連載 田中功起 質問する 7-3:片岡真実さんへ2

田中さんが森美術館チーフ・キュレーターの片岡さんと、「日本とアジアのアート」を語る今回の往復書簡。片岡さんからの最初のお返事では、近現代の歴史を丁寧にとらえつつ、これまで感覚を通じ共有されてきた日本特有の要素を言語化していく重要性も指摘されました。今回はそこで話題にのぼった展覧会のお話にはじまり、アジアのキュレーターに課せられた「二重性」について田中さんが問いかけます。

往復書簡 田中功起 目次

件名:素材と環境、課せられた二重性について

片岡真実さま

最初のお返事、ありがとうございました。
この間、ぼくの方はといえば台北と東京とLAを行き来し、いまはローマに滞在しています。このローマ滞在は、片岡さんの友人でもあるベアトリス・ラーンザによる企画で、地元のアーティスト・イン・レジデンスをジョイントした展覧会です。ぼくはスケジュール的に展示準備期間までいられないので、早めに来て早めに帰るって感じです。今年は他の展覧会の予定もあるので、スケジュール的にはかなり厳しいのですが、なんとかその予定から振り落とされずにしがみついて活動してます。最近は制作やアイデアの規模が大きくなっているせいか、短期滞在での制作がしにくくなっている+即席でなにかをすること自体に興味がなくなっているなあ、と感じています。LAや、何度も足を運んでいる台北などアジア圏の都市ならまだしも、まったく訪れたことのないヨーロッパの都市でなにかサイト・スペシフィックにアプローチをするには時間が足りないと感じています。


ローマ市内、絵を持ってあるくひと

ライト・アンド・スペースと素材について

さて、前回、最後に片岡さんが挙げていたサンディエゴ現代美術館でのライト・アンド・スペース・ムーブメントについての展覧会、ちょうどその時期に見に行く機会がありました。

ラリー・ベル(*1)などは形態的に見れば、同時代のものであるとはいえミニマリズムに連なるものです。素材の強靱さがないぶん、ある意味では非常にはかなく、より知覚的/現象的ですよね。ミニマリズムが身体と作品の関係性に重きを置くことや、その観客依存型の関係性を「演劇的」と批判したのはマイケル・フリードでしたが、この意味でミニマリズムそのものは作品の堅牢さとはうらはらに「現象的」なものでした。でもそれはジャッドに代表されるような堅牢な工業素材、鉄、アルミニウム、コンクリートや木材を使ったからこそ生じたことだと思います。強い素材が物体と身体の関係をより自覚させた。マーファで100のアルミニウムの立体(*2)を見たときなんだかめまいがしたのもそのせいかもしれません。ライト・アンド・スペースにおいては身体と物体と空間の関係性がそれほど強く意識されない。いわば相互にやさしい関係がある。素材が半透明の樹脂や光自体であるということで、空間と身体は、相互浸透関係にあるような(ジェームス・タレルやダグラス・ウィーラー(*3)をイメージすると分かりやすいですよね)、そのボーダーが気づいたら失われている、そんな不思議な感覚で満たされます。東海岸が強い演劇的な自覚を望んでいたとすれば(それは、観客と作品という境界の問題でもあり、とても制度的です)、西海岸ではやさしい演劇的関係を結んでいた、とおおざっぱに言い切ってしまうこともできるかもしれません。

ミニマリズムは、ときに現象的/演劇的なものであるという側面が捨象され、誤解されます。例えば通俗的理解では最小限の単位でデザインされているものを指す言葉として受け入れられている。この理解を誘ってしまうのはその素材の強さにあるとぼくは思っています。あくまでもそれはものとして見えてしまう。その点ライト・アンド・スペースは、素材の「やさしい」見えによってより「現象的」なものとして受け取られやすい。

ひとつ面白い事実は、素材と環境の関係です。ほとんどの作品で合成樹脂が使われていますが、これってサーフボードの素材と同じなんですよね。もちろんカルフォルニアはサーフィンをするひとがたくさんいるわけで、合成樹脂を扱う工場に作品を依頼し製作する場合、自ずとサーフボードの工場に製作を依頼することになるそうです。この当時の話をブルース・ヨネモトさんより聞いて、なんだかとても合点がいきました。身体とサーフボードが自然の中でフィジカルな関係を結ぶ。その関係性がそのままギャラリー空間にも移される。もちろんぼくらはその作品に触れるわけでもなく、そこに波があるわけでもないけれども、ギャラリー空間の中で視覚的にその作品と戯れるという行為はそのままサーフィンと対応関係にあります。

アーティストは、どんな工場が周囲にあるかによって、堅牢な鉄を使う場合もあれば、サーフボードの素材を使うこともある。ぼくらはその環境に少なからず影響を受け、作品の素材も自ずと身の回りにあるものに引きずられていく。

もの派と素材について

少しだけこの話を続けると、ブラム&ポーで見たもの派の展覧会(*4)にもこの「素材」の問題は通底しています。もの派は再制作をひとつの方法としていますが、今回のLAでの再制作は、いままでの日本国内での再制作とは別の文脈を彼らの作品にもたらしたように思いました。アメリカ製の素材(同じ木材、石、鉄であっても)を使うということは、自ずとミニマル・アートの作品と同じ素材を使うことになるわけです。たとえば菅木志雄さんのソフトコンクリートと鉄板の立体(*4)は、その鉄の素材感(形態も)がリチャード・セラの鉄の立体(*5)を想起させます。これは見ようによってはミニマル・アートへの再解釈(本人たちが望むと望まざるとにかかわらず)のようにも見える。これって文脈が見えやすいため、アメリカでも理解されやすい。

あるいは展覧会の中で使われている石や木材、電球の素材が複数の作家にまたがって同じなので(例えば李禹煥さんの石と小清水漸さんの石)、作家性が弱まり、より行為や素材との関係性が顕在化する。これはもの派の真骨頂なわけで、LAでの再制作がよりもの派を先鋭化したようにも思えたのです。ちなみにその使われている石が、丸みを帯びた石ではなく、石切場で切り出されてきた無骨な石素材であったのも、ある種のドライさを作品に追加し、とてもフレッシュな見えをそこにはもたらしていました。

アジアのキュレイターに課された二重性について

ちょっと前置きが長くなってしまいましたが、今回はアジアのキュレイターに求められている課題について少し聞いてみたいと思っています。アジア美術館(サンフランシスコ)での片岡さん企画の展覧会はとても楽しみで、まずはこれをとっかかりに書いてみたいと思います。

実は前回の片岡さんが挙げていた日本人アーティストの名前を見て、ぼくが少し前から勝手に感じていた片岡さんの方向性の変化(もしくは拡張?)があながち間違いでもないのだろうと思うにいたりました。もちろんテーマと合わせて考えてみるととても納得できるものですし(アジア美術のコレクションとの関連という意味で)、展覧会のアイデアとしては違和感を感じるものではありません。ここでは、どちらかというと片岡さんの内側での変化(?)、あるいは自覚の方に興味の中心があります。

いつだったか、以前、アジア人のキュレイターとして求められる立場がある、ということを片岡さんが話していたことがあります。それはつまりアジアの、あるいは日本の「紹介者」としての立場であり、キュレトリアルに興味深いことをするという問題以前に、どうしてもつきまとう役割であると。それはアジア的であること、日本人であることをより自覚され、ある意味では強要されることでもあります。地域の紹介者であると同時にキュレトリアルな新鮮さも提出しなければならない。アジアを含む「特殊」な地域を出自とするキュレイターはこの二重の役割を常に背負わされるわけです。もちろん、日本を拠点に海外でも活躍する日本人キュレイターの数がいまの10倍ぐらいになれば、状況は大きく変わるでしょうけど、そこにはさまざまな障害があるのでなかなか難しい。

一方で、「紹介者」というのはとても分かりやすい立場で、その特殊性を利用するひともいるでしょう。でもただ「紹介」をしているだけでは実はその仕事はそれほど長続きしないようにも思います。ただの「紹介」では充実度も少ないのか、かつてそのような立場にあった人たちもいつの間にか別のことをしていたりします。

アーティストにも同じ問題が少し規模を変えてあるのかもしれません。ただ、まだぼくらの場合は「紹介者」としての役割をそれほどは担わされないので(本人が望めば別かもしれません)、いちおう選択肢は自分の側にある。もっともアーティストも作品の背景となる文脈や歴史を説明しなければならない場合もあるけど、それはなにも日本人やアジア人にかぎらない。背景を話すことはアーティストの活動の一部ですからね。

二重性を抱え持つ

ぼくは以上の二重性に対して、片岡さんが非常に意識的だと思っています。つまりどちらか一方を安易に捨てずにできるかぎり双方をともに抱えようとする。それは森美術館という場でも顕著です。森美術館は、海外でも知られている数少ない日本の美術館であり、特にアジア圏では影響力がある。そこでアイ・ウェイウェイやイ・ブルの個展を企画するというのは意味のあることです。そしてそれをアメリカなどへ巡回させている。評価し、こちらから発信する(いや、もうすでに評価が定まっているとも言えますが、アジア圏の美術館できちんとサーヴェイ展をすることは重要です)。LAでもそうですが、ローカルなアーティストを評価し発信できるのは、ローカリティに根ざした美術館です。今後控えている会田誠さんの個展もとても重要ですね。彼ほど国内と海外での認知度の差が激しいアーティストはいません。会田さんというなかなか背景の説明が難しい/説明しがいのあるアーティストを紹介するというのは、キュレトリアルの面でもより挑戦的なものになるんじゃないでしょうか。

片岡さんはこの自覚・変化・拡張をどのように捉えていますか? 個人的な印象としては、「JAM」展も「六本木クロッシング2004」もそうですが、片岡さんの企画する展覧会というのはテーマパーク的もしくは祝祭的なものであったように思います。ある視点からすればそれは趣味的であったとも言えるかもしれませんが、よりカオティックでダイナミックなものであったように思います。それが近年の展示を見る限りでは、先の二重性を意識したより状況的なあるいは地域/環境的なものへと移行しているように思うのです。その二つの方向性が完全に切り離されてはいないにしても、そこには何かしらの移行があったように思います。おそらく片岡さんのこの履歴は、後続にとっても示唆的なはずです(*6)

アジア美術館の参加アーティストの中で、片岡さんという個人的な文脈において意外だったのが小谷元彦さんや松井冬子さんの参加です。あるいは2011年のヴェネチア・ビエンナーレの日本館コンペの際に、片岡さんが塩田千春さんと組んだのも意外でした(*7)。でもおそらくこの片岡さんの拡張、それは日本という状況(の紹介の難しさ/複雑さ)を切り捨てずに自身の中に含み持とうとしたことから自ずと見出した態度なんじゃないかなあと思っています。ヘイワードでの経験ももしかすると大きかったのかもしれませんが。

なんだか片岡さん個人に寄りすぎかもですが、以前から聞いてみたい問いでしたし、片岡さん個人を通してこそ、よりリアルにこの問題が見えるようにも思います。書ける範囲でかまいませんので、こうしたことをどのように捉えているのか、あるいはぼくがまったく的外れなのかも含めてぜひお聞きしたいです。
よろしくお願いします。次回の返信も楽しみにしています!

田中功起 2012年4月 ローマにて

  1. Larry Bell
    http://www.mcasd.org/artists/larry-bell

  2. Donald Judd, 100 untitled works in mill aluminum, 1982-1986
    http://www.chinati.org/visit/collection/donaldjudd.php

  3. Douglas Wheeler
    http://www.mcasd.org/artists/douglas-wheeler

  4. Requiem for the Sun: The Art of Mono-Ha at Blum and Poe, 2012
    http://www.blumandpoe.com/exhibitions/requiem-sun-art-mono-ha#images

  5. Richard Serra
    http://www.moma.org/collection/object.php?object_id=81294

  6. このような変化はおそらく長谷川祐子さんの中でも起きていたとぼくは思っています。彼女の場合は領域横断的なものへと移行することで、「紹介」とキュレトリアルな問題、双方をクリアしようとしたのではないかと。建築やデザインなどへ範囲を広げることで「紹介」の幅を広げ(あるいはかわし)、そこにキュレトリアルなダイナミズムも含み持つようにした。

  7. 塩田さんはベルリン在住で、なおかつヨーロッパで活躍しているアーティストですが、日本の土着的な要素をそれこそ切り捨てずに抱えもっているアーティストだと思います。その意味では、「日本の」アーティストでもあり、逆に日本という文脈で見せる意義のあるアーティストのひとりだと思います。

近況:広州ではビタミンでグループ展「Sensory Training」に参加中。パリでは以前参加したパレ・ド・トーキョーのレジデンス、10周年記念の展示「this and there」にプロジェクトを出しています。そして、6月に参加するハマー美術館最初のローカル・ビエンナーレ「Made in L.A.」の制作中。

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