ミランダ・ジュライ メールインタビュー (1)

空から聞こえる声を探して
インタビュー/アンドリュー・マークル

I.


Miranda July with Eleven Heavy Things (2009) as installed at Union Square, New York, 2010. Photo Brian Paul Lamotte.

ART iT 今月号のART iTは「テキスト」をテーマに、テキストを作品に用いるアーティストだけでなく、世界と私たちとのコミュニケーション、世界をデコードする方法を考えているアーティストを取り上げています。私たちを取り巻く世界をコーディング、デコーディングする、テキストというアイディアについて考える上で、あなたにとってコミュニケーションとはどのようなものでしょうか。

ミランダ・ジュライ(以下、MJ) コミュニケーションは私の人生の中心的な楽しみです。私は気持ちを表すための新しく、よりよい方法を常にあれこれと考えています。結論が出るとか出ないとかじゃなく、暗い部屋にひとりでいるときでさえ考えてしまうんです。でも、何よりも素敵な瞬間は、私の思いもよらない、それでいて私が考えつくよりもうっとりするくらい的確な方法で、誰かが気持ちを返してくれるときです。これは本や会話やパフォーマンス、どんなかたちででも、どんな年齢の誰にでも起こりえます。



上: Two Faced Tablet drawing for the installation Eleven Heavy Things (2009/10). 下: Eleven Heavy Things (2009) as installed at Union Square, New York, 2010. Photo Brian Paul Lamotte.

ART iT あなたは作品の中でよくテキストを用いますが、映画監督としてはイメージメーカーでもあります。2009年のヴェネツィア・ビエンナーレでの作品「Eleven Heavy Things」[11の重いものたち]には人々があなたのテキストが書かれた彫刻とともに写真を撮るというアイディアがありました。あなたにとって、テキストメイキングとイメージメイキングの関係性もしくは差異とはどんなものでしょうか。

MJ ちょっと難しい問題ですね。先程述べたように映画、パフォーマンス、彫刻など、イメージは瞬時に、デモクラティックに、苦労せずコミュニケーション可能だと痛感しています。書くことというのは私自身を凝縮した形式、希釈されていない最も強力な状態といえるものです。それ以外の形式のすべては書くことに比べてコントロールはいくぶん難しく、コラボレーションや解釈の移り変わりに影響を受けやすいためにより多くの世界が現れるので、ほんの少しだけ薄められています。それは悪いことではなく、実際にはまさにその理由でそうしたものに魅了されます。新しいアイディアをどのメディアで表現すべきか、なかなか決められずに揺れていることがしばしばあります。例えば昨晩、とても奇妙な性的関係の話について考えていました。観客がそれを実際に「見る」必要があるのか、あるいは文章だけの方がもっと自由に表現できるだろうかと考えていました。登場人物としてぴったりの肌の女優をキャスティングするのとその肌を言葉で表現するのとを比べて想像していたんです。


Installation view of The Hallway (2008) at the 3rd Yokohama Triennale, 2008. Photo Yoshinaga Yasuaki, courtesy of the Organizing Committee for the Yokohama Triennale.

ART iT 小説も発表していますが、美術作品や映画、オンラインプロジェクトの中でもメモ、サイン、映像に侵入させる字幕やチャットのログといったテキストが、ある種の身体なき声として現れますよね。2008年に、横浜トリエンナーレで見せたインスタレーション「The Hallway」[廊下]のように、表現されているものがいわゆる書き手から遠ざかり、読み手の心の中でテキストそれ自身に生命が与えられる。こうした身体なき声が持つ側面はあなたがテキストを使用する上で意識的に探究しているものでしょうか。もしそうだとすれば、そのような興味はどこからきたのでしょうか。

MJ まだ公開されていない最新作映画『The Future』[未来]には非常に顕著な身体なき声、月の声が存在します。この映画を完成したときに、私は6、7歳の頃に書いた『Lost Child』[迷子]という本を思い出しました。その本の中で女の子は空から聞こえる声、「頭の中でざわめく声」に従います。空から「おりこうさんだね」という声がしている絵を実際に描きました。その声は最終的に星の声だったとわかるという、当時でもなんだか安っぽく感じられるエンディングでしたが、他の論理的な答えを見つけ出すことはできませんでした。同じように、あなたの質問に対して「そうですね」と同意するほかにいい答えが浮かびませんが、おそらくそうした声を探しているのかもしれませんし、説明はできませんが、それは意味深いことであるようにも思えます。私にとって「The Hallway」やヴェネツィアの彫刻作品は、観客にテキストを声に出して読んでもらったパフォーマンスと似ています。そのテキストを声に出して読んでいると、最終的にまるで彼ら自身の書いた告白のテキストかのように聞こえてしまうのです。しかし、新作[「The Hallway」や「Eleven Heavy Things」]では彼らに頭の中でテキストを読んでもらうことで、自身の頭の中の声とともに起こることの観客になってもらっています。

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第8号 テキスト

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