連載 田中功起 質問する 7-5:片岡真実さんへ3

田中さんが森美術館チーフ・キュレーターの片岡さんと、「日本とアジアのアート」を語る今回の往復書簡。片岡さんからの前便では、アジアのキュレーターの課題について、自身の経験の中から生まれた想いが語られました。今回は田中さんが、片岡さんの手がけた最新展覧会での体験を、自らの中にあるキーワードへとつないでいきます。片岡さんとのやりとり、田中さんからはこれが最後の手紙であり、「質問」となります。

往復書簡 田中功起 目次

件名:見えないこと

片岡真実さま

先日は、といってもたいぶ時間が経ってしまいましたが、久しぶりにサンフランシスコでお会いできてよかったです。展覧会もゆっくりと解説していただきながら見れたことはとても楽しい経験でした。思い出してみても、担当のキュレイターに自らの展示をかなり詳細に解説していただきながら、いっしょに見て回るっていままでにない体験でした。もちろんギャラリー・トークには参加したことありますが、この場合はどうしても断片的で発話者はあくまでも不特定多数の誰かに向かって話しています。こちらはより総合的で子細でなおかつ親密な感じでした。


ローマで見つけた、1988年から占拠(occupy)されている椅子。

問いの変換

前回の返信、とても貴重なお話をありがとうございました。片岡さんの個人史を辿りながら、片岡さんが僕の前回の問いかけ(キュレイターに課せられた二重性)を、その都度どう捉えてきたのかを確認することができました。ぼくの問いをより普遍化すれば、それはローカルな問題とグローバルな問題の齟齬に対して、どのように自分の中で折り合いを付けるのかということでもあります。おそらく片岡さんはオペラシティや森美術館、ヘイワードでの経験を通して、実践的にこの二重性に関わることで解消してきたのでしょう。その意味では、ぼくが齟齬として捉えたこの問いは片岡さんの中ではおそらくそもそも齟齬としてあったわけじゃなかったのかもしれません。返信の中で、「自分とは何か」という基底的な問いへとぼくの問いは変換されましたが、このとき齟齬はひとつの普遍的な問題となることで解消されていますよね。

片岡さんが言うように、ぼくらは結局のところ、自分がいまいるこの場所、その立ち位置からはじめることしかできません(”you can only start from where you are”)。このフレーズにはとても共感します。自分がいまいる場所というのは、自分がいままでしてきたことによって導かれた場所でもあります。さまざまな小さな判断の積み重ねが導いた場所、ぼくもまずはそれを受け入れることでこの自分を組み立ててきました。そしてその中には自分が影響を受けたものや考えたことあるいは逡巡などが複雑に絡み合っています。そこにはもちろんローカルな問題もグローバルな問題も同じ価値をもってうごめいている。その意味では、ぼくらは二つの立場に引き裂かれているわけではなく、「この場所」からその外へ向かって物事に対処しているわけですよね。ここに立てばそれは齟齬ではなく、多層的であるにせよ、ひとつの問題として立ち現れてくるということでしょう(*1)

見えないこと

まずは最初にサンフランシスコ、アジア美術館での展覧会「Phantom of Asia」を見ながら思ったことからはじめてみます。前々回の片岡さんの返信のときに、実は日本人の参加アーティストの名前を見て少し違和感を感じていました。でも実際の展覧会の中では感じることがありませんでした。単なる名前の羅列から受ける印象は、それらアーティストたちの作品群がひしめく展覧会のイメージです。もちろんこの企画は日本人のアーティストだけが参加する展覧会ではないし(おそらく杉本博司さんは展示コンセプトの中核にあるとは思いますが)、アジア美術館のコレクションも大きな役割を担わされています。コンテンポラリーのアーティスト・リストだけを眺めていてもイメージできないより大きな展覧会の枠組みが美術館の中では展開していました。

展覧会は、コレクションから選ばれた作品群とともにアジア各地のコンテンポラリー・アーティストの作品が展示され、企画展示室以外の広大なコレクション・フロアの中にもコンテンポラリーの作品が介入的に展示されていました。一緒に会場を歩きながら片岡さんの口から「これはシンガポールのアーティストの作品で、こっちが13世紀のチベットの~」と聞く度に、普段、自分が見る展覧会よりも広範な年代差に驚きましたが、共有されるコンセプトをベースにして、時代や地域を越えて縦横無尽にコレクション同士のつながりが示され、コレクションとコンテンポラリーの作品が結びつけられていました。

セクションは4つ。「アジアン・コスモロジ−」「ワールド、アフターワールド」「神話、儀式、瞑想」「神聖な山々」。分かりやすい例を挙げれば、韓国で17世紀に描かれた閻魔大王の絵と、Araya Rasdjarmrearnsookが死者たちを前に死についてレクチャーするビデオ「The Class」(2005)が並置されるといったように。そしてその先には山本高之さんのワークショップをベースにした作品「What Kinds of Hell Will You Go」(2012年)のサンフランシスコ・バージョンが展示されていました(参加者である子供たちは、自分たちが考える地獄を作り、その地獄がどういうものであるのか、誰のためのものであるのかといったディテールをその後に解説する)。

もちろんそれはアジア美術の展覧会なのですが、個人的に気になったのはそれが単にアジア的な意匠が印象に残るという展示ではなかったという点です。韓国の閻魔大王は宗教観の表象ですが、「The Class」はむしろ文化的な慣習と死生観(タイでは死者をしばらくの間自宅に安置する)が作品のアイデアの元にあり、「What kinds of Hell Will You Go」は子どもによるユーモラスで大胆な死生観が記録され、大人であるぼくらとの相違点、共通点がそこに見出され、文化的、世代的な差の問題も含んでいる。この世界と死後の世界というものが、それぞれの作品を通して多層的に捉えられています。そして死生観はアジアだけの問題ではなく、より広域の文化圏へと拡張可能でもある。

聖なる山、須弥山(Mount Meru)などをめぐる、意匠的な繋がりで選ばれている作品群もそこにはありましたが、アイデアがどう表象されてきたかという問題以上に、何が描かれなかったのか(山ごもりをするムハンマドの顔には白い布が描かれ、顔は描かれていませんでした)、見えない、不可視の世界がここでは中心的なテーマとしてパラフレーズされていました。

見えない関係

そしてこの「見えない」ということは、最初の片岡さんの返信で少しだけ触れられていた、「関係性の美学」はアジアの文脈でも再検証されるべき、と書かれていたことにもつながりそうです。最近の、コンセプチュアリズムや「非物質化されたアート(dematerialized art)」の再評価からパフォーマンス・アートへと接続される流れには、その場限りであることやまさに見えないことそのものがテーマとなって現れてきています。ライアン・ガンダーやニナ・バイエ、サイモン・フジワラなどをここに挙げてもいいですが、アジアで言えば展覧会にも参加していたヒーメン・チョンや山本さんもそうだろうし、来年のヴェネチア・ビエンナーレの香港代表に決まったリー・キットや、パク・シュウン・チュエン、橋本聡さんや森田浩彰さんなどもそうでしょう。あるいはもっと拡大すれば、CAMPblanClassの活動そのものもここに加えてもいいかもしれません。

視覚重視のアートがその視覚性を疑い出したのはいまにはじまったことではないですが(はじまりはデュシャンですよね)、間主観的である「関係」そのものを形式として取り出したニコラ・ブリオーのアイデアは、アジアではぐくまれてきたコンテンポラリー・アートとの関係の中でどのように再考される/再構成されるべきでしょうか。最後の返信ではそのことをお聞きしてみたいです(*2)

田中功起 2012年7月 ロサンゼルスにて

  1. ぼくはどちらかと言えば強い意志をもってなにかを求めてきたというよりも(学生の頃はそれが強かったですけど)、ある時期以降はほとんどなりゆきに身を任せてきたところがあります。もちろんその場その場での判断はしていますが、流れの行き着く先が見てみたいというのもあります。

  2. 本当はヴェネチア・ビエンナーレ日本館のことに触れるべきかもしれませんが、それについてはまた別の回にと思っています。というのも、まだ何もできていないプラン段階ではあまり有効な議論ができそうにないだろうと。もう少し具体的に物事が見えてきた段階で、具体的な話をすべきかなと思っています。

近況:ロサンゼルスでは「MADE IN L.A.」(ハマー美術館)に参加しています。また今年は秋に東京都現代美術館のアニュアル展に参加するため一時帰国します。

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