畠山直哉 インタビュー (1)


Slow Glass #081, 2001, Coutesy of Taka Ishii Gallery

畠山直哉 物事のはじまり——言葉と写真

I. 花鳥風月ーー「文学的」写真について

ART iT 以前読んだインタビューの中で、畠山さんは1980年代に「文学的な写真というものが、かなり批判された」と、おっしゃっていました。それは具体的にどのようなことでしょうか。

畠山直哉(以下、NH) 今ではそういうことを言う人は少なくなったと思いますが、以前は、ある分野の仕事をする人は、自分が使っているものをできるだけ純粋に使っていくべきだという考え方があったと思います。例えば、写真は写真らしくいくべきであって、他の分野の表現形式をなぞってはいけない。これは写真だけではなく、絵画にも演劇にも、それから文学そのものにもあった傾向かもしれませんね。当時は、自分が扱っている表現形式以外の形式をすぐに連想させてしまう作品はあまり良くないという理解がありました。写真の中で一番頻繁に思い出される別の表現形式というのは文学や絵画です。だから「この写真は文学的だ」「この写真は絵画的だ」という台詞には、写真の理想からは遠いというネガティブなニュアンスが込められていました。それは一種の批評、もしくは批判の言葉として機能していたわけです。僕の記憶だと、だいたい80年代末頃までそういう傾向があったような気がします。まぁ、今でもそんなことを言っている人が一部には生きているかもしれませんが。

文学の主な特徴というものはなんでしょうか。第一に、言葉を使う、つまりそれは自らの内面を具体的に表すことができるということ。そして、物語という形式がとても力を持っている。それから、比喩を使う。つまり、ひとつの概念から別の概念を連想させる。他にもありそうですが、そういう文学特有の、得意技みたいなものがあります。そういった文学の得意技を、そのまま写真にも使えるだろうという実践が世の中にはあります。わかりやすい例だと、俳句とか短歌とかによって培われた内面に基づいて撮られる写真などがそうでしょう。花鳥風月を撮る、有名な山を撮る、という様に文学があらかじめ形成した内面に立脚して写真を撮る行為というのが、文学的と呼べると思います。そのような写真は、まるで俳優の演技を連想させるような表情を良しとしたり、くどいほどナイスな光や瞬間を捉えることに躍起になるといった、通俗性を感じさせる表現にすぐ繋がってゆく傾向があります。ですから「文学的だ」という台詞は多くの場合「通俗的だ」という意味合いで使われていた、ということになるのかもしれません。

それは、西洋が20世紀に培ってきた写真のモダニズムとか、洗練されたフォーマリズムなどといった考え方とはちょっと違うわけです。写真に何ができるのか?という疑問を根本的なところまで掘って考え直すのと、あらかじめ世の中に空気のようにして存在する文学的なベース、それに乗っかって写真の実践を行う事はやはり違う。写真を起源にまで遡って、まるで写真の形式を分解するようにして写真を作り上げていく一群の写真家から見たら、あらかじめ社会的に形成された価値観の上に乗っかって写真表現をしている連中は、知的に怠惰な人間に見えるわけですね。つまり、昔の言葉で言えば、自己批判が足りない人間に見えるわけです。そのように「文学的」という言い方がある種の批評言語として写真の世界で使われていた時期がありました。

ART iT 80年代以降、写真業界の中での文学の捉え方は変わりましたか。

NH 変わったと思います。僕の見る限りで、ということですけれども、写真の世界で言えば、荒木(経惟)さんの評価というのが1990年前後から世界的に高まってきたわけですね。しかも、コンテンポラリーアートの世界で。それと前後して、アメリカにはナン・ゴールディンがいたし、それ以前にラリー・クラークなんて人もいた。彼らの仕事はそれまでのフォーマリスティックな写真へのアプローチとは全然違うものでしたね。それ以前のアートフォトグラフィーの世界では、彼らの仕事のスタイルはメインストリームではなかったはずです。むしろ一部からは「文学的だ」と評されるようなものだったのではないでしょうか。

それ以前のアートフォトグラフィーが1980年代前後にどうなっていたかというと、絵画や彫刻と同じように、一応フォーマリズムの極みみたいなところまで行っていたのかもしれません。写真の形式を徹底的に問い詰めていっても、何か壁に当たってしまう感じが出てきたのかもしれない。あるいは、行為から生じる結果があまりにも貧しいものになってきたのかもしれない。絵画で例えれば、ルーベンスとかセザンヌとかピカソとかがいて、絵画とは何かという疑問を大きくしていき、最終的にたどり着いた結論が、ミニマリズムの白いキャンバスでは、やはりこれはなんとかしなければいけないという気持ちにもなりますよね。写真にもある意味ではそのような動きがあったかと思います。そこで写真の第一義的とも言っていい機能、つまり、誰かが写っているとしたら、これは誰なんだろうと考えたり、その人が美しかったら、これは美しいなと、最初に素直に感じる事、そういう機能に注目し直すという動きが確かに生じたのではないでしょうか。写真という形式を抽象的に捉えるのではなくて、ある種の体感、センセーションとして捉え直すというようなことが80年代辺りから再び起こってきたんだと思うんですね。つまり、あの時代に写真が持つ呪術的な性格が再注目されるようになった。呪術的というのは、ひどい場合は写真の中の人物に欲情したり恋したりというような、そういう人間のナイーブな気持ちを喚起するような性質のことです。そして、その分野の表現を極端に押し進めていた荒木さんにスポットライトが当たったということだと思うんですよ。そして、その頃から「文学」とか物語という言葉をネガティブな意味で使う習慣は消えていったと思うんです。

ART iT 写真についての批評理論として、そもそも、写真は現実じゃないという議論が広がっていったとしたら、違う意味での文学的な写真が発展する可能性が出てきたのではないでしょうか。

NH おっしゃることはわかります。つまり、それまで「文学的」という言葉を一種の便利な悪口として使っていたアーティストたちが、文学の複雑さや多様性というものを理解し始めたということですね。歴史が示すように、自分たちの行うアートにも複雑さや多様性というものがあった。それと同じようにして文学を眺め直すと、花鳥風月や内面といったものだけではなくて、本当に実験的な仕事がいっぱいあることに気がつくわけです。例えば、自然主義文学というものがありますよね。19世紀、エミール・ゾラに代表されるような文学が写真やモダンアートに与えた影響というものも無視できなくなってくるわけです。それから20世紀には、極端に実験的なジェームス・ジョイスとかサミュエル・ベケットとかの文学作品もあります。日本では安部公房や大江健三郎だとか、今までにない文体を持った作家たちも既にいるわけです。そういうことが考慮されるなら、あるものを批判するための便利な言葉として「文学」を使うわけにはいかないということに誰でも気がつくでしょう。「文学的」と言うときに、その「文学」がどのようなものかを考える必要が出てきたということです。昔は通俗で劣悪な表現を「文学的」と呼んで、得意がっている人間がずいぶんいたと思うんです。しかし、不用意にその言葉を使うと、自分の馬脚が現れてしまうことにみんな気がついて用心するようになったということなんじゃないでしょうか。

ひょっとしたら、80年前後に写真に対して「文学的」という言葉を気軽に使っていた人間たちは、彼ら自身がそれほど文学に親しんでいなかった人たちだったのかもしれませんよ。心ある人たちは、そのようなことは言っていなかったのかもしれませんね。たぶん僕は若かったから、そういう人たちの中にいなかっただけなのでしょう。僕がもしその時代に今の年齢でいたら、僕自身は「文学的」という言葉を、ネガティブな意味では使わないだろうと思います。

繰り返しになるかもしれませんが、時代的な話題として、例えば、アメリカには大戦前から「純粋写真」(Pure Photography)なんていう流れがあって、f/64グループの人たちの言っていることを見ると、純粋写真とは他の芸術形式から何ものも借りてはならない、写真という形式以外のものからは、どのようなアイデアや構図なども持ってきてはならないと宣言しているんです。そうやってダイヤモンドを磨くようにして、写真を純粋にしていく。そういう動きがあったわけですから、その動きに親しんだ世代が、何か不純さを感じさせるものを写真の中から汲み取ったとき、それに対して「文学的」という言葉を批判的に使うということは十分あったでしょうね。でも、僕はそのf/64グループの宣言そのものも、今では相対化されてしまっていると思うんですけど。

Top image: 畠山直哉, Slow Glass #081, 2001, Coutesy of Taka Ishii Gallery

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