目次 椹木野衣 美術と時評 

108:潮汲み3年、塩撒き10年 — 「奥能登国際芸術祭/運動」をめぐって

107:「スヌーピーのいる部屋」― 西野逹「ハチ公の部屋」を反転する

106:日本列島の美術100年 — 関東大震災、ハチ公生誕・100年の年に

105:熱源と体温 — MOCAF「ART AFTER HUMAN」展

104:「小杉武久の2022」と和泉希洋志〈SOMA〉

103:消息の「失敗」 — シュウゾウ・アヅチ・ガリバー

102:速度とエロース — 川内理香子と『パイドロス』

101:「小ささ」と「大きさ」 — 河口龍夫の「関係」をめぐって

100:回帰する「爆心地の芸術」——戦争、疫病、原発

99:即物する超自然主義

98:「繁殖絵画論」半世紀後のパルス — 小野田實

97:この時代を生き抜くためのアート — 峰丘と佐藤俊造(後編)

96:この時代を生き抜くためのアート — 峰丘と佐藤俊造(前編)

95:ART / DOMESTIC 2021

94:2020年回視 — 新型コロナをめぐる顔、手、息の変質

93:晴れた日に雨の日も —「内藤礼 うつしあう創造」

92:新型コロナ禍と「Don’t Follow the Wind」— そして「見に行くことができない展覧会」だけが残った

91:砂守勝巳 – 風景が黙示する(3)

90:砂守勝巳 – 風景が黙示する(2)

89:砂守勝巳 – 風景が黙示する(1)

88:回復のための想像力 – 被災と修復

87:表現の不自由・それ以前 – 小早川秋聲、山下菊二、大浦信行の<2019年>をめぐって

86:歴史の遠近をすり抜けて –「S氏がもしAI作曲家に代作させていたとしたら」展からの考察

85:油絵から古九谷へ – 硲伊之助の近代絵画探求

84:ジェフ・クーンズ「ラビット」 – 空気を売る

83:寄せては返す骸(むくろ)と天界 – イケムラレイコの惑星世界

82:批評と評価 – 障害をめぐるアートをめぐる

81:反復劇からの脱出計画 –「スペース・プラン記録展」

80:「水のかたりべ」展 – 橋と梯子、埋もれた狩野川台風

79:山のような「修復」への問いかけ –「山形ビエンナーレ2018」(後編)

78:山のような「修復」への問いかけ –「山形ビエンナーレ2018」(前編)

77:国吉康雄と清水登之 渡米画家の「ふたつの道」(後編)

76:国吉康雄と清水登之 渡米画家の「ふたつの道」(前編)

75:岡本太郎「生命の樹」の上昇・下降

74:再説・「爆心地」の芸術(37)帰還困難区域の変容と「Don’t Follow the Wind」

73:マドハット・カケイの絵画と流浪・円環、そして偶然

72:2017年回視 — 芸術祭の「品評」から離れて

71:折元立身の転機 – アート・ママ亡き後の「午餐」と「処刑」をめぐって

70:再説・「爆心地」の芸術(36):「太陽の塔」と「大平和祈念塔」

69:再説・「爆心地」の芸術(35):國府理『水中エンジン』とその分身

68:再説・「爆心地」の芸術(34)南極建築と日常/非日常のポール・シフト

67:再説・「爆心地」の芸術(33)殿敷侃と「逆流」する反・風景

66:再説・「爆心地」の芸術(32)終わらない国際展 ー Don’t Follow the Wind近況(3)

65:再説・「爆心地」の芸術(31)終わらない国際展 ー Don’t Follow the Wind近況(2)

64:再説・「爆心地」の芸術(30)終わらない国際展 ー Don’t Follow the Wind近況(1)

63:2016⇔2017 回視と展望

62:再説・「爆心地」の芸術(29)種差デコンタ2016(3)

61:再説・「爆心地」の芸術(28)種差デコンタ2016(2)

60:再説・「爆心地」の芸術(27)種差デコンタ2016(1)

59:再説・「爆心地」の芸術(26)第五福竜丸から今へ (2)

58:再説・「爆心地」の芸術(25)第五福竜丸から今へ (1)

57:再説・「爆心地」の芸術(24)園子温と『ひそひそ星』(2)

56:再説・「爆心地」の芸術(23)園子温と『ひそひそ星』(1)

55:再説・「爆心地」の芸術(22)清水大典の冬虫夏草図(2)

54:再説・「爆心地」の芸術(21)清水大典の冬虫夏草図(1)

53:2015年回視 — 「ベスト展覧会」の対岸から

52:追悼・三上晴子(番外編) ― ごく私的、かつ批評的な企てとして

51:追悼・三上晴子 ― 彼女はメディア・アーティストだったか(5)

50:追悼・三上晴子 ― 彼女はメディア・アーティストだったか(4)

49:追悼・三上晴子 — 彼女はメディア・アーティストだったか(3)

48:追悼・三上晴子 — 彼女はメディア・アーティストだったか(2)

47:追悼・三上晴子 — 彼女はメディア・アーティストだったか(1)

46:象徴としてのわいせつ — ろくでなし子と赤瀬川原平

45:再説・「爆心地」の芸術(20)<やさしい美術>と鳥栖喬(後編)

44:「みらい」のすがた —『グランギニョル未来』後記

43:再説・「爆心地」の芸術(19)<やさしい美術>と鳥栖喬(中編)

42:再説・「爆心地」の芸術(18)<やさしい美術>と鳥栖喬(前編)

41:再説・「爆心地」の芸術(17)竹内公太と福島(後編)— 絵画とツイッターの相関・往復

40:デモの皮を被った愛の行進 — エリイ(Chim↑Pom)の「LOVE IS OVER」

39:再説・「爆心地」の芸術(16)竹内公太と福島(前編)— 三凾座の解体とその再生(リバース)

38:再説・「爆心地」の芸術(15)— 除染される大地と芸術(後編)

37:再説・「爆心地」の芸術(14)— 除染される大地と芸術(前編)

36:再説・「爆心地」の芸術(13)— 核と新潟・補遺(3)

35:再説・「爆心地」の芸術(12)— 核と新潟・補遺(2)

34:再説・「爆心地」の芸術(11)— 核と新潟・補遺(1)

33:絵描きと「贋金つくり」— 会田誠「天才でごめんなさい」展をめぐって(3)

32:絵描きと「贋金つくり」— 会田誠「天才でごめんなさい」展をめぐって(2)

31:絵描きと「贋金つくり」— 会田誠「天才でごめんなさい」展をめぐって(1)

30:再説・「爆心地」の芸術(10)— 核と新潟(後編)

29:東谷隆司 — その「存在と体温」

28:再説・「爆心地」の芸術(9)— 核と新潟(中編)

27:再説・「爆心地」の芸術(8)— 核と新潟(前編)

26:再説・「爆心地」の芸術(7)— 中原佑介と核の批評(後編)

25:再説・「爆心地」の芸術(6)— 中原佑介と核の批評(前編)

24:再説・「爆心地」の芸術(5)— いわき湯本にて(3)

23:再説・「爆心地」の芸術(4)— いわき湯本にて(2)

22:再説・「爆心地」の芸術(3)— いわき湯本にて(1)

21:再説・「爆心地」の芸術(2)—『じ め ん』

20:再説・「爆心地」の芸術(1)— ルニット・ドーム、フクシマ、そしてラッキー・ドラゴン

19:松尾邦之助と読売アンデパンダン展(3)

18:松尾邦之助と読売アンデパンダン展(2)

17:松尾邦之助と読売アンデパンダン展(1)

16:崇高と日常 — チェルフィッチュ『ゾウガメのソニックライフ』をめぐって

15:「わたし」に穿たれた深くて暗い穴(後編)

14:「わたし」に穿たれた深くて暗い穴(前編)

13:肉と眼の見えない結合 — 都築潤の「ニューエイドス」展をめぐって

12:瀬戸内国際芸術祭を観る(後編)

11:瀬戸内国際芸術祭を観る(前編)

10:新しい無言歌 — 長島有里枝の『SWISS+』展

9:破滅へ至るカオス、循環するカオスモス —『破滅*ラウンジ』以後

8:美術はだれのもの? — 北川フラム更迭問題をめぐって(後編)

7:美術はだれのもの? — 北川フラム更迭問題をめぐって(前編)

6:カオス*ラウンジ — 萌えいづる自由・平等とその行方

5:アーネスト・フェノロサ — このシミュレーショニズムの未知なる起源?

4:美術史概念から単独者へと —『躍動する魂のきらめき—日本の表現主義』展を見て

3:文化’資源としての〈外地〉— 豊田市美のアジア展

2:文化行政の「事業仕分け」について

1:大竹伸朗の現在はどこにあるのか

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