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19:松尾邦之助と読売アンデパンダン展(3)

Part1 | Part2 とはいうものの、残念ながら現時点で松尾が『読売アンパン』(当初は『日本アンデパンダン』)の本当の企画者であった証左は見つかっていない。 けれども、この前代未聞のアンデパンダン展が戦後まもない日本で始まろうとしていたのに先立って、松尾が読売新聞社の副主筆View More >

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18:松尾邦之助と読売アンデパンダン展(2)

Part 1はこちら あらためて確認しておきたいのは、敗戦直後、藤田嗣治や岡本太郎と深い繋がりがあり、進んだフランス美術界の事情にも詳しく通じ、おまけに思想的には著しく無政府主義に傾く人物が、日本を代表する新聞社の中枢に在籍していたという事実である。そのような人物が、帰国後、戦争View More >

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17:松尾邦之助と読売アンデパンダン展(1)

東京都現代美術館では昨年の秋より今年の5月まで、前期・後期に分け『クロニクル 1947-1963 アンデパンダンの時代』と題するコレクション展を開いている。戦後早々に始まった二つのアンデパンダン展をめぐる集中展示で、資料面も充実しており、見応えがあった。とりわけ『読売アンデパンダView More >

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16:崇高と日常−−−チェルフィッチュ『ゾウガメのソニックライフ』をめぐって

チェルフィッチュ『ゾウガメのソニックライフ』  神奈川芸術劇場 2011年2月1日 撮影:宇壽山貴久子 ネットで「アートスフィア」と検索してみたら、そういう名前の劇場はもうなくて、いまは「天王洲銀河劇場」と呼ぶのだという。2006年に経営母体が変わり、ホリプロ系列のグループ会社がView More >

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15:「わたし」に穿たれた深くて暗い穴(後編)

前編はこちら 「休日診療所」 これを読んでいるひとのなかには、「わたしのすがた」を見た人も数多くいると思う。そのなかの少なからずの人が、なにかよくわからないけれども、順路をめぐり終えても根強く残り続ける心的な刻印を受けたのではないだろうか。にしすがも創造舎で受付を済ませて校庭に空View More >

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14:「わたし」に穿たれた深くて暗い穴(前編)

後編はこちら 飴屋法水「わたしのすがた」は、舞台芸術祭『フェスティバル/トーキョー10』の正式な参加作品である。したがって、役者も居らず脚本もなく劇場で上演されないからといって、これを単純に演劇でないと決めつけることはできない。事実、チラシには「構成・演出:飴屋法水」と明記されてView More >

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13:肉と眼の見えない結合——都築潤の「ニューエイドス」展をめぐって

(以下全て)「ニューエイドス」展展示風景 人が2、3人も入ればもう一杯になってしまいそうなキューブ状の展示室には、壁の三面を比較的大きな絵が一枚づつ占めている。残る一面には、それぞれの壁に対応して同じ絵が映し出された三台のiPadが置かれており、直接、手にとって画面を拡大して見るView More >

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12:瀬戸内国際芸術祭を観る(後編)

前編はこちら 瀬戸内を訪ねた9月初頭はまだまだ猛暑で、連日、滝のような汗で全身の水分を搾り取られるようだったが、今時はもう大分涼しくなったことだろう。前回は個々の展示について触れることができなかったので、後編では島ごとに気になった作品を見て行きたい。   鈴木康広「ファスナーの船View More >

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11:瀬戸内国際芸術祭を観る(前編)

9月の頭、早朝の便で空路、高松に入り、その日のうちに女木島、男木島と廻る。翌日は前に見逃していた直島の家プロジェクト、午後は小豆島。翌々日は朝から豊島、夕方から大島。最終日は直島のベネッセハウスでのシンポジウム参加を控え、軽い昼食後に李禹煥美術館。日程上、前に訪れたことのある犬島View More >

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10:新しい無言歌−−−長島有里枝の『SWISS+』展

長島有里枝に初めて会ったのは1994年のことなので、かれこれ15年は遡る。その前年に渋谷パルコで開かれていた公募展『アーバナート#2』で荒木経惟に見初められ、家族と撮影した全裸のポートレートでパルコ賞をとって間もない頃だった。当時、同じ渋谷の旧タワーレコード近くで、秋田敬明がマンView More >

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