44:「みらい」のすがた — 『グランギニョル未来』後記

※本連載での進行中シリーズ〈再説・「爆心地」の芸術〉は今回お休みとなります。


舞台公演「グランギニョル未来」より
写真提供:「グランギニョル未来 2014」実行委員会 ©Takashi Homma(以降すべて)

今回の文章は評ではない。私自身が筆を執った初めての戯曲「グランギニョル未来」とその横浜公演について書く。イレギュラーなものとなるが、編集担当者からの申し出もあり、また本公演は様々な制約から追加公演も含め、わずか4回しか披露することができなかった。前売り券が一瞬でなくなったことを考えると、関心を持ってくれたにもかかわらず見ることのできなかった人は多数に及ぶものと予想できる。現状で再演の予定はない。改めてここに記しておくことも一定の意義があるだろう。

始めに断っておくと、「グランギニョル未来」とはこの演劇作品のタイトルでもあり、それを主導する私と飴屋法水からなるユニットの名称でもある。そのかんの経緯については公演に先立ってプレスリリースで発表しているので、ここでは繰り返さない。未読の方は私がそこに書いている「『グランギニョル未来』に寄せて」をぜひ一読していただきたい。

そのうえでここでは、この公演が持つ、いささか特殊な性質について記す。ひとつは、結果としては演劇という形式をとっているけれども、実際にはこれは私自身が飴屋法水というアーティストをあらためて熟考するために書いた全2幕32場からなる戯曲形式の批評にもとづくということだ。したがってグランギニョル未来のなかで私と飴屋の役割は、前者が「脚本」、後者が「演出」という分担を一応はしているけれども、根本的には私が批評家であり飴屋が創作家であるというスタンスは崩していない。つまり、この劇は単にふたりの共同作業(いわゆるコラボ)とは言い切れない部分を色濃く残している。批評家と創作家は基本的に相容れない非対称的な関係(作る/価値付ける)をなすものだからだ。実際、これまでも私は何度かにわたり飴屋法水の作品について作家自身とは微妙な近距離をとりながらも、最終的には一貫して批評してきた。

しかし今回はその一線を踏み越そうと考え、そのために私自身が創作/作品の体裁を借用することで「グランギニョル未来」という戯曲を書いた。そのことで、ほかでもない飴屋が私の手で創作に先んじて書かれた批評(=戯曲)をいったいどのように演出するかを当人に投げかけ、批評家と創作家との固定的な関係を打ち壊し、批評という形態そのものもより重層的なものへと変化させることを望んだ。

率直に言えば、私は戯曲という表現様式自体には関心がない。あくまで必要に駆られて書いただけだ。今回、草稿に目を通した飴屋に指摘されて初めて「幕」と「場」や「ソワレ」と「マチネ」の違いを知ったくらいである(実際、私はそれくらい演劇に関心がない)。また当初は脚本を書いているつもりだったのだが、脚本であるなら当然あるべき具体的な指示が随所で欠落しており、実は「戯曲」という遥かに抽象的な「作品」を書いていることに気付かされたのも、これを読んだ飴屋の指摘による(なかでも具体的な演技の指示がなく、それまでの全文を受けて「なにかせよ」と記されている箇所については「とうていありえない」と言われた)。つまり、飴屋を批評するつもりで書き始めながら、実際には私は飴屋に読まれることで初めて「自分がなにを書いているのか」を知った。つまり逆に批評されていた。

また実際の稽古の段に入ると、最初は見学のつもりでいても、いざ戯曲の細部に関して飴屋から質問を受けるとその都度頭をめぐらせてこれに答え、また逆に私のほうから「このようにしてほしい」と演出を申し出ることも多々出てきた。つまり、この時点ですでに創作家/批評家という棲み分けはたがいに浸透しあい、現場で崩れ始めていた。もとよりそれが狙いであったとはいえ、これは私にとってまったく未知の経験であった。批評しているつもりが批評され、演出を見守るつもりが、気がつけば演出していた。しかしそれでもなお、批評家と創作家の一線が保たれているとしたら、それはもう、批評家であるという「気を確かに保つ」ことくらいしかなかった。もしそれさえなくなれば、私は自分がなぜ今ここにいて、このようなことをしているのかさえ見失っていただろう。それくらい、この演劇の実現には奇妙な行程がつきまとった。

「グランギニョル未来」は、1985年の日本航空123便(現在は欠番)による、航空機史上でも(単独機としては)最悪の事故をもういちど「想起」することから着想されている。同便は8月12日に相模湾上空から富士山近辺を経て、関東甲信越の上空を約32分にわたって迷走のうえ、最後には墜落し、あわせて520人の犠牲者を出した。事故機は羽田から大阪へと向かう途中、離陸後まもなくなんらかの理由(運輸省航空事故調査委員会によれば、ボーイング社の修理ミスによる圧力隔壁の損壊と、急減圧で押し出された風の強い流れ)から尾翼の大部分と油圧による運転制御系をすべて失った。以降は生き残ったジェットエンジンだけで猛烈なスピードのまま前方に推進され、舵も取れず上昇下降も不可能ななか、高度1万メートル近い上空でダッチロール(左右)とフゴイド運動(前後)による乱飛行を繰り広げた。ところが操縦席の3名が苦闘のすえ高度を下げようと手動で車輪を出したことがきっかけで、機体が斜めに傾いたまま急降下していく。低域での失速を怖れて再度、エンジンを全開にしたため、フラップの電動制御による浮力の調整が間に合わず、ついに群馬県上野村に所在する無名の尾根(のちに「御巣鷹の尾根」と命名)に激突炎上。機体、乗客もろとも人知れぬ夕刻の山中でバラバラとなり砕け散った——世にも凄惨きわまる事故である。

あえて言えば、「グランギニョル未来」の公演への道筋は、まるで123便のように尾翼と油圧を失ったも同然であった。まず俳優陣には飴屋を除いて専門の者がひとりもおらず、いずれも小学校低学年である7歳の子供が二人、8歳の子供が一人、さらに中高生2人が重要な役どころを占めており、他は音楽家と写真家にすぎず、その様はまるで123便にたまたま乗りあわせた乗客たちのようでもあった。また世で広く話題に上るような演劇公演のほとんどすべてが、実際には公的な助成金等でかろうじて営まれていることも嫌になるほどよくわかった。私たちはそのような助成を受けることなく、入場料収入とクラウドファンディングで集まった予算だけを唯一の財源とした。主に稽古場は事務局を兼ねた山本現代のギャラリースペースを展示替えの期間借用し、その前後に秩父の山奥を訪ねては舞台美術に使える流木や石を広い集め、遠方からの出演者は私と飴屋の自宅に一ヶ月にわたって合宿し、ほぼ家族同然となって乗り切るしかなかった。しかしこれとて、もとを正せば演劇(というよりも芝居)は本来、「助成」されるものでなく「興行」であるべきだとする飴屋のかつての発言に多くを負い、その選択で生ずる「制御不能」状態をなんとかかいくぐることで、現状の演劇のシステムが依って立つ視えない基礎を身を以て示し、かつ批判することを狙ってもいた。しかし、そういう現実は容易なものではなかった。何度、このまま「墜落」するのではないかと思ったことだろう。いま思えば4回の公演を実現できたのは奇蹟のような気さえする。

「グランギニョル未来」は公演終了後、文芸誌『新潮』の10月号に戯曲として全文が掲載されたので、読まれた方もおられると思う。そしてすぐにわかったはずだが、この戯曲には話の筋といえるものが存在しない。私は公演に備えて出演者たちと御巣鷹の尾根に慰霊の登山をした際、事故から29年の時が過ぎても、土を掘ればまだ飛行機の破片が見つかる急斜面に立ち、大きく「×」(救助の際の指標)が書かれた墜落地点のそばにあった岩を凝視し、標高1556メートルの山中で大気に身を晒しながら、自分の脳裏に次々とよぎる様々な想念や感情の去来を感じていた。それらかたちのない予感を懸命に言葉を選んで、全部で23連からなる(場面ではなく)「場」に置き換え、最後に「事焔(じえん)」という、それ自体ではまったく意味をなさぬ「ひらがな」だけからなる歌を添えた。それが戯曲「グランギニョル未来」が書かれたおおよその顛末である。

この戯曲はしたがって、物語に沿った展開ではなく、墜落現場に自分から立つことで呼び寄せられた強度の反復だけからできている。いきなりクライマックスとなり、そのままクライマックスが続き、短い休憩を挟んで再びクライマックスが始まり、最後までそのクライマックスのまま断ち切られる。こうしてドラマツルギーを失った高いテンションのみからなる場の持続は、いっそプラトー状態(クライマックスしかないためクライマックスが意味を持たなくなり、強い緊張感を保ったまま見掛け上、平滑となる)と呼んだ方が似つかわしい。各人が体力の限界と言える絶えまなく続く緊張と不安定のなか、演ずる者は123便の乗員の心理を、観るというより目撃する者は123便の乗客の緊迫をそれぞれが反芻し、その不安と恐怖のなかで、それでもなお、各人がなんとかおのおのの「未来」へと辿り着くことは可能だろうか——それが「グランギニョル未来」の主題であった。「入口」はあっても「出口」はない。にもかかわらず、未来は誰のもとにも容赦なく訪れる。

3・11以後を生きる私たちは、いわば尾翼を失ったまま、行く先を見失ったまま広大な空を飛び続けるしかないジャンボ旅客機に乗り込んだも同然だろう。好むと好まざるとにかかわらず、ある意味すでに半死人にほかならない。その「記憶」を、いま不確かなまま取り戻されつつあるかのようなフェイクのごとき日常のなかに生々しく召喚すること——そのために批評家が批評家であることから脱し、創作家が創作家であることから脱して協働すること——それがグランギニョル未来という残酷劇=グランギニョルが各人に喚起しようとする「未来のすがた」(〜飴屋法水「わたしのすがた」)であったように思えてならない。(了)

「グランギニョル未来」は、2014年8月29日、30日、31日(追加公演)にヨコハマ創造都市センター(YCC)にて上演された。
http://ycc.yafjp.org/findasia/grand-guignol.html

著者関連情報

DOMMUNE University of the Arts -Tokyo Arts Circulation-
THE 100 JAPANESE CONTEMPORARY ARTISTS/#11 飴屋法水

2014年10月16日(木) 19:00〜21:00
3331 Arts Chiyoda
聞き手:椹木野衣 進行:宇川直宏
詳細:http://dommune.3331.jp/

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