新型コロナ禍から約3年。マスク着用方針の見直しなどが進むなか、筆者はこの間の動きを、一見するとつながりの薄い12年前の福島原発事故との関係から考察する。昨秋と今春の福島訪問で感じた「熱源」をめぐる論考。
椹木野衣
椹木野衣 美術と時評104:「小杉武久の2022」と和泉希洋志〈SOMA〉
2018年に亡くなった小杉武久の表現について、彼の他界後も続く関連企画を通じて改めて論考する。またその延長線上に、小杉と親交のあった和泉希洋志のスパイスカレー店での営みをひとつの表現活動としてとらえる。
椹木野衣 美術と時評103:消息の「失敗」 — シュウゾウ・アヅチ・ガリバー
シュウゾウ・アヅチ・ガリバー「消息の将来」展に際し、あるパフォーマンスの「新しい解釈による再演」が行われた。筆者は1枚のハンドアウトから初演時の状況を考察し、再演を見つめながら作家の本質に迫る。

椹木野衣 美術と時評102:速度とエロース — 川内理香子と『パイドロス』
この夏に東京で開催された川内の個展をめぐり、筆者はプラトンの中期対話篇のひとつを引きつつ、自身にとっての「批評という実践」のありかたも見つめながら論考する。
椹木野衣 美術と時評101:「小ささ」と「大きさ」——河口龍夫の「関係」をめぐって
都内2か所での個展などを機に、長年にわたる河口龍夫の実践について、彼の作品名としてもしばしば登場してきた「関係」をキーワードに論考する。
椹⽊野⾐ 美術と時評 100:回帰する「爆心地の芸術」——戦争、疫病、原発
昨年に続き、3月11日に福島県富岡町のMOCAFを訪ねた筆者。同館の可能性に期待しつつ、進行形の戦争、疫病、原発問題をめぐる危機感、および奇妙な既視感について思考する。

椹⽊野⾐ 美術と時評 99:即物する超自然主義
21世紀のパンデミックを経験したこの世界を、20世紀の新即物主義やハイデッガーを参照しつつとらえ直し、近年の映画や美術展を手がかりに論考する。
椹木野衣 美術と時評98:「繁殖絵画論」半世紀後のパルス — 小野田實
具体美術協会の会員でもあった小野田實(1937~2008)。拠点・姫路での充実した回顧展を訪ねた筆者の思索は、作家の重要なモチーフで、展覧会名にもなった「私のマル」を現在・未来につなぐ。
椹木野衣 美術と時評97:この時代を生き抜くためのアート — 峰丘と佐藤俊造(後編)
福島と大分、各々の地で独自の道を切り拓いた美術家をめぐる、連続論考。後編は大分県速見郡日出町大神を拠点とした、佐藤俊造を軸に論じる。
椹木野衣 美術と時評96:この時代を生き抜くためのアート — 峰丘と佐藤俊造(前編)
前回、グローバリズムに回収されない強度を持ち得る表現を「ART/DOMESTIC 2021」として論じた筆者。これに対するある応答を受け止めつつ、福島と大分、各々の地から生まれた美術を見つめる。