連載 田中功起 質問する 9-5:杉田敦さんへ3

ゲストに美術批評家・杉田敦さんを迎え、「失敗」をキーワードに意見を交わす今回。やりとりの中で「主体」のとらえ方がフォーカスされる中、田中さんからの最終書簡はアーティストのあり方と、ものごとの「配置」から生まれる何かを改めて考えるものになりました。

往復書簡 田中功起 目次

件名:主体が手放されたとき

杉田敦さま

ぼくはいまLAの自宅にいて、こうして返信を書いています。
今年は展覧会の数は減らしたのですが、少し新しい流れの中に自分が巻き込まれているため、それに対応して心と身体が追いついて行かず、なかなか苦労しています。昨日はFrieze New Yorkのプロジェクトのための打ち合わせがあって、いまはロンドンのICAでのプロジェクトのための電話でのミーティングを待っています、と書くと、ヴェネチアのあと順調にいっているように聞こえるかもしれません。でもぼくはどこかで流されている、ようにも感じています。その流れの中で目の前にやってくる煩雑な小さな判断を数多くこなしている。例えば、展示に使うベンチはその公園にあるものを使うべきか、それとも新しく木で作るべきか、というような。はたしてこの判断が自分をどういうところに連れて行くのかはわかりません。自分の行き先を探るためにも、参考になりそうなものを読み、ひとの話を聞くようにしています。でもそれらの判断を、自分はなにによって決めることができているのかわからなくなります。


ひとつの誕生日ケーキが四人のおじさんに対してシェアされたとき

そうです。杉田さんが書くように、ぼくたちは自分で判断していると思っていながら、それまでに自分が経験したこと、あるいはかつてだれかが判断したこと(その連なりが歴史でしょう)による、集合的な影響によって行動しているだけなのかもしれません。杉田さんは日本館を「田中さんの意志によって始められ、田中さんがいなければ実現することのなかったもの」と含みをもたせて書いていますが、これをぼくが否定することをきっと予想していましたよね。そのとおりです。日本館は「依頼」が出発点であるため、ぼく個人の意志で始められたものでもないし、蔵屋美香さんというキュレイター/コラボレーターとの対話がベースにあるため、ぼくはどちらかというと相補的にこのプロジェクトを実行しました。もちろんそれでも、そこで担保されている作者の位置というものから発生する、ある種の説明責任をぼくはとろうともしましたが。

また震災以後の日本の社会を考え、他者の経験をどのように共有するのか、という課題も蔵屋さんが見出したものです。対話を重ねることで、一緒に考え、ときには同じ展覧会を見て(ドクメンタ13もそうだったし、水戸芸術館の「3・11とアーティスト:進行形の記録」もそうでした)、そこから得られたことを形にしていく作業でもありました。そしてもちろん、このテーマは日本の社会を反映しているわけで、蔵屋さん個人のものというわけでもありません。複数のひとが関わるプロジェクトは、その意味で、どこまでひとりの個人の判断で物事が進んでいったのか、わからないものです。このプロジェクトはまさに集合的な、さまざまな人びとの判断によってできあがったものです。

だけれどもこのようなあり方は、ぼくにとって新しいことではありません。いつもぼくの活動は「依頼」から始まってきました。自主的に何か行動を起こす、というよりも、誰かに声を掛けてもらえたことに対して考え、行動してきました。だからこそ、ヴェネチアのあと、自ら何か行動を起こすべきではないかと思い、はたしてではどうすべきかもわからず、「自主的」であること、能動的な主体について考えています。ぼくからすれば杉田さんやCAMPの井上文雄さん、周りを見渡せば、さまざまな人びとが自分からなにかアクションを起こしている、ように思えていました。自分はなにもできていないなあ、と。しかし杉田さんの議論を敷衍すれば、そうした「自主的」な活動も、まったく個人の中から生じたものというわけでもなく、さまざまな影響関係の中で、集合的に動かされた(自分では動いていると思っていた)と言えるのかもしれません。

集合的な主体も手放してみる?

ただ、ここで問題にしているのは、それらを能動的な行動だと感じるか、受動的なものだと捉えるか、という程度の違いでしかなく、むしろ疑うべきはその中心に据えられている、前提とされている「主体」という考え方そのものなのでしょう。ぼくは、アーティストに備わっているとされる強い個性や作者性というものをいつも疑ってきました。逆に言えば、自由に表現する(していると思っている)アーティストというものがいなくなっても、作品もアートという考え方も十分に存在できるというふうにも思っています。そしてこれは、個人に対する疑いだけではなく、集団についても同様です。アーティスト・コレクティブというものを、複数の声が共鳴しあうデモクラティックな場として期待もしますが、集団そのものも、名前を持ち、ひとつの個性を持ちはじめると、複数の人びとが関わっているにも関わらず、グループとしてのひとつの主体が特権的なものとして形成されてしまう。ひとりの作者というものがさまざまな影響関係の中にその主体を解体されてしまういっぽうで、ひとつの集団にも強い作者性を備えた集合的な主体が構築されてしまう。しかしここでも、問題なのは実際に個人であるのか集団であるのか、ということではないようです。

まずは杉田さんに促されて、主体を手放してみましょう。杉田さんの議論を簡潔にまとめると、ぼくらは字義通りに他からの干渉を受けずに「自主的」には行動できず、強弱の差はあるにせよ、他(他者、状況、経験や歴史)に「依存的」である。自主的な行動と思われたものも、さまざまな他のことの影響のもと/依存のもとに行われる。この場合、能動的/受動的という区分はどうなるでしょうか。おそらく能動的であることも、受動的であることも、等しく、もしくは分けられないものとしてその行動の中に散在すると考えることができます(ランシエールの「解放された観客」の議論を思い出してもいいかもしれません)。ぼくたちは、ものごとや思考を誰かと(あるいはなにかと)さまざまな経験のグラデーションにおいて共有しているとすれば、その複雑な入り組みの中に個としての主体は複数化され/解消され、逆に言えば複数化され、混じり合った個の集合体としての社会がそこに見えてくる。こう考えると、杉田さんが以下に書いたこともすんなりと入ってきます。

「集合的な実践の責任は、主導したアーティストや直接的な参加者だけでなく、強弱はあるとしても、集合的判断を形成した全体に帰されるものではないかという疑問です。そのような場合に初めて、社会的な自省も可能になる。つまり、失敗は誰のものかということです。」

集合的実践の失敗はぼくたちのものである。とすれば、その集合的な実践としての「社会」に、ぼくたちは「参加」しているわけです。ぼくたちはそのようにしてこの社会を考えることができる。今の日本のきな臭い状況は、ぼくたちがそうやって「参加」することによって変えられるかもしれない。

配置を考える

アーティストが何かを始めるわけでもなく、プロジェクトのプロセスの中で、その集合体の中に霧散してしまうとすれば、アーティストは何をそのときしているのでしょうか。杉田さんの問いをぼくなりに推し進めるとそう問えるのかもしれません。これはおそらく技術についても考えることにもなります。

もはやアーティストはなにもしていない、アーティストである必要もない、と言ってしまいたいところですが、ここはもう少し丁寧に見ていきたいとも思います。ひとつの統制された主体(個人であっても、集団であっても)の表現のために、さまざまな素材が制御されて従属させられるというのが、表現者としてのアーティストの活動であったとすれば、主体なきアーティスト(たち)の実践は制御されるどころか方向性も定まりません。成り行き任せ、と書くと否定的な響きもあるのかもしれないけど、一定の範囲が設定されていればそれでいいようにも思います。例えば、一時的な共同体による制作実践を考えるとき、そこではお互いを知らないため、その場でお互いを知ることからすべてがスタートします。複数の乱立する意見があるため、合意は得られず、延々と議論が続きます。でも、仮に締め切りがあれば、それでも何かはできあがる、もしくは残るでしょう。結果が出なくとも、その過程に有意義なものを見出すこともできるでしょう。複数の参加者のいるシンポジウムという形式では、ほとんど結論は出ずに、問題の提起や確認で終わってしまいます。でもそのときぼくらは結論が聞きたいわけではないのかもしれない。

定められた範囲と設定された状況から自ずと導き出されるもの。もう一方でそれは、配置について考えることでもあります。例えばパーティがあったとして、着席と立食では、かなり状況が違います。着席では、誰が隣に座るのか、もしくはそのテーブルにはどういう人たちが集められているのかによっておおかた話題も、雰囲気も決定されてしまいます。立食では移動可能なため、話題も雰囲気も、もし自分に合わなければ多少変化させることができます。つまりその日の出来事はすべて配置によって決定されているというわけです。結婚式の二次会も、展覧会の構成も、シンポジウムの良し悪しも、演劇空間も、雑誌の特集も、すべて最初に設定された配置の状況に左右されます。ならば、最初に場を作り、配置を決めること、それが、アーティスト(たち)がしていることなのではないでしょうか。あとは煩雑な個別の判断をする調整役。

このアーティスト像には、強い作者性は無用です。配置を考えることは、映画の配役を考えるようなもので、それまでにその役者がどんなことをしてきたのか、いまこの役を与えることにどんな意味があるのか、この役者同士を組み合わせたら面白そうだ、というような、いわば履歴と文脈を読む能力が必要になります。履歴と文脈から導き出された判断は、データを分析するようなものだから、集合的なものです。だからここでも強い主体は必要ない。

いや、でもこのように考えることも、アーティストの専制を許し、アーティストの位置をクレジットするための方便にしかならないのかもしれません。

ARTISTS’ GUILD

「ARTISTS’ GUILD」というグループがあります。ぼくも参加しているのですが、ARTISTS’ GUILDは映像/展示機材共有をベースとした集まりで、あまりマーケット・オリエンティッドではないアーティストたちが中心になってはじめたものです。信条を共有したアーティスト・グループというよりは、普段は個々に活動をしている中で、実務的な利害が一致している(つまり高額な機材を共有できる)ために集まっています。ぼくはいままではどちらかというと幽霊会員のようなもので、機材は借りるけど、あまり会議等に参加できず積極的に関わってきたとはいえません。それでもここで考えられていることは理解していると思います。つまりマーケット主導型の世界に対してのオルタナティヴの模索。ぼくもマーケットの恩恵は受けているのでそれ自体を否定はしません。でも別の可能性もあっていいんじゃないかってことが、ここでは実践されています。例えば所有している機材を利用し、展覧会の記録撮影を行うなどして、いわば外注業者として経済活動に参加する。

先ほどまでの文脈に接続すると、ARTISTS’ GUILDはまったくばらばらなアーティストたちが、実務的な利害の一致によって集まっているという点において、多様な「配置」のされ方をしています。会議に参加してみると、参加アーティストたちはまったく意見が違うためなかなか先に進みません。方向性も見えにくい。でもそこでじっくりと話し合われることによって確認されることもある。そこにあるのは個性のある集団としての主体ではなく、そこに参加しつつもばらばらなままの集合の形成です。考え方がばらばらであっても、機材共有という身も蓋もない現実的なこと(生活と言ってもいいかもしれません)がメンバーをつなぎ止めているからです。

やっぱりうまく書けていません。ただ、失敗や自主的/依存的、集合などを通して問われるべきことは、結局はやはり、アーティストというあり方なんだ、という入り口にたどり着いたように思います。もう次回が杉田さんからの三通目の返信になり、この場でのやりとりは終わりになりますが、この問題、もっと考えるべきことがあるように思っています。このあともしばらくお付き合いください。

田中功起

2014年2月 ロサンゼルスにて

近況:今年はFrieze New Yorkでのプロジェクト、夏にICA(ロンドン)とVan Abbemuseum(アインホーベン)、秋にはMarres: House for Contemporary Culture(マーストリヒト)、Ateliers de Rennes 2014(レンヌ)での グループ展にそれぞれ参加します。あまりヨーロッパでは展覧会をする機会が少なかったのですが、この地方巡業を通してどんな感じなのかを探ってみます。

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