畠山直哉 インタビュー (2)

II. 謎の贈り物——文字以前の詩情に触れる


Above: Ciel Tombé #4414 (2007). Below: Ciel Tombé #4511 (2007). Both: Taka Ishii Gallery.

ART iT ここまで「文学的」な写真という批評言語、また、1980、90年代の日本の写真業界の文学に対する理解の変化について話してきましたが、それでは、畠山さん自身が影響を受けた文学作品の具体例はありますか。

NH 僕はそれほどたくさん文学作品を読んでいる人間ではありませんけれども、SF文学に触発されて写真を撮るということはありました。例えば、繰り返し話していることですが、アイルランドのSF作家、ボブ・ショウが書いた『去りにし日々、いまひとたびの幻』という作品に触発されて『Slow Glass』(2001)というシリーズを作ったんですよね。これは光の速度を遅らせる特別なガラスが発明されて、いろんなものに応用されるという話なんですが、写真や映像の歴史を考える上で多くの示唆に富むものだと思いました。他に僕には地下空間を扱った仕事がいくつかありますが、19世紀フランスのジュール・ヴェルヌの『地底旅行』というようなものを、これは撮影が始まってからですが、読んでいます。これも一種のSFでしょうね。

ART iT そのようにして読まれたものと撮られた作品はどう繋がっていますか。

NH 僕の中では繋がっていますよ。しかし、僕にとっての事実を人がそのまま受け取ってくれる保証はないし、受けとる必要もないでしょう。でも、そういうファンタジーは、自分の仕事の具体的な駆動力になるわけですから、大事なことだと思います。ときには哲学や歴史が駆動力になることがあるかもしれませんが、文学には絶大なる信頼を置いています。というのは、個々の文学作品がすばらしいとかどうとかというよりも、僕たちがまず、言葉の人間だからなんですね。人によっては「私は映像の人間で言葉の人間じゃない」なんていう人がいますけれども、僕はすべての人間は言葉の人間だと思っているんです。ちょっと極端かもしれませんが。

言葉の生まれた瞬間、それがいつなのか、自分個人のことを考えてみても、一般的な歴史のことを考えてみても、はっきりと分かるはずはないのですが、言葉の生まれた瞬間の経験というか、そういうものに遡ろうとする意志を見せているのは、言葉の世界の仕事の中では文学だけなんですね。実際、言葉を使っていろいろな本を書くことができます。法律、ビジネス書、マニュアルとか、いろいろあります。でも、そういったものは言葉の起源に関してはまったく無頓着ですよね。これらにとって、言葉とはただの道具ですから。でも、文学は常に言葉の起源や存在理由を意識しながら言葉を綴っていて、そこが他の言葉を使う仕事と違います。

建築家の伊東豊雄さんは、暖かな野原に幔幕をくるりと1枚まわして、そこの中にみんなで集まって、楽しくおしゃべりをする。それが自分にとっての建築の原型だと言っていました。例えば、ダンサーだったら、自分が初めて立ち上がったり歩いたりした時のことを、練習しながら思い出そうとしていると思うんですよね。そういうふうに、僕らが使っているいろんな道具や形式には、必ずある出発点があるだろうという気持ちが、長くそれに触れていると出てきますね。物事の始まりに触れたいという気持ちが芸術作品を作るというふうにさえ、僕には思えるんです。そういうふうに考えると、言葉の世界でそのような態度で何かを行っているのは、文学の人たちだけということになってくる。文学に関わる人はアーティストと同じです。

また、言葉は僕たちが世界を見るときの基礎であるというような意見にも僕は賛成しています。つまり、発達心理学なんかでよく言っていることですけれども、赤ん坊が紙に落書きをしている時期がありますよね。その時期には図像と記号の区別をつけていないらしいんです。つまり、ABCとか123といったものと、お母さんの顔、木、家、犬といったものを区別しないで鉛筆を動かしている。そして、だんだんとこれは記号である、これは図像であるというような区別ができるようになる。僕らは誰でも文字と絵画が区別されない時代を経験しているということですね。記号が視覚の中で物質から独立したものとして区別されてくる瞬間を想像すると胸がいっぱいになります。その分節化のプロセスに従って、世界も人間的な意味に満ちたものとしてだんだんと立ち上がってくるのでしょう。

物心がついてからの外国語の習得のプロセスというのもまさにそうでしょう。外国語は最初、音楽のようにしか聞こえません。けれども、その音楽に身を浸していると、数週間か数ヶ月かして、まず語の切れ目が聞き取れるようになってくる。意味はわからないけれども、こことここが切れている、この手前はひとつの語で、そこから後がまたひとつの語でというふうに、連続的な音楽の間に切断が入ってくるわけです。これも分節化ですね。それに応じてだんだんと語の理解が生じてきます。それと同じようなことが、個人の視覚にも聴覚にも、ひょっとして触覚にも生じていたのではないかというのが、僕の考えです。つまり、僕らが世界を見る、世界に触れる、反応するといったことのベースにそういった分節化の作用があるのだとしたら、その一番象徴的な形式が言葉だろうと思っているんです。

芸術の世界には音楽家とか画家とかいろんな芸術家がいますが、西洋では昔、そのピラミッドの最上位に詩人というものを置いていたということです。これは詩人が一番恵まれないから、せめてポジションだけでも最高にしてあげたというようなシニカルなことを言う人もいるんですけれども、これには何か理由があるのではないのかな、と思うんです。今話したような物事の始まりに、文学の中でも一番鋭い意識を向けているのが詩ですよね。だから、それが芸術の最上位に置かれているということはやはり理由があることじゃないかな。と思うんです。

ART iT 私にとって、詩や歌は換喩とかメタファーというよりも、物事に名を付ける作業だと思うんです。だとすれば、写真もある種の詩だと言えるのではないでしょうか。イメージを作り、物事を名付ける。

NH 美しいですね。その表現そのものがもう既にポエティックな何かではないでしょうか。今の話でよく例にあげられるのは、ロラン・バルトが、俳句と写真の共通点を語っていることなどでしょうかね。物事を指差すだけで表現が成立する、非常にシンプルで効率的な象徴作用という、そういう共通点は確かにあると思いますよ。

実は昨日、まさに『詩と写真』というイベントに観客として行ってきたばかりなんですが。詩人であり比較詩学研究者である菅啓次郎さんと、写真を撮っている人類学的文筆家の港千尋さんの対談でした。なかなか面白い議論がいくつかありました。例えば、菅啓次郎さんが旅先で気に入ったものを見つけてシャッターを切った写真を披露したんです。それは「この犬がなんかとても良かった」というような写真なんですね。写真芸術家が行うような、削って磨いてといった作業はあまり感じられない、どちらかというと素朴なものなんですよ。それを20点くらいスクリーンに映した後、果たしてこれをどう見るかという話になりました。そのような写真はコンテストに出してもあまり上手くいかないだろうし、ミュージアムに飾られるような作品にはならないかもしれない。

それに対して港さんが面白いことを言っていました。ここにこうして写真を撮った人間がいて、この写真に関して話をする。例えば、自分はイースター島の休火山の火口にいて、そこには水が溜まっていて、葦の茎がいっぱい生えていた。その植物は南米のペルーだかチリだかにも同じものがあるけれど、それが風で飛ばされてきたとは思えないから、鳥なのか人間なのかが連れてきたものなのではないか。その葦が生えている火口湖の崖の切れ目から青く見える水平線は太平洋である、といった話をした。その説明を聞くまでは、単なる水の溜まった穴の写真で全体に緑色なだけですけれども、そういう話を聞きながら見ていると、写真が特別なものになってきますよね。このような時、写真というものは「絶対的なもの」になる、そう港さんは表現しました。写真を撮った人間がその写真について話した途端に、つまらない写真/面白い写真という区分を超えたある種の絶対性というものを写真は纏い、忘れられないもの、唯一のものになる。そういうことが写真には起こる。コンテストで写真の良し悪しを比べたり、説明文も何もない裸の状態でプリントを壁にかけて、その強さ/弱さを競ったりするのとは別の何かが、写真の楽しみの中にはあるというわけですね。確かにその辺りを、今までの芸術の語り方というのはちゃんとうまく扱えて来ていないように思います。それから同時に、その辺に対する態度のやわらかさが人々の間に生じているのを、ここ最近、深く感じますね。つまり、科学的な態度で写真の良し悪しを決めたり、美学的態度で優劣を決めたりということとは別に、そういったある種絶対的なものとして、1枚ずつの写真を、すべてが自分にひっかかってくるわけではないにしろ、観察したり話を聞いて楽しんだりするような、やわらかい態度も出てきているような気がする。「詩は絵画に似ている。言葉で説明することはできない」といった驚くべき意見も出ていましたね。

ご質問の詩と写真の話に、今の話がうまく接続できるかどうかわかりませんが、僕は最後に菅啓次郎さんに質問をしたのです。彼の詩に韻の要素が感じられないのはなぜなのかというのが気になっていたので、そのことを率直に聞いてみました。彼の詩は文字として書かれている。ただ、先程の物事の始まりということを考えると、文字の誕生以前にも言葉はあり、むしろ、文字がなかった時代の方が長かったわけです。つまり、音声として発せられる詩の歴史の方が、文字として綴られる詩の歴史よりも時間的には長かっただろうと思ったのです。僕の質問の奥には、文字以前の詩の長い歴史というものをどう考えているんでしょうか。というのがありました。菅さんはそのことを十分承知している。自分の詩にそういう韻の要素がないということを十分知っている。日本語における音韻の数の少なさにも理由の一部はあるし、文字以前と文字以降とでは言語活動の位相がまったく違うものになっているということもある。ただ、菅さん自身も実際にリーディングを行っているし、音については課題が残っていると言ってましたね。僕自身、詩人はそれぞれで、音にあまり関心のない人が詩を書いてもぜんぜん構わないと思うし、第一、彼の詩は字面として見るととても美しいもので、まるで優れた書家の書のように見える、そんな詩なんです。つまり、視覚的にきれい、意味を持った記号の連なりがビジュアルとしてきれい。だから、そういう特徴を持った詩があってもぜんぜん構わないと思う。

でも一方で、詩の始まり、つまりさっきから話している物事の始まりということをつい考えてしまうんです。そこで僕はもう少し想像を膨らませます。言葉がちゃんと共同体の中に定着していなかった時代というのも人類史の中にはあるだろう。つまり、文字以前どころか、言葉でコミュニケーションできる以前の人類の共同体というものもあっただろう。呻き声とか身振りとかしかない、言語のシステムがちゃんと決まっていなかった、共同体の規模が小さくて、せいぜい数十人規模の中でそれぞれが一生を送っていたとか、そういう時代があっただろう。近所の共同体との間でコミュニケーションを図ることさえ難しい状態で、それでも詩情を表現するようなことがあっただろうと思います。そういうときに何を行うか、例えば、僕に大好きな人がいて、何かプレゼントをする。そのとき、できるだけ相手を喜ばそうと思って、変なものをあげたりするわけ。そうすると、相手はもらって一瞬びっくりするけれども、やがてその謎がわかって、自分と彼の思い出に関係ある何かだということが思い出されてきて、にっこりするかもしれない。これはたぶん、言葉がしっかりしていないような世界でも、あったことではないかと想像するんですね。そこにも驚きとメタファーがありますよね。つまり、詩情の本質みたいなものが、既にその贈り物の中にあるわけですね。こんなことは確かめることなんてできないので、ただの想像になってしまいますけれど、そこら辺までいくと絵画とか言葉とか写真というメディウムの差を超えた、もっと大きな詩の話ができそうな気がするんですよ。その地平では写真を撮っているか、字を書いているかというのは、そんなに決定的な差じゃなくなるでしょう。今だって吉増剛造さんみたいに写真も撮り、彫刻みたいなこともし、朗読もして、文字も書くという自分ひとりですべてやってしまう詩人もいますよね。

畠山直哉 インタビュー
物事のはじまり——言葉と写真

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第5号 文学

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