめ」の中に「(不自由展の企画と展示の妥当性)」がある。そこには「…出来上がった展示は鑑賞者に対して主催者の趣旨を効果的、適切に伝えるものだったとは言い難く、キュレーションに多くの欠陥があった」(p.86)。続けて「…作品の制作の背景や内容の説明不足(政治性を認めたうえでの偏りのない説明)や展示の場所、展示方法が不適切、すなわちキュレーションに失敗し」(p.87)などと書かれている。しかし、ぼくはこれらの点についても的外れとは言わないまでも、現代美術業界で流通する展示の美学のみを優先させる、ある意味では上から目線の指摘であり、不自由展が持っている政治性を優先させる展示方法のポテンシャルを見誤っていると思う。

2. 「あいちトリエンナーレに対する補助金の取扱いについて」、文化庁ウェブサイト、2019年9月26日
不交付の理由「展覧会の開催に当たり,来場者を含め展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実を認識していたにもかかわらず,それらの事実を申告することなく採択の決定通知を受領した上,補助金交付申請書を提出し,その後の審査段階においても,文化庁から問合せを受けるまでそれらの事実を申告しませんでした」

3. 「補助金不交付、文化庁を批判『瑕疵はない』 愛知知事」、『日本経済新聞』2019年10月16日、日本経済新聞社

4. 「知事記者会見」、愛知県ウェブサイト、2019年10月16日

5. 「『補助金全額不交付は裁量権を逸脱』大村知事 不服申し立てへ」、『NHK政治マガジン』2019年10月23日、日本放送協会

6. 「あいちトリエンナーレ 補助金の一転交付は怪しさだらけ <寄稿>志田陽子・武蔵野美術大教授」、『東京新聞』2020年4月2日夕刊(4月7日ウェブ版公開)、中日新聞社

7. 「令和元年度(第70回)芸術選奨文部科学大臣賞及び同新人賞の決定について」(報道資料)、文化庁、2020年3月4日
芸術振興部門の選考審査員は、新井鷗子(東京藝術大学特任教授)、大友良英(音楽家)、熊倉純子(東京藝術大学教授)島敦彦(金沢21世紀美術館館長)、富山省吾(映画プロデューサー、日本映画大学理事長)、久野敦子((公財)セゾン文化財団常務理事)、吉本光宏(ニッセイ基礎研究所研究理事)である。美術、映画、演劇等、他にもいくつかの分野があるが、芸術振興部門については、他の分野の選考審査員と推薦委員が候補者を推薦できる。選評は上記リンク参照。

8. 「表現の不自由展中止でコールセンター設置、芸術選奨に」、『朝日新聞デジタル』2020年3月4日、朝日新聞社

9. 明戸隆浩「あいちトリエンナーレ『表現の不自由展・その後』をめぐって起きたこと――事実関係と論点の整理」、2019年8月5日


参考文献:
・『あいちトリエンナーレ2019 情の時代 Taming Y/Our Passion』、あいちトリエンナーレ実行委員会/生活の友社、2020年
・『REAR 』44号(特集:Y/Our Statement〔私(たち)の声〕)、リア制作室、2020年

*その他、前回までの書簡で示した参考文献。


近況:
引き続きvimeoでいくつかの作品、プロジェクトを有料公開中(https://vimeo.com/kktnk/vod_pages)。『ゲンロンβ50』で連載「日付のあるノート、もしくは日記のようなもの」が始まり、ウェブサイト「ゲンロンα」でも公開中。

 

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