アーティスト集団「オル太」のメンバーとして活動するメグ忍者の連載。第三回は、手術を終え退院したメグ忍者が、体調に不安を抱えつつ日常に戻っていく様子を描く。作品のためのリサーチや展覧会、父の新盆など、日々の出来事に追い立てられながらも、作り手としての人生に向き合う。
私は点滴を打たれ、静かに眠っていた。時折トイレに行きたくて目覚めた。点滴スタンドを押しながらトイレに入り、便座に腰掛ける。風呂には5日間入っていない。おしぼりをもらって身体を拭いて凌いでいる。ベッドのそばにはテレビと小さな冷蔵庫。あと、キャスターがついていない備え付けのテーブル。これが意外と重いし、動かしづらい。点滴スタンドの位置を変えるのにものすごく邪魔。テレビは有線のイヤホンがないと見ることができなかった。窓際で本当によかった。窓がなければもっと暗い気持ちになっただろう。看護師以外に話す人はいなかった。術後の経過が極めて良好な私に対して看護師が何か心配するようなそぶりは見せない。私が余計な議論や他人に対して何かを思うようなことはなかった。
入院の間はほとんどの時間、本を読んでいた。ハン・ガンの本を読了し、アナキズムについてのいくつかの本を読み漁った。家族が持ってきてくれたバンコクの作家ウティット・へーマムーン長編小説をもとに岡田利規さんと塚原悠也さんによって舞台化された公演の記録集『憑依のバンコク オレンジブック』も読んだ。まるで本を読むために入院しているかのようだった。日に日に元気になっていくのを感じていた。入院時に高すぎると言われた血圧が正常になっていった。そして私は当初の予定通り退院することになった。
退院後は以前と同じように過ごした。ご飯は前より食べられなくなった。病院での食事が少なくてよくわからない味付けでほぼ美味しいとは感じなかったから、食べる量が減ったのだ。
久しぶりにオル太のメンバーとミーティングをしたらすごく疲れた。思いのほか、大きなストレスを感じた。これはまったくネガティブな感情ではない。ただ、自分以外の言葉や思想が一気にたくさん押し寄せてきたからだった。入院前よりも疲れやすくなった。
それから1週間後、私は福岡にいた。炭鉱について今一度知るためのリサーチが目的で、「あいち2025」での作品において炭鉱やそこに生きた女性たちについて取り上げることを考えていたためだ。
「退院後は重いものは持たないでくださいね。」
担当医師から言われた言葉を反芻しながら羽田空港で保安検査場の列に並ぶ。何事もなく通り過ぎ、飛行機に乗って、福岡へ。
福岡でのリサーチは充実していた。何事もなかった。何事もないことが術後の経過が良好であることをあらわしている。こんなに元気で動き回っているのに、手術は成功したと言われたのに、私は不安を拭うことができなかった。手術してからというものの、下腹部のあたりがずっと気になり続けているのだった。見ることができないのに、その存在が大きい。
『朦朧とした食卓』
8月は父の新盆だった。北九州からの帰りに実家に直接向かったのだった。つい数カ月前まで父がいた実家は、いまや何か統率がとれていない感じがする。何かが足りていない気がする。残された数々の遺品を眺めながら、まだ父がいるけれど、外から帰ってきてないだけなんじゃないかと錯覚する。家に帰ってこられるように迎え火を燃やす。線香に燃え移った紙。ふわっと炎が上がる。
生理現象で、涙が出ることが時折ある。
田舎だから、新盆だから、車が何台も家にやってきて、新盆見舞いをおいて帰っていく。祖母がずっと返礼品の入ったビニール袋を渡している。
「ご苦労様です。」
その姿を頭痛とともに眺めている。
ただ、虚しさだけがある。
日常が戻ってくる。何も心配することはない。
作品へと心置きなく向かうことができるはず。なのに、調子が出ない気がする。
そんなときに、父が夢に出てきた。髪を黒染めしていた。ないはずの髪を。実家だった。まぎれもなく実家で、思い切りドアを開けたときの「キィーッ」といういつもの軋む音がする。入ってきたのは父だった。10月は自分が所有している車を並べている夢も見たし、ときどき父が夢に出るようになった。家には、まだ父の遺骨がある。母がそうしたいからだった。私もそのほうがいいと思ったから了承している。墓に入っていない遺骨。家に帰るとそれがあるので、まだ父の声も存在もそこにある気がする。
私はときどき帰るときにだけ見るけれど、母にとってはそれは毎日一緒にいるような感覚になっているのだろうと思う。
『黒染め』
10月にふたつの展覧会に参加していた。ひとつは新作、もうひとつは過去におこなったパフォーマンスを映像インスタレーションとして発表した。父にもその話をしたと思う。父はそのときから観ることができないことを悟っていたけれど、何も語らなかった。
私はなりふりかまわず活動に勤しんだ。落ち込んでいる暇がまったくなく、とにかく作品作りに集中していた。今までどおりに何事もなく展覧会は開き、終わったり続いていたりする。観ることができない人たちがいること、いつもなら来ていたであろう人たちがいないこと、いかに自分がそのことに対してほとんど意識できていなかったか。作品は作り続けたいと思っていても、それを観てほしい人がひとりこの世から消え、またひとり、またひとりと消えて行ってしまう。この数カ月を経た心境で変わったことといえば、展覧会の始まりも終わりも過ぎ去る出来事のうちのひとつに過ぎなく、以前よりも特別なもののように感じなくなってしまったことだった。これはまったくネガティブな感情ではない。展覧会が私にとって日常生活の一部と化してしまったからだ。ろうそくの火がひと吹きの風で消えてしまっても、火がついていたという事実はその溶けた蝋の痕跡が物語っている。
ところで、私は今、目があまり見えていない。視界がぼやけている。スーパー銭湯で眼鏡をなくした。正確には、違う人の手荷物に間違えて入れてしまい、その人はきっと別の場所に移動してしまったのだと思う。
意を決してそこにいる女性ひとりひとりに聞いてみた。優しい人たちばかりで、親身になって探してくれた。けれど見つからなかった。ロウリュサウナでタオルを回して風を送る熱波師の方が館内放送をかけたほうがいいと言ってくれ、受付で指示してくれた。
「ただいま、岩盤浴ラウンジにて、お手荷物のお取り間違えがございました。今一度お手荷物をご確認ください。」
「あれ、手荷物の取り違えになってる。大丈夫かな。」
おそらく、言いたかったのはこうだ。
「ただいま、岩盤浴ラウンジにて、お客様によるほかのお客様のお手荷物への眼鏡の混入がございました。今一度お手荷物をご確認ください。」
しかし、そんなことを館内放送で言うはずはなく、それでも気づいて手荷物を覗いてみて、自分のものではない度の入ったレンズに指紋だらけの眼鏡が入っているのであれば、おそらく受付に届けに行くだろう。眼鏡をかけていない客であれば尚更おかしいと思い、ビクビクしながら相談しに行くと思う。もし、眼鏡をかけている客だったら、自分の眼鏡と混同して、度が合わないことに驚きつつ、受付に届けに行くだろう。もし、気味が悪いと思ったのであれば捨ててしまうかもしれない。気づかずに館内着回収ボックスに入れるというパターンもあるかもしれない。こんなに不安に思うことってあるだろうか。ある。目が見えないから。
今からロウリュが始まる。ロウリュには眼鏡が不要だ。しばし眼鏡のことは忘れて、今後の憂いも考えず、熱い風を浴びてくることにしよう。
瞼をとじる。汗が噴き出てくる。涙もこみあげてくる。生理現象なので仕方がない。汗かもしれない。わからない。あたたかい風がこの身を包む。寝るわけでもない。もうどうでもいいか。どうでもよくはないか。
ドアが開き、涼しい風が入ってくる。
光が眩しい。
外に出て、椅子に座って涼んでいると、館内放送で自分のロッカー番号を呼ばれた。
先ほどなくなった眼鏡が見つかったようだ。眼鏡は指紋だらけのままだった。これでは視界がぼやけつづけたままだ。私は不安から逃れることはできるのだろうか。
『部屋の情景』
もうすぐ2024年が終わる。あんなに準備をした仕事が少しずつ終わっていく。誰に理解され、誰に理解されないのか。誰のために仕事をし、何を得ることができるのか。考えても仕方のない、答えなど出るはずもない問いが生まれ始めた。やってきたことが間違いであったとしても、何にもつながらなかったとしてもとりあえずやってみようと思っている。ほとんど市民活動の一種だ。やる必要があるので死ぬまで真面目に続けようとしている。別に誰にも頼まれてはいないのだが。面白いから。ときどきやめてしまいたくもなるけど。
そして夜、また父の夢を見た。父の一番好きな車で私のパートナーと父がドライブしている夢だった。黒いイタリアのラリーカー。私はそこには乗っていない。父はとても楽しそうにしていた。私にはそう見えた。
メグ忍者
1988年生まれ、千葉県出身。2009年に結成したアーティスト集団「オル太」のメンバーとして活動し、脚本、映像、パフォーマンス、デザイン、企画などを担う。日常を批評性を持って見つめ、幼少期の遊びや記憶をもとに、ドローイングを拡張し、世界に対しての些細な反逆を試みる。劇作を手がけたオル太『ニッポン・イデオロギー』が第68回岸田國士戯曲賞最終候補作品にノミネート。自身の個展に「キャピタリズム」(CAPSULE、東京、2024)、企画に「アートサイト神津島2024 山、動く、海、彷徨う」(東京、2024)、「Safari Firing」(神津島、東京、2022)、「campfiring」(東京、2020)など。
今後の活動予定に、野外公演『ニッポン・イデオロギー 第7章』(12/14・12/15、横須賀市浦賀ドック、「SENSE ISLAND/LAND|感覚の島と感覚の地 2024」関連イベントとして)。また、国際芸術祭「あいち2025」にパフォーミングアーツ部門から参加予定。現在参加中の展覧会に、「しないでおく、こと。― 芸術と生のアナキズム」(豊田市美術館、2/16まで)。