ホー・ルイアン「イメージの危機」(2)

イメージの危機
インタビュー / アンドリュー・マークル
I

 

II.

 


Ho Rui An, Solar: A Meltdown (2014–17), lecture and video installation with digital print, solar-powered toy and punka (colonial fan). Photo Ho Rui An. All images: Unless otherwise noted, courtesy Ho Rui An.

 

ART iT ここまでは普遍化や特殊化という人種化された言説の中にある矛盾や捻れについて話してきました。人は個人として、その捻れをどの程度まで乗り越えることができるのでしょうか。たとえば、レクチャーの中ではYouTubeやハリウッド映画のあらゆる類の情報や分析、映像がまとめられているので、あなたがグローバルな視点から物事を考えているという印象を受けます。では、シンガポール出身であることは、あなたの考え方にどのような影響をもたらしているのでしょうか。

ホー・ルイアン(以下、HRA) 面白いことにシンガポールは、これはレクチャーでシンガポールをほとんど重視しない理由でもありますが、この地域においてあまりにも例外的で、それはいわゆる東アジアの奇跡の時ですら変わりません。ひとつには、ほかの国々はシンガポールほど経済を自由化するわけにはいきません。もちろんこれは都市国家という特殊な地政学的条件に依るものが大きく、統治や資本蓄積のための特殊なパラメーターが与えられています。ご存知の通り、自由貿易と金融化によって、シンガポールは信じられないほど豊かに成長しました。それがマラッカ海峡に面するという戦略的な立地条件以外に天然資源をほとんど持たない国家が、わずか短期間でここまで豊かになった理由です。ほとんどすべてのシンガポール人は、反グローバル運動が昨今世界中に広がっているにもかかわらず、また、この国自体もグローバル化に対する不満を抱えているにもかかわらず、シンガポールはその恩恵を受けていると認識しているのではないでしょうか。ほかの国々と同じように、たくさんのシンガポール人が経済格差の拡大、超富裕層の台頭、また、新自由主義に伴うありとあらゆるものに直面しているのも事実ですが、しかし、そこに想像力の完全なる欠如、あるいはオルタナティブな経済システムが一体どのようなものになるのかを想像することに対する恐怖心があるのも事実です。かつて、シンガポールをこれほどまで孤立した島のように感じることはありませんでした。

しかし、ひとたびシンガポールの例外性を考慮するならば、非例外性についても理解しなければいけません。たとえば、最低賃金の制定をはじめとする、ほかのたくさんの地域で正常に機能していることが、シンガポールではその特殊な事情のために上手くいかないと言われています。それからある時点で例外性に関する言説が政治的に実現可能なことを排除するためにいかに操作されているのかを知りはじめる。このような例外性の操作それ自体は例外的なものではなく、むしろ世界各地の国家権力による操作の典型例です。

 

ART iT ここで話題をレクチャー・パフォーマンスという形式に移しましょう。この形式はキャリア初期の映像を基にしたプロジェクトから生まれてきたのではないかと思いますが、そこにはどのようなきっかけがあったのでしょうか。

HRA 私がアーティストとして初めて深く取り組んだメディアが映画で、未だに映像作品を制作し、映像の文脈で活動しています。パフォーマンスメディアとしてのレクチャーへの移行は、映画という形式をある種のパラシネマの方へと拡張することに興味を持ったことがきっかけになりました。

映画史を研究していたときに興味をそそられたもののひとつに、シネマティック・レクチャーという形式があります。これは映画の黎明期にほとんどの作品の上映に用いられた形式で、映画とは生身の身体を伴う準−演劇的な体験のことになりました。ほぼ必ず生身の身体がそこにあり、作品を紹介するだけでなく物語自体に直接的に参加することさえありました。日本には活動弁士の存在がありましたね。タイには一座で地方巡業する活動弁士(versionist)がいて、投影されている映像をナレーションからアフレコ、コメンタリー、批評まで、さまざまな仕方で補足する、生のオーラル・パフォーマンス付きで映画を上映していました。タイの映画史家のメー/アーダードン・インカワニットがこうした歴史を教えてくれたことに感謝しているのですが、彼女の言うところによれば、時にタイの活動弁士は登場人物の名前をその村の住民の名前に置き換えるなんてこともしていたそうです。そこで上映されていた映画の大半がハリウッドやインドで製作されたものだと分かると、この活動は外国由来のものや一般的とされるものの極端なローカライゼーションと読み替えることもできます。こうした歴史に向き合うことで、スクリーンのそばにある生身の身体の立ち位置に関心を抱いて行きました。それは映画について語るだけでなく、時に登場人物として映画の内側から語ることもあれば、映画のそばを動きながら語ったり、映画に立ち戻って語ったりするのです。

異なる文脈の下で映画の装置が変容する様を知って気持ちが新たになりました。なぜかと言うと、今日映画館を訪れても、その装置が1930年代からほとんど姿を変えていないという印象を受けるからです。3D上映さえもシングルスクリーンの体験と大して変わりません。スクリーンそれ自体にさまざまな技術革新がもたらされたにもかかわらず、体験の単一性は相変わらずのままです。これに比べて現代美術は、作品の物質的形式を全面的に拡張してきました。この違いの理由のひとつには、映画をシングルスクリーンの域を越えたところに導くような、よりヴァナキュラーな映画に対する理解があまりにも歪んでいるために、たとえ実際にそうした作品を生み出した人々でも同時代にアーティストや革新者として認められなかったということがあると思います。このようにして、「正式な映画」と祀り上げられるものとの関係において、それらはパラシネマ的なものに留まっているのです。

 

ART iT ということは、活動弁士のような存在があなたをレクチャーというフォーマットに導いた要因のひとつだということですね。

HRA 活動弁士は興味深い事例ですね。スクリーンの外側で映画について語るとはどういうことなのでしょうか。物理的にスクリーンの外側に位置する生身の身体に耳を傾けることは、エッセイ映画におけるナレーションを聞くのとは違います。エッセイ映画も私にとって重要な参照ですが…。

 

ART iT しかし、あなたのレクチャー・パフォーマンスにおける生の語りと投影された映像という組み合わせから、同じくヴォイス・オーヴァーも頭に浮かんできます。

HRA はい。それに私は映像でもレクチャーを見せているので、結果的にそれは映画によって再び媒介されることになります。しかし、最近は映画とライブ・パフォーマンスの間でも面白い対話が展開しています。YouTubeなどの映像配信プラットフォームを通じて、レクチャーを目にする機会が増えているのではないでしょうか。

 

ART iT 大衆意識におけるエデュテインメント(教育+エンターテインメント)と言えば、TEDトークですね。

HRA それとは比較されないようにしているのですが、TEDはレクチャー、あるいは私たちがどういうものをレクチャーとして捉えるのかを独占しています。ただ、私が最も関心があるのは、TEDトークが今日まず第一に映像として体験されていることです。会場の観客席にいるのは、ほとんどが特権的な人々です。映像を視聴するとき、あなたはすでに自分がそこにいない、オリジナルの場所へのアクセス権を持っていないという感覚を覚えています。

 


Ho Rui An, Solar: A Meltdown, performance view. Photo Eike Walkenhorst.


Ho Rui An, Installation view in “Sunshower: Contemporary Art from Southeast Asia 1980s to Now” at the National Art Center, Tokyo, 2017. Photo Norihiro Ueno.

 

ART iT では、あなたはどのように観客と関係しているのでしょうか。

HRA それはレクチャーの主題や、どんな文化的・社会的文脈を扱っているのかに依ります。私はレクチャー毎にパフォーマンスの空間を理解するための空間的なメタファーを考えるようにしています。《Solar: A Meltdown》(2014-2017)では、植民地時代とグローバル時代の間の歴史的転回を検討し、植民地主義的なレクチャー、あるいはレクチャーツアーの形式を領有するための方法について考えていました。コロニアル・レクチャーは、人類学者が植民地を旅して内地に持ち帰るためのイメージを収集し、本国でのレクチャーがエキゾチックなものや異質なもの、また、語り手の説明を必要とするものなど、そうしたイメージを発表するための形式になるという点で、パラシネマ的な形式でもあります。

《DASH》(2016-)の場合、車のダッシュボードの前に座る乗客の立ち位置からはじめました。映像インスタレーションとして発表するときの設営に関するかなり具体的な話になりますが、観客は改良されたシートに座り、そこで私が直接話しかけてくるのをシートのアーム部分に備え付けられたタブレットを通して聞くことになります。その映像インスタレーションの中で観客が見ることのできるドキュメンテーションは、私が話す姿だけで、それを生で聞いている聴衆の姿は見えません。この鑑賞の様式は極めて個別化されたもので、観客は一人ひとり自分のスクリーンを通して作品を体験します。また、私は車それ自体、具体的には前方の道路を見るためのフレームとしてのフロントガラスを映画的な装置と見做していました。タイでタクシーを拾ったとき、ダッシュボード全体がドライブレコーダーからタブレット、仏像のアミュレットまで、ありとあらゆるメディアテクノロジーで埋め尽くされていたことがありました。このように、車という映画装置それ自体の中で、たくさんの装置が集まり新しい光学−運動複合体を作り上げていました。

一方、《Asia the Unmiraculous》にはマジックショー的なところがあります。経済全体の価値が一夜にして消える可能性があるように、ものが現れたり消えたりする。この作品のインスタレーションは、どこか待合室に似ている。というか、起こるか起こらないかわからない奇跡を待つための空間かもしれません。

 

ART iT 《Screen Green》(2015-16)において、市民は自分たちの想像力を国家に投影するという形で政治に参加していると結論づけていましたが、では、観客はどのようにレクチャーという形式に参加するのでしょうか。

HRA 「聴く」という形かな? そうですね、レクチャーは観客に直接的な参加があるような形式ではありませんが、それ自体が問題だとは思いません。議論の流れを追ったり、コンセプトを拡げたり試したりすることで緊張の高まりやほぐれを感じられるようなレクチャーを聴くのは、個人的に本当に楽しいです。とはいえ、作品のためのリサーチが閉じられた、非参加型の状況で行なわれているというわけではありません。とりわけ《Asia the Unmiraculous》では、2017年から2018年にかけてバンコクで企画した連続ワークショップを通じて、レクチャーの素材の多くが生まれました。テキストを読み、議論する回もあれば、読んだテキストと関連するアイディアをワークショップで参加者が自分の経験を議題にするようなより自由な回もありました。このようなプロセスからレクチャーの一部となった数々の事例が生まれてきました。このワークショップは国境を越える範囲のリサーチのことを考えると、自分が各地域特有の条件に取り組む上でとても重要な形式でした。

 

ART iT ほかにはどこでワークショップを行ないましたか。

HRA 一連のワークショップ全体をやれたのはバンコクだけですね。テンタクルズ・アートスペースのレジデンスプログラムのおかげでより多くの時間を費やすことができました。ほかの場所ではそれほど時間がありませんでしたが、リサーチのプレゼンテーションを行なったり、時に制作途中の段階のパフォーマンスを演じたりした後で、対話や議論の場を設けました。ソウルやアテネ、中国の銀川、台北でもやりましたね。

劇場のアフタートークと違って、少人数でより焦点を絞った環境で話し合うのは楽しいですよね。劇場は時に威圧的な空間になります。たしかに劇場にはパフォーマンスに対する私たちの体験を刷新しうるアフォーダンスがあるけれども、レクチャーという形式を採用することで、空間の条件に合わせてパフォーマンスの規模を大きくも小さくもできるという順応性を獲得することができます。私が最小限必要とするものはプロジェクターと書見台です。また、この順応性がレクチャーという形式に可搬性を与えます。それは相対的に作品の持ち運びが簡単で、さまざまな空間に対応できる形式なのです。

 


Ho Rui An, DASH (2016–18), lecture and video installation with car seats and synchronized screens. Photo Sam Cranstoun.


Ho Rui An, Screen Green (2015–16), lecture and video installation with green screen. Photo Bartosz Górka.

 

ART iT あなたは作品を享受する観客をどのように思い描いていますか。《Asia the Unmiraculous》を台湾や山口といった場所で発表することは、あなたがアジアの観客に向けて取り組んでいると捉えることもできますが、しかしここでもまた、この作品における金融の人種化に対する批評は西洋の観客という仮説的なものに向けられているようにも感じました。

HRA 《Asia the Unmiraculous》は、光州ビエンナーレとYCAMの『呼吸する地図』の委託作品だったので、東アジアや東南アジアの素材や文脈にある程度馴染みのある観客を想定しながら制作しました。これは重要なことだと思います。なぜなら、アジアの観客を想定しながらアジアで制作するときでさえ、「国際的」観客という抽象的なものに向けて話すプレッシャーを感じるのですが、おっしゃる通り、そこには大抵、少なくともある程度ヨーロッパの人々が想定されています。観客の中にただひとりヨーロッパ出身者の存在が「国際性」を示唆することがよくあるように、この認識から逃れることは難しいです。この作品に託した願望のひとつは、アジアと認識される地政学的な地域の国々の間の対話を開くことです。だから、アジアの国々が高度経済成長とそれに続く金融危機の期間にお互いをどのように見ていたのか、あるいは見ていなかったのかということ、また、各国で異なった自由化へのアプローチについて、物語の大半を費やしました。しかし、そうするためには、自分の観客が少なくとも地図上でこれらの国々を特定できると想定しなければいけませんでした。この作品は決して東南アジア入門講座ではありません。東南アジアの現代美術はこの30年間国際的に流通してきましたが、そろそろこうした対話も広まってきたのではないでしょうか。それに、私は観客の一員として、自分にとってまったく異質なもの、疎遠ですらあるものを投げかけられたいと考えています。それによって、自分が何かを学んでいるのだと実感するのですから。

 

ホー・ルイアン インタビュー(3)

 


 

ホー・ルイアン|Ho Rui An
1990年シンガポール生まれ。現代美術、映画、パフォーマンス、理論が交差する領域で制作活動および執筆活動を展開。グローバリズムや統治機構の文脈の中で生産、流通、消滅するイメージに焦点を当て、権力とイメージの変容する関係性を調べあげ、レクチャー・パフォーマンスやそれを基にした映像作品やインスタレーションなどの形式で表現している。コーチ=ムジリス・ビエンナーレ(2014)、シャルジャ・ビエンナーレ13(2017)、ジャカルタ・ビエンナーレ(2017)、銀川ビエンナーレ(2018)、光州ビエンナーレ(2018)、アジアン・アート・ビエンナーレ2019、ノッティンガム・コンテンポラリー(2019)といった国際展を含む数々の展覧会に参加。最新作の《Student Bodies》(2019)は、第65回オーバーハウゼン国際短編映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞した。2014年には、シモン・カステとハンス・ウルリッヒ・オブリストが立ち上げた「89plus」がシンガポールで開催された際にキュレーションを手掛けるなど幅広い活動を展開。2018年にDAAD(ドイツ学術交流会)の助成を受け、現在はシンガポールとベルリンを拠点に活動している。

日本国内でも2012年に札幌国際短編映画祭やSintok シンガポール映画祭(東京)で映像作品を上映、2016年にはTPAM(国際舞台芸術ミーティング in 横浜)で《Solar: A Meltdown》、2018年に山口情報芸術センター[YCAM]、2019年に国際交流基金アジアセンターで《Asia the Unmiraculous》をレクチャー・パフォーマンスとして発表している。展覧会としては、2017年に『サンシャワー:東南アジアの現代美術展 1980年代から』(森美術館、国立新美術館)、2018年に『呼吸する地図たち』(山口情報芸術センター[YCAM])に出品している。

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