硲伊之助は生涯4度の渡欧でマティスにも師事し、東京美術学校助教授、日本美術会委員長等も務めた。しかし後半生は石川県で古九谷の制作に注力する。その変化と不変の探究を、硲伊之助美術館を訪ねて考察する。
椹木野衣
椹木野衣 美術と時評 84:ジェフ・クーンズ「ラビット」——空気を売る
2019年5月、ジェフ・クーンズの「ラビット」がクリスティーズ・ニューヨークにて、存命美術家の作品としては史上最高額の9107万5000ドルで落札された。同作に思い入れもある筆者が、その意味を再考する。
椹木野衣 美術と時評 83:寄せては返す骸(むくろ)と天界——イケムラレイコの惑星世界
今年1月から4月にかけて開催され話題となった大規模個展「イケムラレイコ 土と星 Our Planet」を通じて、作家の表現の根源にあるものを探る。
椹木野衣 美術と時評 82:批評と評価——障害をめぐるアートをめぐる
障害とアートとの関係をめぐり、<美術・教育・評価>と<アート・表現・批評>の違いや、2018年に施行された「障害者による文化芸術活動の推進に関する法律」を通じて論考する。
椹木野衣 美術と時評 81:反復劇からの脱出計画―「スペース・プラン記録展」
1968年、「脱出計画」と冠した檄文で動き出した鳥取の前衛芸術家集団。地域の芸術シーンの閉塞的反復から脱する道を探ったそのまなざしを、東京五輪、大阪万博という大きな「反復」が迫る現在にとらえ直す。
椹木野衣 美術と時評 80:「水のかたりべ」展—橋と梯子、埋もれた狩野川台風
列島各地が災害に見舞われた2018年。筆者はこの年最後の寄稿で、60年前の災害の記憶を今につなぐ、ある展覧会をめぐって論考する。
椹木野衣 美術と時評 79:山のような「修復」への問いかけ−「山形ビエンナーレ2018」(後編)
ビエンナーレ内展「現代山形考 −修復は可能か? 地域・地方・日本−」をめぐる論考。高橋由一・源吉親子らと山形の関係から、日本美術史の「修復」可能性を考える。
椹木野衣 美術と時評 78:山のような「修復」への問いかけ−「山形ビエンナーレ2018」(前編)
「山形ビエンナーレ2018」にて三瀬夏之介と宮本晶朗が企画した「現代山形考 −修復は可能か? 地域・地方・日本−」。同展が問う「修復」の射程を論じる。
椹木野衣 美術と時評 77:国吉康雄と清水登之 渡米画家の「ふたつの道」(後編)
「国吉康雄と清水登之 ふたつの道」展を機に、両画家を見つめ直す論考後編。戦後も米国に留まった国吉の晩年の画業に、現代に通じる故郷喪失者の風景を見る。
椹木野衣 美術と時評 76:国吉康雄と清水登之 渡米画家の「ふたつの道」(前編)
いずれも渡米先で画家として成長し、しかし戦争をはさんで対照的な後半生を歩んだ二人。「国吉康雄と清水登之 ふたつの道」展を機に、彼らの画業を再考する。