連載 メグ忍者 Drawing and Sleeping 第四回

アーティスト集団「オル太」のメンバーとして活動するメグ忍者の連載。最終回となる第四回は、イベントをおこなった豊田や、新作のリサーチのために訪れた韓国での出来事を振り返る。国内外を移動しながら制作することや、眠り起きることを繰り返す日常と社会との接点についてメグ忍者は思考を巡らせる。

 


 

目が覚めると、自分が今どこで寝ているのかわからなくなるときがある。あまりにも移動をしすぎると、家にいるのか、滞在先のベッドなのかがわからなくなる。その時にいるのが滞在先なのに、夢の中では家の布団で寝ていたりすることもあり、ますますわけがわからないことになる。
今、私はどこで何をしているのか。
一日の終わりに自分が今日一日有意義な過ごし方をすることができたのかなんて確かめない。目が覚めたときにも今日この日になにもかも滞りなくやるべきことができるのかどうかなんてわからない。

 


『Bad Bed』

 

新しい一年が始まり、久しぶりに実家に帰って少しだけゆっくりとした時間を過ごしたのち、1月中旬に『Spectacle Firing』というパフォーマンスイベントを豊田市美術館でおこなった。「しないでおく、こと。― 芸術と生のアナキズム」展が開催中で、オル太の作品も展示されていた。パフォーマンスは展示作品とはあまり関係がなく、私が不定期にシリーズとして、いろいろなアーティストに声をかけパフォーマンスをおこなう企画で、今回豊田で実施することになった。「公共の場所でどのように火を起こすことが可能か」という問いを参加アーティストにも投げかけ、これまでもさまざまな場所でFiringしてきた。今回は初めて美術館の企画に組み込まれ、急な誘いではあったのだが、荒木優光さん、小宮りさ麻吏奈さん、國松絵梨さんとともにその場限りの事を起こした。私はギー・ドゥボールの『スペクタクルの社会』に書かれた221個のテキストを分割して折りたたみ、くじにして観客に引いたテキストを読んでもらった。読んだテキストには番号が書かれており、その番号の品物がもらえるというものだ。品物はすべて、オル太が自作した燻製機によって燻されている。観客は煙のにおいのついた品物とともにテキストを持ち帰ることになる。館内アナウンスを私自身がおこない、たくさんの人が集まってくれたものの、すべての人がくじに参加できたわけではなかった。それでも老若男女問わずギー・ドゥボールの言葉の集積に触れることができたのではないだろうか。そしてオル太が集めた物の集積にも目を向けることができただろう。私はひたすらマイクパフォーマンスをしていたため、荒木さんや小宮さん、國松さんが何をしていたのかほとんど見ることができなかった。時折どこかから「おーい」という機械的な声が聞こえてくる。椅子が池に置かれている。気づいたら隣に椅子がある。くじを求める観客がふたりとなり、日没の時間になったので終了した。終わってみると、庭園には荒木さんが散らばして置いた美術館の備品の椅子が片付けられ、國松さんの大きな紙に書かれたぐしゃぐしゃの詩は燃えており、砂利の上に小宮さんの仕業と思しき何か描かれたものが残されており、そしていつの間にか燃えた便器の中には炭となった木材から煙が出ている。観客は少しずつ帰っていき、残っていた友人たちと便器を囲んで話をする。人々にも煙のにおいは移り、すべてが燻された。美術館と火、絶対に結びつかない、結び付けてはいけないようなものだが、ここでそれは起こった。

 


『Firing』

 

そして2月には韓国に行った。それも今まで行ったことのない交通手段で。まず、飛行機で対馬に行って釜山へ船で渡った。韓国に船で行くのは初めてだった。船は大きく揺れ、酔い止めを飲まなかったことを後悔した。私は初めて自分が書いた台本が役に立つのを経験した。2024年12月に横須賀で上演した『ニッポン・イデオロギー 第7章』で船酔いについての記述をしていた。船酔いをする人は運動神経がいい人、という話があった。多くの情報を取り入れすぎるから、船酔いをするのだ。私は目を閉じ、情報を遮断した。それでも考えすぎるから、思考も止めるようにした。気づいたら寝ていて、そしてもうあと少しで釜山に着くというアナウンスが聞こえてきた。船の揺れも出航したばかりのときよりおさまっている。釜山に着いて、飛行機と同じように入国審査を受けて税関を通った。
なぜ旅をしているのかというと、今夏に開催する国際芸術祭「あいち2025」でのオル太の新作のためのリサーチとして、長崎、対馬、釜山、光州、ソウルに行き、各地で労働や暗闇について何か手がかりを探しにいくためだった。
そういえば、神津島に行ったのも船だった。私は1年前の自分を回想していた。東京から神津島に行くよりも近い長崎と韓国との距離。それでもこちらから行くよりもあちらから来るほうが多いのだろう。私とオル太のJang-Chiは数少ない日本人観光客に混ざって韓国入りした。

私はいつの間にか作品を移動しながら作るようになっていった。台本を書くことになるということも数年前までは考えたこともなかった。気づいたらこうなっていたということが多くある。私はどうしても就職をしたくなかった。家族には申し訳ないと思っている。父は私が高校生のときに一般大学に行くことを勧めた。そして入ったのが美大だったとしても、就職はしないのか、と残念に思っていたと思う。
作品を作ることは必ずしも楽なことではない。単純労働のほうがもしかしたらよっぽど楽なのかもしれない。だからレジでバイトしていたとき、クレーマーが来ない限りは同じ動作をし続けてミスをしなければいい環境でお金のために働くことで安堵する面もあった。時間になれば仕事が終わり、その時間分のお金がもらえることが確実だから。
とはいえ、贅沢なことだと思う。自由な時間を作品のために使うことができ、その作品を多くの人に観てもらうことができるのは。けれども私はその贅沢な時間を有意義に使うことが本当にできているのかときどき不安になる。
朝、起きた瞬間が一番怖い。また、一日が始まるのが。そして一日が終わっていくのが。一日はすぐに過ぎていき、その途中で生命すら終わったりもするかもしれない。時間は残酷に過ぎていってしまうから。作品が出来上がらないときがずっと長く続いていればいいと願ってしまう。しかし、そんなことは無理な話で作品は他者に観られるそのときを待ち望んでいるので、ある時点で終止符を打たなければならない。

 


『Violence』

 

日常のなかにたくさんのことがありすぎる。そして私は思ったことや起きた出来事について正直になりすぎる。やりたくないことを後回しにしてくだらないことをやりはじめたら、そっちにばかり時間を取られすぎていたということもよくある。完璧な日なんてまったくなく、どれもこれも何をやってもうまくいっているとは思えない。そしてなげやりになってしまうときも。

韓国で久しぶりにあったトクジュンはまったく変わっていなかった。もしかしたら彼のなかでは私の知らない何かが変わったのかもしれないけれど、私は遠くに住んでいるのでそれはわからない。彼は、ちょうど時間が空いている時期だったから、と私とJang-Chiをアテンドするのに多くを費やしてくれた。ソウルでは右派と左派のデモがおこなわれていて、私たちは左派のデモに参加した。右派のデモは通りかかっただけだったが、親子が手をつなぎ、片手には韓国とアメリカの手旗が握られているのを見た。日本人が天皇を迎えるときに手に持つ日本国旗のようなものだ。そして、左派の旗にはさまざまなキャラクターやロゴなどが印刷されていた。右派の持つ旗よりもずっと大きく、空に掲げて左右に揺れていた。その日は氷点下の極寒だった。もうひとりの友人であるゴニちゃんが手袋もせず、スニーカーで雪の積もった地面に立っていた。私は自分の弱さを感じた。スラムダンクの旗がはためいていた。かわいらしい三角形の一つ目小僧らしきキャラクターの旗をゴニちゃんは振り回している。頭にハチマキをして「トゥジェン!(闘争という意味)」とこぶしを上げて叫ぶ。ステージではインディーズのバンドの演奏。集合することでできることをやっている。
インターネット上で取り入れる情報よりも自分の足で動き、自分の目で見て肌で感じることのほうが重要だと感じる。それをどう伝えるべきなんだろう。全然違う考えを持っている人たちに対して。ずっと未解決だがいつか解決するときが来るのだろうか。集団で考え続けるということとはどういうことなのだろうか。

 


『Brainstorming』

 

私があまりにも留守にしているから、私の部屋にはまるで時が止まったままの荷物が多く残されていた。久しぶりに帰ってきてもその時点でやらなければならない仕事に手をつけるので長い間それらの荷物は手付かずのままで、10年以上も私が置いたきりまったく動かしていないものがある。なんでこんなものを買ったのかわからないようなものも多くあり、使いかけの絵具や粘土はもうすでに固まって使い物にならないものも多い。片付けたくない。それでもそろそろ動かさなくてはならない。私が集めた物だ。そしてほとんどの物が今はもう必要がない物だ。でも、手にしてそのときに考えていたことが蘇ってくる度に動きが止まってしまう。
今後は絶対に聞かないだろうCDもこれだけ集めたということは絶対にそのときには必要だと思って買ったし、何度も聞いている。曲順も覚えている。聴かなくてもジャケットを見ればわかる。大学に行く間に寄り道をして買った物たちだ。少しずつ決意すれば物を減らすことは可能だろうか。物なんてなくてもいい。ないほうが快適だし。じゃあ、捨てればいいのだがそれができないからこうなっている。
もし、自分がこの世からいなくなれば、この残された物が痕跡になって、この山積みになった多くの時代を経た物が存在を主張し続けることだろう。

そういえば、いつも歩いている川沿いの道に建っていた古そうな家が取り壊されていた。よく、通りがかりの学生たちがその家を見て「怖い」とか「人住んでるの?」とかを割と大きな声で言っていた。私はその家の家主が掃き掃除をしているのを見かけたことがある。けれど、その女性がそこに住んでいる人なのかはわからない。もしかしたら娘や親せきでその家に住んではいないのかもしれない。庭先にはみかんの木が生えていた。実のなる季節にはそれは収穫されるのだろうかと思いながら眺めた。
いつものように川沿いを歩いていると、解体業者がその家の敷地で掃き掃除をしていた。女性の姿ではなく解体をする30代くらいの男性ふたりの姿があった。玄関の中が丸見えだった。きっと彼らに聞いても事情を教えてはくれないだろう。そして、私はその家主については何も知らない。ただ家の前を幾度となく通ったことがあるだけ。家主は他界したのだろうか。今はその家の跡地に新しいマンションが建っている。木は根こそぎなくなっている。息苦しさを覚えた。私の記憶の中にはあの家がずっとまだ川沿いにあるし、あってほしいと何故だか願ってしまう。

2009年に結成したオル太は、気づけば今年16年目で、メンバーの井上は5月に結婚式を挙げるそうだ。そして私は今、彼と彼の妻のために結婚指輪を作っている。実はあまり表に出していないが、ときどきドローイングのように指輪を作っている。それを知っているから井上は私に注文した。私にとっては初めて誰かのために作る指輪である。一緒に住むということは、特定の他者に対して好意を持ち、そしてその他者と同じものを食べたり、同じ時間にトイレに行きたくなったりする。家のなかの出来事は隠され、閉ざされる。家族という集団のメンバーは増えたりもするらしいのだが、最近は現状維持もしくは減少傾向にある。異性だから結婚ができるというのは間違っている。結婚したら子供を産まなければならないということもない。子供を産んだとしても結婚しなくてもいい。同性どうしでも子供を養うことだってできる。頭ではわかっている。それなのに、私は異性と結婚をし、当たり前のように生活を送る。マイノリティーではない私はわかったふりをしている。わかるはずもないのに。
それでも、わからないことを考え続けなくてはならない。また朝が来て不安が訪れたとしても。このよくわからない社会のなかで。常になんらかの規制と闘い、自分のなかでのままならなさを抱えながら。

 


『Rings』

 

 


メグ忍者
1988年生まれ、千葉県出身。2009年に結成したアーティスト集団「オル太」のメンバーとして活動し、脚本、映像、パフォーマンス、デザイン、企画などを担う。日常を批評性を持って見つめ、幼少期の遊びや記憶をもとに、ドローイングを拡張し、世界に対しての些細な反逆を試みる。劇作を手がけたオル太『ニッポン・イデオロギー』が第68回岸田國士戯曲賞最終候補作品にノミネート。自身の個展に「キャピタリズム」(CAPSULE、東京、2024)、企画に「アートサイト神津島2024 山、動く、海、彷徨う」(東京、2024)、「Safari Firing」(神津島、東京、2022)、「campfiring」(東京、2020)など。

パフォーミングアーツ部門で参加する国際芸術祭「あいち2025」(9/13–11/30)の開幕まで約3カ月となる6月1日に、瀬戸市で開催されるトークセッションに登壇予定。

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