椹木野衣 美術と時評 78:山のような「修復」への問いかけ−「山形ビエンナーレ2018」(前編)

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井戸博章「廃仏毀釈」(修復風景)、2018年 「現代山形考」展(「山形ビエンナーレ2018」展示プログラム「山のような 100ものがたり」内企画)会場にて 写真提供:山形ビエンナーレ(以降すべて)

 

「みちのおくの芸術祭」を謳い、今年で3回目を迎える「山形ビエンナーレ2018」に初めて足を運んだ。主催はこれまでと同じく東北芸術工科大学だが、前2回と違うのは、これまで主会場となっていた山形駅に近い街中(文翔館エリア)に加え、広大な面積を持つ大学のキャンパス内での展示が大幅に加わったことだろう。なにせ、全体を通じてのタイトルが「山のような」なのだ。文字通り、すべて見尽くせない山ほどの展示を盛り込んでいる。

それぞれに見所はあるが、今回もっとも注目に値するのは、同学で震災前から展開されてきた「東北画は可能か?」プロジェクトを主導する画家、三瀬夏之介が、ビエンナーレ全体のうち大半を占める大学内での展示を「山のような 100ものがたり」と名付け、本格的にキュレーションしていることだろう。その結果、今回の山形ビエンナーレは、一大学の主催する事業としての芸術祭の域を大幅に超え出て、山形ばかりか、ここ日本列島で美術を手がけるすべての者が熟考するに値する画期的な次元に達している。恵まれた環境とは必ずしも言えない回廊状の本館7階を効果的に活用し、文化財マネージメントを専門とする宮本晶朗と共同でキュレーションした「現代山形考 −修復は可能か? 地域・地方・日本−」が、日本の近代美術を考えるうえでかつてない挑戦的な展示になっていたからである。その意味については後回しにして、まずは概要から伝えたい。

 


「現代山形考」会場風景

 

神像から彫刻、絵馬からから油絵、さらには得体の知れない植物の標本までが所狭しと並ぶ「驚異の部屋(ブンダーカマー)」のごとき会場は、宮本の整理によって全体で9つのパートに分かれている。順に「01 ムカサリ絵馬と現代の死生観」「02 湯殿山信仰と御沢仏」「03 山形鋳物の様々な展開」「04 仏像たちの近代」「05 近代のレリーフと山形」「06 新海竹太郎と和洋折衷」「07 市街地の景観を探る」「08 高橋由一・源吉と近代の山形」「09 自然を採集する」からなる動線は、しかしエレベータを降りてすぐ始まる序章のような導入と、その先に置かれた山門のような展示をくぐり抜けた先にあり、この「序」と「門」がそのまま全体の展示を包摂し、全体を見終えたあと、もう一度そこに戻ってくる構成になっている。入り口であった「門」と「序」が、新たに刷新された世界の「出口=入口」へと裏返るのだ。

「100ものがたり」のうちでは第2番目に数えられるこの入口で、私たちは一人の男がマスクをしてなにか作業に専念しているのに出会う。それが彫刻家で保存修復家の井戸博章による作品「廃仏毀釈」(2018年)なのだ。といっても、「展示」されているのは作家本人と、彼の手がける古文化財の修復過程そのものである。作業台の上で対象に明かりを当て、細部を凝視し、黙々と手を動かすその様は、修復のために特化された道具の異様な形状と相まって、なにかひどく困難な手術に取り掛かる医師のようにも見える。言うまでもなく廃仏毀釈とは、日本が近代化のとば口に立った時、天皇を頂点とする一神教(国家神道)によって西欧に追随しようとした「神仏分離令」をきっかけに全国で吹き荒れた、大規模な仏像破壊の連鎖を指す。今年が明治維新から150年に当たると喧伝されていることに思い当たれば、2018年とは廃仏毀釈からちょうど150年とも言えることになる(付け加えておけば、その翌年に今上天皇による平成が<予告的に>終わることとが重なっているのは、実に興味深い偶然?と言えるだろう)。

 


「現代山形考」展示風景より、風神雷神像(大江町雷神社)と、大山龍顕による光背画「雷電光背、竜巻光背」

 

この修復作業はそのまま、その先に据えられた二体の神像によってつくられた門=結界への密な助走となっている。この神像は、とある集落(大江町)の急坂の先にある「雷(いかづち)神社」の奥で、いつの頃からか打ち捨てられたようになっていた風神雷神像なのだ。実は「現代山形考」は、この二体の神像から始まった=始まっていると言っても過言ではない。というのも、先の「序」で井戸が修復しているのは、この神社の名を刻む崩れた鳥居の扁額や、雷神が打ち鳴らす太鼓や風神が風雨をもたらす風袋なのだ。二体の神像はそのさらに奥の本堂に安置されていたというが、もうひと冬を迎えれば、雪の重みでつぶれてしまってもおかしくないほど朽ちていたらしい。この緑色の風神=水の神と、赤色の雷神=火の神は、いわばその直前で人手によって「救出」されたことになる――神であるにもかかわらず。

このような地域の文化財が「放置」されたことには、それこそ廃仏毀釈まで遡る由来がある。というのも、そもそも風神雷神像は通常、寺院の山門の左右に配置されていることが多く、神社の本堂に祀られるものではない。その点でも破格なのだ。しかも、この二体の神像はお世辞にも巧みと言える造形ではなく、まるで素人(大工?)が見よう見まねで作った借り物のような姿をしている。それにしてもなぜ、そんな像が神社の奥に飾られていたのだろう。神仏混淆を長く習慣としてきた日本列島で、いつの頃からかおのずと蘇った習俗なのだろうか。それとも、「明治初年の神仏分離によって本堂の仏像が撤去され、元は山門にいた我々が本堂に移された」 (*1)結果なのだろうか。

 


「現代山形考」展示風景より、御沢仏と深井聡一郎の彫刻作品。会場は博物資料と近現代作家の作品が混在する構成。

 

キュレーターの三瀬が、このあとに続くすべての展示に先立って最初に問うのは、そのような像の「修復は可能か?」という問いである。これは、全体の「序」となる井戸の「廃仏毀釈」で、作家自身が調査の過程で出会うことになった、打ち捨てられた「文化財」の修復を進めながら、明確な「答え」のないまま同時に扱われている困難さでもある。井戸は問う。「作品の寿命はあるのだろうか? 収蔵され保存が続けば永遠に生きているのか。誰の眼に触れる機会がなくても生きているのか……。美術にとっての『死』は明確ではない。もしかしたら安楽死だってあるかもしれない。何のために作られ、何のために残されるのか」(*1) と。それならば、井戸の作業がどこかで手術=蘇生術を連想させたことも説明がつく。医師もまた、もしかしたら同様の問いに直面することがあるかもしれない。完全に元には戻らないことを知りつつ外科的に「修復」するよりも、このまま「安楽死」を迎えた方がいいことだってあるのではなかろうか? と。

「修復は可能か?」と題された文で三瀬もまた同様に問う。「この像はこれからどこにあるべきなのだろうか? 丁寧に修復して博物館に納める。しかし、そこは本当の意味ではこの像のあるべき場所ではない。しかし、この像を待っている者はもういない。このままでは来年の今頃には豪雪に押し潰され、いつしか土に還るだろう。それはそれで美しい結末か」と。ここには、「東北画は可能か?」と問い続ける三瀬ならではの問い方——「可能か?」が上書きのように重ねられている。三瀬は「東北画」も「修復」も、あらかじめ既成のものとは考えない。それはあくまで、「可能か?」と問い、実践するなかで、かろうじて姿を現してくるものだからだ。三瀬は「現代山形考」でも、即答の難しいそんな問いを出発点に据えながらも、だから修復なんて無意味だ、とも、でも修復には絶対の意義がある、とも断定しない。両者のあいだに広がる無数の「ものがたり」を、じわじわとあぶり出すことのほうを重視する。ゆえに本展の「序」と「門」は、このような問いから生み出される「(101個目の?)ものがたり」を、見る者一人一人が自力で掘り出すための、決して欠かせない「参道=産道」なのだ。

「01 ムカサリ絵馬と現代の死生観」は、これらの神像の現代という時制における「あいまい」なあり方が示された直後に続く。ムカサリとは山形県の村山地方の方言に由来し、「迎える」から転じて「結婚」を意味するようになったという。つまり、ムカサリ絵馬とは婚礼(多くは三三九度)の場面を描いた絵馬ということになる。もっとも、絵馬は願いごとの実現を神仏に祈って奉納するものだ。つまり、これは祈願された場面ということになる。そこからムカサリ絵馬は、若死などの事情で生前に結婚を果たせなかった者の祝儀の様子を「せめて死後の世界で結婚を……」と代理して描くものとなった。

 


「現代山形考」展示風景より、ムカサリ絵馬の展示。隣接して、ハタユキコと狩野宏明による現代版ムカサリ絵馬というべき作品も(下写真左)

 

今回、展示を通じて見られるのは、いずれもそのような場面の再現=実現(近年のものでは写真を使って合成するものや、東日本大震災の犠牲者を対象とするものもあるという)であり、もともと鑑賞を前提とするものではない。それどころか、親族と無縁の者がおおやけに鑑賞など憚られる性質のものかもしれない。三瀬は、「修復は可能か?」という神像への問いを足がかりに、同様に「絵馬の鑑賞は可能か?」と悩みつつ、それをあえて展示してみせる。

近代における文化財が持たざるをえない根本的に「あいまいな」性質に対するこうした問いかけは、かつて美術批評家の石子順造が、それこそ美術から転じ、絵馬について考えることで突き当たった問題にも通じている。当時、あまりにも唐突な「転身(裏切り?)」に見えた石子の洞察は、マンガという消費財への「美術批評」の延長線上に、民俗学的な慣習としての絵馬ならではの「あらわれと消え去り」を見出していた(当時の石子と李禹煥との密なつながりを考えれば、これがのちの「もの派」に特有の非実体的な「出会い」と潜在的に繋がっている可能性も排除することはできない)。あきらかに石子は、滝の落水に打たれて描かれた絵が次第に消えていく姿に、絵馬の本来あるべき姿を見ていた。そんな石子が、自身の最期を前にたどり着いたのは、山梨県に散在する無名無縁の丸石神だった。裏返せば、石子は返す刀で常に自然(natureではなく「じねん」=おのずからそこにある)のただ中でいつしか消えていくそんな性質に、それとは真逆にある、人為的で恒久的な保存を優先する日本の文化財に取り憑いた「近代の呪縛」(石子)を見ていた。そして、それらが自分たちの美術(私の言い方では日本列島の美術)にとって、どのような意味を持つかについて思索し続けた。むろん、それらは三瀬が今回の展示を通じて(回廊状に=円環状に)問うた「修復は可能か?」への「山のような」問いと、時を経て通じている。(次回に続く)

 



1. 『山のような 100ものがたり』ガイドブック、杉の下意匠室+中島彩、2018年 ちなみにこのガイドブックそのものが「100ものがたり」の第一番目に数えられている。

 

「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2018」は山形県郷土館「文翔館」、東北芸術工科大学ほかを会場に、2018年9月1日から24日まで開催(期間中の金・土・日・祝日のみ)。

 


 

筆者近況:エッセイ集『感性は感動しない 美術の見方、批評の作法』(世界思想社)が発売中。10月20日(土)、クシノテラス(広島県福山市)にて「椹木野衣トークイベント」を予定。同施設で開催中の『越境するミュージアム』展を起点に、運営者・キュレーターの櫛野展正と語り合う。10月7日(日)、さどの島銀河芸術祭2018(新潟県佐渡市)にて、宇川直宏によるインターネットストリーミング局「DOMMUNE」のサテライトスタジオ「SADOMMUNE」に出演予定。

 

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