ダン・フォー インタビュー (1)


Cultural Boys, Saigon, 1962, from the installation “Good Life” at Isabella Bortolozzi, Berlin, 2007. Courtesy Danh Vo and Galerie Isabella Bortolozzi, Berlin.

 

5つの事柄についての永続的な調書
インタビュー/アンドリュー・マークル

 

I. 品定め

 

ART iT ロサンゼルス滞在時、パシフィックパリセーズではどちらに泊まっているのですか?

ダン・フォー(以下DV) ベトナムに何年も滞在して研究をしていたジョー・キャリアーというアメリカ人の人類学者のところに泊めてもらっています。毎年訪ねているのですが、いつもアメリカの歴史、特に彼が自ら経験してきたことについて色々教えてくれます。そうしているうちに、友情が芽生えました。

 

ART iT この人が戦時中のベトナム人男性の写真を使った作品を展示したいくつかの展覧会のインスピレーションを与えたのでしょうか。最初、作品について読んだときに実在する人物なのかどうか判断がつきませんでした。

DV あのような話をフィクションとして作り上げられるだけの想像力は持ち合わせていません。だからこそ、私にとってもずっと発展させていく上で非常に興味深いプロジェクトなのです。文字通り、プロジェクトの方から転がり込んできました。
2006年10月から12月までロサンゼルスのパシフィックパリセーズ地区のヴィラ・オーロラでのレジデンスのために渡米していました。ヴィラ・オーロラではレジデンスに参加している作家が自分の作品について講演をすることが恒例となっていて、毎回、近隣の住民に周知しています。ジョーはすぐ近くに住んでいて、私の名前を見てどんな奴だろうと確認しに来たのです。
たとえ私が戦時中にベトナムに行ってベトナム人男性の品定めをしていた白人男性を探そうと自ら思いついたとしても、彼らは皆、正体を隠してしまっているので探し出すことは不可能です。でも、その時はまるで当然のことのようにジョーの方から接近してくれた。決してその逆ではありません。そしてこれまでずっとそのように動いてきました。そういう意味では、このプロジェクトの始まりは物事の「必然性」に従うことだったと言えます。

 


Both: Installation view of “Good Life” at Isabella Bortolozzi, Berlin, 2007. Photo Nick Ash, courtesy Danh Vo and Galerie Isabella Bortolozzi, Berlin.

 

ART iT それでは、作品のために架空の登場人物を作り上げたことはないのですね?

DV ないですね。どの人が架空の登場人物に思えるのですか?

 

ART iT いえ、特に誰がというわけではありませんが。全体のコンセプト——例えばベルリンのギャラリー、イザベラ・ボルトロッツィでの展覧会時に展示されたくしゃくしゃの名刺や数々の持ち物——全てがあまりにもリアルな歴史を示していて、却ってフィクションのように思えてきます。

DV ジョーがレジデンスで私の品定めをしていたことは本当に衝撃的でした。もう80歳になっているにも関わらず、何を求めているのかはとてもはっきり伝わってきました。ベトナム語での「D」の発音は欧米と違うので、私の名前は正確には「ヤン」と発音するのですが、ジョーが私を「ヤン」と呼んでいたことを不思議に思いました。白人の方が私の名前を正しく発音したのは初めてのことでした。どうして正しい発音を知っているのか聞くと、彼は1962年から1973年までの間、ベトナムにいたのだと答えました。想像してみてください:目の前の男性が明らかに私の品定めをしていて、それと同時に、要するに戦時中ずっとベトナムにいたという話をしているのです。かなり年配の方なので講演の時は早々に帰らなければなりませんでしたが、レジデンス中に会いたければいつでも訪ねてきてもいいと言ってくれました。
翌日の朝10時、私はジョーの家の前に立っていました。彼についてもっと知りたくて、最終的には一種のオーラルヒストリーとなることを考えていました。レジデンス中に何度も訪ねて行くうちに、ある日、ベトナムに行きたいけれど一人で旅はできないので同伴者が必要だという話をされました。つまり私が一緒に行ってくれないものかと探っているのだと悟り、すぐに同意しました。
そしてベトナムのホーチミン市でのことでした。今でも手を繋いで道を歩く男性を見ると、ジョーが「ヤン、これは昔も今もショッキングな光景だよ。1962年に初めて見たときには思わず写真を撮ってしまった」と言うのです。「本当に?? 戦時中にパパラッチをやっていたというわけですか??」と聞くと、そうだと言いました。その写真のスライドかネガは残っていないか聞いてみると、ジョーは全部家の車庫にあると言いました。
ジョーは50年間ずっと同じ家に住んでいて、収集魔と言っていいほどなんでもとっておいています。だからこれまで展示してきたものは氷山のほんの一角なのです。

 


Both: Details from the installation “Good Life” at Isabella Bortolozzi, Berlin, 2007. Courtesy Danh Vo and Galerie Isabella Bortolozzi, Berlin.

 

ART iT これまでその題材を様々な解釈を通して展示してきて、全てがひとつの大きな作品を構成すると同時にそれぞれ別々の作品となっているのだと言えるのでしょうか。

DV はい、全てが流動的なので。私とジョーとの関係が変わると私の視点も変わります。もちろん、これはジョー自身のポートレートでもあることは自覚していて、私がジョーをどう見ているかが変わると作品の表れ方も当然変わることも意識しています。作品とは固定されたものだとは思いません。定期的に題材を見直してよりよく理解するのは大事なことです。また、作品の制作とはステートメントを発することだとも思いません。使っている題材についての永続的なリサーチなのだと思います。

 

ART iT ジョーとの関係と家族を題材とすることとは違うのでしょうか? もしかしたら却って親子の方が全体像がなかなか見えなくて表面的な関係しか持てないと言えるかもしれません。自分の親について何かを知るときには一定量の情報が一度に入ってくるかもしれませんが、それに対して全くの他人を知るというのは徐々に進むプロセスです。

DV どうなのでしょう。特に父を題材とした作品では、父という人間にかなり深く踏み込んでいると思います。いくつもの作品の題材にしているうちに、父の捉え方が変わりました。終着点が見えないという意味ではパフォーマティブな作品だということも関係あります。何かをよりよく理解する方法なのです。
ベトナムについては元々あまりよく知らなかったし、正直、歴史的背景にもさして興味はありませんでした。多分、両親の場合は全てを残して国を去ろうと決めたとき、精神的にも全て置いていったようで、過去の話はしない環境の中で育ちました。でもある時点でようやく何が起こったのか興味を持ち、歴史の一部は家族を通して知りました。それをきっかけにもっと深く掘り下げ始めたのです。
性格上、相手に対して一線を超えてしまうことが時々あります。一度、父に対してやってしまったら、「ヤン、お前はなんでこんなに酷いことを掘り返したがるんだ?」と聞かれました。そう聞かれたことは今でも忘れられませんし、当時、答えることもできませんでした。でも、これは良いことでもあると思います。答えを求めてこのような作品を作っているわけではないので。

 

 


 

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