魯迅と横浜トリエンナーレ
インタビュー・構成・翻訳 / 川上幸之介
2024年3月15日より6月9日まで、第8回横浜トリエンナーレ「野草:いま、ここで生きてる」が開催される。中国の近代文学の祖と称される作家、魯迅(1881-1936)の詩集『野草』からテーマを得た同国際美術展は、中国出身のリウ・ディン(劉鼎)、キャロル・インホワ・ルー(盧迎華)というアーティストとキュレーターによるチームがアーティスティック・ディレクターを務める。開催を前に、彼女たちに展覧会の企画意図について聞いた。
本インタビューは雑誌『Migrant Network』2024年2月号(発行:特定非営利法人 移住者と連帯する全国ネットワーク(移住連))のために実施された。ART iTでは、関係者の同意を得て、紙幅の関係で同誌に掲載しきれなかった内容を含む全文を掲載する。
ジャオ・イエンニエン/趙延年《野草》1978年 Photo: Liu Ying, Courtesy of Zhao Yannian’s Family
川上幸之介(以下、KK) 横浜トリエンナーレでは、魯迅の詩集『野草』(1927年)からタイトルを得て、展覧会を企画されました。その意図と展覧会の概要を教えてください。
リウ・ディン&キャロル・インホワ・ルー(以下、LD&CYL) ここ数年、新型コロナウイルスのパンデミックにより、世界的な流通が妨げられ、新自由主義的支配によってグローバルな秩序は硬直性を強めています。この硬直性は国際政治において、イデオロギーや地政学的対立を前面に押し出す一因となっています。今日起きていることは、20世紀初頭に先人たちが想像していた現代世界を完全に暗転させました。パンデミック下の中国で、厳重なロックダウンを経験した私たちは、予防の名の下に政治が優先され、個人の権利や市民の命が軽視され、踏みにじられるのを目の当たりにしました。そして市民全員に課せられた最も極端な措置としてのロックダウンが、パンデミックの拡大を防げなかったとき、自然の意志の前では人間の主体的意志が無力であることを私たちは目にしました。中国国外では、例外状態をこれまで通り、政治的なパラダイムとして用いる傾向が広がりました。例えばパンデミックの間、政府の一部は「安全衛生」の名の下に、緊急取り締まり法案を速やかに可決・施行しました。こうして、特定の町や地域を軍事化し、例外状態を正当化し、広域へと拡大させ、個人の自由を厳しく制限しました。また一方で、政府はパンデミックを無視し、疫病によって人命が失われるのを容認したケースもありました。国家の危機的状況の中では、政府という近代的な政治形態は、その暴力的で無責任な側面を全面的に露わにします。ほとんどの場合、政府は能力がなく、一貫性もなく、無責任なものです。
新型コロナウィルスが引き起こしたイデオロギー対立は、既存のグローバル・システムの根本的な限界を明らかにしました。同じことは、『lll Fares The Land』(邦訳 トニー・ジャット『荒廃する世界のなかで―これからの「社会民主主義」を語ろう』(森本醇訳、みすず書房、2010年))で要約された現代生活の組織方法にも当てはまります。資本と国家統治の技術は、抵抗の可能性を凌駕しています。20世紀初頭以来に起きた、あらゆる逸脱の微かな光は、新自由主義と権威主義のブラックホールに飲み込まれつつあります。感染症と政治を前にして、個は危険かつ無防備で、関係性が途切れ、頼るものが何もない状況に置かれています。この一連の劇的な時代変化に直面するとき、私たちは魯迅の初期の作品と人生のあり方に、今日の時代に共感できる点を見出すことができるのです。
魯迅は1924年から1926年にかけて『野草』を執筆しました。この時代の危機と暗澹さと同じように、魯迅の生涯において最も過酷な時期で、人生において感情と精神の劇的な変化を経験しました。この時期は、文学者にとって非常に困難な歴史的転換期でした。五・四運動(中華民国に対して日本から1915年に出された21カ条要求の内容の不満により1919年に発生した北京から全国に広がった抗日、反帝国主義を反封建主義運動)に参加した人たちは、自らを「知識人」とみなし、時代の流れを鋭敏にとらえ、社会変化と進歩への責任を負っていると信じていました。この自信は、五・四運動の波が去った後、1920年代半ばから後半の政治革命によって大きく損なわれました。知識人たちは中国の複雑な社会的矛盾を前にして、将来に対する明確で実現可能な計画を打ち出すことができなかったのです。同時に、彼らは伝統と現代、中国と西洋の政治的・文化的対立に直面しました。1920年代後半に始まった政治革命は「活動」を要求し、それを促しました。そこでは闘争における勇敢さ、大胆さ、決断力がより評価される資質となりました。考えることには長けているが、一方で行動を起こすには臆病すぎるという知識人の弱さは、時代の流れに追いつけない状況へと陥りました。この状況と五・四時代の先駆者としてのイメージとの間には大きなギャップがあり、それは魯迅にとって個人的な窮地でもありました。
この時期の彼の個人的な生活、社会的な状況での経験は、悲しみと苦しみが何重にも積み重なる要因となりました。『野草』は、この時期の魯迅自身が人生を深く反省し、徹底的に省みたものです。彼はやがて、希望ではなく絶望を自分の人生、仕事、思想の原点とすべきであると悟りました。希望も野心もなく、ただ暗闇があるだけなのだと。同時に、この真っ暗闇の中に出口を見出すことに全力を注ぎました。盲目的な楽観主義ではなく、絶望から出発するこの考え方は、あらゆる難関を突破する自信を持ち続ける上で、現代の私たちに大きな示唆を与えてくれるものです。
魯迅の想像の中では、野草は過去の生と死と衰退の産物です。その生は死を基盤としていますが、同時に常に死の脅威に直面することが伴っています。それゆえ、野草は短くも、粘り強い生命力の象徴なのです。いつも根絶やしにされ、死に至る運命の象徴であると同時に、死という運命に対する、ある種の絶え間ない闘争と勝利の象徴でもあります。野草は自然そのものの力であり、自然と生命による自己主張であり、自己肯定です。それは、確立された境界線、意味、秩序、構造、計画を無視します。秩序だった生活の規則を、不意に、唐突に遮ります。野草は無秩序に見えることで、不確定性のエネルギー、スピード、リズムを示します。その意味で、野草は私たちの自画像であり、自身の期待に応えることであり、人生哲学でもあるのです。
魯迅の『野草』は、彼の人生観を具現化しただけでなく、文学観も示す傑出した文学作品です。この作品は深い思索を含み、主に象徴主義の手法を使用し、ニーチェや厨川白村(1880-1923、日本の英文学者・文芸評論家)の激しい闘争精神と深い表現を引用・吸収しています。魯迅は『野草』の執筆中に厨川白村の作品『怒りの象徴』の中国語訳に取り組んでいました。
ヨアル・ナンゴ《GIRJEGUMPI: The Sámi Architecture Library in Jokkmokk》2018年 Photo: Astrid Fadnes
2019年の終わりから、私たちの生活、心、身体は困難と試練にさらされています。感染症の流行の減少を背景に、困難さ、苦境はますます顕著になっています。私たちは創造的な活動家として、今日の経験を芸術的なアプローチで表現する必要性を感じています。今回の横浜トリエンナーレでは、今日の『野草』を構成したいと考えています。アーティストの招聘だけでなく、思想家や社会活動家にも参加してもらっています。アーティストとのコラボレーションに関しては、基本的に中国と日本の美術史に関する知識と、世界の現代美術界に関する見識を組み合わせています。私たちはアーティストの既存の作品を選び、作品を通して自分の意見を表現する能力を持ちつつも、このテーマに共鳴してくれそうで、自分の視点をアート作品を通じて表現できる能力を持つアーティストと新たな制作を行っています。この展覧会が、芸術的創造を通して、現在の複雑な現実を体現できることを願っています。
第8回横浜トリエンナーレは、3つの展示会場と屋外のパブリックスペースで開催されます。メイン会場は横浜美術館です。ここでは、まず始めの章「いま、ここで生きてる(Our Lives)」は、美術館の正面からグランドギャラリーまでを覆い尽くします。アーティストとのコラボレーションにより、この章を視覚的なレベルにおいて、抽象的な野外場へと変貌させます。避難、亡命、放浪、抗議、戦時下、災害後、幸せな再会など、普段は気づかなくても、私たちの現実に深く入り込んでいるさまざまな例外状態を、展覧会の前奏曲として目に見える形で鑑賞者に提示します。これらは、何千人もの人々が生きている、私たちの人生経験と完全に平行するものです。私たち一人ひとりが、いつでも同じ状況に置かれる可能性があります。ここでは、非常事態や不安定な存在が例外ではなく、標準的な日常とみなされています。ある意味、哲学的な仮説です。しかし、同時にこれは我々の共通の現実であることを認識しなければなりません。この章はまた、展覧会全体のトーンを定め、危機に満ちた現実と対峙しつつ、個々の回復力と主体性を強調します。異なる挑戦が組み合わさり、混沌で抑えがたい生命の力が絡み合う風景となるでしょう。
同章では、グランドギャラリーの中心に読書テーブルを設置し、「日々を生きるための手引集(Directory of Life)」を発表します。これは2000年以来、私たちの時代、歴史、そして人生について、それぞれの具体的な状況において考察し続けてきたアーティスト、思想家、社会活動家たちによるエッセイの選集です。彼らの文章は、日常生活に潜む政治的、知的、文化的エネルギーを概説しています。これらの実践とアイデアは、私たち自身の歴史的状況でユートピアを想像することを可能にします。そして、私たちに自分たちの生活の細部から変えることができるコミュニケーションの関係、非関係、可能性と不可能性を発見し、人々に創造するよう呼びかけています。これらのテキストによって、すべての観客の心に行動と希望の種が植え付けられることを期待しています。
締めくくりとして、私たちはトリエンナーレ全体を複数の側面から交響曲を作り上げることを想像しています。一方で、東アジアの現代史の中で、個々が霊性と自己組織化を探求してきたいくつかの事例を再検討します。このように、私たちは現代の生活において自らの主体性を発見し、認識するために、人々の希望と取り組みに対する刺激となることを期待しているのです。
また私たちは、今日の時代に直面し、この世界で変化を進める個々の繋がりに対して、切迫感を持ってそれを推し進めていきます。これは、個人的な視点から、現代の文化と政治的な展望に関与する作品を通じて行います。同時に、2000年以降の東アジアの活動家の運動における、理論の参照と、実践的なアプローチを描き出すことで、近代化の規定の下で苦しむ人々の窮状を和らげる手助けを行います。私たちは、現代の生活秩序の中で、常に規制され、弱められ、抑制されている個の現状を直視しつつ、自らを解放する方法として、このような側面を打ち出しているのです。
サンドラ・ムジンガ《Ghosting》2019年 installation view at Kunsthal Charlottenborg, Photo: David Stjernholm, ©Sandra Mujinga, Croy Nielsen Vienna (Austria), The Approach London (UK) and David Stjernholm
KK この展覧会を通じて観客に伝えたいメッセージは何ですか?
LD&CYL 横浜トリエンナーレの機会を利用して、私たちは展覧会形式の『野草』の現代版を創りたいと考えています。政治的な覇権、激化するイデオロギー競争、文明の衝突が交錯することで、今日の世界における
展覧会では、歴史的なケーススタディと現代の実践の両方を紹介します。それらを通して、現在の生活において、個人の主体性と力をいかに活性化させ、イデオロギーの境界や国境を越えた個人レベルでの国際的な友情を形成し、生きた人間を中心とした世界を形成するかについて、鑑賞者の皆さんと一緒に考えていきたいと思います。個人の主体性を強調することは、集団性といった関係を否定することではなく、能動的な個々の主体が集まって構成される一種のマルチチュード(多様性を失わない、ひとつの集合的な勢力で、かつ同一性と差異性の矛盾を問わぬ存在)についてのことなのです。
現代社会のさまざまな危機に触発されて、アートの世界はエコロジー、アニミズム、神話、宇宙、人間を超えた世界といった問題を探求しようとしてきました。他者の経験について探求することは、私たちをさまざまな厄災に陥れた人間中心の考え方や生き方を反省する方法です。私たちの見解では、こうした建設的な試みは、脱中央集権化やポストコロニアリズムのアプローチと同様に、実際の実践の過程で問題となっていることを単純化する危険性があります。また、このような問いに対して、概念的なレベルからの回答しかできないというリスクもあります。こうして私たちは、人類の発展の中に組み込まれた人間の責任という問題の本質に迫ることができればと願っています。そのためには、歴史的な実践の経験を見直し、私たちにとって馴染み深くもあり、そうではない道も探り、可能性の議論を再び活性化させる必要があります。このトリエンナーレで、歴史の原動力を強調するのは、そのためです。
志賀理江子《あの夜のつながるところ》2023年 Photo: artist, ©Lieko Shiga, Courtesy of the artist
KK アートと社会の関係について、お二人のご意見をお聞かせください。
LD&CYL 前世紀の中国の革命運動の時代には、アートが社会を変えることができるかどうかということは、絶え間ない激しい論争の対象でした。しかし、ここ数十年で市場経済が私たちの生活を支配し始めて以来、この問題について考えたり話したりする人は少なくなっています。私たちの見解では、近代社会の形成がアートと社会を自然に結びつけ、それらは常に密接で相互に絡み合った関係にあります。芸術自体は何かを変える力を持ってはいませんが、アートを創造する人々の思考には現実の一部を変える可能性が秘められています。社会的な発展にネガティブな傾向がある中で、人間の行為主体性を顕在化させる思考の重要性を、私たちはあらためて強調したいのです。活動的な人生におけるあらゆる行動の中で、思考は最も積極的なものです。考えることと、行動することは、常にお互いを可能にし、充実させる
1920年、日本の文芸評論家、廚川白村は文学、アート、政治や現実との関係に焦点を当てた『象牙の塔を出て』(福永書店、1920年)を著しました。彼は、文学やアートは 「常に安直に語ることができず、いまここに在る問題と緊密な関係を持たなければならない」と主張し、「社会的な理想を持つ文学や芸術は象牙の塔の外にあり、人間の芸術は生活と密接な関係を持たなければならない」ことを強調しました。彼のテキストは、トリエンナーレの「密林の火(Fires in the Woods)」という章の2つのスペースで紹介されています。この章では、歴史という火打石を打つたびに散った「火花」を再現し、歴史のレンズを通して今日の姿を映し出します。歴史上のある瞬間、出来事、情景を描いた作品と、現在の現実を扱った作品とを並置することで、時間の境界を曖昧にします。過去と現在を混ぜ合わせ、私たちが生命の本質だと考える、人間の困難とその困難に立ち向かう行動を描写します。その意味で、「密林の火」は、次から次へと現れる「瞬間」で構成されたトリビュート映画だと想像することができるでしょう。この映画では、過去、現在、未来が交錯し、互いに浸透し合っています。これらの作品は異なるアーティストによって制作されていますが、すべて人間からの観点で現実に応えているため、作品それぞれと作者との間で時空を超えた共感や共鳴を感じることはそう難しくはありません。
展覧会を通して、私たちはアートと現実の相関関係、そして芸術的・文化的実践者にとっての生活や社会との継続的かつ、批評的な関わりの重要性を指摘し続けています。これはある意味で、アートの資本主義化とアート産業の論理があらゆるアート・ワールドを覆い尽くし、アートの知的能力と批評的主体性を深刻に危うくしているという事実に対する批判的な反応なのです。
1990年代以降の現代アートのグローバル化は、国際展における文化的・アイデンティティ的表現の多様性を後押ししました。国民性や文化的アイデンティティは、政治的正当性を示す「ゴム印(安直な承認)」へと還元され、グローバルな言説の中で一種のポリティカル・コレクトネスが実践されるようになりました。周縁化されたアイデンティティの象徴的価値を認める一方で、他者が持つ歴史的な意味合いを抽象化し、その意味と複雑さを空虚なものにしてしまったのです。それ以来、多くの国際交流プロジェクトは象徴的なレベルに留まっていて、しばしば他の地域や文化の歴史的起源や特異性を深く探求することが欠如しています。この特異性に目を向けるという積極性は、いわゆる普遍性を求める幻想によって弱められることが多いのです。この意味で、1990年代以降、グローバルな文脈で流通する現代アートは、宙吊りにされたイデオロギー、脱政治化、脱歴史化のプロセスを経たと言えます。1990年代に世界的に流通するようになった現代アート作品の多くは、その社会的、人間主義的な方向性において空洞化していました。
1990年代に世界的に広まった多くの現代アートの作品は、社会的および人文主義的志向の観点において、中身を失っていましたが、それらはある種の意味を持っていると解釈されました。本質的には、まったく意味のないものでしたが。作品のイデオロギー的な解釈こそが空虚な概念の中に作品を存続させた原因でした。
一方、グローバルな新自由主義経済を背景に、1990年代以降、アート産業という概念と実践は、ますます前面に押し出されてきました。批判的思考は資本と国家権力によって弱体化され続ける一方で、アートの商業的および政治的な意図を手段化することがますます進んでいきました。このような状況の中で、ビエンナーレや美術館などのアートのインフラは、都市開発や都市マーケティングを促進する文化産業の一環として急速に発展しました。その過程で、ビエンナーレはある種の現代アートの実践や言説を生み出すことに大きく貢献しました。同時に、特定の種類のキュラトリアルなアプローチも生み出しました。これは主に、カルチュラル・スタディーズに関連する、人気のある主題やテーマから派生したものであり、やや非政治化されたものでした。
当初、現代アートにカルチュラル・スタディーズが導入されたのは、美術史という本質主義的な概念の制約からアートを解放するためで、その視野を広げました。アーティストやキュレーターは、この新たな視点を用いて、社会問題に介入する能力を活性化させました。アートは多くの時事問題に触れることができるようですから。この過程で、社会的、政治的、文化的な特異性はしばしば減じられ、普遍的な関連性を持つと思われる枠組みに関連付けられ、妥協されたのです。そのため、キュレーターやアーティストたちは、多くの社会問題に取り組もうとするあまり、知らず知らずのうちに社会学者、政治学者、生態学者といったさまざまな研究者の役割を担っていきました。しかし、作品が扱う問題が作品よりも大きくなったり、関与が表面的なレベルに留まってしまったり、芸術的なダイナミズムを欠いた説明のための道具や研究資料の展示という状況が生まれました。これは最近、リサーチ・ベースのアートやキュレーションの実践に対する批判となっています。
創作者の心が成熟するには長い時間がかかります。魯迅が日本の生活の現実を見つめ始めてから、実際に力作である「狂人日記」を1918年に書くまでに10年以上を要しました。今日に生きるアーティストやキュレーターとして、私たちはアートと生活、アートと社会の関係にも対処しなければなりません。これは非常に複雑な問題であり、知的な発展であると同時に、効果的な芸術的表現でもあります。そのため、これは終生に渡る、実践と関与でもあるのです。
第8回横浜トリエンナーレ「野草:いま、ここで⽣きてる」
2024年3月15日(金)-6月9日(日)
https://www.yokohamatriennale.jp/
会場:横浜美術館、旧第⼀銀⾏横浜⽀店、BankART KAIKO、クイーンズスクエア横浜、元町・中華街駅連絡通路
アーティスティック・ディレクター:リウ・ディン[劉⿍]、キャロル・インホワ・ルー[盧迎華]
リウ・ディン(劉鼎)|Liu Ding
アーティスト、キュレーター。1976年、江蘇省常州市生まれ、北京を拠点に活動。中国の近現代史における文化、芸術、政治の影響関係に関するリサーチをもとに、テキストや写真、インスタレーション、絵画、パフォーマンスなど、さまざまなメディアによる作品制作のほか、執筆活動や、展覧会企画を行う。主な個展に「Reef: A prequel」(ボンネファンテン、マーストリヒト、2015)。主な国際展出品に、釜山ビエンナーレ(2018)、イスタンブール・ビエンナーレ(2015)、ヴェネツィア・ビエンナーレ中国館(2009)。主なグループ展に「Discordant Harmony」(アート・ソンジェ・センター、ソウル、他巡回、2015-16)。またテート(ロンドン)のオンライン・フェスティヴァル「BMW Performance Room 2015」などに参加。
キャロル・インホワ・ルー(盧迎華)|Carol Yinghua Lu
美術史家、キュレーター。北京インサイドアウト美術館ディレクター。1977年、広東省潮州市生まれ、北京を拠点に活動。北京インサイドアウト美術館での主な展覧会企画に「Wang Youshen: Codes of Culture」(2022)。2012-15年、OCAT(深圳)アーティスティック・ディレクター兼チーフ・キュレーター。光州ビエンナーレ(2012)コ・アーティスティック・ディレクター。『Frieze』への寄稿のほか、審査員として「Tokyo Contemporary Art Award」(2019-22)、「Hugo Boss Asia」(2019)、「ヴェネツィア・ビエンナーレ金獅子賞」(2011)などを歴任。2013年、テート・リサーチ・センターのアジア太平洋フェローシップ・プログラム客員研究員。
川上幸之介|Kounosuke Kawakami
アーティスト、キュレーター。1979年山梨県生まれ。倉敷芸術科学大学准教授。主なキュレーションに「Bedtime for Democracy」(2022)、「Punk! The Revolution of Everyday Life」(2021-2024)ほか。主な著書に『パンクの系譜学』(書肆侃侃房、2024)、共著に『思想としてのアナキズム』(以文社、2024)。