連載 田中功起 質問する 17-1:2019年7月30日のあなたへ

第17回(ゲスト:田中功起)―過去との往復書簡 あいちトリエンナーレ2019の、渦中のひとに向けて

今回は、現在の田中さんが過去の自分、すなわち「あいちトリエンナーレ2019」参加前後の田中功起と書簡をやりとりします。「あのとき」と「いま」とが交わる思考。それは、未来の誰かへの手紙でもあるかもしれません。

往復書簡 田中功起 目次


 

件名:徴とほころび

 

2019年7月30日のあなたへ

まずはこのような手紙を受け取ったことをあなたは驚いているかもしれない。ぼくは2020年1月にこれを書きはじめている。いまあなたは、名古屋でこの手紙を読んでいることでしょう。7月30日、あいちトリエンナーレ2019(以下あなたも略称を使っていたと思うので「あいトリ」と書く)の関係者オープニングが行われる前日。あなたはこのあとに起きる事態をどのくらい予想していただろうか。いま覚えているのは「表現の不自由展・その後」のセクションを準備中に見に行ったこと。そのときは確かまだ作品たちは展示されていなくて、むしろ気になったのは隅に置かれていたたくさんの資料ファイルだった。会期が始まったらゆっくりとそのファイルに目を通したい(それは結果的にできなかったけど)、そんな風に思っていた。

 


あいちトリエンナーレのオープニングに向けて展示準備中(2019年7月7日)

 

ぼくはこれから、あいちトリエンナーレの期間中に起きたこと、それについて考えたことをあなた宛に書いてみようと思う。この手紙を読むことであなたの行動が変化し未来が(少なくともあなたのいる可能世界は)変わるかもしれない。そのために有益な情報を与えられればと思う。おそらくあなたがまず知りたいことは、これから起きる出来事の流れだと思う。まずはそこから書いてみよう。事実とともに、ぼくがその最中に得た情報や、あとから知ったことも交えて書いてみることにする。ひとつ気をつけておいてほしいのは、それでもこれはあくまでもぼくのバージョンだということ。ぼくらは結局のところ、自分の見たいものしか見ていない。だからこの情報を持った上で、最後は自分で判断してほしい。

最初に断っておくけど、これから書くことは、ReFreedom_Aichi(と、いきなり書いてもそれが何を意味するのか、現時点でのあなたには分からないはずだ。ひとまずはアーティストのグループだと思っておいてほしい。後に詳しく書く)が作ったウェブサイトに掲載されているタイムラインと自分のメモを照らし合わせて、必要な情報を取捨選択して書いていく。

 

クロノロジー1 7月31日から8月6日まで

 

7月31日、あなたにとっての明日、プレス/関係者向けの内覧会が行われるわけだけど、この日、朝日新聞でキム・ソギョン/キム・ウンソン《平和の少女像》があいトリ内のひとつのセクション「表現の不自由展・その後」(以降は「不自由展」と書く)に出品されることが報道され、これによってあいトリ事務局に抗議電話が殺到することになる(その数は展示中止まで加速する)。8月1日には松井一郎大阪市長がこの展示セクションを問題視し、河村たかし名古屋市長に確かめるとツイートをする。

「抗議電話」と書いたが、この背景には、もちろんここ10年ぐらいの間に日本の中で表面化してきた、人びとによるヘイトがある。対象になった《平和の少女像》は1930年以降から太平洋戦争まで存在した、旧日本軍による「慰安婦」制度、その性差別への告発がベースとなっている(会期後半に向けて大浦信行《遠近を抱えて Part II》への抗議が増していくんだけど、それはまたあとで書こう)。このあとつづいていく政治家による歴史修正/歴史否定の発言は、何度でも批判されるべきものだと思うけど、これらについては一連の騒動の中で大きな声を上げる関係者が少なかったと思う。だからこの点をまずは忘れないでほしい。

8月2日、午前9時頃、愛知芸術文化センターに「大至急撤去しろや、さもなくば、うちらネットワーク民がガソリン携行缶持って館へおじゃますんで」という脅迫FAXが届く(後に送った犯人は一般の会社員だと判明し逮捕される)。もちろんこれは直前の7月18日に起きた京アニ事件を模している。同日午前、菅義偉官房長官が記者会見であいトリへの補助金について「精査したうえで適切に対応していきたい」と発言する(これが後の不交付の伏線になるんだけど、いまのあなたにはなんの話かわからないだろう)。午後、河村市長が「表現の不自由展・その後」を視察し、展示中止と《平和の少女像》の撤去を要請。「どう考えても日本人の心を踏みにじるもの」とメディア向けに話す。あなたはこの日10階の会場にいて、社会学者の明戸隆浩さんからその様子を聞くことになる。

8月3日、午後5時の臨時記者会見で、大村秀章愛知県知事(あいトリ実行委員会の実行委員会長)と芸術監督である津田大介さんが「表現の不自由展・その後」の展示中止を発表する。この日、展示中止を「検閲」であるとして、一般社団法人日本ペンクラブが声明を出したり、「表現の不自由展・その後」実行委員会も抗議声明を出す(これ以降の多くの団体が「表現の自由」と「検閲」をめぐって声明を出す)。

8月5日、イム・ミヌクとパク・チャンキョンが展示中止を申し出で、翌日8月6日から展示室を閉鎖し、「検閲」への抗議としてステートメントを張り出す。ちなみに津田さんはラジオ「JAM THE WORLD」の中で「検閲というよりは、文化・芸術に対するテロの問題です」と発言する。実際、津田さんは右派市民らの暴力に対して、その対応に当たった職員やスタッフが疲弊していることが展示中止の理由である、ということをこのあとくり返し話している。しかし、それを「テロ」という大きな言葉で同時に語り始めていることも覚えておいてほしい。ちなみに電話対応現場を間近で見ていたあいトリ参加アーティストの二人から、それがいかに過酷であったのかをあなたは聞くだろう。

8月6日、午前、参加アーティスト(現代美術だけでなく、パフォーミングアーツ、音楽、映画、そして表現の不自由展参加アーティストも含む)のうち72組が、連名でステートメントを発表する(署名は増加し、8月30日までにリストは88名となる)。

 

キュレーションの問題 ひとつ目の徴 会場構成

 

まず前触れというか、兆候のようなものについて書いてみようと思う。現在のあなたも、もうすでにその徴を感じているはず。それは、あいちトリエンナーレという組織体についてのこと。ぼくはオープニング間際、「不自由展」とはまったく別の要件でもめていた。ひとつは音環境の問題、もうひとつはプレスツアーでの体験。

ぼくの展示は愛知芸術文化センター10階の愛知県立美術館の一室だった(大きなスペースが与えられていたよね。これはあなたの可能世界でも同じかな)。ひとつ前の展示室は村山悟郎さんのインスタレーションだった。村山さんの担当であったキュレーターチームのひとり、鷲田めるろさんからはオープニングのときにパフォーマンスが行われることを知らされていて、大きな音が出ることも事前に聞いていた。そのドラムの音が大きいことが現場で確認され、2回行われるパフォーマンスの時間帯は、ぼくと村山さんの空間を仕切る扉を一時的に閉じることになった。ちなみに8階も10階も、観客はひとつの入り口から入り、そのまま出口まで一筆書きのように空間を移動するように想定されていたから、一時的とは言え扉を閉めることには多少の交渉が必要でもあった。ぼくの担当であった相馬千秋さんはパフォーミング・アーツ部門のキュレーターだったけれども、ぼくと藤井光さん、キュンチョメの展示も担当している。だから相馬さんと相談しつつ、鷲田さん、そして村山さんとも調整が行われた。ここまでは通常、グループ展のような複数のアーティストが参加する展覧会ではよくある調整にすぎない。

しかし、そのパフォーマンスの記録映像(と音)が会期中も流れ続ける、ということが分かった。つまり、一時的に扉を閉めるだけでは対応ができないことが判明する。そもそもぼくの会場には複数の映像が流れていて、それぞれが会話中心であるため、言葉がしっかりと聞こえないとなかなか理解が難しい。だから、ドラムの音がときどき流れる度に聞き取りにくくなることを解消するため、扉を閉め簡単な防音処理をすることを提案した。これによって観客の動線が変わり、観客は村山さんの展示を見たあといったん美術館内の無料ゾーンに戻ることになるので、次の展示室に入るためには改めてチケット確認をするカウンターの設置が必要になる。だからかもしれないが、鷲田さんから示されたのは村山さんに確認して音量を下げてもらうということだった。これはおかしな提案だと思った。双方の作品の状態は保全されるべきだ。いずれかのアーティストの作品を変更するのではなく、展覧会の動線を変更することが妥当だとぼくは思い、少し強引に交渉を進めた。結果、音量はそのままで扉を閉め、防音処理をし、新たにチケットの確認カウンターを設けることになる。

ここで一つ疑問が浮かぶ。あいトリの会場構成において、作品にとって大切な音環境を壊してまで(音が干渉し合うように配置する/もしくは一方の音量を下げる)、動線を保つべき深く練られたキュレーションがそこにはあったのだろうか、ということ。

現場担当者からこのような話を聞いた。8階は準備期間が短いから、比較的展示がしやすいもの、10階は準備期間を長くとれるから込み入った展示が多くあると。もちろん、それでも8階にある作品のいくつかはとても込み入っている施工もあったから(ミヌクやタニア・ブルゲラなど)、一概には言えないだろう。でも内容面での繋がりや配置、相互作用、暗がりや音、空間的な連続性もしくは非連続性は、どれほど考え抜かれていたのだろうか。そもそも、キュレーターチームはどれほど担当以外の個々のアーティストのプロジェクト/作品について理解していたのだろうか。そこには、安易な配置もあったのではないだろうか。例えば若手は廊下や狭い空間、街中の展示へと追いやられてはいなかったか。

 

キュレーションの問題 二つ目の徴 担当制

 

キュレーションの齟齬があいトリにはある、と思わされたもうひとつの出来事を書いてみようと思う。ぼくはプレスツアーのときに自作について自分で話した(あなたも明日、プレス向けの配布プリントを自分で用意し、短めにポイントを解説することになる)。いや、ぼくはプレスツアーのとき自分のところにしかいなかったから他のアーティストたちがどのようにしていたのかを知らない。基本、あいトリのプレスツアーは、キュレーターチームが手分けして、各会場を回りながらそれぞれの展示について簡単に説明するという形式だった。しかし、ぼくが言われたのは「田中さんの展示はまだ見れていないので、もし田中さんが話せるならば自作についてプレス向けに話してほしい」ということ。まあ、それは100歩譲っていいだろう。キュレーターが話したあとにアーティストが紹介されて一言話すって機会がいままでもあったし、そのキュレーター不在で話すというのも笑い話としておもしろいし。

ここで問題なのは、「担当制」による縦割りによって、誰も全体を把握していないということ。自分が担当する「私のアーティスト」の作品は分かっていても、それ以外は担当ではないから把握する必要はない、という意識がすべてのキュレーターに顕著だったと思う。それでもチーフキュレーターの飯田志保子さんは全体を把握しようとしていたはずだけど(以下に書くようにディレクターが直接に担当するという謎枠もあったから、そこはどうなっていたのかわからない)。少なくともキュレーターチームは、たとえ担当で分かれているのだとしても、自分がチームとして企画している展覧会なのだから、どのようなアーティストがいて、どのような作品なのか(せめて概要だけでもいいから)分かっていてほしかった。

そしてできることなら展示準備をしている担当外のアーティストたちにも、労いの言葉のひとつでもかけるべきではなかったか(鷲田さんは自分の担当のアーティストを連れて会場を回り、準備をしている別のアーティストの紹介をしてくれていた)。この点は津田さんにも言えると思う。おそらく彼は国内のアーティストには声を掛けていたように記憶しているけど、自分が選んだ、世界各地から愛知に展示準備にやってきたすべてのアーティストに声を掛けていただろうか。もちろんそれをアシストするのはキュレーターチームだから、津田さんだけの問題ではない。ちなみにキュレーターのひとりペドロ・レイエスはタニアと共に展示準備中ぶらぶらしていて、あいさつできたけど、彼も、他のアーティストに言葉をかけていただろうか。

担当制は運営上、良くあることなのでそこが問題ではない。むしろそれによって運営が回りやすくなり、ディレクターやチーフキュレーターが束ねやすくなる。しかし、キュレーターチームとディレクターである津田さんの関係性があまり良好ではない、ということを事前に知っていた。展示準備期間中の状況はかなり奇妙で、同じ展覧会に参加しているというよりも、それぞれのブースに搬入している別々の業者(いや、実際そういう立場なんだけど)として、ぼくは振る舞っていた。担当で完全に分かれていることが意識され、同じ展覧会のはずなのに、別々の派閥に所属しているような、すでに崩壊の徴がそこにはあったと思う。

さらには、これは後に知ることになるけど、担当キュレーターさえいない、ディレクターが直接に担当するアーティストが複数いて、それも国際展がはじめてのアーティストたちがほとんどだったという。いや、それならばむしろより手助けがいるだろうから、担当が必要だろう。キュレーター側から担当を拒否したという話も聞いた。個々人の仕事量には限界があるのもわかるけど、いままでのあいトリでもディレクターが直に担当することがあったから、今回もその方法が採用されたのかもしれない。これは改善すべきことだと思う。

会場構成のずさんさも、担当制による溝も、それらは何も起きなければ、大きな展覧会ではよくある話なのかもしれない。

 

最初のリアクション

 

ぼくが経験したそうした些末な出来事の背後では、「不自由展」についての抗議電話が鳴り響き、電話対応の職員たちは疲弊し、津田さんと大村知事は展示中止に向けて会議を重ねていた。もう記憶が曖昧になってきているけど、8月1日か8月2日の時点で高山明さんと立ち話をしたと思う。これはどういう展開になるのだろうか、展示中止もありえるんじゃないか、というような内容。藤井光さんや小泉明郎さんとも軽く話した気もするけど、覚えていない。そして8月3日に「不自由展」の展示中止が決定する。ぼくはこの時、豊田市エリアを見に行こうと移動中で、中止決定の一報の入る直前、津田さんがどのような判断をしても応援する、という内容のツイートをしている。

LINEの履歴が残っているから覚えているけど、午後5時33分、ぼくのプロジェクトのライン・プロデューサーとしても入ってもらっていた大舘奈津子さんがLINEグループ(大舘さん、藤井さん、小泉さん、高山さん、そしてぼく)を作り、ステートメントの草稿作りがはじまる。ぼくはひとまず必死になって当日の午後11時半ごろまでにたたき台を書いた。あんなにも必死だったのは、この状況に対して多くのアーティストがボイコットを行い、あいトリ自体が崩壊してしまうことを止めたいと思っていたからだった。ばらばらになる前に多くのアーティストが賛同するプラットフォームの作成が必要だと思ったし、そのためにはひとつの声明の中に多くのアーティストの声が含まれるようにすべきだと考えた。みなで手分けして参加アーティストたちの連絡先をまとめ、意見を聞き、それに合わせて文面を変え、編集する。Google docsのオープン・プラットフォームにそれぞれの意見を反映させて、複数人でリアルタイムで文面を整えていく。

多くの意見が分かれたのが、津田さん(と運営側)に対する批判を盛り込むかどうか(盛り込まれていない)、政治家の名前を具体的に示すかどうか(示していない)、「不自由展」中止に対して積極的な態度を書くかどうか(以下に引用がある)であった。調整によってできあがったものは、悪くいえば具体性を欠き、良くいえば理念的なものになったと思う。

 

整合性についての後悔

 

このような初動の中で、何が正解だったのかはわからない。結果的には、のちにReFreedom_Aichiとして活動するアーティストたちの一部はこのステートメントにサインしていない。ひとつの理由は、運営に関わっている職員やスタッフの安全が第一であり、その連帯を示すことが重要で、「不自由展」継続を強く求めるのは、その判断に反するということであったと思う。8月5日に、津田さんから参加アーティストたちには経緯を説明する手紙が配られている。そこには電凸や脅迫よって職員やスタッフが疲弊し、安全が脅かされている、ということが中止の理由だと書かれている。それは事実だったと思う。この「情」を揺さぶる手紙に多くのアーティストたちが理解を示したのも確かだ。ただし、これは日本語で配布された。英訳版は遅れて配られるが、このような感情的な文章が「海外」のアーティストたちに理解されたとは思えない。運営側の問題と展示中止は、別の問題系であると捉えられていたはずだ。「海外」をカギ括弧に入れたのは、このあと「国内」と「海外」という二分法でアーティストたちの対応がおおざっぱに分けられ、SNSやメディアの中でも使われ始めるからだ。急ぎここで確認しておけば「海外」にはスペイン語を主に話す南米のアーティストたち(タニヤ、ハビエル・テジェスなど)、韓国のアーティスト(ミヌク、チャンキョン)、シンガポール(ホー・ツーニェン)、オーストリア、スイス、アメリカ、南アフリカなど、複数の地域にまたがる。それに必ずしも出身国に住んでいる人たちばかりでもないし、活動地域もそれぞれに異なるだろう。これは「国内」のアーティストにも言える。だから一概には言えない。

少し話がそれたけど、翻訳による遅れ、それによるコミュニケーション不足は、今回のあいトリの中でさまざまな問題の原因にもなっている。

それとともにこのフェーズにおいて、ぼくはひとつだけとても後悔していることがある。だからここはあなたもしっかりと覚えて対処してほしい。アーティスト・ステートメントは日本語から英語、中国語、韓国語にそれぞれに翻訳されている(友人知人のボランティアによってこれは行われた)。この中の、日本語と英語に若干の、しかし重大な齟齬がある。以下を見くらべてほしい。

「私たちの作品を見守る関係者、そして観客の心身の安全が確保されることは絶対の条件になります。その上で『表現の不自由展・その後』の展示は継続されるべきであったと考えます」

「We believe that all precautions must be taken to ensure the mental and physical safety of the exhibition staff and visitors. We insist that “After ‘Freedom of Expression?’” should remain on view on that condition.」

日本語では「展示は継続されるべきであったと考えます」と婉曲表現をもちいている。素直に英語にするならば「考えます」を「would think」とかにするかもしれない。しかしここでは「insist」(強く要求する)というかなり強い表現があえて選ばれている。「安全性が確保された上で、展示の継続を強く要求します」と日本語ならば書くだろう。

このステートメントは、この求めの一点において本当は成り立っている。展示中止直後だから「継続」の要求だけど、つまり展示再開の要求である。日本語は、それでもここがかなり「ぼんやり」している。でもここが曖昧でないと、署名ができないという日本のアーティストもいた(そのアーティストは結果的に署名していない)。英語が「insist」になっているのは、英語話者のひとりのアーティストが、このステートメントを細かくみて、この単語をここで選ばないかぎり意味がないと伝えてきたことによる。

ここに引き裂かれがある。だからあなたには言っておきたい。もう1日か2日遅れても、整合性をとるために、納得をしないそれぞれのアーティストと話し合うべきだったと思う。これはとても重要な要求の部分だ。相互理解の部分だ。そうしたひとつのほころびは、結局、筋を通せなかったという、うしろめたさをあなたに残す。ぼくはあなたにはそんな気持ちになってほしくない。このあと相対的にこのステートメントの強さ、価値は薄れていく。ならせめて、整合性がないと意味がない。

そしてあなたも、崩壊を止めようという方向ではなく、もっと別の行動をとる。まずはここまでを託す。

田中功起
京都にて
2020年1月から2月にかけて

 


近況:近々ではベルリン映画祭での上映、また今年はアート・ソンジェ・センター(ソウル)での個展ともうひとつ、ビエンナーレ(まだ公表できない)に参加します。

 


参考文献:

「表現の場、奪われた作品展 日韓論争の少女像、九条の俳句… 愛知の芸術祭であすから」、『朝日新聞』2019年7月31日付(最終閲覧日:2020年2月9日)

「表現の不自由展に脅迫ファクス送った疑い、会社員を逮捕」、『朝日新聞』2019年8月8日付(最終閲覧日:2020年2月1日)

津田大介「あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」に関するお詫びと報告」(最終閲覧日:2020年2月9日)

・アーティスト・ステートメント あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」の展示セクションの閉鎖について 日本語英語

あいちトリエンナーレのあり方検討委員会 第3回会議 議事録、2019年12月18日付(最終閲覧日:2020年2月1日)

ReFreedom_Aichi公式ウェブサイト(最終閲覧日:2020年2月1日)

・「特集 あいちトリエンナーレ・その後」、『新潮』2020年2月号、新潮社、2020年

・岡本有佳、アライ=ヒロユキ(編)『あいちトリエンナーレ「展示中止」事件』、岩波書店、2019年

 


【今回の往復書簡ゲスト】
たなか・こおき(以下、「あいちトリエンナーレ2019」作家解説より)
1975年栃木県生まれ。京都府拠点。「複数の人間が、過去、現在、未来において、ある出来事や経験を共有することは可能か」という問いをめぐり、記録映像やインスタレーションの展示、テキストによる考察、トークや集会の企画など多様な方法で探求している。撮影のために組織される仮構の共同体で生じるズレや失敗も含め、個人や集団の営みを凝視し、その内と外にある社会、歴史、制度を含めた考察そのものを作品の一部として開示。その根底には、現代アートを取り巻く既存の枠組みや制度を検証し、再定義しようとする批評性が貫かれ、作品制作と並行して執筆や言論活動も精力的に展開している。

 

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