連載 田中功起 質問する 8-2:西川美穂子さんから1

今回の往復書簡は、田中さんも参加する『MOTアニュアル2012』展の企画者・西川さんとの意見交換。実はこのやりとり自体が、同展での田中さん出品作でもあります。ひとつの展覧会を舞台に、企画する側と参加する側、また、依頼する者とされる者という関係をゆさぶる中で、展覧会/企画者/参加作家の関係を改めて問う田中さん。今回は、西川さんからの最初の返信です。

往復書簡 田中功起 目次


今回この往復書簡自体が『MOTアニュアル2012』展の田中功起・出展作品になります。

件名:風が吹けば八百屋が儲かる?!

田中功起様

予測し期待したことでありながら、「やられた」という若干の想いがすでにしています。展覧会の出品作となるこの往復書簡に、展覧会の企画者である私自身が参加しているのですから。私が用意した場とは異なる場が功起さんによって作られ、企画者と参加作家の立場が転倒している。今回の『MOTアニュアル2012 風が吹けば桶屋が儲かる』(以下『桶』展と略す)では、そのように既存の枠組みを超えた場の拡張が行われればと願っていたので、それを実践してくださったことが率直に嬉しいです。それにしても、参加者として期待に応えなければならない立場というのは、ドキドキするものですね。今回この往復書簡に招待されたことで、表舞台に出る側の緊張感という味わったことがない感覚を知り、作家さんの気持ちが少しわかったような気がします。

もし、展覧会の企画者と参加する作家との間に、功起さんが指摘する「依頼する側とされる側」という非対称な関係があるのだとしたら、私はそれに居心地の悪さを感じます。だからこそ、功起さんからの依頼により、こうして協働のスタートラインに立てることをありがたく思うのです。ただ、キュレイターと作家との関係が、本当に非対称と言えるかはわからないですけれども。というのも、キュレイターが作家を展覧会にお誘いしたとしても、必ずしも参加していただけるとは限らないですし、断る自由は作家の側にあるのですから。それでも今回、功起さんにこの場を作っていただいたことでevenな関係が生まれたことを実感してもいて、それはキュレイターと作家との関係が非対称とまではいかなくとも、互いに入れ替わることはない、固定した関係だということを示しているとも言えます。今回は、いつもと違う状態が起きていることは確かで、功起さんが開けた風穴から吹く風を心地よく感じています(*1)

「名づけられないもの」にも、展覧会という枠組みは有効か?

功起さんをこのたびの『桶』展にお誘いしたのは、展覧会という枠組みを問い直してみたいと考えたからでした。展覧会は空間と時間に縛られた制度ですが、それを核としながらも、もっと拡張することができるのではないか。閉じられた制度の外側の体験を創り出すことができないか。という想いがありました。「展覧会には会期があるけれども、それに縛られないことができたら面白いよね」というようなことを昨年ご帰国された際にお話したように思います。

そのように、今回の『桶』展は、会期や場所という美術館や展覧会の制度への懐疑から始まったものの、実際に展覧会を創っていく中で、それらの枠組みが機能する部分があることも感じています。少し話がずれますが、功起さんからの『桶』展出品作についてのいくつかの提案の中で、出品作家に加え、プロジェクトの出演者や撮影者など、参加したすべての方のお名前を同列に並べて書くというものがありました。これも、作家とキュレイターとの関係における限定された役割分担を転倒あるいは拡張させる提案だったわけですが、その時の私のお返事は次のようなものでした。「今回、他者の介在をテーマとするわけで、作者とは何かという懐疑とともに、主客の別を超越した作品として皆さんの作品をとりあげたいと思っています。いわば『名づけられないもの』をとりあげていくことになるでしょう。しかし、同時にアーティストの名前は『この人とこの人の考えていること、やっていることをとりあげています』ということを伝える意味で必要になってくるように今は感じています」。


『桶』展のポスターは、参考図版の代わりに作家によるテキストを掲載しました。
ポスターデザイン:立花文穂

当初は、『桶』展の7組の作家同士が一緒に作品を創ることになるといった大きな越境が起こる可能性も想定していました。しかし、結果としてそのようなことは起こらず(作品として意識的に作者の枠組みを換骨奪胎している作家もいますが)、私としても、それぞれの作家がすでに作品の中で、制度的なものからの逸脱を試みている中で、それを十全に見せることが重要であり、無理に越境させる必要はないと思いようになりました。参加作家は皆、複数のメディアを用いながら、いかに非モニュメンタルに、しかし生きた体験を創り出すかということを懸命に考えていると思います。その際、どうしても複雑な方法を取らざるを得ず、その仕事をきちんと見せるのには、それぞれの作品に対して独立した場があることが望ましいと思います。そのためには、もともと、作品を自律的に見せる機能を持つホワイトキューブは、ある有効性を持つと言えます。オフ・ミュージアムで行われる展示では、そこで行われる意義が問われたり、場所の特性との影響関係が生じたりする可能性がありますが、美術館ではそのようなことから自由になることができます。もちろん、ホワイトキューブが、周囲との関係性を切断してしまうとも言えるため、完璧なものとは言えませんが、限定的には、美術館における展覧会にも未だ有効性があるようにも感じます。

平行世界を肯定しながら「主体とは、共有とは何か」を探る

『MOTアニュアル』展というのは、一人のキュレイターの視点でグループ展を形成するシリーズ企画です。東京を中心とした日本の美術動向を反映し、若手作家を支援することを目的としていますが、年齢制限なども厳密には設けていません。若手作家を取りあげるという枠組みで、そこに見られる傾向を副題として提示するやり方で構成されることが多く(*2)、今回私が一緒に展覧会をやってみたいと思う作家さん達を紹介するのに、『MOTアニュアル』展のように、緩やかなテーマ設定が可能なものがふさわしいと考えました。作家をテーマの側に引きずり込むようなことをなるべく回避した上で、何か共通する(できれば共鳴し合う)ものをテーマとして見出せたらと思うのです。理想的には、一つひとつの作品を枠組みにはめずに見ることができ、それを通してある共通の感覚を会得できるというような鑑賞体験を創りたい。グループ展という形で複数の作家を括ることで、わかりやすい答えを用意するようなことはしたくないけれど、完全にバラバラの状態では、個別の体験が減じてしまうこともある。願わくは作家同士あるいは作品同士が響きあい増幅するような体験を起こさせる展覧会を創りたい。と、これはキュレイターの側の勝手な想いかもしれませんが、そんなことを思って企画しています。

「風が吹けば桶屋が儲かる」というのは、物事の因果関係は予測がつかないことを表す例と言えます。功起さんは、原因と結果がエンドレスに繰り返される様を描くことで、事象のベクトルに無限の可能性を与えてきたように思うのですが、最近の作品では、複数の人々が関わることで、作者である功起さん自身にも結果がどう転ぶかわからない創り方をしていますね。世界には区切りがなく、とどまることなく変化しています(*3)。『桶』展は、当初、メディアを特定せず、シチュエーションを作っていく方法をとる作家に着目した展覧会として出発しました。しかし、展覧会を準備していく過程で、皆さんの作品がもっと本質的な部分でも共鳴しあうものがあると感じ、私自身が興奮する想いでした。主体とは何かという問題に取り組んでいる点。合理的な手段ではたどり着かない何かを掴み取ろうとする姿勢。人々は何をどのように共有するのかという意識。そんな共通項を感じます。用意された手続きや予定調和を回避し、別の可能性を想起させる新しいヴィジョンを獲得させるということ。一つのイメージに集約させることで減じてしまう何かを捉えようとしている。だから、風が吹いても何が起きるかはわからない。でも、それでいい。たくさんの可能性がつくる平行世界。途中のプロセスが変わったら、桶屋が大損する話になるかもしれないし、桶屋ではなく八百屋が儲ける話になるかもしれない。一つひとつの事象の間には因果関係があるものの、全体ではどの可能性も肯定される。『桶』展の作家たちの作品では、そんなヴィジョンが見えてくるように思っていて、それを展覧会で伝えられたら嬉しいです。

功起さんの作品はその中で、とくに美術の制度に意識的なものになりますね。次回のお手紙では、それぞれの作品の話になっていくのかと思いますが、功起さんの作品については、私から先に質問を投げかけておきます。アーティストの制作が、生活と地続きの中で生まれてくるとしても、生活を切り取っただけでは作品にならないはずです。美術の制度への懐疑は、それがあってこそのものでもあります。それでは、作品とそうでないものの間には違いがあるのでしょうか? 功起さんが考える「作品」とは何でしょうか?
功起さんによって、すでに開幕している『桶』展ですが、いよいよ美術館での決められた会期もスタートします。とくに最初の一週間は目白押しですね(*4)
楽しみです。引き続き、よろしくお願いします。

2012年10月 展覧会直前の慌ただしい日々の中で
西川美穂子

  1. 9月25日のツイッター上で中島智さんと功起さんとの間で交わされた会話は、まさにこの企画がART iT誌上にとどまらず、オープンな議論を開く可能性があることを端的に示していました。功起さんの一通目の書簡に対し、中島さんは「『依頼する者』が優位?」と疑問を呈し、功起さんは依頼の前に依頼をすることで「する―される」の境界を超える試みなのだということを説明されました。それにより、スリリングでリアルな関係性が生じたとも。中島氏は、「問題点はその関係における優劣(力学)ではなく、相互に『依頼する』という関係を美術館内部に留めずオープンに問うてみるということなのですね」と答えています。

  2. 第一回の『ひそやかなラディカリズム』(1999年、企画:南雄介)やそれに続く『低温火傷』(2000年、企画:岡村恵子)など。一方で、『「日本画」から/「日本画」へ』(2006年、企画:加藤弘子)、『装飾』(2010年、企画:関昭郎)など、ジャンルによるテーマ展の時もある。

  3. 『桶』展チラシのテキストとして功起さんから寄せられた言葉を思い出します。「世界には区切りがない。だからひとは便宜的に物事の区切りを作り、それによって生活をする。例えば一日の区切りは時計やカレンダーによって、太陽の運行をその基礎とするその考え方によって。時代や場所が違えば別の区切りも存在する。その取り決めから離れてみること。世界のだらだらとつき合い直すこと。別の時間を獲得し、別の基準で動いてみる。もちろんそれを怠け者と呼ぶひともいるだろうけど。

  4. アーティストトーク、非告知トークイベント、ユーロスペースでの上映+トーク。
    http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/140/3

近況:まさに『桶』展(『MOTアニュアル2012 Making Situations, Editing Landscapes 風が吹けば桶屋が儲かる』(2012年10月27日~2月3日)のスタート直前で、作家さんたちとの最終的な打合せの嵐を体験しています。できているモノを運んでくるのと違い、交渉や調整が多く必要になる作品ばかり。大変ですが、面白いものができそうです。

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