ミランダ・ジュライ メールインタビュー (2)

空から聞こえる声を探して
インタビュー/アンドリュー・マークル

II.


Screen capture from NoOneBelongsHereMoreThanYou.com.

ART iT コミュニケーションについてのお話、とても興味深いですね。こう質問するべきだったのかもしれません:あなたの作品の多くはコミュニケーションのあらゆる側面を中心的に扱っていると言えるのでしょうか? また、あなたにとってそれらの側面の中でもセクシュアリティは取り分け重要だと言えるのでしょうか? 短編小説の登場人物の多くは性的に孤立しており、それは彼らが社会においてどのように機能するか(あるいは機能しないか)を表しています。特に「The Sister」と「Ten True Things」を読んだときには、私たちが頭を使って伝えることと体を使って伝えることとは全く異なるというコンセプトが印象に残りました。

ミランダ・ジュライ(以下MJ) コミュニケーションが私の作品の中心的なテーマだとは言えませんが、登場人物の生活にとって誰か別の人と気持ちが通じるか通じないかということが極めて重大な問題であるのは確かです。それはなかなか人間的で現実的なことではないかと思うのですが。多分、どちらかというとコミュニケーションに至るまでのところ——恋しく思うことや的外れな衝動——に焦点を当てていて、そのためにコミュニケーションがようやく起こると非常に重たいものになるのではないかと思います。どうしてかは私にも分かりませんが、セックスはコミュニケーションには決して結び付けられません。もしかしたらそれは私が女性として話すことを物凄く重要視していて、セックスはコミュニケーション方法としては大抵のことにおいて全くはっきりしないと思っているということかもしれません。



上: Audience members perform backstage during Things We Don’t Understand and Definitely Are Not Going To Talk About, March 1, 2007, The Kitchen, New York. 下: Miranda July performing in Things We Don’t Understand and Definitely Are Not Going To Talk About, March 1, 2007, The Kitchen, New York.

ART iT コミュニケーションの話から続けますが、あなたは他に、セラピー[心理療法]独特の言葉にも関心があるように思えます。セラピーは例の身体なき声と関係しているのでしょうか? セラピーに使われる言葉とその言葉を一般化させている状況を風刺しているのだと理解して間違いないでしょうか? それともセラピーに対してもっと曖昧な関心を持っているのでしょうか?

MJ 風刺と言うとちょっぴり語弊がありますね。私自身、セラピストにお世話になっているので。でもセラピーが可笑しく思えるというのは事実です。セラピーとは、本当に誠実で複雑であると同時にとてもフォーマルで儀式化されている、不思議な親密さの上に成り立つものです。全く、今そのことについて考えているだけでいろんな場面を書きたくてうずうずしてきます。私の実生活からいろんな場面をするりと抜き出して。


Installation view of The Hallway (2008) at the 3rd Yokohama Triennale, 2008. Photo Yoshinaga Yasuaki, courtesy of the Organizing Committee for the Yokohama Triennale.

ART iT 「The Hallway」と「Eleven Heavy Things」では観客/読者は「自身の頭の中の声とともに起こることの観客になってもらう」というお話でした。では、この関係性は本を読むという行動と異なるパフォーマティヴな状況と考えているのでしょうか? それともこれは私たちが本を読むときに起こるプロセスを民主化/イメージ化するひとつの方法なのでしょうか?

MJ そうですね。読書をするときと同じだと思いますが、どうにかして参加者に実際にテキストの「私」や「あなた」になってもらう方法を探しました。もしテキストに「あなた」が上を見上げたらJOYの三文字が書かれていたと書いてあるのを読んで、あなたが上を見上げると天井にJOYと書いてある付箋が貼ってあったら、それはひょっとして——とても不器用な方法ではありますが——テキストの「あなた」はあなた自身、最も深奥のあなた自身なのではないかと思わせるかもしれません。そして誰にも覚えがあるような、誰しもが声に出さずとも頭の中で考えたことのあるようなことを書くように心掛けています。

2TTGhyp-mhE WeBQrUpDQU8
上: Trailer for Me and You and Everyone We Know (2005). 下: Online chat scene from Me and You and Everyone We Know (2005).

ART iT 映画『君とボクの虹色の世界』(2005)のストーリーでは、ロビーという小さな男の子が大人のキュレーターとオンラインチャットを通して関係を持つ道具としてパソコンが重要な役割を担います。そこから生まれた「うんこを永遠に出し入れする」アスキーアート[ ))(( ]は映画が公開されてからは完全に独り歩きしていることは言うまでもありません。映画のストーリーを考えるにあたって、なぜネットを通したコミュニケーションに惹かれたのでしょうか? オンラインコミュニケーションは『The Future』や他の新たなプロジェクトでも取り上げるのでしょうか?

MJ あの映画に関しては、赤の他人が文字を通して連絡を取り合ってそれから初めて会うという構造が気に入ったというだけのことだと思います。ネットを通す必要はなくて、とても親密でちょっぴりセクシーな(でも純粋な)関係を、私たちの現実世界の中であれば決して持つことができないふたりが持つことが大切でした。新しい映画では、あるカップルがネットを切り離すことによって全てが変わるという点でパソコンは重要です。ドラッグやお酒に依存せずになんとかやってきている者としては、私の生涯の中で強い中毒性を感じるものが新たに発明されたということに困惑しています。ネットは恐ろしいほどに曖昧な空間、退屈な空間、空っぽの空間といった、新しいアイディアが生まれてくる隙間という隙間をきれいに埋めてしまいます。だから癖になっちゃうんですよね。

ミランダ・ジュライ メールインタビュー
空から聞こえる声を探して

« Part I | Part II | Part III »

第8号 テキスト

Copyrighted Image