連載 椹木野衣 美術と時評:2

文化行政の「事業仕分け」について

平成22年度の国家予算配分をめぐる、行政刷新会議による「事業仕分け」が話題となっている。いわゆるスパコンなどが「廃止」から一転、息を吹き返したように、どうやらこの会議による仕分けが最終判断ということではないらしい。が、ここで示された方向性が今後、行政の向かうひとつの大きな流れとなっていくことは避けられなかろう。もちろん、文化行政も例外ではない。

「芸術は自己責任」か?

アートに直接、関わってくる部分では、11月11日に行われた文部科学省関連の仕分けがなんと言っても大きな意味を持つ。ここで対象とされたのは「文化関係(2)―芸術家の国際交流等(芸術家の国際交流、伝統文化こども教室事業、学校への芸術家派遣事業、コミュニケーション教育拠点形成事業)」で、とりわけ毎年、文化庁が行っている「新進芸術家の海外研修制度」は、欧米に比べ芸術家への助成制度がひどく乏しい日本では、日本国内での活動の限界を感じ、これから海外に留学・滞在制作をしようと考える作家たちにとって、数少ないチャンスを提供して来た。ダム工事や空港整備などとは比較にならない予算総額かもしれないが、とはいえ、若いアーティストたちにとって今回の仕分けの影響は大と言わざるをえない。

ホームページなどで公開されているので既にご存知の方も多いだろうが、結論から言うと、ワーキンググループの評価は「予算要求の縮減」であった。併せて掲載されたコメントは以下の通りである。

●成果を具体的に評価すべき。●効果についてのフォローアップをして検証する必要あり。制度の不備。●新進芸術家の海外研修で毎年150人以上派遣採択は多すぎる。●成果の評価法を改善するまで削減すべき。●フォローアップ(検証)がなされていないなど税金投入の説明が不足している。縮減やむなし。●これまで投じてきた税金に対する成果をまったく文化庁が把握していないことの責任は重い。●フォローアップを定期的に行い、効果の検証をまず行うべき。●芸術は自己責任。日本独自の洗練された文化レベル・芸術性が通用するのであれば、しっかりしたマーケティングで興行可能。●人材育成は不要。各コンテストの副賞等で有望な人材は留学している。交流事業については、外務省と重複しており、国全体としては縮減すべき。●事業対象者のフォローの仕組みと評価の仕組みを構築してから今一度実行。事業自体は重要と考える。運賃のコストの見直しも必要。●分止まり(ママ)を含め、何を目標とすべきか。フレームワークそのものを先に作るべき。ゴール設定がメジャーメント可能でないので評価できない。ただし、芸術家支援そのものはしっかりやるべき。

この留学制度による助成は美術だけを対象とするものではないので一概には言えないが、コメントが集約している共通の見解は、おおむね「留学に対する評価の基準が不透明で、事後評価の把握が全くされていない。支援自体はあってよいが、現状では縮減もやむなし」とするものである。正直言って、これを理不尽と説得的に突っぱねられる者はほとんどいないのではないか。アートに関わる者として、文化行政に配分された国家予算自体が脆弱な日本で、今回の縮減は忍びないことではある。が、私意を括弧に括ったとき、今のままでは刷新会議の判断はおおむね妥当と言わざるをえない。

留学制度の不透明部分

なぜこういうことになってしまったのか。この文化庁の留学制度に関しては、たとえば私の属する美術評論家連盟などでは、会員の推薦を希望する作家がいた場合、連盟の事務局が窓口となって作家からの書類を受付け、例年、締め切りに合わせて一斉に文化庁に送るようになっている。私も会員なので、毎年、数名の作家が推薦を希望して申し出てくる。海外に滞在することで大きな機会を得られ、成果が期待されると思われる場合には推薦の申し出を受け、そのための文を書いている。むろん、通る者もいれば通らない者もいる。それは当然なのだが、かれらの活動歴や業績などから考えて、何をして「新進芸術家」としているのか、その諾否の基準があいまいなのではないかと感じたことは少なくない。なかには5年、3年、1年と続けて助成を受け続ける者もいると聞く。他方、ある程度の業績があっても、何度応募しても通らない者もいる。かと思うと、めぼしい活動歴が見当たらない作家でも、簡単に通ってしまうことあるらしい。もうかなり前のことになるが、先の連盟の総会で、この留学制度には不透明な部分があるのではないかと疑問を呈したことがあるのだが(たとえば会員が推薦するのはよいとして、その会員が同時に文化庁で意志決定の委員を兼任しているようなことはないのか)、文化庁での委員は非公開(当時)ということで、それ以上の議論には進展しなかった。現在では、どうなのだろうか。

加えて、帰国した作家についての事後の活動や評価が見えにくいというのも事実だ。これは、私のように美術の世界の内側にいても見えにくいのであるから、その外からはなおさらと思われる。たしかに、芸術については何をして成果とするかは判断のむずかしい面があるのは当然だ。が、だからといって現状のままで制度を維持してよい理由にはならない。そこで知恵を絞るのが行政というものであろうし、第一、事後評価があいまいなままで継続すれば、いわゆる「族議員」がそうであったように、採択する立場(委員、評論家)がいつのまにか見えない既得権となり、受ける側では「新進芸術家」と言えば聞こえは良いが、実質ではアーティスト志望者たちのモラトリウム延長のために、芸術を口実に税金投入がされるようなことになりかねない。仮にそのようなことになれば、それは小さな権力行使と依存体質の温床にしかならないだろう。そのような場から、真に「新進」である芸術家が育つはずはない。

私は、刷新会議のように「芸術は自己責任」と突き放すつもりはなく、村上隆のように「芸術はベンチャーである」とまで割り切る気持ちもない。助成が税金によって成り立つものである以上、誰もがある程度まで納得できるスキームが必要なのは当然だろう。が、それだけではない。たとえ今回の見直しを通じて予算が減ったとしても、これを機会に制度自体がよい方に刷新されれば、近未来的には、これまで以上にはっきりとした「成果」をあげる力を持つ「新進芸術家」たちへと、むしろ助成のチャンスは広がることを確信しているのである。


文部科学省のウェブサイトでは一般からの意見投稿を呼びかけている。

文部科学省HP 
http://www.mext.go.jp/a_menu/kaikei/sassin/1286925.htm
行政刷新会議 芸術家の国際交流等評価結果
http://www.cao.go.jp/sasshin/oshirase/h-kekka/3kekka.html

連載 椹木野衣 美術と時評 目次
第1回 大竹伸朗の現在はどこにあるのか

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