空から聞こえる声を探して
インタビュー/アンドリュー・マークル
III.
Still from the feature-length film The Future (2011). Courtesy Todd Cole, © 2011 THE FUTURE.
ART iT 『The Future』のストーリーにおいて「ネットをやめる」というのはどういうことか説明してもらえますか? この映画の、不治の病にかかった猫の面倒を見るという責任に直面したときから時間的にも空間的にも不安定になるカップルについてのストーリーの全体的な文脈は何なのでしょう。『君とボクの虹色の世界』からアプローチは変わっているのでしょうか?
MJ 映画を見たら答えが分かります。アプローチは特に変えていないことは一目瞭然ではないかと思います。同じくらいの予算で、またもやスターのいない俳優陣で。でもこちらの方が登場人物にもう少し深く立ち入ることを目指しています。そして何より、コメディーではありません。笑えるところはありますが、最終的にはとても悲しい物語です。このカップルは私たちの誰もがすると思われるようにして、気を散らすものを取り除くためにネットをやめます。でも、そうすることによって、自分の中の空虚と向き合わなくてもよければ何年も掛かってようやく起こるかもしれないようなかたちで物事が極端に退化する可能性が生まれます。
Still from the feature-length film The Future (2011). Courtesy Todd Cole, © 2011 THE FUTURE.
ART iT 大物俳優をキャスティングしないのは予算の問題なのでしょうか? それとも創造的な理由で敢えて避けているのでしょうか?
MJ 最初の映画[『君とボクの虹色の世界』]ではスター俳優は意識的に避けました。物語上、不適切ではないかと思ったんです。今回はスターも受け入れることを大っぴらにアピールして何人も直接会ったのですが、結局、比較的無名なハミッシュ・リンクレイターとデヴィッド・ウォーショフスキーが一番の適役だと感じました。あと、少しはコントロールの問題でもあるかもしれないことは認めます。そのとき作っている世界とその受け取られ方は可能な限りコントロールしたいという気持ちは間違いなくあります。もちろん、他の人の映画に出ている映画スターは大好きですし、ある特定の俳優が出ているというだけの理由で映画を見ることもあります。今はまだ私自身との繋がりができていないというだけのことです。また今度でしょうかね。
Miranda July performing in “The Swan Tool”, Portland Institute of Contemporary Art, Portland, Oregon, USA. 2001, photo by Harrell Fletcher.
ART iT あなたの活動において、映画はパフォーマンス作品よりも優先されるようになったのでしょうか? 言い換えると、あなたにとって映画作りとパフォーマンスとは両立されているのでしょうか、それとも映画がパフォーマンスに(もしかしたらその他の全ての表現にも)取って代わっているのでしょうか?
MJ 私のパフォーマンスを見たことがある人、今後一度でも見ることがある人よりも最初の映画を見た人の方がずっと、ずっとたくさんいることは確実です。でも、驚いたことに人々は未だに私をパフォーマンスアーティストと呼んでいるようです。私のパフォーマンスがどのようなものかその人たちは誰も知らないと言ってもいいほどなのに。それはもしかしたら私の映画、あるいは本にまで何か意見を示しているのではないかとさえ思います。「パフォーマンスアーティスト」という表現も並べておかなければ「小説家」や「映像作家」は普通すぎて誤解を招くのかもしれません。そういうわけではないかもしれませんが、自分では各々の世界をうまく共存させることに成功していると本当に思っています。表現の手法を頻繁に変える(自分からの)プレッシャーは多少感じます。映画を2本続けて作ったり、本を2冊続けて書いたりしないように、と。ひとつの世界にはまって抜け出せなくなるのが怖いのです。自由第一。
Video still from Things We Don’t Understand and Definitely Are Not Going To Talk About, October 23, 2006, Theater Artaud, San Francisco.
ART iT これまでありとあらゆるクリエイティブな分野で仕事をしてきた上で、インスピレーションとなる特定の人物はいますか? 例えば、最初にパフォーマンスとビデオで実験的に制作を始めた頃、何か参考になるものはあったのでしょうか? それともその時の状況から自然に発生したのでしょうか? あるいは、長編映画を作っている今、あなたのアプローチに影響を及ぼした特定の映像作家はいますか?
MJ どちらかというと、あなたが今言ったようにその時その時の状況からそれぞれのプロジェクトに発展しています。美術大学に通っていなくて、(もし私が例えばバンドをやりたかったということであったならそうであったように)同じことをやっている人たちに囲まれていないと自然とそうなります。とても長い間、私は自分自身以外に基準点が殆どないことを恥ずかしく思っていました。でも、たくさんの本や映画を貪るように読んだり見たりしてエネルギーやインスピレーションを凄い勢いで吸収している人[映像作家マイク・ミルズ]と結婚している今、それはただ単に違うプロセスなのだということを理解しました。
とは言うものの、23歳の頃にパティ・スミスの初期のパフォーマンスのブートレッグカセットをもらったとき、本当にしびれました。そしてバンドのビキニ・キルのキャスリーン・ハンナの当時のパフォーマンスも。私とはやっていることが違いましたが、彼女たちは本当にガッツがあって、私にとってはそれが特に重要なところでした。その他は自分で大体分かるので。好きな映画は『トゥルーマン・ショー』(1998)、『心の旅路』(1942)、『恋はデジャ・ブ』(1993)、『ある日どこかで』(1980)。誰かの現実の認識が殆どSFのような勢いで変わる——そういう映画が特に好きです。本当はもっと技術的なところで影響を受けたいものですが、映画を見ているときにはそういうことはもう完全に忘れてしまいます。まるでミーハーな映画ファンのように、口がちょっと開いている状態でじっと見ます。
Screen capture of MirandaJuly.com, illustration ART iT.
ART iT 最後に、あなたのウェブサイトを訪れると主要コンテンツに進む前に秘密のパスワードが要求されます。何を入れても進むことができると分かっていても、あるいはそう推測しても、どのような言葉が適切か一旦考えてしまうのがとても面白いと思います。あなたのウェブサイトは、私たちのネット上の行動はいかに気まぐれなパスワードに支配されているか、そしてそれがいかに滑稽か思い出させてくれます。でも、それぞれの秘密のパスワードの記録が残されているようだということにも気付きました。このたくさんの言葉は結局どうなるのですか?
MJ えっ、記録に残っていることはどうやって分かったんですか? 実はそのとおりで、素晴らしいリストができています。最初はどうしてHUBERT[人名]のような言葉が178回も入力されたのだろうかと謎に思っていましたが、後々、大抵の人は同じ言葉を使い続けるのだろうということに気が付きました。正しいパスワードを割り当てた(?!)と思うわけでしょうか。今のところ、具体的な予定はありませんが、いつか全部まとめて公表するつもりです。一番よく入力されている言語はLIGHTで、19,126回。他には例えばLANGOROUS(154回)、PUSSY(173回)、TWAT(29回)、HOLE(27回)、FEMINISM(23回)、JEFF(23回)などがあります。
ミランダ・ジュライ メールインタビュー
空から聞こえる声を探して