平面に圧縮された「遠さ」と「近さ」


展示風景「櫃田伸也:○△□」KAYOKOYUKI、東京、2023年 写真:岡野圭 画像提供:KAYOKOYUKI

 

平面に圧縮された「遠さ」と「近さ」
文 / 中島水緒

 

イギリスの美術評論家ジョン・バージャーのテキストに「野原」という小文がある[1]。短いながらに思索の種に満ちたこのテキストにおいて、バージャーは「理想の野原」が持つ4つの条件を挙げる。以下に要約しよう。

①境界線が見えるような大きさであること。
②上から見ても下から見ても傾斜が見ている人に向かって傾いているような丘。パースペクティブの効果を最小限に留め、遠近の関係を対等にする空間であること。
③活動が少ない冬の季節の野原ではないこと(何かが起こりそうな野原であること)。
④四方を生け垣で囲ってはいない野原。

「野原」はエッセイ風のテキストなのであって、風景画論ではない。また、野原という場所を具体的な作品や作家に紐付けて語ったテキストでもない。だが、ここに挙げられた「理想の野原」の条件は、野原を絵画空間のモデルとして読み替えることを読者に促す。とりわけ注目したいのが2番目の条件だ。「遠近の関係を対等にする」とは、いったいどのような空間を指すのか。

おそらくバージャーが想定しているのは、遠くもなく近くもない中間的な距離から眺められた、ささやかな広さの野原なのだろう。その広がりは有限の区画でありながらフレーム(生け垣)によって強固に閉じることはなく、視野いっぱいを占める「面」の空間としてあらわれ、複数の出来事が因果的に/無関係に併存するための舞台を形成する。近代以降、ある種の絵画作品は平面性における「浅い奥行き」(グリーンバーグ)をさまざまな仕方で追求したが、野原の持つ面的な広がり、遠近の感覚を錯綜させる緩やかな勾配は、近代絵画のフォーマルな問題系をより身体的な経験に引き寄せた絵画モデルを示唆してくれるように思える。

 


櫃田伸也《通り過ぎた風景》1993/2008年 写真:岡野圭 画像提供:KAYOKOYUKI

 

唐突にバージャーのテキストから話を始めたのは、東京・駒込にあるギャラリー、KAYOKOYUKIで櫃田伸也の個展「○△□」を見たからだった。そこにはまさしくバージャーが「野原」で言及した「遠近の関係が対等」な空間が、画家の経験に根差したかたちで描出されていた。

たとえば、出品作のひとつである《通り過ぎた風景》(1993/2008)を見てみよう。横長の画面の中央には緑色の帯が水平方向に走っていて、地面とおぼしき薄茶色の領域を二分している。これによって画面は二段構えとなり、高い視点から見下ろしているとも低い視点から見上げているともつかない曖昧な遠近感が「面」の構成において創出される。この二段構えの画面は下って上る坂道をあらわしているのかもしれない(それは一点透視遠近法では表現しきれないものだ)。ただし、基本的に奥行きを示唆する要素は絞られており、画面後方に向かって曲がる弧線、そして抽象化された形象の大小関係のみが空間把握の指針となっている。清々しいまでのランドマークの不在。画面の主役はむしろ、中央部を占める茫漠とした何もない広がりのほうなのではないか、と思わせるほどだ。欠如の印象をもたらす「何もない広がり」は、ボリューム感が希薄であるにもかかわらず――希薄であるからこそ?――空白の領域の補填を促して見る者の視線を内へと引き込む。

ここには二重の風景体験がある。すなわち、「俯瞰して風景を一望する純粋視覚的な体験」と「画面内の何もないスペースを走り回ったり、盛り上がるフォルムによじ登って遊んだりする仮想的かつ行為的な体験」のふたつである。画家にとって風景とは、どうやら安全な距離から眺められて終わるだけの対象ではないようだ。近年、櫃田は山水画からの影響を積極的に画面に取り込み、より要素を絞った画境に達しているが、平面性に即しながら奥行きを生み出す独自の画面構成、そして見る者に想像上の遊び場を提供する幻想画的な特質は、山水画との関連だけでは決して説明しきれない類のものだ。

 


櫃田伸也《山・・・》2007年 写真:岡野圭 画像提供:KAYOKOYUKI


櫃田伸也《山・・・》2007年 写真:岡野圭 画像提供:KAYOKOYUKI

 

よく知られるように、櫃田は40年以上に渡って抽象化された形象による「風景」を描いてきた画家である。今回の個展には1990年代の作品から2020年代の近作までが展示されていたが、過去作と近作を織り交ぜる構成は制作年代のギャップを感じさせず、むしろ作家の一貫した「風景」への関心を物語るものとなっていた。いったん完成した作品を長い年月を経て再加筆することも多い櫃田にとって、過去作と近作はさして断絶を伴うものではないといったところだろうか。

では、これらの「風景」はいかにして生まれるのか。その制作プロセスは、身の回りで気になった事物や場所を写真やメモなどで記録し、「断片」としてコレクションするところから始まる。画家自身の言葉を引用しよう。「目に触れる草や、土の盛りあがりや山のかたち、フェンスなどの人工物など、それに自分が毎日走っている坂道など混在して風景の断片を取り合わせ自由に組み立てている。その時々の身近なもの自分の描きたいものを平面化する」[2]

コレクションされた「断片」はその後、画面の上でコラージュ的に再構成され、場合によっては自作間でサンプリングを繰り返し、古今東西の美術作品からの影響も吸収しつつ、作家にとっての手持ちの造形言語として馴染み深いものとなってゆく。今回の個展タイトルに即して言えば、「断片」は具体的な風景の記憶と連動しながら、抽象的なフォルム、すなわち○△□のアレンジメントとして精製されていったと考えられるのだ。

試みに、画面に頻出する馴染みの造形言語を一覧化してみよう。カマボコ状のユーモラスな稜線をもつ山、幾何学的な箱と化した簡素な掘っ立て小屋、半円形のシンプルな形に切り詰められた舟、水たまりを想起させるぽっちゃりとした円。いくつかの形象は今回の出品作にも確認できるものである。そして、これらの形象は画家の視界をはみ出すほど雄大ではないが、手におさまるほど小さくもないミディアムなスケールで絵画=舞台に登場する。さしずめ大道具、小道具ならぬ「中道具」といった案配である。

さらに、これらの形象は画面内の布置によって指示内容を変える。《通り過ぎた風景》の画面右下に出てくる青い円は水たまりや池を思わせるが、《山・・・》(2007)の画面上部/下部にあらわれる円は太陽もしくは月、あるいはその反映を連想させる、というふうに。いわば○△□のアレンジメントである形象は、画面間を超えてエコノミカルに「使い回されている」わけだが、この削減志向は、単なる還元主義とは異なる仕方で絵画の純度を高めているかに見える。

 


櫃田伸也《筏(舟)》2015年 写真:岡野圭 画像提供:KAYOKOYUKI

 

再び画家の言葉を参照しよう。「ペチャンコに潰れた空き缶を見つめながら、遠景と近景が一瞬にプレスされて平面になったような風景画を描きたいと思うのだ」[3]。これは、作家の目指す理想の絵画空間を端的に証言した言葉である。櫃田の画面に対し、「遠景と近景が圧縮したような空間」という形容はこれまでも度々使われてきたし、「圧縮(プレス)」「平面」といった用語が櫃田の作品を語る重要な概念となっているのは疑いようもない。事実、地中を思わせる褐色の色面に舟のような形象がめり込んだ《筏(舟)》(2015)などは「遠景と近景が一瞬にプレスされて平面になったような」絵画空間の最たる例と言えるだろう。加えて、この圧縮された平面には、地面を割って内部をそのまま露出させたような直接性、土に対して働きかけるリアルな感触、平地を抉ったときの確かな実感がある。

櫃田の絵画は「遠さ」と「近さ」を結び付ける。これがどういった事態を指すのか、もう少し掘り下げて考えてみたい。「面」の構成によって、「断片」のコラージュ的布置を通じて、あるいは逆遠近法的な構図の操作によって、「遠近の圧縮」はさまざまな方途を駆使して実現されてきた。いずれも画面上の操作に関わる話である。だが、ここで言う「遠近」とは、空間的な「遠さ」「近さ」に限らず、時間的な「遠さ」「近さ」をも含み込むものなのではないか。先に確認した通り、画家は身近な風景から「断片」を採取して画面上で組み直すという手順を踏んで制作を進めるが、「断片」の参照源は遠い過去――すなわち櫃田が幼少期に接した風景――にも見出せると推測されるのだ。

 


櫃田伸也《庭》1996年 写真:岡野圭 画像提供:KAYOKOYUKI

 

櫃田は1941年東京・大田区生まれ。少年時代は多摩川の近くに住み、土手に登ったり、畑の土を掘り返したりして遊んでいたという[4]。土手の小高い位置から河川を見下ろす視覚経験は、人工的に造成された斜面や開けた視界からの空間把握に何らかの影響を与えているかもしれないし、畑の土を掘り返す経験は地形への関心やリアルな土色への感度を深めるきっかけとなったかもしれない。また、道路や住宅地が完全に整備されず、そのぶん子どもが遊ぶ空き地が至るところにあったという戦後の都市風景は、櫃田が描くプリミティブな自然風景と深層のレベルで響き合っていると想像される。

ちなみに、戦災復興事業として特別都市計画法(「東京戦災復興都市計画」)が制定されたのは1946年のこと[5]。その後、東京区部の市街地は長い時間をかけて区画整理され、高度経済成長期にかけてインフラの類が次々と整備・現像されていった。自然物と人工物、古いものと新しいものが雑多に入り混じる過渡期の都市風景は、それ自体がすでにコラージュ的で漸次的な変化を伴うものだったに違いない。また、広い面積を誇る大田区は、武蔵野台地の平坦な広がりに占められる北西部の高台と南東部の低地とに分かれており、坂道などの起伏に富んだ特徴的な地形をもつ。小高い視点(土手)からの眺め、開発途上の街並み、整備される以前の道がもつデコボコ、台地の広がり。こうした風景体験が絵画の構成面に与えた影響はやはり大きいだろうし、先述した○△□のアレンジメントの精製にも関わっているはずだ。

 


展示風景「櫃田伸也:○△□」KAYOKOYUKI、東京、2023年 写真:岡野圭 画像提供:KAYOKOYUKI

 

他方、櫃田は「長い年月を経ても容易に変貌しないもの」も描く。その最たるものが今回の出品作のいくつかにも出現する「山」の形象である。フェンスやブロック壁といった人工物とは違って、山は壊れたり劣化したりすることはない。季節によって植生の彩りが移り変わることはあっても、高さや稜線が急激に変化することはない。ほとんど不動に近い姿で悠然と鎮座し、風景の遠望にあって一定のシルエットを構えるのが山という存在なのである。不動であるがゆえに、山は風景画の遠景を飾る背景的要素として都合がよい、とも考えられる。

ティム・インゴルドは、「山」というものが地質学的な時間をかけて、人間に気付かれないうちに圧搾、隆起、浸食といった過程を経て形成されていくと述べた上で、人為的に建造されたモニュメントは「古い」と言うことが出来るが、人間的な尺度の外にある山は「古い」ということは有り得ない、と書く[6]。確かに人は、山の古さ、山の齢(よわい)といったものをほとんど気にかけることがない(その意味では、樹齢という尺度を持つ木のほうが人間に近しい存在と言えるだろう)。櫃田の描く山もまた、人間的な尺度の外にあって、「古い/新しい」といった観念を超越する存在であるように思える。現実の対象に基づく山というよりは、シンプルな形象のなかにエッセンスを凝縮した「イデアとしての山」といったニュアンスに近いだろうか。

しかし、《山・・・》を確認すると、これらの山々はどういうわけか、幾重の線描を重ねられたブレた像としてあらわれている。連なる山並みが画面中央部の「何もない広がり」(水面だろうか)を囲むように環状に配されているのだが、その連なりが波形を互いに伝え合って不規則なリズムを生み、「動かない」はずの山の形象を躍動させているのだ。この絵を見る者は、濃い線と消失しかかった線の区別なく(つまり実体と虚像の区別なく)、上下に波打つカーブを目でなぞる楽しみを発見する。多くの風景画において「遠望」へと退きがちな山並みは、櫃田の作品においては「絵のなかの主役」として見る者の視線を積極的に導き、さらには同化へと誘う役割を担っているのだ。視線には「遠く」を引き寄せる力がある。「動かない対象」だからこそ、そこには「動く対象」に対するのとは別種の視線の運動が発生するのである。

 


展示風景「櫃田伸也:○△□」KAYOKOYUKI、東京、2023年 写真:岡野圭 画像提供:KAYOKOYUKI

 

要点を整理しよう。櫃田の「風景」には、空間的もしくは時間的な「遠さ」と「近さ」が併存している。「遠さ」と「近さ」の併存を可能とする確固たる基盤こそが絵画の「平面性」であり、さまざまな出来事が通過するその舞台には、幼少期の記憶を含む画家の「生きられた経験」が反映されていた。古いもの/新しいもの、動くもの/動かないもの、急速に変化するもの/時間をかけて徐々に変化するもの。櫃田の絵画は、風景には複数のタイムラインが走っていることを見る者に教える。また、失われた解放区とも呼ぶべきこれらの「風景」はノスタルジーを呼び醒ますが、そうしたノスタルジーを支える基盤に、画面構成への強い意識、とりわけ平面性を場所として扱う態度があることを忘れてはならない。平面という場所のなかには斜面も何もない広がりも窪みも隆起もあり、そうしたグラデュアルな変化が逆説的に「平面とは何か」を感じさせるのである。

 

ところで、今回の出品作でもっとも気になったのが、《四季山水》(1980’s-2023)だった。これは、作家が教鞭を執っていた愛知県立芸術大学、そして東京藝術大学の研究室で使用していた作業台に新たに手を加えたものだという。絵具の飛沫が飛び散り、部分的にメンディングテープなどが貼られた平面は、経年の痕跡を宿すテーブルがそのまま即物的に作品化したような様相を呈していた。もはや、ここでの絵画は主体の能動によって仕立てられる舞台ではない。作業台みずからが絵画の近似物へと接近してゆき、画家はむしろ、受動的に「台」の空間の作品化を引き受ける立場となる。

作業台とは、制作過程において作家のもっとも「身近」にある「平面」であり、近過ぎるがゆえに普段はさして意識に上らない対象である。その作業台が作品化するということは、画家の眼差しが「風景」の手前にまで、つまり、これ以上ないほどの「近さ」にまで遡行し、絵画空間から現実空間へと進出してきたことを意味する。画家のフォーカスは明らかに変化し、狭い領域のここかしこで起こる細かな事象群に集中している。それでいて、作業台は風景に比する広がりを持って私たちの目の前にあらわれるのだ。

「遠さ」と「近さ」についての探求は、もはや遠景と近景といった一枚の画面における構図上の問題を超えて、さまざまな尺度に適応される。風景は至るところに見出される。いま絵筆を取ろうとする画家の手元にも、それが特別な場所でなくとも。

 


櫃田伸也《四季山水》1980年代-2023年 写真:岡野圭 画像提供:KAYOKOYUKI

 


 

*1 「野原」は以下の書籍に収録。ジョン・バージャー『見るということ』飯沢耕太郎監修、笠原美智子訳、ちくま学芸文庫、2005年。
*2 櫃田伸也、増田千絵「櫃田伸也が語る、絵と風景」『REAR』43号、2019年、2頁。
*3 櫃田伸也『通り過ぎた風景』東京藝術大学出版会、2008年、11頁。
*4 前掲書、『REAR』2~3頁。
*5 以下の年表を参照。「年表・東京の都市づくり通史」https://tokyo-urbandesignhistory.jp/chronology/(最終閲覧日:2024年2月28日)
*6 ティム・インゴルド『メイキング 人類学・考古学・芸術・建築』金子遊、水野友美子、小林耕二訳、左右社、2017年、172頁。

 


 

櫃田伸也「○△□」
2023年10月28日(土)-12月9日(土)
KAYOKOYUKI
http://www.kayokoyuki.com/
展覧会URL:http://www.kayokoyuki.com/jp/231028.php

 


 

中島水緒|Mio Nakajima
美術批評。1979年生まれ。雑誌やウェブに書評、展覧会レビューなどを寄稿。主なテキストに「鏡の国のモランディ──1950年代以降の作品を「反転」の操作から読む」(『引込線 2017』、引込線実行委員会、2017)、「前衛・政治・身体──未来派とイタリア・ファシズムのスポーツ戦略」(『政治の展覧会:世界大戦と前衛芸術』、EOS ART BOOKS、2020)、「無為を表象する──セーヌ川からジョルジュ・スーラへ流れる絵画の(非)政治学」(『美術手帖』2022年7月号)など。

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