不均衡な交換過程:ミュンヘン・シュピラート演劇祭レポート


「CROSSING OCEANS ABSCHLUSSDISKUSSION」パネル・ディスカッション

 

不均衡な交換過程:ミュンヘン・シュピラート演劇祭レポート
文 / 岩城京子

 

「不均衡な交換過程」という言葉が脳内をめぐっていた。書物で学んだ哲学用語が、飛び出す絵本のごとく現前化していた。この言葉は無論、古典的名著『オリエンタリズム』で、エドワード・サイードが詳らかにした東西権力布置に関する一節からの引用だ。

「オリエンタリズムの言説(ディスクール)は、多種多様な権力との不均衡な交換過程のなかで生産され、またその過程のうちに存在する」(サイード、1986年)*1

ここでのキーワードは「過程(プロセス)」である。権力とは、所与の制度体系である以上に、日々、再・生産される夥しい数の政治的、文化的、道徳的なコードにより強化される遂行的な知だ。文化的宗主国たる西洋が、他者である周縁的な人々に対し、「異質」というラベルを捺印することで、みずからの正統性・正常性を維持するための、現在進行形の権力生成装置なのだ。この装置に則る思考・発言・行為を辿ることで、人々は中心/周縁、規範/異端、包摂/排除、あるいは観る者/観られる側におのずと仕分けされていく。真理を細やかに追求しようとするほど、皮肉にも、自他の分断線の解像度があがっていくのだ。

今秋、ドイツ・バイエルン州最大の都市であるミュンヘンで開催された『シュピラート演劇祭』(10月27日〜11月11日)の期間中、一部のフェスティバル参加者たちは、こうした不均衡な権力の生成過程に巻きこまれていたように思う。とはいえ、アーティスト、プロデューサー、批評家、記者、一般客を含め、どれだけの参加者が、自分たちのうちに湧出してきた感情の所在を言語化できていたかは定かでない。私自身、あまり生産的とは言えぬ集団感情が造成されていることは体感しつつ、その体感があまりに直接的な感情労働(感情の抑制・鈍麻・緊張・忍耐)を強いたため、醒めた客観性を回復するまで、「不均衡な交換過程」という言葉に辿りつくことさえできなかった。しかし言語化がどれほど困難であれども、情況に対してよほど鈍感なものでないかぎり肉体は反応していたはず。初日、二日目、三日目、と日を重ねるにつれ、あの場でなんらかの「テンション」が蓄積していたことは感知したはずだ。

圧力鍋の蓋は、あるパネル・ディスカッションで吹っ飛んだ。11月5日の午後に開催された『Decolonizing Evaluation(脱植民地を評価する)』と題したイベントで、ジンンバブエ出身アーティストのノラ・チポミールは、数分の沈黙のあと、堰を切ったように話しはじめた。「なぜ私たち(非西洋人)があなたたち(西洋人)の作った<脱植民地>の物語を語ってあげねばならないのか」。それはあまりの「無理解」への憤りの迸発であった。またそれに対して地元ミュンヘンの聴衆が「こうした対話から<理解>が始まるのではないの」と涙で声を詰まらせながら訴え返していた。果たしてこの異常ともいえる、感情の昂ぶりの正体は何だったのか。このテンションの爆発に至るまで、どのような不均衡な交換過程がなされたのか。本稿では作品批評もまじえつつ、その作品を包摂する文脈も含めて、フェスティバルをレポートしたい。

 


「Decolonizing Evaluation」トーク(右から三番目がノラ・チポミール)

 

基本情報をまず抑えておこう。シュピラート演劇祭は、主にミュンヘン市とBMWグループからの出資により、二年に一度、同地で開催される現代演劇祭であり、過去20年程、元社会学者で世界演劇祭の芸術監督(93年)も務めたティルマン・ブロスツァトがチーフ・プログラマーを担当してきた。本年度より、ドレスデン州立歌劇場やバイエルン州立歌劇場のドラマトゥルグを歴任したゾフィー・ベッカーとの二頭体制を採っている。ちなみに今回は準備段階のかなり早い段階で、フェスティバルの一部でアジア特集を組むことが決定していた。そのため2015年10月の時点で、芸術公社代表理事・相馬千秋と、Scene/Asiaディレクターを務める私自身に「アジア圏演劇のプログラミングを担当して欲しい」という打診があった。最終的には、我々は、いくつかのプログラムを「提案する」コンサルタントのような立場から関わるのみに留まった。なおこの提案を推し進める際に、ケルン・メディア芸術大学で教鞭を執る中国人研究者・ユー・ミ[由宓]氏の知見も伺った。マーク・テ『Version 2020 – The Complete Future of Malaysia Chapter 3』、ユン・ハンソル『Step Memories – The Return of the Oppressed』、ホー・ルイアン『Solar: A Meltdown』などは、我々が提案した作品群である。

いろいろな紆余曲折を経て、結果的にフェスティバルは、当初のアジア・プログラムに、南アフリカ・プログラムを上乗せし、すべてを<ポスト・コロニアリズム>という一皿料理として盛りつけて観客に呈示することを決定していた。また会期二週目の週末(11月3日〜11月5日)には、『Crossing Oceans:(ポスト)コロニアリズム、アイデンティティ、多様性に関する議論とパフォーマンス』と題したイベントが3日間集中開催され、西洋の植民地支配を受けた国々のアーティストたちが一堂に集められた。そこには中国(チェン・ティエンジュオ)、マレーシア(マーク・テ)、南アフリカ(ボイツィ・シェクワナ、マメラ・ニャムザ、ガブリエレ・ゴリアスなど)、ジンバブエ(ノラ・チポミール)、インド(シャンカル・ヴェンンカテーシュワラン、マリカ・タネージャ)、香港(ロイス・ング)、韓国(ユン・ハンソル、クー・ジャヘ)、シンガポール(ホー・ツーニェン、ホー・ルイアン)などの作家が含まれた。世界中から集められた一流作品を、ミュンヘンというひとつの都市で集中して観劇できる、演劇好きにはこのうえなく贅沢な時間がそこには呈示されていた。このような国際的演劇祭を運営しつづける労力・体力・精神力は計り知れないものがある。その意味では、フェスティバル運営陣に心から感謝の意を表したい。

なお主催者はこの3日間の週末イベントのマニフェストで、カメルーン人哲学者アキーユ・ムベンベを引用している。ソルボンヌに学び仏語及び米国語圏哲学者として活躍するムベンベは、日常生活の極小の所作・態度・行為までもコントロールするフーコーの生政治(バイオポリティクス)に対抗して、奴隷制・植民地・アパルトヘイトなどの負の黒人史の主体の根底にあるのは、人々の死をコントロールする死政治(ネクロポリティクス)だ、という悲痛な主張を展開してきた。その彼の言葉を簡略的にパラフレーズしたとおぼしき無記名原稿で、主催者は、「差異は、その事実を理解するのではなく、ヒエラルキーやカテゴリーとして認識されたときに問題となる。その時点で差異は、ポジティブな光の当たるユニークさの表徴ではなく、外敵脅威とみなされる人々を除去するための壁を屹立させる」と記している。そして「可能な限り多くの人道的発話を可能にする」ことがゴールだと締めくくっている。*2

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アキーユ・ムベンベ基調講演「CREATIVITY IN TIMES OF DISQUIET」

 

ここで否応なくひとつの疑問が湧いてくる。果たして<差異の事実(Fact)>とは何を指すのか。またそのような万人に共通なファクトの所在を決定する権利は、果たして誰に与えられているのか。マックス・ウェーバーが指摘するように、科学的な知の体系は、「中立的な規範や客観的な手続きによって証明ないしは反証可能な言説の体系」としては構築されない。科学は、権力として制度化される(姜尚中、2004年)。*3 また私はムベンベの専門家でないので全著書を熟読しているわけでないが、主催者の引用元と思われるムベンベの近著『Critique of Black Reason』に目を通したところ、その解答も明解には得られなかった。というよりもむしろ、以下のような逆説的な一文にぶち当たった。「特定の知識(植民地科学)は、差異をドキュメントし、多様性と不明瞭さという不純物を取り除き、正典として固定化することによって生成される」。つまりムベンベは、差異を「事実」としてフィックスする行為こそ、西洋的正典の生成過程であると主張しているのだ(ムベンベ、2017、拙訳)。*4 なおムベンベは本フェスティバルに招聘され、11月5日に『Creativity in Times of Disquiet(不安時代における創造性)』と題した基調講演を行った。残念ながら、私は時間の都合で参加できなかった。そのため講演現場で、彼がどのような主張をしたかをフェアに論じることができないことを付け加えておく。

ムベンベは本書で二年前に、バイエルン州屈指の出版賞「ゲシュウィスター兄妹賞」を受賞した。そのためいまドイツの知識階層で絶大な影響力を誇る。また「植民地」は、現在ドイツ国内のある種の流行語でもある。ベルリン市では2019年までに、約750億円という総再建費をかけて、「ベルリン王宮」を「文化複合施設フンボルト・フォーラム」として生まれ変わらせる計画が進行中であり、その再建施設内にドイツで「相対的に軽視されてきた植民地史」という負の歴史を、道徳的に再認識するアフリカやアジアなどの<民族学的>コレクションが展示されるというのだ。これに対してアフリカ・アジア関連諸団体は、「欧州中心主義的な、復興的美術館が再び建設されることを阻止しよう」と否の声をあげている。差異をドキュメントし、また差異を正典化する美術館など、いまさら誰が喜ぶのだろうか? 負の植民地史の、内実を到底理解しているとは思えない蛮行だ。こうしたドイツ国内の社会政治的な文脈を理解すると、シュピラート演劇祭が「(ポスト)コロニアリズム」というテーマを掲げ、アジアとアフリカの双方から作家を招聘した動機がクリアに見えてくる。おそらくこれこそ現代ドイツの観客を挑発する、喫緊のテーマだと捉えたのだろう。

 


岩城京子レクチャー「模造品のデモクラシーとその不服:アジアで民主主義をパフォーマンスする」

 

ただ残念なことに、私が視察した演劇祭参加作品及びイベントの客席は、ミュンヘン・カンマーシュピーレで上演されたミロ・ラウ作『サロ、或いはソロムの120日』(もちろんパゾリーニ映画から引用した題名)など数作を除き、あまり地元客の姿が見られなかった。現時点では客層統計資料が手元にないため、ここに記すことは私が実地に目にした印象論に留まるが、特にアジア・プログラムでは、国内外の業界人と地元プロフェッショナルが、客席の大半を占めていたように思う。そのため、私は3日間のイベント最終日に『模造品のデモクラシーとその不服:アジアで民主主義をパフォーマンスする』と題したレクチャーを行わせてもらったのだが、アジア情勢に明るくないドイツ人に向けて執筆した原稿が、私の話すようなことは概して理解するアジア人の聴衆に向けて発話されたため、内容がやや無効化してしまった。もちろん「知らないことを多く学べて、役に立った」という感想も、笑顔で、幾人かの地元客から頂戴した。しかし果たして「Useful(役立つ)」という単語を、躊躇なく肯定的に捉えていいのか。1930年に筒井徳治郎一座のベルリン渡航公演を目にしたブレヒトは、その直後に『On Japanese Performance Techniques』という小論で以下のように語っている。

「我々は海外舞台芸術作品の特定要素を考察する際、それがどれだけ私たちに役立つかを基準に考えるべきである。(中略)技術は要求される極めて高度な修練から分離され、転送され、他の状況下に服従させられるべきである」(リヒテ、2001年、強調筆者)*5

いかにあのブレヒトの発言であれ、この一節は時代錯誤感が否めない。今となってはエリカ・フィッシャー=リヒテなど間文化的パフォーミング・アートの論者たちから、多くの批評を浴びせられている。だが私はこのブレヒトの言葉が、すでに滅亡した言説ではなく、現在に息づく意識であることを、身を持って体験してしまったように思う。果たして私たち非西洋人は、彼等の「役に立つ」ために、招聘されているのだろうか。これは不必要に疑心暗鬼な構えかもしれない。だが私の講演後に聴衆がなにげなく使った「役に立つ」という言葉は、なぜか素直に受け止めることができなかった。それにポロリとこぼれ落ちるこうした言葉のほうが、幾重にも武装した学術論文よりも真理を暴くことが多い。姜尚中は『オリエンタリズムの彼方へ:近代文化批判』のなかで、以下のように語る。

「文化の宗主国と、国家という『疑視神学的な外的秩序』との共犯関係ができあがるとき(中略)その外部に文化や国家に対立する『文化の公民権』を持たないものたちが存在する。(中略)<他者>とは、そうした文化によって表象不可能なものたちに与えられた属性のことである」(姜尚中、2004年)*6

つまりこうした表象不可能なものたちを、表象の現場に招聘する際には、それなりの「準備」と「覚悟」が必要になる。しかし本フェスティバルでは、この権力生成システムの解除にどれだけの手当があてがわれたのかが不明瞭なまま、「ポスト・コロニアリズム」という漠然としたフレームのなかに、「表象不可能な他者たち」が、いっしょくたに包摂されてしまったように思える。そして「脱植民地の言説」を語ることを要求された。冒頭で引用したノラ・チポミールの怒りは、この無理解に端を発する。

丁寧な枠組の「問い」が立てられていれば、観客も作家もビジョンを語れる。未来を眺めることができる。だが問題意識が漠然とした池に放りこまれると、井の中の蛙たちは小さな池の視野に縛られ、その秩序を荒らす異種同士の奇異さにばかり目がいってしまう。つまり「奇異さという名のアイデンティティ」を繰り返し語らされることで、より根深く西洋文脈のアイデンティティの罠に搦め捕られていくことになる。換言するなら、アーティストの作品が、民族的アイデンティティの表象によってのみ、評価されていくことになる。その不平等な交換過程に巻き込まれたための感情の発露として、『Rewriting Histories(歴史を上書きする)』と題したパネル・ディスカッションに参加したあと、韓国人演出家ユン・ハンソルは、「俺、イコール<韓国>じゃないよ。自分の作品については語れるけど、韓国人の未来なんて知ったこっちゃないよ!」と憤りを露わにしていた。

もちろんユン・ハンソルを含め、欧米市場で闘う優れた非西欧圏の作家たちは、程度の差こそあれ、そのような「アイデンティティの見世物小屋」に収容されてしまうことには慣れている。その覚悟があったうえで、どれだけ作品力だけで「西洋による知の一望監視方式」(姜尚中)の先にある景色を、観客に見せられるかに全精力を注いでいる。今回、私がフェスティバルで観たもののなかでは特に、ホー・ツーニェン、マーク・テ、シャンカル・ヴェンカテーシュワラン、またホセ=フェルナンド・デ・アゼヴェード(ブラジル)の作品が、精緻なリサーチと創造性に富みすばらしかった。うち前者二作についてここでは語りたい。

 


ホー・ツーニェン『Utama – Every Name in History is I(ウタマ:歴史上すべての名前は私)』(2003年)

 

シンガポールの美術史家・美術作家のホー・ツーニェンは、『Utama – Every Name in History is I(ウタマ:歴史上すべての名前は私)』(2003年)と題した極めて審美的・考察的に優れた映像付きレクチャー・パフォーマンスを行った。ホーは英国植民地化以前に目を向けた精緻な歴史調査と、東西古典絵画の手法を模した中世絵画的な美学を誇る映像により、いかにシンガポール建国史が、西洋人の一元的視点により構築された「真実」であるかを説きあかしてみせた。シンガポール公式史では、国家創設者は英国人入植者トーマス・ラッフルズだとみなされている。しかしラッフルズに先駆けること約500年前、シュリーヴィジャヤ王国(スマトラ島の海上交易国家)の王子サン・ニラ・ウタマによって、既に「シンガ・プラ(ライオンの都市)」は発見・命名されていたかもしれないという。ホーはここでプラトンの『洞窟の比喩』を援用し、シンガポールの人々が盲信する現実は、すべて「現実の影」に過ぎないのではないかと問う。またレクチャーの終盤で批評の視座を反転させ、いまここでオルタナティブなシンガポール史を物語る自分さえも、真実の捏造者のひとりかもしれないと語り、歴史生成のプロセスそのものに疑義を投げかける。国際的美術作家である自分も、ある種の<表象犯罪>に加担する被告人のひとりではないか。つまりホーは表象不可能な他者が遍在する領野を、完全に自覚したうえで、あえて勇猛にその周縁世界を言説化・表象化してみせる創造行為に着手しているのだ

一元的物語からの脱出、言説化・表象化の難しさ、という同様テーマのバリエーションで、新作『Version 2020 – The Complete Future of Malaysia Chapter 3(バージョン2020:マレーシアの未来完成図 第三章)』を発表したのは、マレーシアのドキュメンタリー演劇作家マーク・テ。彼は1991年にマハティール政権によって発表された経済・教育・福祉プラン「ワワサン2020」を、<真実>の未来だと教育された自分たち80年代世代が、その一元的視座の虚構性に気づきふと我に返ったとき、いかにバラバラに断片化された片言隻句しか発話できないポスト・モダンな存在に変容していたかを、極めて詩的な演劇言語で表象した。西洋先進国と肩を並べる近代国家になる。そんな未来のビジョンを掲げていたはずなのに、マレーシアは気付けば近代を飛びこえて、ポスト・モダンに突入していた。その西洋史を十倍速で進めたような、複雑に倒錯した歴史変遷を、5人のパフォーマーたちが、アクティビストの行為、ミュージシャンの歌、ダンサーの踊り、映画監督のビジョンなどといった異なる方法論で語っていく。しかも彼らの発話は、おしなべてとてもパーソナルなものだ。これはもしかすると雄弁な英語で標榜された政治的未来を、不格好でも個人に根ざした言葉で翻訳しなおす、アイデンティティ・ポリティクスの演劇なのかもしれない。マーク・テの作品もやはり、表象不可能なものを自覚的に相手どりつつ、その不可能性の臨界に挑み、「暫定的なビジョン」を呈示しようとする果敢な演劇作品だといえる。

絶えず揺れ動くものであること、不安定な足場であること、「暫定的なビジョン」しか持ちえないこと。これはそのときの自然環境により未来絵図が劇的に変わる、農耕民族であるアジア人に備わる、いわば生きる知恵ともいえる思考法だ。しかしこの<流動性>や<不確実性>を、天災が少ない土地に住む人々はあまり好まない。規範、公準、正典などの安定的な知識を学術基盤として評価する。ヴァルター・ベンヤミンは、自国民のこうした安定性への希求を熟知したうえで、「境界を超越する精神」は、つねにワーク・イン・プログレスなものであると著書『Illuminations』で主張した。「時間的で暫定的な解決以外のもの、つまり瞬間的で最終的な解決が人間に与えられることはない」。そう、彼は警鐘を鳴らした(ベンヤミン、1923年)。*7

 




Both:マーク・テ『VERSION 2020 – THE COMPLETE FUTURES OF MALAYSIA CHAPTER 3』

 

ちなみに、私もこの原稿を書いている時点で、ある種の表象犯罪に手を染めている。冒頭で述べたように、真理を細やかに追求しようとするあまり、結果的に「自他の分断線」の解像度をあげる意見を綴っているからだ。つまりこの稿を通じて私は、東西の二項対立の言説を、悲しくも強化しているのだ。言語化の過程は、意味の固定化のプロセスと否応なく重なる。そういう意味でも、もはや誰もが「楽しい記憶」として処理しているフェスティバルを回顧して、またすでに主観的に改竄されたと思しき自分の記憶を利用して、批評文を記述するということ自体、かなり「あとだしジャンケン」のようにフェアではないし、文化的犯罪行為だと言える。しかし私は自分が感じた違和感を、ただ飲みこめるほど物分かりがよくないため、こうした批評行為を続けている。難儀なサガだ。とにかくこの西高東低の呪縛から逃れるにはどうすればいいのか、問いつづけていきたいのだ。

少なくともこの二項対立の構図が無効化した過去の産物である、と語るほど私は楽観的でない。というのも現在私が滞在するベルリンで様々な劇場に足を運ぶたびに、「見る側(主体的西洋)」と「見られる側(客体的他者)」という力の編成形態が、いまだ顕在であることを、日々認識させられているからだ。主体である彼らは客席にドカンと鎮座し、アジア人、アフリカ人、中東からの難民など、様々な他者である人々を、入れ替わり立ち替わり舞台上にあげる。彼らの言い分としては、様々な「他者」に表現する自由や表象する機会を、付与する寛容さを自分たちは持ち合わせている、ということになるのだろう。しかしそこで表象されて観客に喜ばれるのは、「申し合わせたようなアイデンティティの物語」である。日本人が漫画やテクノロジーを、韓国人が冷戦後構造を、南アフリカ人がアパルトヘイトを、中国人がサイバー監視社会を、シリア人が難民の苦悩を語れば、拍手喝采を受ける。これらアイデンティテイ・パフォーマンスは、果たして二項対立を改善しているのか、加速しているのか。

 


ハン・ユンソル『STEP MEMORIES – THE RETURN OF THE OPPRESSED』

 

『The Politics of Interweaving Performance Cultures(織交的パフォーマンス・カルチャーの政治学)』という、フィッシャー=リヒテなどが編算した学術書のエピローグで、ポスト・コロニアル理論の哲人ホミ・K・バーバは以下のように指摘している。

「多文化主義的グローバル世界で重用となるのは、自分たちの民族的アイデンティティの表象ではない。決定的に重用なのは、権威の所有だ。私はどれだけの権威を持っているのか? ディアスポラ的移住市民である私は、ドイツでの、あるいは米国や英国での、公共空間の形成にどれだけの影響を与えられるか? <オーソリティ(権威)への問い>に応じよ。<アイデンティティへの問い>にではなく。アイデンティティ・ポリティクスは、主体みずからの罠となる。それは団結力とコミュニティによって抱擁されるべき人々を、分離主義と宗派主義へと追いやってしまう」(バーバ、2014年)*8

アーティストがどれほど優れた芸術作品を発表しようとも、それがどのような権力のフレームに包摂されるかによって、彼/彼女らの表象は無効化してしまう。アーティストたちによる、真摯な問題、積年の課題、全人格を賭した審美性は、巨大な権力生成装置の前に悲しくも敗北してしまう。バーバが正しく主張するように、私たちはいま、いわば<芸術憲章>の執筆者たちと交渉し、それを大胆かつ融和的に改編すべきときに来ている。この章典が再編算されないかぎり、不均衡な交換過程は永続されていくだろう。

 


 

*1 エドワード・サイード『オリエンタリズム』板垣雄三・杉田英明監修、今沢紀子訳、平凡社、1986年.

*2 ‘Crossing Oceans, Diskurs- und Performance-Wochenende über (Post)Kolonialismus, Identitäten und Vielfalt’, Spielart Festival München, 2017.

*3 姜尚中『オリエンタリズムの彼方へ:近代文化批判』、岩波書店、2004年.

*4 Achille Mbembe, Critique of Black Reason, North Carolina: Duke University Press, 2017.

*5 Erika Fischer-Lichte, ‘The Reception of Japanese Theatre by European Avant-Garde (1900 – 1939), in Japanese Theatre and the International Stage, eds. By Stanca Scholz-Cionca and Samuel L. Leiter, Leiden, Boston, Köln: Brill, 2001.

*6 姜尚中『オリエンタリズムの彼方へ 』、2004年.

*7 Walter Benjamin, Illuminations, Translated by Harry Zohn, New York: Schocken Books, 1969. ヴァルター・ベンヤミン「翻訳者の課題」1923年、『ベンヤミン・アンソロジー』山口裕之編訳、河出書房新社、2011年.

*8 Homi K. Bhabha, ‘Epilogue: Global Pathways’, in The Politics of Interweaving Performance Cultures: Beyond Postcolonialism, eds. by Erika Fischer-Lichte, Torsten Jost and Saskya Iris Jain, New York and London: Routledge, 2014.

 

 


 

シュピラート演劇祭
2017年10月27日(金)-11月11日(土)
http://www.spielart.org/

 

 


 

岩城京子|Kyoko Iwaki

演劇研究者。ロンドン大学ゴールドスミス校博士課程修了。ロンドン大学演劇パフォーマンス社会学研究所研究員。早稲田大学演劇博物館招聘研究員。日欧現代演劇を専門とするジャーナリストとしても活動。単著に『東京演劇現在形』。共著に『Fukushima and Arts – Negotiating Nuclear Disaster』(Routledge)、『A History of Japanese Theatre』(ケンブリッジ大学出版)、『<現代演劇>のレッスン』(フィルムアート社)など。近刊予定に『東京演劇現在形』の続編(フィルムアート社)、及び共著『A Routledge Companion to Butoh Performance』(Routledge)。2015年よりScene/Asiaチーフ・ディレクター。2018年よりアジアン・カルチュラル・カウンシルのグラントを得て、ニューヨーク市立大学大学院客員研究員。

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