椹木野衣 美術と時評104:「小杉武久の2022」と和泉希洋志〈SOMA〉

連載目次

 


「小杉武久の2022」より(ホール・エッグファーム、埼玉、2022年10月15日)
「South, e.v.」(1999年) 写真左からGC、和泉希洋志 撮影:高嶋清俊 提供:HEAR

 

小杉武久は亡くなっても、小杉武久の音楽はこれからも生き続ける。
小杉武久を演奏するとは?
小杉は作品のインストラクションや、使用機材のダイアグラム等のメモを多く残している。
非常にシンプルな言葉やドローイングは、シンプル故に多くの謎を含んでいる。
音楽は演奏という行為によって、絶えず新しい発見が行われる。
小杉武久の音楽であったものが、これからは我々のものとなって、
新しい小杉を発見する時代になった。

——藤本由紀夫(*1)

 

某紙に寄せる書評のために青山真治『宝ヶ池の沈まぬ亀II ある映画作家の日記 2020-2022——または、いかにして私は酒をやめ、まっとうな余生を貫きつつあるか』を読んでいて、タイトルもそうだが、裏表紙の真ん中に亀のマークが入っているのに気付いて、ついマークと言ってしまったが、眼を近づけてよく見るとあまりのリアルさに驚き、これはもうマークとは言えない、などと頭の中で独り言がよぎりながら、しばし亀のことを想った。と言っても、わたしと亀の縁は薄い。ずいぶん前に息子に所望されて亀を2匹飼ったことがあったが、日光浴でもさせようとベランダに出しっぱなしにしておいたら、翌朝には2匹ともいなくなっていた。ケースは這い上がれる高さではないので、カラスかなにかの餌食になったのかもしれない。かわいそうなことをした。

わたしと亀の縁はせいぜいその程度だが、まわりには亀との縁が深い知人がけっこういる。それで思い出したのは、故・粟津潔邸に飼われている、タージ・マハル旅行団の小池龍から粟津に託されたリクガメのことだ。名前をマランダという。この亀については、前に別のエッセイで触れたので詳しくはそちら(*2)を参照してもらえばよいとして、今から数年前、調べたら2019年のことだったのだが、つまりわたしが新型コロナ前にこの亀に会いに行ったとき、亀はまだ冬眠から目覚めたばかりで、ようやくノロノロと動き出し始めたところだった。その日の日付を見ると思い出した、2019年の4月1日、つまりエイプリル・フールにして新元号の発表日をわざわざ選んでこの亀に会いに行ったのだった。今はまだ2月なので、まだ当分は冬眠中だろう。この亀、マランダは、タージ・マハル旅行団がユーラシアを横断し、はるか日本への帰路の途中、トルコの国境に近いとあるイランの街で拾って持ち帰ったのだという。年齢はわからないが、50歳はゆうに超えているらしい。亀が長生きなのは、「鶴は千年、亀は万年」というふうに、縁起担ぎにもあるとおり広く知られるところだが、そのことに気付いてあらためて振り返ると、青山も粟津も小杉も故人であることに思い当たった。かくいうわたしだって、この亀よりも長く生きるかはわからない。そんなこんなで、亀について想うことは人の生の短さについて偲ぶことでもあるのだ。それなら「わたしと亀の縁は薄い」などと遠巻きにしている場合ではないのかもしれない。

故人について偲ぶと言えば、昨年の10月15日、埼玉県深谷市のホール・エッグファームで、コンサート「小杉武久の2022」(企画=藤本由紀夫)(*3)が開催された。2018年の没後に同会場で行われた「小杉武久の2019」に続き、新型コロナ禍を経て3年ぶりの実現である。「小杉武久の2019」(ほかに神宮前・360°、UPLINK渋谷で開催)については、これも別のエッセイで書いたので(*4)そちらを読んでいただくとして、小杉の生前の活動は、いわゆる通常の美術作品の制作とは根本から違っていた。それらは、すべてが移りゆく過程そのものの中にあったので、作家が他界して作品だけが残される、というのとはかなり趣を異にしている。もちろん、それらの過程にはもれなく小杉が関与していたのだから、一期一会のパフォーマンスやダンスがそうであるように、作家が亡くなってしまえば二度と取り戻すことができない、そのように感じられるかもしれない。だが、小杉の場合は、彼が遺したマランダという名の亀がそうであるように、小杉が一本の線として引き始めた行為の余韻は、作家が存命かどうかとはまた別に、その死後もなにがしかのかたちでずっと継続し続け、今なおその余韻は長く引き延ばされ続けている、そんな気がしてならないのだ。

 


「小杉武久の2022」より(ホール・エッグファーム、埼玉、2022年10月15日)
「Spectra」(1989年) 和泉希洋志 撮影:高嶋清俊 提供:HEAR


「小杉武久の2022」より(ホール・エッグファーム、埼玉、2022年10月15日)
「Organic Music」(1962年) 写真左から、威力、和泉希洋志 写真:高嶋清俊 提供:HEAR

 

その点では、小杉に絶筆や遺作という言葉が当てはまる作品は存在していない。作家が現存していようとあの世に去ってしまおうと、あまり違いがないようにさえ感じられる。もちろん、作家がなくなっても作品は残る。その意味では作品は亀のように人間よりもはるかに長生きだ。だが、小杉の場合、それともちょっと違う気がする。極端なことを言ってしまえば、小杉の作品は、小杉がこの世に生を受けるよりも前からこの世界に現れていた様相の一部を、小杉が様々工夫のすえ切り取ってくるようなところがあって、それならば作家が現世にいようといまいと、小杉の作品を通じて目前に一時的に立ち現れる世界は、つねに斬新で新しい。そこには回顧(レトロ-スペクティヴ)という概念が当てはまらない。回顧が成り立たないのであれば、絶筆も遺作もあるはずがない。

これと対照的なのが、河原温かもしれない。河原は生前から作家が不在者であるかのように公的な場に姿を表さず、その不在の地点から生の痕跡だけを発信し続けた。その意味では作家が亡くなったあとでも、河原をめぐる周囲の状況にさしたる変化はなかったかもしれない。しかし、言い換えれば河原が生前から一貫して不在者を装うことで、実際には彼の実死の前と後とが鮮明に線引きされたということも言えるのではないか。ところが小杉は生前から飄々と人前に姿を現し、なんら身を隠すことなく、生の渦中と死からの事後とが不明瞭に入り混じっている。そのことの主なる要因は、小杉の作品がほとんどの場合、物質に依存していなかったからだろう。むろん完全に非物質ということではないのだが、小杉が使う物質は、その場に生じる過程を引き出すための最小限のきっかけにいつも留められていた。それは物質/作品というよりも、せいぜいが装置なのだ。またそうであるがゆえに、再開しようとすれば再開することもできるし、言い換えれば、中断されているあいだが断続的に長く、始まりも終わりもない過程として伏在している、と解釈したほうがよくわかる気がする。そうであれば、たとえ小杉が死んでも、その過程を再開しようと関与する者が現れる限り、小杉が見出した過程は、きっかけさえ与えることができれば、いつでもその場で再開し直すことができる。

小杉作品のこうした他に見られない性質は、別の見方をすると、先に触れたような意味で「回顧展」というのが成立しにくいきらいがある。「遺作」さえなく、あるのが関与しうる過程の中断とその痕跡だけなのだとしたら、それもそうだろう。なしうることがあるとしたら、それは「小杉武久の2019」「小杉武久の2022」というように、小杉武久の現在を、その時ごとに中断から解いて再開してみせることくらいかもしれない。しかしながら、わかりやすく立派な回顧展でこそないかもしれないが、そのほうが小杉武久というアーティストにとっては、ずっとふさわしい気もする。

 


「小杉武久の2022」より(ホール・エッグファーム、埼玉、2022年10月15日)
「Distance for Piano」(1965年) 写真左から高橋悠治、GC、藤本由紀夫、和泉希洋志 撮影:高嶋清俊 提供:HEAR

「小杉武久の2022」と「小杉武久 音の世界 新しい夏 1996」展(東京、360°[JINGUMAE])で配布されたカード。「Distance for Piano」のインストラクションとドローイングが記載されている。

 

小杉についての話が長くなったが、わたしが今回触れたかったのは、実は小杉のことだけではない。「小杉の2019」に続き「小杉の2022」でも大きな役割を受け継いでいる、その意味で小杉の中断をことあるごとに再開し続けている美術家、和泉希洋志についてである。和泉はもともと画家だが、その背景に音楽があることから、音楽家、演奏家としても現在に至るまで継続的に活動してきた。あるとき小杉の信頼を得た和泉は、その後、小杉の活動にとって欠かせない共演者となっていく。だが、その和泉について語るには、ここで今度は香りについて、別の導入を加えなければならない。

香りというのは、ようは嗅覚ということだが、視覚や聴覚ほどわかりやすくはないかもしれないけれども、わたしたちの暮らしにおいて決定的な意味を持っている。そんなことはあらためて言われるまでもないかもしれない。だが、それは本当にそうなのだ。もしも香りの存在しない世界に移行したとしたら、突然、世界が色彩の一切を失ったかのように感じられるのではないか。こんな比喩を出すのは、わたしが香りや匂いにひと一倍、敏感な反応を示すからかもしれない。もっとも、嗅覚がその人の暮らしに占める役割には主観的なものがあって、その程度のいかんは客観的に測りかねるものがある。だが、わたしはしばしば家族から冷蔵庫の食べ物が賞味期限にかかわらず、はたして食べられるかどうかを推し量るうえでかなり重宝されていて、その程度には香り、匂いに敏感であるらしい。食べ物はえてして腐りかけがいちばん美味しいなどということが言われるが、それが本当かどうかは別として、たしかに、ギリギリ食べられる、いや、それとほとんど同じだが今回はやめた方がいい、という匂いの違いは、たいへん微妙なものだけれども確かに存在する。いや、存在する、と言ってもそれを数値にすることはできないので、あくまで経験的なものでしかないのだが、にもかかわらず、この判断については迷ったことがない。付け加えるなら、その判断の可否は自分が食する場合と、家族にとっての場合では微妙に違うので、まして一般化するのは困難だ。だが、嗅覚には経験的に言って確かにそのような指標が存在する。

今、わたしは嗅覚と言いながら、少しずつ話を食のことに移行させつつある。だが、これは飲み物や、ことに酒類などについても言えることなのだが、少なくともわたしにとって、食の愉しみの大半は香りによるものだ。あとは食べてからの食感=触覚(歯ごたえ、舌触り、噛みごたえ、喉越しなど)が少なからずあり、それからずっとあとに見た目などもあるが、実は味覚というのはわたしにとって食を愉しむうえでそれほど多くを占めていない。実際、味覚は非常に荒っぽく「甘味、塩味、苦味、酸味、旨味」などと分類ができる程度には単純なのだ。あとはその複合で生まれるバリエーションこそあっても、香りのグラデーションやいわく言い難い細やかさにはとうてい及ばない。また、香りは外部から鼻を通じて得られるものだけでなく、食べている途中に口の中から鼻腔へと抜ける香りというのもたいへん重要だ。さらには飲み込んだあとに口から鼻に響き続ける余韻としての香りというのもあって、ウイスキーなどはほとんどこれがすべてと言ってもいい。

なにが言いたいかというと、こうしてつらつらと書き続けてきた程度には、わたしは香りにはたいへん強く惹かれているのだ。だから、鮨屋などで隣に匂いのきつい香水をつけた客が来ると非常に迷惑する。また、そうでなくてもそれぞれの飲食店が持っている香り、匂いには敏感だ。ただし、ここで言うのは高級店ほど掃除が行き届いて清潔な香りがしている、というようなことではない。人工的に店舗に香り付けをしている飲食店など興醒めだし、居酒屋だからといって雑多で嫌な匂いがするとも限らない。ようは、香りとはその店ごとが持つたたずまいのようなものだ。だから、その店の持つ香りはその店が出す料理やお酒と同じような香り、匂いがするものだ。各家庭で長くつける糠床のようなものと言ったらわかってもらえるかもしれない。高級とされる料理屋の漬物が必ずよい香りがすると限らないのも似たようなことだろう。

そういうことがあるので、実のところを言うと、わたしは美術を見る際にも、香りや匂いにはかなり気持ちが向いている。このことは、気づいている人も少なからずいるものと確信しているが、個々の美術館やギャラリーには、その施設に特有の匂いというものが取り払いがたく漂っている。これはメンテナンスが行き届いているとかいないとか、そういうのとは別の次元の話で、その展示施設の持って生まれた特性としか言いようがない。その意味では、美術館やギャラリーというのは、それが個別に成り立っているという時点で、すでに十分にサイト・スペシフィックなのである。もちろん、作品がなにがしかの素材からできている以上、作品そのものからほのかに漂う匂いというのはどこでもあるし、(やはり故人となった)高山登のように、作品から濃厚なコールタールの匂いが放たれ、それが作品にとって重大な意味を持つ特性になっているようなケースもある。いずれにしても、美術と香り、匂いは本当のところ切り離すことはできないということだ。ところが、わたしたちはあらためて「ホワイトキューブ」を出すまでもなく、美術体験において香りが持つ重大な地位について、すっかり忘れてしまっている。実際、長く一般的=国際的な様式とされてきたホワイトキューブでの展示は、視覚に特化するシステムであることを重視するあまり、その場から本当は放たれているはずの香り、匂いを透明に排除する無理な純化をあたりまえの前提としている、というか忘れている。

そう言えば、冗談めいた雑談で、どこそこの空港はターミナルに降りた途端になんの匂いがする、というような話題をよく聞く。日本だと醤油だとか味噌だとか、いろいろバリエーションがあるようだが、もっとも強烈なのがカレーの匂いなのは意見の一致を見るところだろう。カレーは一般的な和食以上に広く日本全国に普及した完璧な国民食であるから、人が集まる飲食の施設でメニューにカレーがないというケースは、皆無かどうかは調べていないのでわからないけれども、さしあたり存在しないと言ってしまってよいのではないか。このことはおそらく美術館でもそうで、カレーを出さない美術館がどれくらいあるかはいざ知らず、さすがに設計上はレストランでのカレーの匂いが展示室まで及ばないよう注意深くレイアウトされているとは察するものの、もしもそのようなことがあれば、鑑賞体験がまったく別物になってしまうのは言うまでもない。

 

リクリット・ティラヴァニ「無題(フリー)」303 Gallery、ニューヨーク、1992年
©︎ Rirkrit Tiravanija  Courtesy Galdstone Gallery and GALLERY SIDE 2

 

ところで、わたしが初めて美術の展示室で強烈なカレー臭を体験したのは、かれこれ30年以上、時を遡る。1992年に半月ほどニューヨークに滞在した際、当時ソーホーの雑居ビルの一角にあった303 Galleryで、タイ出身の美術家、リクリット・ティラヴァニがタイカレーを振る舞っていたのである(「無題(フリー)」)。これは先立つ1990年に同ギャラリーでやはりポピュラーなタイ料理であるパッタイを振る舞った「無題(パッタイ)」をきっかけとする連作で、この手の民間のギャラリーでは、展覧会のオープニングをお祝いして初日に来場者に対し飲食が振る舞われることが多々あるけれども、それともまったく違っていて、飲食の振る舞いそのものが展示の内容なのである。

こうした試みは、ゴードン・マッタ=クラークによるアーティスト間で互助的な飲食提供の場を作る試み「FOOD」(1972年)などの先例から歴史的に参照され、あるいはニコラ・ブリオーの「関係性の美学」などに結び付けられて評価されてきたが、実際には継続的なイベントの域を根本から逸脱するものではない。事実、食の魅力は今日、日本全国で盛んな「芸術祭」ではプログラム形成に欠かせないものとなっており、郷土という「サイト」と来場者のアート体験を強力に結びつけ、観光的に牽引する大きな基盤となっている。その意味でまったく珍しいものではないどころか、今日のアートにとっては、美術館に設けられた飲食施設が展覧会ごとに工夫して提供するスペシャル・メニューと並んで、ごく当たり前の風景となっている。

 


「SOMA」(大阪)のカレー 写真提供:SOMA

 

だが、飲食を通じて主に食と香りを伝達する和泉の活動は、これら広くイベントと定義できる性質のものとは完全に一線を画している。和泉の(あえてそう呼ぶが)作品は、完璧に店舗の形式をとったスパイス・カレーの専門店であり、店を訪ねてくる来客者は、それが和泉の作品であることをほとんどの場合、理解していない。いや、一部にはそれを目指してやってくる層もいるだろうが、それ以前に和泉の提供するスパイス・カレー店は、人気テレビ番組『情熱大陸』で取り上げられたことに見られるように、スパイス・カレー発祥の地と呼ばれ、日夜多くの店がしのぎを削っている大阪にあっても群を抜いた人気店なのだ。したがって店舗は昼の開店前から長蛇の列となり、閉店時間を待つことなく売り切れてしまうことも日常茶飯事だ。そのような状態なので、スパイス・アートによるアート体験を云々する以前に、あるいは展示施設の中での人と人とのつながりや、作品とアートにとっての他者との交錯を云々する以前に、和泉の作品は激変する社会の中で怒涛のように押し寄せる未知の来場者とのつながりを、アートの次元をはるかに超えて日々、積み重ねつつある。その意味では、和泉のこの活動は本連載でもこのところ鍵概念として使っている「ART/DOMESTIC(時代の体温)」(東谷隆司)、もしくは「ただならぬドメスティック(ART/BEYOND DOMESTIC)」(緑川雄太郎)の典型と考えることができる。

和泉のこの店は名前を「SOMA」と呼ぶが、わたしがなにより「SOMA」を評価するのは、和泉が日々数えきれないほどのスパイスを調合し、様々な具材との相性を研究し、そのブレンドから生まれる香りを探究し続け、仕入れから店舗の運営までのすべてを作品として捉えているということだ。これは定められた場所で一時的に作品としての食を提供するのとは根本的に違っている。そしてさらに、「SOMA」では、その店の内部に設置された植物や漆器、卓や椅子、和泉自身による素描や絵画、鳴っている音楽などのすべてがスパイスの香りとともに、そこにやってきた者の五感を刺激し、店の内部にいることでしか経験することができない、それこそ小杉に倣って言えば見えない過程そのものをずっと発し続けている。

 


「SOMA」店内の様子 写真提供:SOMA

 

中でも、店内に置かれた観葉植物が発する微弱な電流の変化をアナログ・シンセサイザーに接続し、そこから生まれる音の変化を流す試みは、小杉による見えない過程の美術を、もっとも端的に継承するものと考えられる。それで言えば、和泉が提供するカレーのスパイス・レシピは、もとはと言えば小杉が専属の作曲家・演奏家を務めていたマース・カニングハム舞踊団を通じて、カニングハムのためにライヴ・エレクトロニクス作品を提供していたピアニスト、デヴィッド・チュードア(ジョン・ケージ『4分33秒』の初演を飾ったピアニストとしてつとに有名)が凝っていたスパイスのレシピがあることを小杉から聞いた和泉が、独自に研鑽を積んで現在に至ったものだという(ケージのキノコ—胞子に対するチュードア/和泉のスパイス?)。つまり「SOMA」への来場者は、知らずして、デヴィッド・チュードアから小杉武久へと伝聞されたスパイスという存在から生まれた新たなレシピという、かたちなきプロセスを口にしていることになる(体験している、もしくは鑑賞している?)のである。ただし、口にしている、ということで言えば、「SOMA」の提供するスパイス・カレーは、香り、味わい、食感、喉越しだけでなく、スパイスという直接的な刺激を通じて、その後の経路、つまり食道、胃袋、食後感、消化、吸収過程(腸)、排泄、さらには食してから数日に及ぶ体調や感情の変化にまで働きかける。そしてそのすべての変化とからだの具合のすべてが、「SOMA」と一体をなしている。

最後になるが、今回わたしがこのような香りの探求と恒常的な店舗営業というかたちでの和泉の作品について考えたのは、やはり新型コロナによって大きな打撃を受けた飲食という事業形態への考察や、マスクによって嗅覚を日常的に抑制せざるをえない状況が、美術体験にとってどのような変化を余儀なくするかについて考えたためでもある。今回書いたとおり、わたしは香りや匂いについてはかなり敏感なほうだと思えるので、マスクを着用しての美術体験には、体験として以前とは異なる欠落感が伴う。もちろん、あまり好みでない匂いがする施設では、かえってマスクでその影響を遮断することができる利点もなくはないのだが、その場に染み付いた匂いもまたサイト・スペシフィックな体験として受け取ってきた身としては、本来のものとはやはり違う体験のように感じられて仕方がない。もっとも、わたしはマスクの着用そのものについては、屋内か屋外かを問わず肯定派なので、その着用感については違和感をあまり感じないが、残念なのは着用感よりも香り、匂いそのものと併せて鑑賞体験をまっとうできないことにある。

そう言えば、2年ほど前から犬を飼うようになって、日常的に朝と夕、日によっては深夜になることもあるが、欠かさず一緒に散歩に出るようになって改めて感じるのは、動物にとっての匂いの重要性である。犬は電信柱を見ると勢い余るように駆け寄って、その根元をクンクンと満足いくまで嗅ぎ続ける。しつけができていないと言われればそれまでなのだが、犬のように嗅覚が人間をはるかに凌駕するほど発達した動物にとって、この世界は香りと匂いとに満ち溢れ、そのことで初めてはっきりと把握される世界なのであって、視覚とせいぜい聴覚を頼りに世界像を組み立てがちなわたしたちとは、まったく異なる知覚と認識があるに違いない。犬たちにとって、香りや匂いはその時々のその場の様子を明晰に伝えるだけでなく、その場所をどの犬が通過し、どのようなメッセージを残していったかを知るための貴重な時間転送のための郵便施設のようなもので、わたしたちの目からすればただの電柱に見えたとしても、実際にはまったく異なる記憶と履歴の蓄積をなしている。その様子を人間のしつけによって押さえつけてしまうことが、なにか憚られるのだ。

新型コロナの症状や後遺症に、嗅覚や味覚が不調に陥る症例があるそうだが、わたしにとって(とは限らないが)はたいへん恐ろしいことである。おそらくそれは視覚を含む体験そのものに及び、美術体験をそれまでと違うものにしてしまうのではないか。和泉は「SOMA」の立ち上げを、東日本大震災を機に人と人とのコミュニケーションを抜本から考え直すうえで構想したと言うが、そうしていま、感覚障害をその症例の一端に持つ未知のウイルスが疫病として依然はびこる世界で、和泉の「SOMA」は、これまでにも増して大きな意味を持つように感じられる。そして冒頭に引いた藤本由紀夫の言葉にあるように、和泉の「SOMA」とは、小杉武久は亡くなっても、小杉武久の音楽はこれからも生き続けることのひとつの証であり、彼の死後、「小杉武久を演奏するとは?」という問い、もしくは「小杉武久の音楽であったものが、これからは我々のものとなって、新しい小杉を発見する時代になった」ことについての、もっとも豊かな回答であり続けているように思う。

 


1. 小杉武久の2022(イベント情報)、ホール・エッグファーム ウェブサイト
2. 椹木野衣「小杉武久とマランダという名の亀、その終わりのない旅と夢」、『artscape』2019年05月15日号
3. 同時期に神宮前のアートスペース、360°[JINGUMAE]で企画展「小杉武久 音の世界 新しい夏 1996」が開かれた(2022年10月14日〜11月5日)
4. 椹木野衣「小杉武久の足跡をたどる『音楽のピクニック』」、『美術手帖』2019年12月号

 


付記・今年の1月に開催された「INTERNATIONAL STUDENTS CREATIVE AWARD (ISCA) 2022」関連企画(1月21日)で、和泉希洋志と宇川直宏によるトークセッション「EXPERIMENTAL SPICES (実験的なスパイス)」がもたれ、同日開催の「カレーLIVE @SpringX」では、和泉が身体にセンサーを装着し、カレーを調理。調理中の筋肉の動きから得られる微弱な電圧を音に変換するパフォーマンスがもたれた。

 


筆者近況:『朝日新聞』読書面(土曜朝刊)書評委員。書評は同紙関連サイト『好書好日』でも公開中。2月25日、連続講座 3「現代美術って何?」(ギャラリーヒルゲート、京都)に登壇した。3月17日から京都みなみ会館で映画『アートなんかいらない!』(椹木野衣=影からの声)が上映される。

 

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