連載 田中功起 質問する 17-3:2025年4月1日のあなたへ

第17回(ゲスト:田中功起)―過去との往復書簡  あいちトリエンナーレ2019の、渦中のひとに向けて

「あいちトリエンナーレ2019」参加前後の自分自身との往復書簡。ここでは以前、その一通目を「それは、未来の誰かへの手紙でもあるかもしれません」と紹介しました。そして今回の田中さんは、新型コロナ禍のなか、実際に未来にあてた手紙を書くことを選びました。

往復書簡 田中功起 目次


 

件名:あいちから遠く離れて

 

2025年4月1日のあなたへ

あなたはもう忘れてしまっているかもしれないが、チューリップが大量に刈られている写真がある(*1)。80万本もの花が大量に地面に落ちているイメージは禍々しい。
新型コロナウイルス(Covid-19)感染症対策のため、2020年4月7日に「緊急事態宣言」が発令される(*2)。休校や外出自粛を要請する法的根拠にはなるけれども強制力も罰則もない。しかし「外出自粛の要請」は人びとの同調圧力によって達成される。このチューリップの大量伐採も、人びとを呼び寄せてしまうという理由で行われたこと。野外での行動をそんなにも制限する意味があるのかぼくにはわからない。社会的距離(2メートル)を保つことが重要だったはず。

 


京都駅地下街、2020年4月23日

 

ずっと家にいることは、それに慣れていない人間にはかなりストレスになるはずだ。ここ10年ぐらいのぼくの生活は地元では家にずっといて(仕事も家で行うし、打ち合わせは基本的にはスカイプで行うリモートワーク型だった)、撮影や展覧会などのまとまった期間、例えば海外にいく、ということのくり返しだった。それはロサンゼルスにいたときも、京都で暮らすようになってからも変わらない。ぼくは地元での社交をやめ、家籠もりの生活を送ってきた。
それでも、この隔離生活が長引くならば、自然を見に野外に出かけることは人間的生活を営む上でこの「災害」下であっても必要なことだと思う。

未来はどうなっているだろうか。未来から見たとき、いまの状況はどう見えるだろうか。去年、2019年の夏、あいちトリエンナーレの騒動の中でぼくは同じようにそう考えていた。

 

共にいることの困難 新型コロナウイルス 書き換えられた世界

 

あなたがいる、いまから5年後は、いったいどんな社会になっているのだろうか。
ソダーバーグの映画『コンテイジョン』ではワクチン摂取した免疫のある人だけが移動の自由を持ち、しかし手にはバーコード付きリスト・バンドが義務づけられ、建物への入場をチェックされる様が描かれている。もちろんこれは物語の話。でも既に今回の新型コロナ禍においても各国で、携帯電話の情報などから感染者の移動経路や接触者の割り出しが行われている(*3)。防疫の観点からそれら個人情報が採取されている。
日本でのありうる近未来について言えば、行動がすべてマイナンバーに紐付けられ、会ったひとも購入履歴も立ち寄った店も追跡可能な管理下に置かれ、外出自粛が達成された場合にだけ給付金が支払われるような状態かもしれない。いや、そんな情報技術に頼らなくとも相互監視による同調圧力によって人びとは外に出歩かないし、保障のないまま店も休業するのかもしれないけれども。

2025年を生きるあなたは忘れているかもしれないけど、ぼくはある時期から人びとによる協働の可能性とその失敗を記録してきた。それはいつしか共生という少し大きなフレームに移行し、対話を含む集いの組織化を通して他者への想像力を描こうとしてきた、と思う。この社会/世界はそもそも全く別々の背景を持つ個人の集まりだけれども、ばらばらのままでもなんとか共にいることはできる。そう思ってきた。
災害後の一時的なユートピアの発生/消滅をひとつの参照点に、同時にはじまる人びとの分断への道筋をもう一方に見据えながら、現在と過去を往復する視点を持つことで、共にいることの可能性を探る。そんなことをここ10年ぐらい考えてきたと思う。
いま、コロナ禍による社会の混乱は、そのようにして共にいること、集会の自由を制限する。共に食べること、共に話すこと、共にいることそのものを困難にする。感染拡大の可能性があり、命を危険にさらしてしまうと。
今、起きているのは、ぼくらにとっていままであたり前だった行為の数々(誘い合って飲みに行くとか)が、コロナ禍という新しい文脈によって塗り替えられ、制限され、それ以外の見方が覆い隠されてしまっているということ。そしてこれが長期化すれば、いつしかぼくらの思考も書き換えられ、この状況への疑いさえもなくなってしまうかもしれない。

コロナウイルスがニュースを使って視覚化したのは、ぼくたちがこれほどまでに繋がっていたという事実。国も、人も、相互に依存し、この世界はひとつであったという事実だと思う。
同時に、もともとあった社会問題が——例えば経済格差は感染の地域差として——よりはっきりと表出する(*4)。ニューヨークでの感染に地域差が出ているのは低賃金労働者が生活インフラを担う、リモートワーク化できないような(配送業者とかスーパーの店員とか)仕事をしているためだろう。ウイルスは平等に感染するかもしれない。でもその感染リスクを避ける経済力(ステイ・ホーム力)があれば人に会わずに自主隔離生活ができる。経済力は感染を遠ざけることができるし、結果的に、経済格差がそのまま感染の地域差として表れてくる。
あるいは差別感情が噴出する。
武漢での感染爆発があったころ、日本では中国人観光客に向けた、入店お断りの張り紙が貼られた(*5)。アジア地域に広がったあと、ヨーロッパやアメリカではアジア系移民への攻撃もあった。そして、いま日本では感染者の住居や会社、学校が曝され、石を投げるものまで出てきた(*6)。ただでさえ精神的に不安定な状態になっている妊婦の、里帰り出産さえも病院側が受け入れ拒否する動きが出ている(*7)。カリフォルニアでは外出禁止令を破ってパーティをしていた若者たちが銃撃され、ロシアでは家の前で、大声で話していただけで若者が殺されている(*8)
属性による差別は非対称である。それでもマジョリティとマイノリティの境界は環境によって変化する。日本人男性という日本でのマジョリティは、アメリカに行けばアジア系マイノリティとなる。でも感染するかしないかの境界はさらに曖昧だ。感染者を曝し糾弾する人びとは、自分が感染する確率があることを忘れている。

いま人びとは感染者数や死亡者数という数を気にしている。その中でぼくたちは何を失おうとしているのだろうか。ぼくらはいま、人間であることを忘れようとしている。あるいは人間であることを制度に明け渡そうとしている。
いま家族の誰かがコロナで亡くなった場合、その死に目には会えない(*9)。身近なものの死という、たった一回かぎりの出来事の前で、ぼくたちは人間的な振る舞いをすることができない。いまのぼくらにこのような状況が許されていることに、どのくらいの人びとが違和感を持っているだろうか。

 

行為と言葉の組み替え 美術館の再使用

 

フェリックス・ゴンザレス=トレスはかつて自分の実践についてこう話している。

(…)ぼくは潜入するために、ウイルスとして機能するために、異質に見えるような人になりたいんだ。つまり、ウイルスはぼくらの最悪の敵だけどもはや敵対者ではなく、簡単に定義できないものであるという意味で、ぼくらの手本にもなり得るはずだ。そうすることで、ぼくらはずっと存在し続けるだろう社会制度にぼくら自身を潜ませることができる。アルチュセールが、これらの社会制度や国家のイデオロギー的装置は、つねに自分自身を再生産している、と言ったように。もしぼくらがウイルスのように社会制度に潜伏していれば、それと一緒に再現されるだろう。(*10)

彼がメタファーとして語るウイルス、もちろんそれは単なるメタファーじゃなく、90年代のエイズ危機を背景とした現実でもある。彼はHIV(ヒト免疫不全ウイルス)によってパートナーを失い、のちに彼自身も亡くなる。いま、このコロナ禍下で彼の言葉と実践を見直すことには何かしらの意味があるように思う。
ゴンザレス=トレスにならって、この「災害」下の生活を覆い尽くす文脈/システムに潜入し読み替えることもできるかもしれない。
いまあるさまざまな状況や言葉(「濃厚接触」や「3密」や「ソーシャル・ディスタンス」など)を自分たちの言葉として読み替え/組み替えることはできないだろうか。あるいは、いままであたり前に捉えていたものを、「展覧会」や「美術館」や「アーティスト」を、「飲み会」や「トーク」や「オープニング・パーティ」を、個々の立ち位置から読み替え、別様のものとして見出していくことはできないだろうか。世界を覆ってしまったコロナ関連の言葉を、コロナ以前にあった日常の言葉を、もう一度見つめ直す。これからコロナ以後の世界を生きる誰かにとって必要なのは、建て直しのための方法、読み替えの技術だと思う。

「美術館」の再開(への希望)に向けて書かれたサリー・タラントの言葉を引用しておこう。彼女はリバプール・ビエンナーレを長年組織したあと、昨年クイーンズ美術館の館長になった。クイーンズは先に書いたニューヨークの中でもとくに感染者が多い地域、つまり低賃金労働者が多い場所にある。この美術館はもともと地域コミュニティとの関係が強い。タニア・ブルゲラによる地域住民を巻き込んだプロジェクト、イミグラント・ムーブメント・インターナショナルもクイーンズ美術館との協働で行われたものだ。タラント自身、ロンドンでもリバプールでも、コミュニティに関わるプロジェクトを長年続けてきた。現在閉鎖され、再開のめどもたたない美術館は多いし、オンライン化でその場しのぎをしながら答えを探している。彼女もまだ再開を希望としてしか語れない。それでも未来のビジョンがある。「美術館」という場所を、コロナのあとの世界でもう一度再建するための。

私たちにはまだこのような悲しみを語る言葉がありません。それでもこのコレクティブな経験が、私たちを啓発し、育て、持続させる人びと、場所や生態系への、ケアとコミットメントの強化へと繋がることを望むことはできるでしょう。そしていま、ミュージアムをコレクションのケアだけでなく、私たちの共同体、そしてスタッフやアーティストもケアする場所と見なし、この長期にわたる孤立と喪失から私たちが回復するさいには、コレクティブかつ個人的な経験を表現するための、丹念な創造の場と見なす時期です。デジタルに仲介された親密さは繋がりを生み出します。しかし、それは身体的な繋がりと実際に共にいることの重要さをより強いものにするでしょう。私たちがまた一緒になれるとき、どのように集まることができるのか、どのように市民の、公共の空間を作ることができるのかを、もう一度学び直す必要があります。この再建のときにおいて、私は、美術館がとても重要な役割を担うのだろうと信じています。(*11)

2020年のいまのぼくたちは、日本の中でここまで力強く「美術館」について語ることはできない。それでも、この「美術館」を「文化」に置き換えて、彼女の言葉を読んでみたいと思う。いままでのような「文化」はもうなくなってしまうかもしれない。いままでのような「アート」ももうなくなってしまうかもしれない。いままでのような「アーティスト」ももう生き残れないかもしれない。それでも未来には、再考され再建された文化もアートもあり、アーティストもいるだろうと思う。
問題はどのようにそれをこの現在のぼくらが始めるかだと思う。未来にいるあなたには、それがどのように見えているだろうか。

最初はこの手紙は過去の自分に向けて、あいちトリエンナーレの文化庁補助金不交付問題とその後の再交付、あるいはRefreedom_Aichiによる「文化庁は文化を殺すな」キャンペーンについて書くつもりだった。それはまた別の機会にする。でもこの手紙の中でひとつだけ書いておけば、文化はどんなことがあろうとも死なないと思う。少なくとも文化庁に殺されるような柔なものじゃない。コロナ禍によっても、いま書いたように、かたちを変え生き延びるだろう。5年後の未来、経済がずたぼろで、アーティストは萎縮し、キュレーターは自己検閲にまっしぐらで、その上、市民からの(同調)圧力によって文化がまったくの瀕死状態になっていたとしても。

田中功起
京都にて
2020年4月

 


近況:
アーティストたちが無料で作品をオンライン公開しているけど、コロナ禍が長期化することを思えば、活動を支えてもらうために経済活動に繋げる必要もある。ひとまず試しとしてぼくはvimeoで有料公開を始めることにした(ってほとんど無視されているけど)。公的支援にも、クラウドファンディングにもきっと限界がくる。何か別の方策も考えなければならないと思う。

 


1. 「花咲けば人密集…チューリップ80万本、無念の刈り取り」、『朝日新聞デジタル』2020年4月19日、朝日新聞社

2. 改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく「新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言」は4月7日に発令(対象地域は東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県・大阪府・兵庫県・福岡県)。さらに4月16日、北海道・茨城県・石川県・岐阜県・愛知県・京都府を加えて「特定警戒都道府県」と定め、その上で緊急事態処置を全国に拡大。

3. 「政府のプライバシー侵害、コロナ対策で進む」、『ウォール・ストリート・ジャーナル日本版』2020年4月16日、ダウ・ジョーンズ&カンパニー
「米NY州 新型コロナ感染者を追跡調査 濃厚接触者14日間隔離へ」、NHK NEWS WEB、2020年4月23日

4. “The New York Neighborhoods With the Most Coronavirus Cases,” The Wall Street Journal, April 1, 2020, Dow Jones & Company.

5. 「新型肺炎、『中国人お断り』貼り紙 箱根の駄菓子店、掲示に批判も」、『朝日新聞デジタル』2020年1月22日、朝日新聞社

6. 「陰湿極まりない嫌がらせ…感染患者・家族の家に投石や落書き被害 三重県」、『CBC NEWS』2020年4月20日、中部日本放送

7. 「どこで産めばいいの?里帰りはNG、都内は予約いっぱい」、『朝日新聞デジタル』2020年4月21日、朝日出版社

8. 「外出禁止令破ってパーティー、6人が銃撃され負傷 米カリフォルニア州」、『CNN.co.jp』2020年4月13日、朝日インタラクティブ
「男が外で『大声でしゃべる』若者5人を射殺、外出禁止令下のロシアで」、『AFPBB News』2020年4月5日、クリエイティヴ・リンク

9. 「新型コロナ、若者が次々に重篤化 NY感染症医の無力感」、『日本経済新聞』2020年4月6日、日本経済新聞社
「〈新型コロナ 声…高知から〉面会制限…父、一人で逝く」、『高知新聞』2020年3月30日、高知新聞社
*2つ目の記事では、コロナ感染防止のために面会制限を設けた病院で、入院中の老父の臨終に立ち会えなかった男性らを紹介している。

10. ハンス・ウルリッヒ・オブリスト(前田岳究、山本陽子訳)「ハンス・ウルリッヒ・オブリスト インタビュー Volume 1(上)」(ジェイ・チェン&キュウ・タケキ・マエダによるアーティストブック)、ウォルター・ケーニッヒ、2010年、pp.189–190
*上記は手に入りにくい。以下が原本。
Hans Ulrich Obrist, Hans Ulrich Obrist: Interviews, Vol. 1, Charta, 2003.

11. Sally Tallant, “Notes from the lockdown: Making a situated museum in Queens,” The Art Newspaper, April 18, 2020, Umberto Allemandi & Co. Publishing. (和訳は田中)

 


参考文献:

東浩紀「緊急事態に人間を家畜のように監視する生権力が各国でまかり通っている」(連載「eyes 東浩紀」)、『AERA』2020年4月20日号、朝日新聞出版

・東浩紀「観光客の哲学の余白に 第20回 コロナ・イデオロギーのなかのゲンロン」、『ゲンロンβ48』、株式会社ゲンロン、2020年

さやわか「海外の新型コロナウイルス論点まとめを作った話」(Youtube配信)、2020年4月18日

mikrocosmoz「さやわかさんの『海外の新型コロナウイルス論点まとめを作った話』が分かりやすかった話」、2020年4月19日

せら(塩野谷恭輔)「COVID-19と、世界認識の一断面」、2020年4月14日

 


【今回の往復書簡ゲスト】
たなか・こおき(以下、「あいちトリエンナーレ2019」作家解説より)
1975年栃木県生まれ。京都府拠点。「複数の人間が、過去、現在、未来において、ある出来事や経験を共有することは可能か」という問いをめぐり、記録映像やインスタレーションの展示、テキストによる考察、トークや集会の企画など多様な方法で探求している。撮影のために組織される仮構の共同体で生じるズレや失敗も含め、個人や集団の営みを凝視し、その内と外にある社会、歴史、制度を含めた考察そのものを作品の一部として開示。その根底には、現代アートを取り巻く既存の枠組みや制度を検証し、再定義しようとする批評性が貫かれ、作品制作と並行して執筆や言論活動も精力的に展開している。

 

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