河本信治 x 森村泰昌 対談

対談:河本信治(PARASOPHIAアーティスティックディレクター)
x 森村泰昌(ヨコハマトリエンナーレ2014アーティスティックディレクター)

ART iT ART iTでは毎年、「記憶に残るもの」及び次年度へ向けての展望を年末特集として掲載しています。しかし、今回は少しイレギュラーな形として、ヨコハマトリエンナーレ2014のアーティスティックディレクターである森村さんと、PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015(以下、PARASOPHIA)のアーティスティックディレクターである河本さんに、おふたりが関わっている展覧会について、考え方やその内容をお伺いしたいと思います。
まず、河本さんにお伺いしたいのは、PARASOPHIAのコンセプトについてです。第一回ということもあり、まだ手探りの部分も多いかと思いますが、京都という街で、国際展を行なうことを考えたときに、街とその歴史の文脈は無視できないのではないかと思いました。そして、それを再考する際の視点は、町おこしであったり、観光客を集めることを目的としたところに立脚していないのではないか。つまり、現在日本にある他の多くの国際展—瀬戸内国際芸術祭や越後妻有トリエンナーレ、あいちトリエンナーレや横浜トリエンナーレなど—とは求めているものが異なるのではないかと感じました。どちらかというと、街や地域の歴史的文脈を考えているドクメンタに近いものを目指しているのではないか。ドクメンタがそのような形になったのは近年のことではありますが、そうした、京都という場所を、観光ではない読み解きを提案したいと考えてらっしゃるのではないかということを「PARASOPHIA」というタイトルから感じています。このタイトルにはかなりいろんなことが象徴されていると思いますので、その辺りについて聞かせてもらえますか。

河本信治(以下、SK) まず私が京都国際現代芸術祭に関わろうと決断した理由のひとつは、この着想が民間の人から生まれたことです。着想された方は、三年前に妹島和世さんが総合ディレクターを務めたヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展でのヴェネツィアの街の様子に素直に感動したそうです。世界中の知性が一時的にヴェネツィアに集まり、いろんな話をして、去っていきまた戻ってくる人の動き、つまり、「知」を運ぶ人たちが集う都市の姿を見て、こうした新しい知の流れを京都の街に生み出さないと、古いものだけを糧にしているといずれ京都は滅んでしまうのではないか、という危機感を持たれたようです。民間からの発想に対して京都市と京都府が呼応し、これを支援するということになりました。つまり、このプロジェクトは行政の発想によるいわゆる町おこしとは違う形で生まれた、都市が文化をプロモートする上での行政支援のより成熟した形であり、日本では極めて特殊な例だという気がします。
私は京都で実現する国際展は、歴史や予算の桁が違いすぎて比較することさえおこがましいのですが、あえて言えばヴェネチアよりもカッセルの形が望ましいと考えています。私はPARASOPHIAで京都を、内外の知が集い、衝突し、一時的な知あるいは共通言語を模索するプラットフォームにしたいと考えています。またPARASOPHIAという女性名詞を使ったのは、そこで発生するであろう一時的な知が、20世紀に支配的であった父性的な知性とは別のものであってほしいという希望を込めました。

ART iT 河本さんはこれまでずっと京都で美術に関わってきたので、もちろん京都という土地に対する想いもあるでしょうし、京都での国際展というものをより強く意識しているのではないでしょうか。

SK もちろん私は京都には非常に愛着がありますし、一方で近親憎悪に似た想いも持っています。成長、衰退、再生という生命サイクルに似た長い都市の時間を蓄積してきたという意味で、京都は日本で最も都市らしい都市だという気がします。都市らしい都市での国際展の開催は、都市という共通語によって世界中の美術関係者の共感を集めやすい利点があります。一方で、京都は日本人にとっての幻想であり、日本の伝統や田舎など日本的とされるものの全てのステレオタイプ、原型的イメージが投企されている街であり、京都で開催される国際展は否応無く「日本」を引きずることになります。京都でなにかをするということは、日本についてなにがしかの責任を負うことから逃れられません。

ART iT しかし、京都は街自体がかなり魅力的ですから、エキゾチシズムになびいてしまう、そして、そうした要素を少なからず外から期待されているのではないでしょうか。

SK とてもいい質問ですね。たしかにかつては外からの期待というものがあったと思います、京都に対するエキゾチシズムですね。しかしいま私が直面しているのは、かつて外から投げかけられたエキゾチシズムが内在化されたもの、つまり私たち日本人の中に刷り込まれてしまった自分自身に対するエキゾチシズムです。エキゾチックな京都を最も望んでいるのは、もしかしたら京都に最も近い日本人たちではないでしょうか。PARASOPHIAが自分の中に刷り込まれたコロニアルの視線というものを客観的に、冷静に見つめる機会になれば良いなと考えています。

ART iT その点は京都での国際展を考える上で非常に気になるところです。エキゾチシズムに寄り添ったものは、よりスペクタクルであり、一般的には魅力的で、国際展のある種の成功を目指す上では、戦略的に向いているのかもしれません。ただ、この21世紀のこの時点で、そうした展覧会を行なうことに意味があるのだろうか。故に、そこを越えていってくれることを期待しています。そうしたエキゾチシズムを越えたなにかが見えたときに、それが展覧会としてどういう形になって出てくるのだろうかということには非常に興味があります。

SK まだ実際に活動を始めてから数ヶ月しか経っていませんが、私が信頼する海外在住の友人たちは、国際展を京都でやることを当然のこととして受け止めてくれていますし、今、京都が他の国際展と同じようなことをやるわけがないという前提で、協力を惜しまないと言ってくれています。当然のことですが京都(すなわち日本)の抱える歴史と伝統、それにまつわる呪縛のようなものは再考の余地があり、多くの人の異なる知を持ち寄って検討しなければいけないと考えています。私たちが内在化させた外部の視線を自覚的に使うことで京都について考え直すこと、この過程で私は、これまで躊躇してきた「アジアについて語ること」に関して一歩踏み出すことが出来たような気がしています。私たちが内在化したコロニアルの視線、それをアジアの作家といっしょに考えることができるかもしれないと思っているのです。


Top: PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015 オープンリサーチプログラム01[レクチャー]リピット水田堯「猫と犬のように――映画とカタストロフ」2013年6月21日 京都府京都文化博物館別館ホール 撮影:光川貴浩 提供:京都国際現代芸術祭組織委員会. Bottom: PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015 オープンリサーチプログラム04[対談]ダイアローグ――蔡國強×浅田彰 2013年10月14日 京都造形芸術大学人間館1階ギャルリ・オーブ 提供:京都国際現代芸術祭組織委員会

ART iT 「アジア」に関しては後ほどまたおふたりにおうかがいします。さて、次は、森村さんにヨコハマトリエンナーレ2014についてお尋ねします。地元である京都と関係がすでに深い河本さんに対して、森村さんの場合は、アーティストとして横浜美術館でこれまで2度の個展*1を行なっているものの、個人としてはあまり関係を持っていない横浜で国際展のキュレーションという任務を担うことになりました。その横浜トリエンナーレは次が5回目であり、前回より主催者が国際交流基金から横浜市に移行してはいますが、これまでの歴史や蓄積もあり、トリエンナーレ自身が目指す方向性があるのではないかと思います。そうした経緯も含めて、今回、森村さんがアーティスティックディレクターを引き受けた理由について、また、横浜が目指しているものに対して森村さんが共有しているものについて聞かせてください。

森村泰昌(以下、YM) それについて答える前に、まず、京都のエキゾチシズムがむしろ京都の人に内在化しているという河本さんの話を聞いて、そこから非常にドメスティックなこと、つまり「大阪のたこ焼き」を連想してしまいました。それは僕が大阪出身だからなのですが、僕らが子どもの頃は、「たこ焼き」というのは恥ずかしい食べ物で、路地の裏のところに隠しておくようなものでした。それが、変な言い方ではありますが、だんだんと東京辺りで評価され、大阪は粉もの文化だとか、大阪自慢のひとつとして「たこ焼き」が扱われるようになりました。「よしもとのお笑い」も、今時で言うと、「大阪のおばちゃん」などもそうですが、つい先ほどまで馬鹿にしていたおばちゃんを、みんなが面白いって言い出すと、それを自分のアイデンティティとしてしまう。地方の一都市なので、そういうものが歴史の中でもいっぱいあるんですね。
僕が住んでいる鶴橋も然りで、昔、鶴橋は行くのも、そこについて話をするのもいけない場所であったのに、今では自慢の場所になっていたりする。もちろん、そこには複雑な歴史もありますけれど。そういうことがいろんな土地に存在するのではないかと思います。
さて、先程の河本さんの話の視野は、僕が一度も見たことのないドクメンタにまで至るという開けたものです。しかし、僕は横浜トリエンナーレというものに関わってはいるものの、それ自体一度も観たことがありませんし、参加したこともありません。観たいと思ったこともありません。ただ、アーティスティックディレクターの依頼を受けたことを河本さんに相談したり、いろいろと話をお聞きしたりする中で、自分のある種の資質というか、ここで話した連想の思考過程の特徴といったものを意識するようになりました。そうすると、どうもこういう国際展や大規模な展覧会をディレクションする、もちろん、アーティスティックディレクターですからそういう立場なのですけれども、その立場に自分が相応しくないのではないか。僕はやっぱり美術家ですから、アーティスティックディレクターには、もっといろんなことを知っていて、草の根まで人脈があって、多くの展覧会を観て、いろんな作家を知っている、そういう人の方が絶対に向いているのだろうと、最初から、そして今でも思っています。当時、河本さんに相談したときも、断ることを考えていましたし、僕としてはそのことに対して何の罪も感じていないという、言うなれば非常にネガティブな態度がありました。しかし、これは自分の発想の仕方にも通じますが、そこで「やめます」と言って全部終わりにするのではなく、そこをもう一遍反転させる。この反転、というのは自分の作品づくりの過程でもよくやっていることなのですが、今回の件も、自分がディレクターに向いていない資質だからこそやってみてもいいのではないか、という非常にひねくれた、あまのじゃくのような感覚でお引き受けしました。そういう人間が国際展に関わったら、もしかすると、現在の国際展とは違う側面が見出せるかもしれない。そういうようなことをいろいろと考えていたときに、自分が取り残している、これから宿題として付き合っていかなければならないものが自分の中にあるのではないかと考えたのです。

SK 僕が森村さんから相談を受けたときには、森村さんはご自身で既に決めていたのではないかとお見受けしました。背中を少し押すことが私の役目だと思いました。森村さんであればきっと、森村さんを選んだ人たちの思惑をまったく裏切るようなことをやるだろうとも思いました。それならば、「是非引き受けてもらう方が世界のためによろしいのではないですか」と言った覚えがあります。これまでにも世界のいくつかの国際展でアーティストがディレクターを務めたことがありました。成功した例もあったとは思いますが、多くの場合は成功したとは思えないのです。その理由はきっと、ディレクターになったアーティストが、自分の役割はなんだろうか、まわりは自分に何を求めているのか、というようなマーケティングをしてしまう、その国際展にどういうものを提供すれば自分の役割は果たせるだろうかと至極真っ当な考え方をしてしまうからだと思います。おそらく森村さんの場合はそういったものを考えた上で、それを全部捨てて違うものを考えられるだろうと思いました。ここ20年程の国際展の流れとして、巨大な文化産業としての国際展が途方もない勢いで拡大してきました。しかし傍らでは、「もうこんなことはもう止めよう、いつまでもこんなことをやっているのはよくない」と考えている人たちがいるのも事実です。そうした中で森村さんが、いわゆる文化産業として求められている国際展とは違う、その対抗価値のような形の国際展を横浜で創り得るのではないかと、真剣にそう思いました。森村さんによる来年のヨコハマトリエンナーレ2014は、国内の心ある人たちに国際展の再考を促す機会になるだろうと期待しています。

YM 河本さんにお聞きしたいのですが、さきほどお話しいただいたPARASOPHIAに関する発言は非常にオフィシャルなものだと思います。しかし、本当のところはどうなのでしょうか。例えば、自分の好きな作家たちというものが頭に浮かんでくる中で、タイトルや全体の構図が出てくるのか、それとも、まず、キュレーションという厳格な思考があって、そこに作家が組み込まれていく構造なのかどうか。僕の場合は、まず、先ほど申し上げたような宿題がいくつか浮かび、それは非常に個人的なもので、それを人に押しつけるのは大変失礼なこととは言え、そういった個人的なものでも非常にリアリティのあるものについては、それを共通言語に置き換えることによって、もしかしたら多くの人々にもリアリティのあることになるのではないかという強い確信があります。そうして、いくつかの個人的なものを思い浮かべながら、それらを全体的に言い表す言葉がまず生まれ、そこからコンセプト、タイトルが生まれます。だから、僕にとってタイトルは相当重要なものです。私事をベースとしながらも、反転して共通言語と化したなにかをタイトルとして打ち出す。そうすることで、その言葉にはある種の共通言語としてのリアリティが出る。そのリアリティを膨らます形で展覧会を構成していく。自分のものの作り方、そして展覧会の作り方はこういう構造になっていると思うのです。
人生というのは宿題をどんどん解決していくことだと思っています。作品を作ることも、それによって自分の残している課題を解決していくということを持続的にやっていくということじゃないかなと思います。一方で、自分の作品づくりではできない宿題が山積みになっています。例えば、僕にとっては、林剛と中塚裕子というふたりがいます。ご存知ない方もいらっしゃるかもしれませんが、僕は林+中塚が80年代を通じて京都市美術館アンデパンダンで行なったプロジェクトが、自分の中の未解決の宿題、つまり今まで放置したままの出来事であり、これをどうにかしたいと考えています。もうひとつ例を挙げるとしたら、釜ヶ崎という場所。このプロジェクトを横浜でどういうふうにやっていくのか、釜ヶ崎が横浜となんの関係があるのかということについてはまだ考えが及びませんが、ヨコハマトリエンナーレ2014とのある種の接触を通して、個人的な衝動として、そうした宿題に取り組みたいと思いました。

ART iT 作品づくりではできない宿題が、展覧会によって解決できるものなのでしょうか。その作品づくりでできないとおっしゃる森村さんの宿題についてもう少し詳しく聞かせていただけますか。

YM ひとりで解決できる宿題については自分の作品づくりでやっていけますが、到底ひとりではできないことや、自分の能力の守備範囲ではカバーしきれない部分があったりします。例えば、僕は1983年に初めて個展を行い、85年に「肖像/ゴッホ」を作り、セルフポートレートの作品をずっと作り続けて今に至るという経緯があります。一方、同時並行で1980年代に、林、中塚両氏は同じ京都の、京都市美術館アンデパンダンで作品を十年くらい毎年、制作していました。僕は中塚さんをよく知っていたので、彼女からいろいろな話を聞きながら、ふたりがやっていたことはすごいなと感じていました。しかし、そう思えば思う程、自分の表現の意味がなくなり作品が作れなくなると思って、ふたりのやっていることに目をつぶったんです。そうすることによって、やっと自分の表現を前に進めることができました。これは「A and B」ではなく、「A or B」という関係で、Aを無視することでBを進めることができたという経緯があるから、無視したAというのは取り残されているわけです。現在、ある地点までB(私自身の表現活動)を進めてきたので、自分が取り残してきたAの部分をなんとか自分にとって可視化する、もう一度、目に見える形に浮上させたいと考えたのですが、これは自分だけではできません。あるいは、林+中塚とはなんだったのかを研究するだけでなく、ほかの作品、表現行為との絡まりの中で、自分の世界地図の中における位置づけが見えてくるような感じがするのです。展覧会というのは世界像を提示することだと思っていますが、世界像を作るのであれば、自分の作品づくりではなく、自分の作品以外のもので世界像を作ってみることが今の自分にとって必要だと感じました。世界にあるさまざまな要素から、何をどういうふうに置くのかによって、どのような世界像が見えてくるのか。世界像というのは要するに価値観ですよね。いっぽうで配置と選択によって世界像を提示することを、他方で自分が作品を作ることを視野に入れつつ、なにかのバランスをとろうとしているのではないでしょうか。


林剛+中塚裕子「The Court 天女の庭 / テニスコート」1983年/2013年 In 『犬と歩行視 Part-2「実験と演習:Case of Goh Hayashi + Hiroko Nakatsuka」』2013年 Photo: ART iT.

ART iT 森村さんがおっしゃっているような個人的な想いという部分についてはどうお考えですか。もちろん、河本さんは京都国立近代美術館で最後に『マイ・フェイバリット』展*2で締めくくったということもあり、個人的な想いというのは当然お持ちだと思いますが、それはPARASOPHIAという国際展の枠組みにおいて、どのように展開しているのでしょうか。

SK PARASOPHIAに個人的な側面はないのかという質問ですが、もちろん森村さんがおっしゃったのとは違う意味で私にとっての宿題が込めてあります。私は美術館での仕事を通して様々な作家に会い、彼らが考えていることに共鳴したり反発したりするなかで展覧会をやってきました。望みながらまだ実現していない作家が幾人かいます。そして再度いっしょに仕事をしたい作家もかなりいます。PARASOPHIAではそうした作家たちと集まり話がしたい、考えたいという個人的な部分もあります。でもそれは私の外部にとっても、つまり今回で言えば京都にとっても、悪いことではないのではないかと思うのです。年齢的なものもありますが、何時でもまた仕事が出来ると思っていた作家の訃報に接することが多くなりました。私がとても重要だと考えている作家たちの業績を、私以外の人たちも忘れないでほしいという私的な願望も込めています。従って、PARASOPHIAは最新の現代美術のフレッシュなアーティストの情報や、最新作ばかりを網羅するような、いわゆる国際展らしい国際展とは少し違うものになっていくでしょう。

YM ヨコハマトリエンナーレ2014の場合は半分くらいが既に亡くなっている作家になるかも。年配の作家も多く、批判されるかもしれません。実際、もっと若い作家を入れてくださいというリクエストはあります。よく国際展に伴う言葉で「祝祭性」という言葉を使いますが、本来、祭りというのは死んだ人を迎えてみんなで賑やかにやることではないかと思いますから、生きていることと死んでいることの間にそのようなラインを入れるのは私自身は不思議に思います。

SK 今年のお盆を過ぎた頃にPARASOPHIAは、一種のお盆のようなものになるかもしれないと考えていました。時空を超えて、知を京都に召還するという意味でです。こうしたことを考えたのは、もう一度仕事をしようと約束を交わしていたアラン・セクーラが亡くなってしまったことがあります。彼が持ち得たような知性を忘れないために、私は何をするべきか真剣に考えなければいけないと思いました。

YM 不思議なのは出品作家について話し合っているとき、いいなと思った作家はみんな死んでしまっている。死によって伝説化されるのは承知ですが、それを知ってある種のセンチメンタルやノスタルジーから選んでいるのではなく、勉強不足とはいえ、そうした事実を何も知らないままに、いいなと思った作家が、もう既に死んでいたり、年配だったりすることが多かった。

SK 私もここ十年程はさほど熱心に現代美術の若い作家を見ていたわけではないので、調査中にいいなと思える作品にであっても、それが最新作ではなく数年前に制作したもので、さらに調査を進めると、私が興味が持てる作品がその旧作しかない場合があります。自分が納得できる作品だけを集めることで自分のイメージに沿った展覧会は出来上がるのだとは思うのですが、でも、それでは駄目なのだろうと思います。自分の意に沿わないものも許容して初めて、対立を調停する必要から生まれる一時的な共通語の模索が始まると思うのです。私はキャッチーなタイトル(コンセプトと呼ぶ人も多いのですが)やテーマに自縛されたような結果を避けたいと思っています。

YM 展覧会について、ひとつの作品というのは単純に考えれば布石の駒です。全体を構成するときにこの駒を入れて、あの駒をこう入れてと組み替えていって、いい感じの一元的な世界がまず見えてくるのかもしれない。でも、やはりその駒から派生するいろいろなもの、この作家がいろんなものを作っているという事実が残像のように層を作り上げていると思います。もちろん、最終的には一番上のところに浮き上がってきたものが一番美しいものになっているのかもしれませんが、沈殿しているものも含めて横から見るとつまらなかったり、逆に面白かったりするので、その層も含めて見ておかないと理解が難しいですよね。

SK 誤解を生むかもしれない話なのですが、例えば、十数年前に出会った作品で作家の名前がわからないまま長い間探し続けていたのが、新たな展覧会を構想した時に突然名前がわかるというようなことがありました。すると、この作家は絶対外してはいけない、この作家にはおそらく自分が十数年間ずっと考えてきた何かと重なるものがあるだろう、そして、これを人に伝えることは意味のあることかもしれないと思うような展開になっていきます。何が正しいとか、何が重要かということを展覧会という場で客観的に伝えるということはできないと思っています。展覧会とは、ディレクターなりキュレーターの編集と解釈、物語の発見と改ざんが行われる場です。それを覚悟して提示するのが展覧会ということになると思います。その覚悟の置き場所が重要な気がします。


Top: PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015 オープンリサーチプログラム03[レクチャー/パフォーマンス]ドミニク・ゴンザレス=フォルステル「M.2062 (Scarlett)」2013年9月6日 京都府京都文化博物館別館ホール 撮影:光川貴浩 提供:京都国際現代芸術祭組織委員会. Bottom: PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015 オープンリサーチプログラム02[報告会]田中功起+蔵屋美香「抽象的に話すこと――ヴェネツィア・ビエンナーレに参加して」2013年7月27日 同志社大学今出川キャンパス良心館地下2番教室 撮影:光川貴浩 提供:京都国際現代芸術祭組織委員会

ART iT 個人的な想いが織り込まれていながらも、敢えて多くの共感を呼ぶような「強いメッセージ」に踏み込まない、声高に叫ばないということを意識しているのではないかと推測します。9.11から3.11といった流れにおいて、声高に叫ぶこと、主張すること、それはもちろん主張しなければ何も変わらないという社会の流れも踏まえた上で、語らない、委ねるという選択をしているのではないかと感じましたが、その辺りの展覧会における姿勢について教えていただけますか。

YM 黙ることもまた声高に主張することであり得る場合がある。なにかに対して主張すれば、それは情報化される、歴史化され得ますが、そのときに敢えて沈黙するケース。そういうのは行為や情報としてクレジットされないんです。みんなが声高に主張するときに自分は敢えて黙っておく、何もしない、本当はそこにはものすごい主張性があるはずなんです。しかし、それが強い選択の意志であるとはクレジットされません。僕が興味を持っていることのひとつは、そういう沈黙や無行為を敢えて選択している作品や作家の態度であり、そういうものが自分にとって非常に刺激的です。ヨコハマトリエンナーレ2014のテーマに繋がりますが、沈黙や何もしない行為の選択、忘れられていくもの、あるいは、忘れられていく強迫観念に囚われるようなもの、そこにはなにかとても強い意志や主張を感じます。

SK  9.11と3.11は種類も性質もまったく違うので一概には言えませんが、もしそのふたつを考えてみると、9.11以後の展開というのはアメリカの正義であり、3.11のときは日本人のある種の「日本人性」みたいなもの、つまり、内向きの当事者性の問題というのが大きな要素だと思います。私は、9.11のアメリカの問題に対して持てた距離感を3.11にも持てたらいいなと思っています。日本人であれば、当然、3.11については当事者になるわけですが、それをせめて9.11に対して持てた距離の遠さに自分を置いてみたいと考える日本人もいるのではないでしょうか。これと同じような文脈で、例えば、あいちトリエンナーレで制作されたアーノウト・ミック*3による、福島原発事故直後の避難所を再構成した作品があります。ミックからあの作品を作るに至った経緯を聞きました。最初にコミッションの依頼があったときに彼は自分にはできないと思ったそうです。つまり、日本人という当事者が持つ意識から自分はあまりにも距離があると。しかしそこからさらに思考を重ね、震災の被害は日本人の問題として括れるかもしれないが、放射能汚染の問題は日本の問題を超えているのだという意識に立てば、福島原発の問題を語れるかもしれないと考えたそうです。作品は非常に真面目さが伝わるものでしたが、私には成功しているとは思えませんでした。逆に、迷いと未完成さがある故に、彼の作家としての誠意を感じました。それはおそらく、非当事者という距離を保ちつつ対象に近づこうとする意志だろうという気がしています。絶対失敗するに決まっているようなことを、それでも挑戦したミックの心意気には共感します。それから逆に、当事者性から逃れられないけれども、できるだけ距離を持つ視点というものも重要だと思っています。たぶん、田中功起*4が結果として行き着いた「抽象的に考える」という言葉も、もちろん彼がアメリカにいたためかもしれませんが、周りの当事者熱に対する若干の違和感を持っていたからではないかと想像しています。それを持ち得たことに作家としての彼の才能の一端を感じます。

ART iT 今年のヴェネツィアや昨年のドクメンタといった最近の国際展では、いかに多様な形で当事者の問題を可視化させるのかというレトリックがあります。そこでは、いかに被害者の側に立っているのかというような、ある種言い訳がましい部分も強くあるように感じますが、その辺りはどう思いますか。

SK 上手く言えませんが、昨年のドクメンタはカッセルの歴史について言及するというフレームワークを作って、作家を呼び、彼らにいろんな場所を見せて、作品を作らせる。やっていることはよくわかりますが、東洋人である私が外部から見るそれは、遮断されたガラス板の向こうで行なわれている可視化された作業のように思えました。また、そこで行なわれている歴史についての検証作業が、歴史がすべて等距離にあるようなフラットなものに見える、つまり検証作業をやっている彼らも実は当事者ではないと思えてしまいました。過去の数回のドクメンタが持ち得た外との繋がり、外に開かれる可能性が見えることは見えるけれど、それはガラスによって遮断されていて、かなりのストレスを感じたというのが正直なところです。この限界を乗り越えるには別のフェーズに入り込むような、見る側の努力がいるのかもしれませんが、まだこの部分については自分でよくわかりません。


Both: 高山明(Port B)『東京ヘテロトピア』© Masahiro Hasunuma

ART iT その当事者性に繋がるのかわかりませんが、「アジア」の問題に入りましょう。アジアの問題というのは、実は日本も当事者でありながら、どうしても踏み込めないところがあります。そこには当事者であるという意識がいろんな意味で欠けている。この問題をどのように当事者として考えるか、実際にアジアとどう向き合っていくかという大きな課題についてお答えいただけますか。

YM PARASOPHIAはどうかわかりませんが、ヨコハマトリエンナーレ2014においてはアジアからの作家が今のところ少ない状況です。しかし日本の外部にではなく内部に存在するアジアに関する問題意識を持っている参加作家のひとりとして、Port Bの高山明さん*5には参加をお願いいたしました。彼の演劇作品はいわゆる劇場で鑑賞する演劇ではありませんが、自分の作品は演劇であるという認識から出発しています。彼が横浜において最初に興味を覚えたのは黄金町です。そこにはかつて性産業の一角があり、主に東南アジアの人が働いていたのですが、あるとき、一斉検挙の情報が流れて、そこで働いていた人たちはどこかへ逃亡していき、誰もいなくなってしまった。高山さんはそれを聞いて現地へ行き、そこで見た非常に生々しい光景を記憶に焼き付けた。横浜は街をきれいに開発していきましたが、高山さんが気になったのは、そこから逃げていった人たちはどこへ消えてしまったのかということです。横浜で発表するプロジェクトは途上段階なので、僕自身も詳しく話すことはできませんが、彼はそうした状況が透けて見える「横浜コミューン」というプロジェクトをまずは構想し、ここからはじめて、まだまだこれを変えていこうとしています。高山さんのそうした内在するアジアを注視する芸術的態度は、「日中韓が問題を抱えつつも仲良くやりましょう」というような上の方の政治的な繋がりとは違う、どちらかと言うと、人々があまり口にしたくないネガティブな面をあぶりだしてしまうかもしれない。日本はアジアでは非常に特殊な位置にあり、アジアとは自ら線を引いていたとも言えます。しかし、その中にアジアを内在化している現状で、そうした立ち位置を忘却したままで、国同士の単純な文化交流の場としての国際展という位置づけをするのは、言葉が過ぎるかもしれませんが、なにか嘘だという気がしています。

SK アジアの問題というのは私にとってはなかなか難しい問題でした。なぜなら私は、アジアについての知識もそれについて語るコードも持っていなかったからです。たまたま私は日本に生まれ暮らし、私が日常で考えていることについて対話できる作家や人と出会ってきたなかに、アジアの人というのが非常に少なかっただけかもしれません。でも例えば、「インドの現代美術」とか「中国の現代美術」といった一般的な括り方でアジアに関わることのできるコードを私は持っていない、それ故に「私はアジアを語れないし関わらない」と言い続けてきたのです。しかし最近、何人かのアジアの若い作家の作品に出会う機会があり、彼らの作品のフェーズが変わってきたような気がしました。今年のヴェネツィア・ビエンナーレのタイ館におけるアリン・ルンジャン*6の展示を見て、その表現と作品構造がとても面白いと思えたし、たぶん彼となら私が「アジア」を知らなくても対話が、議論が成り立つのではないかと思いました。タイの現代美術における彼の先行世代、リクリット・ティラヴァニ*7などは、タイ人であることを強調するというか、その手段として「食」をプロモートしていきました。ルンジャンはそれを継承した形で「食」について語りますが、砂糖の交易として世界地図の問題に持っていきます。重ねて、タイというものに外から被せられる現代のステレオタイプなイメージ、それに対するある種のコメンタリーをタイ在住の日本人女性のタイ料理への愛着の語りとして、可視化された物語、フィクションとして作品にしています。「アジア」という補助的な枠組みをもはや必要としない、私たちと変わらない思考と分析力を持った作家が普通に活動できる時代になってきたと思います。地政学的なアジアではなく、自分が考えている問題を共に語れるような作家たちが割と普通に出てきている。彼らの作品を見ているときにふと思い出したのが、クロード・レヴィ=ストロースの「ブリコラージュ」という概念です。非常に古臭いかもしれないけれど、改めてこういうところで括ったときに、地政学的なアジア、日本、ヨーロッパというものを超えたところで、共通のプラットフォームが作れるのではないかという期待感があります。

YM 河本さんの考えは非常に柔軟だと思いますが、僕はどちらかと言えば思い込みでやっています。ヨコハマトリエンナーレ2014の出品作家候補に、ヤン・フォー*8というベトナムから亡命した作家がいて、この人の「We the People」(2010-2013)という作品を見たときに、この人の姿勢がすごくわかりました。彼はベトナム戦争のときに家族とともに亡命し、デンマークに移るという経緯があり、そういう経緯を経た人が自由の女神を解体し、バラ売りをやっている。自由の女神というモニュメンタルなものがバラバラになって世界に散在するということが、スマートな作品にも関わらず、私にはそこになにか彼の怨念を感じる作品のように感じました。コレクターにとっては、手のところが欲しいとか、目のところが欲しいとか、そそられる作品で、確実に売れる作品です。そうして売れた場合、いわゆる芸術において批判される商業主義とは異なる、少し入り組んだお金の儲け方のように思えます。つまり、この作家の人生の経緯から生まれた、資本主義に対するある種の怨念が感じられ、それが西洋の仕組みをひっくり返したようなひとつの事業になっているように受け取れる。そのすべてが芸術として行なわれているところが非常に好きです。つまり、作品売買という金儲けも含めた経緯全体が芸術表現として成り立っているかのように見え、しかも、金儲けが目的ではないように見えながらも、確実に金儲けをしているという非常に複雑なところがすごくリアルな感じがして、この作品はヨコハマトリエンナーレ2014に欲しいと思いました。

SK あらかじめ計画設計し、詳細なインストラクションを元に物事に対応する近代のエンジニアリング的手法と、その真逆、何の指示書もマニュアルも持たずに突然ある状況に放り込まれても、柔軟に思考し、なんとか目の前の材料を使って生き延びる、つまり直感的な、魔術的な、クラフト的な現実対応の手法とを並行して考えてみるべきではないかと思います。そういう意味で「ブリコラージュ」という概念を今一度もう少し融通無碍なのもとして捉えていきたい、その過程でアジアの作家たちと関われるのではないかと思っています。



*1 『美に至る病—女優になった私 森村泰昌展』横浜美術館,1996年4月6日-6月9日. 『森村泰昌—美の教室、静聴せよ』横浜美術館,2007年7月17日-9月17日
*2 『マイ・フェイバリット——とある美術の検索目録/所蔵作品から』京都国立近代美術館,2009年3月24日-5月5日
*3 アーノウト・ミック インタビュー「政治的行動の残像」2011年9月22日掲載
*4 第55回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展 日本館公式ウェブサイト
田中功起 インタビュー「中心を決めずに回ってみる」2012年10月19日掲載
*5 【ART iTxF/T共同企画】高山明(Port B)連続対話
*6 アリン・ルンジャン インタビュー「ゴールデン・ティアドロップ:デザートの歴史と世界をつなぐ」2013年6月26日掲載
*7 リクリット・ティラヴァニ インタビュー「学問の厳密さについて」2012年6月6日掲載
*8 ダン・フォー インタビュー「5つの事柄についての永続的な調書」2011年2月10日掲載 ※弊誌インタビューでは「ダン・フォー」と表記したが、今回は発音表記に近い形で「ヤン・フォー」と表記。

河本信治|Shinji Kohmoto
1981年より京都国立近代美術館研究員として、『プロジェクト・フォー・サバイバル――1970年以降の現代美術再訪:プロジェクティブ〈意志的・投企的〉な実践の再発見に向けて』(1996)、『STILL\MOVING 境界線上のイメージ――現代オランダの写真、フィルム、ヴィデオ』(2000)などの企画展を手がけ、2006年以降、同館学芸課長として、『ウィリアム・ケントリッジ――歩きながら歴史を考える:そしてドローイングは動き始めた……』(2009)、『マイ・フェイバリット――とある美術の検索目録/所蔵作品から』(2010)などを手掛ける。さらに、第1回横浜トリエンナーレ共同ディレクター(2001)や、第50回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展金獅子賞パビリオン部門国際審査員(2003)ならびにドクメンタ12総合ディレクター選考委員(2003年に選考委員会開催、2007年に展覧会開催)といった国内外の国際展に携わる。

森村泰昌|Yasumasa Morimura
「肖像/ゴッホ」(1985)以来、一貫してセルフポートレートの可能性を探求する作品を制作。88年にヴェネツィア・ビエンナーレのアペルト88に選出され、国外へも活動の場を広げる。90年代半ばより、国内外の美術館にて個展を開催。『森村泰昌モリエンナーレ/まねぶ美術史』(2010-)や『なにものかへのレクイエム・戦場の頂上の芸術』(2010-)は国内の複数の美術館を巡回した。今年は国内では原美術館と資生堂ギャラリー、国外ではアンディ・ウォーホール美術館(ピッツバーグ)にて個展をしている。ヨコハマトリエンナーレ2014では、自身初となる国際展アーティスティックディレクターを務める。

ヨコハマトリエンナーレ2014「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」
2014年8月1日(金)-11月3日(月・祝)
横浜美術館、新港ピア
http://www.yokohamatriennale.jp/2014/

PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015
2015年3月上旬〜5月上旬
京都市美術館、京都府京都文化博物館ほか府・市関連施設など
http://www.parasophia.jp

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