連載 田中功起 質問する 9-2:杉田敦さんから1

美術批評家の杉田敦さんをゲストに迎えての今回、キーワードは意外にも「失敗」のようです。ヴェネツィア・ビエンナーレでの日本館特別表彰においても審査陣から語られたこの言葉の可能性とは? 田中さんからの問いかけに、杉田さんから注目の第一信が届きました。

往復書簡 田中功起 目次

件名:成功に奉仕することのない失敗について

田中功起さま

こちらこそ、貴重な機会をいただき、ありがとうございます。冒頭に入れるべき挨拶やいくつかのお話は、お会いするときまでとっておくことにして、早速、田中さんの提起した問題を考えていくことにします。ただ、田中さんと僕の関係については、少しだけ背景について触れておくことにします。その方が、これを読んでいただく方々にも、2人の立ち位置がわかってよいような気がします。


早朝のフェリー、オレンジ色のソファーに、細く長い髪がからまっていて、床にパン屑が散らばっている。

僕が田中さんとお会いするようになった遠因は、2008年に開催されたクワンジュ(光州)・ビエンナーレに出展された田中さんの作品、正確には田中さんを含む日本人作家が期待されていた役割について、『ナノ・ソート』(*1)の中で批判的に触れたことだったと思います。クワンジュのディレクターは、政治的な問題を中心に据えた2002年のドクメンタ11を指揮したオクウィ・エンヴェゾーでした。その彼でさえ、日本人の作家に対しては政治的なものを期待していない。そのこと自体もショックだったし、まさにそれに応えるように、社会から超然とした身振りに終始してしまっているように見えた作家たちにも失望していました。そのことについて何度か立ち話するうちに、傍らでそれを盗み聞いていたCAMPの井上文雄(*2)の提案もあり(笑)、いっそのこと、そのテーマについて話してみてはということになり、冨井大裕、奥村雄樹も交えて討議を行うことになりました。ところが、渡米という田中さんの環境の変化も関係あるのかもしれませんが、討議に先立ってメールで意見交換する段階で、拍子抜けなことにも、すでに当の問題に関しては隔たりがないということがわかってしまったのです。いや、隔たりが無くなったというべきでしょうか。 

ヴェネチアは先頭なのか、周回遅れなのか

これまでの「質問する」を読み返してみると、僕にとっては少し謎でもあった、田中さんの姿勢の変化の理由がわかるような気がします。またそれは、田中さんにとっては、ヴェネチア・ビエンナーレへの模索とも重なることになるのでしょう。もちろん、当事者である田中さんやキュレーターの蔵屋美香にとっては確かにそうなのかもしれません。ただ、田中さんのヴェネチアの作品は、何年か前から発表されていたものですから、個々のものに関してはすでに見ていたものもあり、それを集めたことによっても決定的な何かが提示されているようには受け止められませんでした。もちろん、日常的に周囲で行われてきたことが、国際的な場所に連続しているという感覚を抱くことができたことの意味は想像以上に大きなものです。とりわけ、日本における視覚や物象の偏重には辟易としていましたし、ましてや、田中さんも脚注で触れられていたように、そうした部分を担ってきた人々の稚拙な反応を考えれば、なおさら、意味のあることだったのは言うまでもありません。しかしそれでもそれは、言わば見慣れたものでもあった。

田中さんも自身のことを周回遅れと謙遜されていますが、国別対抗という構造はもちろんですが、ヴェネチア・ビエンナーレ自体がある種の周回遅れという性質を持っています。蒼然とした構造は、真剣にその超克が試みられるというよりは、むしろそのアナクロな体制をどうポジティヴに転化できるかというように、課題のひとつとして解釈されています。今回のドイツとフランスのパヴィリオンの交換、リトアニアとキプロスの倒置可能な構造、あるいは、これまで繰り返し行われた自国外のコミッショナやアーティストの採用もそこに含めてもよいのかもしれません。つまりそれは、トライアルのコースに立ちはだかるちょっとした障害のひとつにすぎず、ネガティヴではあるけれども、むしろ利用すべきものであり、その問題との対峙の仕方がひとつの見せ場にさえなっている。もっとも、実質的な運営を、国際交流を目的とする機関が担い、純血主義に拘泥している国の場合は、さらに何周も遅れをとっていることになるのかもしれません。少なくとも、国単位の “inter” ではなく、文化や人間を単位とする “inter” を謳う意識がなければならないことは言うまでもありません。

内容に目を転じても同様です。今回、国際展をキュレーションしたマッシミリアーノ・ジオーニは、当初からその非政治性を批判されていましたが、「百科全書的な空間」というテーマは、多少ましではあるものの、批判の多かったロゲール・ビュルゲルの前々回のドクメンタ12の焼き直しのようでもありました。また、ハンス・ウルリッヒ・オブリストやリクリット・ティラバニ、モーリー・ネスビットがディレクションし、「関係性の美学」的なエッセンスを濃縮した“Utopia Station”は2003年です。ニコラ・ブリオーが問題にした90年代を基準とすれば、10年単位での周回遅れということになるのかもしれません。もっとも、そのブリオーがSFAIで“Touch: Relational Art from the 1990s to Now”をキュレーションしたのが2002年であることや、ナンシー・スペクターがグッゲンハイムで“theanyspacewhatever”をキュレーションしたのが2008年であったことを考えれば、ことさら遅れているとは言えないのかもしれません。しかしいずれにしても、そこに何らかの先端があるということを、多くの人は期待してはいないはずです。これは、オクウィや、昨年のキャロライン・クリストフ・バカルギエフのドクメンタが担った先鋭性とは好対照をなすものでしょう。

けれども今回、田中さんが触れているように、賞の選考の過程で協働に注目することで、失敗というネガティヴな要素に意識が向いたことは、とても大きな意味を持つと思われます。展示自体ではなく、いわば副次的でさえある選考過程においてだとしても、僕にとっては初めてヴェネチアがある種の先見性を感じさせてくれたのです……。やっとここ最近、僕が口にしてきた「失敗」にたどり着くことができました。現在手をつけている次の本の中で少しは明確にできると思いますが、まだ漠然としているいまの状態で触れておくことも、テーマが失敗であればなおのこと許されるのではないかと思います。

「自立」と「依存」、「協働」と「失敗」

僕が失敗に興味を持つようになったのは、素地として、自然科学的な世界観に対する漠然とした抵抗があったと思います。理系出身ということも関係しているでしょう。線的進化や単調推論的な知識観に対する違和感と言ってもよいでしょう。ただこれは、何か漠としたかたちでは保持できても、一種の行動指針としてはなかなか形成し難いところがあります。大きな契機となったのは、エヴァ・フェダー・キテイという、自身も重度の知的障碍のある娘を持つ思想家の介護論を読んだことでした(*3)。そこでは、欧米に限らず近代社会のなかで自明と思われてきた「自立」にさえ疑いの目が向けられ、介護を支える依存関係が注目され再考されています。人間は、健常な人間でも誕生してからしばらくの期間、そして人生の末期には何らかのかたちで介護を受けることになります。また、自立し充実しているはずの人生の中間期にも、今度は誰かの介護に関わらなくてはならないかもしれない。またその介護は、依存する側と依存される側、そして実際に介護を担当する人間との間で、切実かつ複雑な相互関係を生み出すことになる。

つまり人間は、かろうじて健常に成長することができた場合でさえ、人生の大半の期間を、依存と何らかの関わりを持ちながら生きていくのです。けれども、思想や哲学の多くは、そうした逃れようのない網目のなかにいる個人ではなく、自立したひとりの孤独な人間から始めようとします。ジョン・ロールズはもちろん、彼を批判的に捉えたマイケル・サンデルらの共同体主義においてさえ、幻想としての個人を暗黙のうちに前提としています。けれどもそうした思想風景は、不都合なものを捨象した安っぽい芝居小屋の書き割りのようなものにも見えなくはない。なぜ、人生の大半にべったりと張りついてくる依存という相互作用が視野に入らないのか。あるいは意図的にそうしないようにしているのか。キテイは、自身の問題意識が西洋思想そのものを根本から問い直すことになることを察知します。そして、そのことに畏れおののいたというわけではないとしても、その可能性に触れるにとどまってしまいます。しかし、この切実な論考が、僕にとっては無視できないものとして澱のように心のなかに沈んでいったのです。

もちろん、欧米の思想はこれまでもしっかりとネガティヴな要素を、失敗を、矛盾を、見つめてきました。近代を支えてきた弁証法は、まさに矛盾によって駆動する思考方法であることは言うまでもないでしょう。自然科学もまた、失敗に結果する実験や観察に裏づけられています。しかし、ここで注意しておきたいことがあります。今回の受賞理由に対して、キテイとの関連性を感じながら可能性があると理解できたのは、弁証法や自然科学における失敗や矛盾のように、最終的に成功に奉仕するものではないものとして、失敗を見つめているように感じられたからです。田中さんの作品は、そのことによってやがて何かに結実したり、まったく新しい協働方法が生まれたり、問題を解決できるという類いのものではありません。ひとつの結果としてそうなる場合があるとしても、それは言わば偶然で、その可能性によって有意味になるというわけではない。つまりそれは、論証の駆動装置として機能する矛盾でもなく、正確な観測を導くための試行錯誤でもない。そのことは会場を訪れた人なら、審査員に限らず誰にも明らかだったはずです。つまりそれが評価された、いや、権威によって評価されたということよりは、むしろ審査するような人々の視野にさえ入るようになったということで、失敗、矛盾など、ネガティヴとされてきたものに対して、これまでとは異なる対応の仕方が、やっと真剣に考えられるようになり始めているということだと思うのです。

そして関係性の美学へ、自主的であることへ

このような失敗の理解は、ブリオーの『関係性の美学』を巡る議論とも無関係ではありません。乱暴に概観してみると、ブリオーが見つめていた90年代に顕著になる美術の傾向は、確かに、関係性への注目や、ボトムアップ的な社会変革、場の共有などというかたちで説明できるものでした。それに対して、クレア・ビショップによって行われた批判は、成果や有効性をより強く意識する視点からのものでしたが、そもそもの立脚点の相違を示すものでもあったように思えます。シャンタル・ムフなどを引きながら行うビショップのブリオー批判は、言ってみればロールズやサンデルとは整合しやすいものの、あまりにも狭隘であるように思います。あるいは、彼女の批判は、アラン・ソーカルとジャック・ブリクモンのポスト・モダニズム批判にも通じる、頑すぎる理解のようにも思えます……。

でも、そろそろ切り上げなくてはだめですね。最後はちょっと中途半端な返答になってしまいましたが、僕の考える「失敗」について、少しは触れることができたような気がします。後半の部分や、これが、田中さんの言っている「自主的である」ことと折り合うことができるのかどうかなど、おそらくそうした部分が、次の論点になっていくことでしょう。でも、そうこうしていると、田中さんの一時帰国が近づいてきます。書簡の合間にも、有意味な会話の機会が生まれることを期待しつつ……。

2013年10月
杉田敦

1. 杉田敦, 『ナノ・ソート:現代美学、あるいは現代美術で考察するということ』, 彩流社, 2002.
2. 本文中においては、田中さん以外全員の敬称を略させていただきます。
3. Eva Feder Kittay, ‘Love’s Labor; Essays on Women, Equality, and Dependency’, Routledge, 1999. 邦訳『愛の労働 あるいは依存とケアの正義論』, 岡野八代他監訳.

近況:『ナノ・ソート』の次の論考を執筆しています。渋谷の109をメルトダウンした原発に見立てて20km圏の境界を歩く「20km向こうに」、blanClassでの月一の「ナノ・スクール」、アートと歴史を考える「History in Art : アライダ・アスマンを読む」など。加えて、年末年始には art & river bank のイヴェントも……。 。

すぎた・あつし(美術批評)
1957年生まれ。美術批評、女子美術大学芸術表象専攻教授。芸術関連の主な著書に『ナノ・ソート』(彩流社)、『リヒター、グールド、ベルンハルト』(みすず書房)、『アートで生きる』(美術出版社)、『inter-views』(美学出版)など、紀行として『白い街へ』『アソーレス、孤独の群島』(以上、彩流社)などがある。また、オルタナティヴ・スペース art & river bank を運営するとともに『critics coast』(越後妻有アートトリエンナーレ)、『Picnic』(増本泰斗との協働プロジェクト)など、アート・プロジェクトも数多く手がける。

Copyrighted Image