中平卓馬 火―氾濫 @ 東京国立近代美術館


中平卓馬《氾濫》1974年、発色現像方式印画、169.5×597.5cm(48点組、各42.0×29.0cm) 東京国立近代美術館 ©Gen Nakahira

 

中平卓馬 火―氾濫
2024年2月6日(火)-4月7日(日)
東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー
https://www.momat.go.jp/
開館時間:10:00–17:00(金曜・土曜は10:00-20:00)入館は閉館30分前まで
休館日:月(ただし2/12、3/25は開館)、2/13
企画担当:増田玲(東京国立近代美術館 主任研究員)
展覧会URL:https://www.momat.go.jp/exhibitions/556

 

東京国立近代美術館では、日本の戦後写真における転換期となった1960年代末から70年代半ばにかけて、実作と理論の両面において大きな足跡を記した写真家、中平卓馬の没後初となる回顧展「中平卓馬 火―氾濫」を開催する。

中平卓馬(1938年東京生まれ)は、東京外国語大学スペイン科を卒業し、『現代の眼』編集部での誌面の企画を通じて写真に関心を持ち、1965年に同誌を離れて写真家、批評家としての活動を開始する。1968年に多木浩二、高梨豊、岡田隆彦を同人として季刊誌『PROVOKE』を創刊(森山大道は2号より参加、3号で終刊)し、「アレ・ブレ・ボケ」と評された、既成の写真美学を否定する過激な写真表現が注目され、精力的に展開された執筆活動とともに、実作と理論の両面において当時の写真界に特異な存在感を示した。その後、1973年に上梓した評論集『なぜ、植物図鑑か』で、一転してそれまでの姿勢を自ら批判、「植物図鑑」というキーワードをかかげて、「事物が事物であることを明確化することだけで成立する」方法を目指すことを宣言。新たな方向性を模索する最中、1977年に急性アルコール中毒で倒れ、記憶の一部を失い活動を中断する。療養の後は写真家として再起し、『新たなる凝視』(1983)、『Adieu à X』(1989)などの写真集を刊行。2003年には横浜美術館で大規模個展「中平卓馬展 原点復帰—横浜」(翌年に那覇市民ギャラリーに巡回)を開催。2010年代始めまで活動を続けた。2015年逝去。

 


中平卓馬《夜》1969年頃、グラヴィア印刷、57.7×84.8cm 東京国立近代美術館 ©Gen Nakahira


中平卓馬《「サーキュレーション―日付、場所、行為」より》1971年、ゼラチン・シルバー・プリント、32.0×48.0cm 東京国立近代美術館 ©Gen Nakahira

 

2003年の大規模個展から約20年振り、没後初の大規模個展となる本展では、『PROVOKE』や『なぜ、植物図鑑か』における実践と言説、記憶喪失と再起といった劇的なエピソードによって固定化された中平像に対し、初期から晩年まで約400点の写真・資料を通じて、その仕事を改めて丁寧にたどり、その展開を再検証するとともに、特に1975年頃から試みられ、1977年に病で中断を余儀なくされることとなった模索の時期の仕事に焦点を当て、再起後の仕事の位置づけについても再検討を試みる。

第1章「来たるべき言葉のために」では、写真家・東松照明との出会いをきっかけに写真に関心を深めた中平が、1964年に初めて写真を発表、写真家へと転身するとともに、活発な評論活動を展開し、季刊同人誌『PROVOKE』(1968-1969)を創刊、初の写真集『来たるべき言葉のために』を刊行していくという初期の活動を紹介する。第2章「風景・都市・サーキュレーション」では、「風景論」の論客のひとりとしての中平に着目し、1971年のパリ青年ビエンナーレで発表した《サーキュレーション―日付、場所、行為》での、その日眼にした現実をおびただしい数の写真に移し替え、それをすぐさま展示空間という現実に送り返すことで、同時代の「風景」の背後にある制度に抗おうとする革新的な試みを取り上げる。

 


中平卓馬《「氾濫」より》1971年、発色現像方式印画、42.0×29.0cm 東京国立近代美術館 ©Gen Nakahira


中平卓馬《「街路あるいはテロルの痕跡」よりマルセイユ、フランス》1976年、ゼラチン・シルバー・プリント、16.0×24.2cm 東京国立近代美術館 ©Gen Nakahira

 

第3章「植物図鑑・氾濫」では、モノクロの「アレ・ブレ・ボケ」写真の中にあったポエジーを捨て去り、世界をありのままに写す「植物図鑑」のような方法への転換から、東京国立近代美術館の「15人の写真家」展(1974)で発表した《氾濫》に至る展開を、近年の諸研究の成果も踏まえて再考する。本展ではカラー写真48点組で構成される幅約6メートルの大作《氾濫》を、キャリア転換期における重要作と位置付け、半世紀振りに同じ会場で再展示する。第4章「島々・街路」では、沖縄をはじめ、奄美や吐噶喇(トカラ)列島を撮影するなど、南方の島々への関心を深める一方で、篠山紀信との連載「決闘写真論」、マルセイユで発表したコンセプチュアルな作品《デカラージュ》、雑誌での共作のための中上健次との海外取材など、1977年9月に急性アルコール中毒に倒れ、仕事を中断する直前の中平の模索の様相を検証する。第5章「写真原点」では、療養の後に写真家として再起し、きわめて勤勉に写真を撮り続けた晩年に至るまでの約30年間を取り上げる。中平の写真は、日々撮影と暗室作業を重ねて膨大なモノクロプリントを作り続けた時期をへて、次第にその作品は、カラーフィルムを使用し、タテ構図で、世界の断片を切り取るという方法へと収斂していった。本展では、中平存命中最後の個展「キリカエ」(コムデギャルソン大阪店「Six」、大阪、2011)に展示されたカラーの大判プリント64点も展示される。

 


中平卓馬《無題 #437》2005年、発色現像方式印画、90.0×60.0cm 東京国立近代美術館 ©Gen Nakahira


中平卓馬《無題 #444》2010年、発色現像方式印画、90.0×60.0cm 東京国立近代美術館 ©Gen Nakahira


中平卓馬《無題 #470》2010年、発色現像方式印画、90.0×60.0cm 東京国立近代美術館 ©Gen Nakahira

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