石内都 インタビュー (2)

ひろしま in OKINAWA ―場所の磁力を超える試み― (後半)

聞き手/やなぎみわ

『ひろしま』遺品との距離


『ひろしま in OKINAWA 石内都展』2010年 佐喜眞美術館 写真提供:佐喜眞美術館
IM 「広島」というテーマで、沖縄で個展をやるっていうのは想像だにしていなかった。

YM 石内さんは沖縄は撮らないと話してましたが、もし「広島」の次に「沖縄」を撮影したら、多分色々言われるでしょう。

IM やっぱり私今回すごく緊張して沖縄に、『ひろしま』を持って来たんです。だから意外な展開だったの。「これは私の遺品です」と言ったのはもちろん冗談なんだけれど。

YM 冗談でしたが、あれは結構決定的な一言ではあったと思います。つまり、翻訳回路が開いたという事ですから。もしかしたらそれは女性の特権で言えた一言なのかも知れないですけれど。
昨日の東松照明さんとの会話の中でも、頼まれ仕事って言葉が出ました。長崎を撮るにしても、広島を撮るにしても、まず依頼する人がいます。平和活動家や編集者といったそうした人達が、石内さんに撮って欲しいと依頼し、それを受けて撮り始める。そこからまた自主的にその仕事が続くことが、今までも何度かあったのでしょうか?

IM ありません。基本的に頼まれ仕事はやってこなかったから。ほんの少しだけやったけれど、頼まれ仕事はほとんど一回限りで終わるわけですよね。なぜ『ひろしま』が終わらなかったか。いろんな理由がありますが、資料館に「新着遺品」が届くから。今回の新作もそうです。

YM 65年前の遺品が新しく届く……。新着遺品というのは、どういう風に発見されるんですか?

IM 例えば被爆した人が亡くなって遺族が持てあますとか。寄贈という形で、まだ毎年増えているんですよ。こういった遺品は私一人だけでなく、学芸員の力があって撮れるわけです。電話で資料館の方と話をしていたら、広島に行ってない1年半の間に「こういうのが届いてますよ」と。新しく届くとマスコミに公開するんですね。テレビとか新聞が取材に来て、その人達が異口同音に「これは石内都さんが写真を撮るんですよね?」と。で、学芸員が「石内さんみんなこう言ってますよ」と言われて。

YM 続けて撮ってくださいっていう事ですか。

IM いやそこまで言わない(笑)。「みなさん言ってますよ」と。それに加えて、学芸員が「私は今まで遺品の服のボタンをちゃんと見たことがない」とか「ホックをきっちり見たことが無い。布地をちゃんと凝視してない。全体は見てますけれども」などと言う。彼女らはとても協力的でした。それであの『ひろしま』が出来たわけ。「今まで見れなかった視点を私は勉強しました」と言うの。で、また「今回こういうのがありますけれど」とだけ言って、撮りに来てくださいとは言わないのね。わかりましたじゃあ行きますって。だから完全に個人的な仕事なの。今回のは。

YM でもポスターにもなってる、あの赤いバラのボタンは素敵ですよね。

IM あれも1月に撮った新着遺品です。ブラウス自体は縫い代の部分だけリボン状に焼け全部残っている。


『ひろしま#2 N. Sawamoto 2010』2010年 © Miyako Ishiuchi
IM どの遺品も語り尽せぬ物語が一杯あって、それでもって、過去の物語は一切関係ないのね。今ある物を撮ってるだけだから。

YM タイトルは全部『ひろしま#1, 2, 3, 4』ですものね。

IM だからドキュメンタリーとか記録ではないのよね。私がこう見たっていうことだけです。それでしか写真は撮れないでしょう。私が綺麗だなと思えばそれでいいわけで。「あ、おしゃれ」って、思えばいいわけです。学芸員達は撮影現場を必ず見ていたから、「こういう撮り方があったのと教えられました」と言うんです。見方が変わったとか、資料としてではなく、隅々まで見るとかね。それが私の『ひろしま』のひとつの成果かな。現場の人がそう思ってくれるのが一番うれしい。

YM 外からの視点だからなし得る事ではありますね。

IM 全くそのとおりですね。『ひろしま』を撮ってる時は、やっぱり私はよそ者なんですよ、どう考えても。よそ者の意識ってのは意外と発見が多い。よそから来たからこそ見えることっていっぱいありますね。じゃないとやっぱり、広島ってがんじがらめの価値観を持ってしまっている。それが見えたからもっと自由にしなきゃいけないな、と。その自由さというのは私が、こう見たってことを見てもらう事しか無い。今までと違った写真なんか無いわけですよ。みんな同じように撮ってる。だから、私が今をどうやって捉えるかっていうので広島と出会ってる。広島を撮ってるけれど、広島じゃないんだよね。

YM でもその外部からの視点を受け入れられる広島というのがすごく大きいかもしれませんね。

IM そういう意味ですごく広島はね、寛容なの。広がりを持ってるんです。どんどん来てくださいって。それは間違いなくそう。

YM 非当事者が外部からやってきて、その期間だけ滞在して切り取って持って帰る搾取を受け入れる事も構わないと。それは良質でないものもあるかも知れないですし、目がさめるような視点というのも得られる作品もあるわけですね。

IM うん、だから私が積極的に撮りたいとか、何もなかったんです。広島には一生行かなくてもいいと思ってたから、私自身も新鮮なわけです。資料館も初めていって、原爆ドームも初めて見たし。「わぁ、意外に小さくてかわいい」とか言っちゃうわけ。

写真のもつ時間

YM 私そこで、石内さんは写真の持ってる時間の多層性といったものが非常にはっきりしているなと思ったんです。やっぱり広島でも、もちろん沖縄でもそうなんですが、そこで生きる人々は65年の時間の積層を毎日実感している。時間の流れが継続し、極端に言えば一本でつながっている。それを感じている方が今も生きているというのは大事なことで貴重なことなんですが、そこに全然違う時間の感覚を持って外からやってきた作家が、65年前と今とが自由に行ったり来たりしたり、または異なる時空を勝手に並列させたりする。そういう無責任さと自由を持っているのだと思います。

IM 65年間の時間を、私はある種の「形」だと思った。その形を今の私の時間軸で「捉える」。行ったり来たりしながらも、写真って過去は撮れず今しか撮れない。

YM 視点がすごく「今」なんです。2010年から、いきなり65年前をポンと撮ってる感じがします。もちろん遺品は経年劣化してますが物語を抜き取っているので、「65年間」に透明感がある。そこに蓄積している澱が消えていて、非常に透明化されてすごく鮮やかに見れる。広島、被爆者の方の遺品には、何か澱を溜めないといけない様な強迫観念が我々の中にあるので、鮮やかにクリアに見るのは恐怖が同時に生まれてるんですね。

IM イメージって固定されちゃうわけですよね。特に情報がイメージに影響しています。広島は大きな情報とイメージを双方抱えてるわけです。さっきも言いましたが、私、原爆ドームを見たことがなくて、それでパッと見たときに本当に「かわいい」って思った。なんだこんなに小さいのかと。写真で見たり映像で見た与えられた情報で判断していることがいかに間違っていて、いい加減であるかが判りました。ドームを「かわいい」と見えた私も変なんだけれど、でもそれがあったから撮れたんだなと思うし、実際ドームを見た時とても新鮮だった。ということは私のイメージの中で確固とした原爆ドームがあったってことなのよ。それがどんどん崩れていった。イメージをどんどん崩していったから、広島が撮れたという気がしますね。

YM 石内さんは、原爆ドームに行ったことないとか、沖縄には20年間行っていないとか、そういう言葉を、「恥ずかしながら行ったことないんです」じゃなくて、「わたし、行ったこと無いのよ!」と堂々と言いますよね。「行ったこと無いからわかんないのよ」って(笑)

IM いや、私結構単純なんですよ。昨日も言ったように激戦地行って風景見たときに、あぁそうかこうだったのかって。体験主義では無いけれど、その場所に身を置くという事がすごく私にとっては意味があるという気がします。例えば今回も身を置いてるわけです、沖縄に。激戦地には行かないといけない、とまさに強迫観念があったけれど、なかなか行けなくて。でこの間初めて行ったのです。だからそういう、自分の中で蓄積されてるイメージみたいなものを大切にしたい所もある。そして身をおいて、現実的に行ってしまうとそれがどんどん崩れていく。そういう面白さはちょっとあるかな。時々ストレートに言い過ぎなんですけれども。

YM それで目が覚める。その軽やかさというのか。

IM 現場というのは深く考えていないんですよ。割と場当たり的というか、行って考えるのではなくて出来上がった写真で色々考えることができる。だから私の写真は本当に、パパパってサッと撮っちゃうわけです。

YM いつも早く終わらせたいって言ってましたね(笑)

IM なるべく情報はいらないと思ってるから。そうすると、自然光で35mm手持ちという一番シンプルで簡単な形で撮ろうとします。たださすがにやっぱり広島を撮ると決めたときに、果たしてそれでいいんだろうかと考えるわけです。35mmでいいのか、大判カメラを使わないといけないかなと、実は少し思ったの。「広島」に対する失礼があってはいけないとか。それも刷り込まれたイメージなんですよね。悩んだ末にやめました。『mothers』と同じ条件を作り撮ったわけです。

YM テーマの重さとカメラの重さは関係ないと。

IM そう、関係ない。結局、今まで通りの形で撮らない限り、私はきっと撮れないなと。で、さっぱりすべて今まで通りです。撮影用の35mmのカメラが1台しかなかったからもう1台買って。2台で。

原点にはサヨナラを

YM 個人の芸術表現っていうのは、無責任なものだし、他人に対して失礼なものですが、その無責任さという物を、考え続けるのが芸術家の役目ではないかと。

IM うん、だからきっかけでしか無いと思う。私は写真を撮ってますけれども、写真とのひとつのきっかけを作ることの繰り返しかな。完結は出来ない。『ひろしま』はもうずっと完結しないな。ただし横須賀はそろそろ止めたいなとか。そうやって整理整頓していく仕方で私は今までやってきましたね。

YM 横須賀を止めたいと言えるという事は、やっぱり横須賀が原点だからこそ、故郷だからこそ切り捨てられるという事ですよね。

IM うん。グズグズやってられない。ただ今年、2010年に書籍『SWEET HOME YOKOSUKA 1976–1980』が出版されました。私にとっては衝撃的でもあり、乱暴というかね。原点がもう一回顕著にさせられるという感じ。30年前くらいのもので、未発表も作品も入ってます。でも作りたい人がいたら出来てしまう。

YM でも他の人の視点で、集められて編まれてというのは、自分からは離れていくような感じでしょうか?

IM そう、だからかえって非常に自分から離れて……。古い写真という事もあるけれど、自分からどんどん離れて距離がどんどん遠くなってまた改めて見る。あぁそうだったんだって。あぁ石内都はこうだったと、私が私を客観的に見るみたいなね。

YM 石内さんにとって横須賀っていうものは、原点だっていうことは認めているんですよね? だからこそ、それを選びなおす事もできるし、捨てることもできるし、また戻ることも出来ると。

IM よく言うように結局原点に帰ってしまうということかもしれない。でも広島を撮った時に、横須賀から広島は繋がっていたような気がします。原爆と基地はアメリカですから。初めはわからなかったけれど、広島はもしかしたら私が横須賀から出発したから出会ったのかなと思えますね。後付けですけれど。でも、こう一本の線がスッと通って行くような私的な問題としてね。確かに私は広島では部外者で、当事者ではないけれども、でもどこかで実は通底した線がある。だから結構、無責任ではない。責任は取れるよって形で撮ってる。

YM 作家の原点というかふるさとは、みんなそれぞれあると思います。それは場所かもしれないし、精神的なストーリーかもしれないですが、それを否定したり肯定したりまた戻ったりウロウロ試行錯誤する。本当に不思議なことに人は具体的な所属でしか生まれてこれないんです。それはいつも不思議な感じがします。抽象的な所で生まれる人はいなくて、全て具体性が備わっている訳で、人種、国籍、性別など、それらが複雑であればあるほど曖昧にせず具体的にしたがるのが人間です。そういうのが面倒で切り離す試みをずっとやってきてるんですけれどね。

IM 原点だとかなんとかあんまり言いたくないんだけれど、原点は存在してしまうわけで、写真ってその辺りを割とうまく表現できる力を持っているかな、とは思ってるんです。それは、過去と記憶と現在っていういろんな軸を、写真は表現できるから。


『ひろしま in OKINAWA 石内都展』2010年 佐喜眞美術館 写真提供:佐喜眞美術館

写真と絵画を見渡す

YM 今回の佐喜眞美術館の『ひろしま』展の特徴は、なんといっても、丸木夫妻の巨大な絵画とのコントラストですよね。しかもコントラストを意識させるように会場構成されているので、どう見ても一緒に目に入る。絵画と写真のあり方について非常に考えさせられます。

IM 私、丸木さんの絵をこれまできちんと見たことがなかった。その中で絵画ってこういう物かと遠目で見ながらわかるのは、筆でこう一本一本書いてるわけですよね。絵の大きさも含めて、あれだけ描くには時間かかるんだろうなということも含めて、「思い」がいっぱいなの。

YM 遺品のように遺った物を描くのではなく、失われたものを、または失われる瞬間を描く。それは想像力で描くわけですよね。もちろん資料も見てると思いますが、絵画を描くっていうのは、その想像力に酔ってしまう非常に危険な作業なのだと思います。

IM 感情がそのまま一筆一筆に、全部入ってしまっているから。写真はやっぱり違うと思ったんですよ。特に私はメッセージを込めないという形で展示してる事もあるので。絵画の絵の具は重い物質で、平面でありながら三次元の立体の重さがあります。

YM 当然、写真はメディアアートだからアノニマス性っていうのもありますし、被写体の遺品の匿名性の部分と合致して、明察なのですが。

IM 写真はやはり今しか撮れないから、時間の在り方が対等ですが、でも絵画は見る側と描く側が対等にならない。

YM 写真とは今や、撮り手と見る方が常に入れ替わる。でもやっぱり絵画というものは見世物ですね。見せる側と受け取る側が双方向ではないそういう時代の物がまだ息づいていて、面白い対比でしたね。

IM 絵画はやっぱりメッセージかなと思ったな。肉体的な物だし。写真も肉体的な物だけれど、やはり工学的な部分が結構核にある。でもそこが密接でないと写真にならないから、工学と科学があって私がある。非常に現代的なものですよね。どこか手がはなれるじゃない。今回の本当に面白かったところは、絵画がどういうものであるか、そして、写真の存在ってなんだろうと、考える場ではありました。

YM これから新しい展開が佐喜眞美術館にもありそうな気がしますね。

IM 佐喜眞美術館はもっと自由になってもいいかなと思います。人に見せるっていう意味でも。観客に作品を解説して歴史を教えて、それはそれで美術館のひとつのあり方です。私の展覧会から要望したいのは、他の可能性もあるんではないかという提案だけ。よそ者は、よそ者にしか言えないことを言えばいいと思う。よそ者の存在の仕方って結構輝いてるのよ、という感じで(笑)、たまに風をふと通す存在でいいんです。 

YM 美術館は「戦争資料館」ではないですから、きっと新しい展開もある。でも佐喜眞美術館は、通常「美術館」で当然のごとく最優先される芸術の個人性やら自由やらが、試される貴重な場所です。あの美しい中庭で、戦闘機の轟音を聞きながら。作品を見せるのは勇気がいります。新たな作家が果敢に挑戦し、観客を考え込ませる場所になってほしいですね。

ひろしま in OKINAWA ―場所の磁力を超える試み― (前半)

2010年6月21日 慰霊の日の前々日 沖縄・恩納村にて
佐喜眞美術館 http://www.sakima.jp/

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