藤井光 インタビュー

等深線を描く思索的距離
インタビュー / 大舘奈津子、良知暁


『ASAHIZA 人間は、どこへ行く』2013年

Ⅰ.

ART iT 社会派と呼ばれることの多い藤井さんですが、それはフランスに滞在した経験とも深く関わっているのではないでしょうか。その辺りからはじめましょうか。

藤井光(以下、HF) パリに住んでいた頃は、日本で活動するつもりはありませんでした。制作を手伝っていたゲーリー・ヒルの推薦で、ARCUSスタジオに行くということが決まったときに、日本から10年離れていたことや、家族の事情もあり、日本はどういうところかも含めてこの機会にリサーチしようと思い、一時帰国しました。滞在期間は五ヶ月で、その際に会ったキュレーターの方々に、「政治性の強い作品をつくるのであれば、日本にいない方がいい」とか「日本だと展開していくのが難しい」といったようなことを言われたので、逆に、ここでなにかをしてみたいと思いました。 滞在中に僕がまず気になったのは、レジデンスの枠組みの中で、市民へのワークショップを求められたときです。レジデンスとワークショップと市民というのがなぜ繋がるのかわからず、当然海外から来ている他のアーティストたちにも理解してもらえない。そこで、当時のディレクターである帆足(亜紀)さんに、制作という目的で来ているアーティストが、なぜ表現を地域に還元しなければいけないのかを尋ねたところ、財政の問題と関係していることがわかりました。当時ARCUSは県からの予算が削減されているところで、レジデンスの存在の正当性として地域との交流が必要になってきているという理由があったのですが、そうした状況に興味を持ちました。
僕はそれを芸術活動に対するある種の政治的な介入だと考えたのですが、それはフランスでの活動が影響しているからこその認識かもしれません。そうでなければ、何の疑問を持たずにワークショップを行っていたと思います。その経験から日本の芸術生産を条件付けていく社会の下部構造をもっと知りたいと思い、アーティストたちの制作環境を実態調査するというアートプロジェクトを日本のキュレーターたちにぶつけていきました。結果は、ヨーロッパに残っていた方がいいよ、と言われるだけでしたが、先日、東京都現代美術館で「生活者としてのアーティストたち」というテーマでシンポジウムが開催されたことからも、この10年で状況はかなり変わったと思います。

ART iT 政治性の話が出ましたが、フランスでは普段の生活でも政治や社会問題が非常に身近ですね。一方、日本では美術における政治性は少なくとも最近まで語られることがあまりなかったと思います。

HF 僕がフランスに行った年は、社会党の候補が大統領選に敗れ、その2年後の1997年、総選挙で再び社会党が勝ちジョスパン首相をかかげた連立政権になるそうしたねじれの状態のときにユーロが導入されました。自分が日常的に使っていた通貨が変わって、突如として国境でのパスポートコントロールもなくなっていくという大きな社会構造の転換がありました。アンリ・サラは内戦が続くバルカン半島の出身ですが、ヨーロッパの周辺国からアーティストたちが移民として押し寄せる一方、外国人排斥を謳う極右政党が躍進していく時代です。帰国する頃には、内務大臣になったサルコジがビザの取得を締め付けてきて、アジアからの移民のひとりとして社会構造の変化に敏感にならざるを得ないと思います。

ART iT そのギャップは制作に何か影響をもたらしましたか。

HF 先程お話したARCUSでの経験にも見られるように、僕は自分たちの生活や芸術を条件づけていく装置や機械に関心がありました。突き詰めればそれは政治なのですが、プログラミング言語の批判的考察から始まり、9.11で圧倒的な力を誇示した映像というメディアを掴もうと、カメラの暴力性や映像の侵略性を考察する作品を制作していました。帰国してから、自衛隊の駐屯地の前に立って、不動の姿勢でカメラを回す作品もその一環です。その映像は吉原治良賞で発表されたのですが、自衛隊から美術館に僕の連絡先を教えてほしいと要請があったり、右翼から脅迫のメールが来るなど、作品が政治的に、つまり反自衛隊の示威行為として捉えられました。それは予想外だったので、非常に興味深かった。カメラの暴力性についての議論に展開するはずが、その批評空間がすっぽり抜けて、直接的な反応をされたのです。

ART iT そこではある意味でコミュニケーションが成立していますね。成立していないように見えて、実はコミュニケーションが成立している。

HF そうです。きちんと成立しています。表現と社会の関係が日本においては、危うい言い方かもしれないけれど、より接触的な感じと言えます。フランスにいたときの表現の受容は、アーティストによって概念化された表象レベルをめぐる抽象的な議論です。そこから、直接的かつ身体的な接触で応えてくる社会に来てしまった気がしました。一方でそれを面白いと感じていました。


「NIKEPOLITICS」2008年

ART iT 藤井さんの作品は対象物との距離の取り方が特徴的で、その距離感は絶妙なものだと感じています。中に入っていくように見せかけて、実はきちんと距離を保つという不思議なもので、いま、面白いと感じたとおっしゃったところにその距離感を感じました。抽象的なものとして投げたものに対して、抽象的ではなく具体的なものとして返ってきた。そのとき、相手と同じように具体的なところに乗ってしまうのではなく、詰められた距離の間にもう一度抽象的なものを置くことで距離をとって対峙しています。

HF ええ、だから最初に僕がそれを言われて美術館に応答したのは、「書面で送ってもらって下さい」ということでした。それは記録になるし何らかの造形物として応用できる可能性を残すからです。ソウルで展示した別の作品を日本に輸送するときには、違法な武器にあたると関税で破棄された事がありました。アメリカから輸入できた機動隊の装備だったのですが、その時も、どういう形でその状況を抽出できるかを考えていきました。

ART iT そのような入れ子構造が作品の節々に見られますね。まず主題があって、さらにそれを取り巻くものも見せているというのが作品からわかる。それと同時に、その構造が前景化しすぎないようにしているようと感じました。

HF そうですね、僕らの生活や表現活動を潜在的に規定していく社会の下部構造の抽出には先ほども言いましたが興味があります。一方で、その構造自体は、その表層で起こっている出来事やディテールによって書き換えられもしますから、マルクス主義的なアプローチで構造を前景化するだけには意味を感じません。その相互作用を捉えようとするから、ある種の入れ子構造になるのかと思います。

ART iT 藤井さんは自分のことを完全な観察者だと考えていますか。おそらく、装置を見せることは、ある種の観察者になることだと思いますが、藤井さんの場合は完全な観察者でもないように見えます。

HF 世界をヘリコプターに乗って上空から観察する者ではありません。パリにいたときはそういう態度で制作していたところはありますが、それはちょっと違うのではないかと思い始めました。帰国後、先ほど言ったようなフィジカルな経験を経てから、観察者というよりは社会に関与する方向に急進的に向かっていきます。上空からの定点観察を放棄して、フィジカルに狙われるところに自分を置くというのは、やはり面白い。都市のなかで迷子になり、社会の混沌の中で考察し制作するスタンスに一気に変わりました。だから、フランスの友達たちの間では、僕が文化人類学者になったと噂され、日本ではアクティビストと呼ばれるようになります。


「ソーシャル・レイバー」2010年 映像からの静止画

ART iT それは先の下部構造の話とも重なりますが、社会とアートの間に存在しうる抽象の層の厚さがフランスと日本では異なり、そのため、藤井さん自身の層の扱い方はフランスにおいても日本においてもそれほど変わらないけれど、日本ではその層が薄いために相対的にアクティビストに見えてしまうことがあるのかもしれませんね。
一方、撮影に関して、被写体との距離の取り方からカメラやレンズの後ろにいる作者を感じることがありますが、映像におけるある種の美学が作者の存在を意識させることもあります。藤井さんは明らかにある美学を持って映像を撮っていますよね。そこには狭義の技術(テクニック)が関連していると思いますが、その点についてどう考えていますか。

HF これは正直僕にとって難題です。まだ整理できていない部分も多分にあり、また僕の一種の弱点でもあると思っています。つまり、「映像が美しい」と言われてしまうことに作者としての回答を持ち得ないということです。確かに僕自身も撮影の際、画面の構成に対して一定の美学やスタイルを持っていると自覚しています。だから、撮影のときにアシスタントもカメラを回しますが、僕の撮り方で撮ってという指示が成立します。そこにある種の技法や形式が存在するからです。ではなぜそれを使うのか、表層的なことで言えば、その「効果」を知っているからです。
まず、前提として、映像を僕が使っている理由はそれが支配的なメディアであるということがあります。僕自身がシネフィルで映画が大好きで映像を撮っているというわけではありません。むしろ、この社会生活に浸透した最もポピュラーなものとして映像を使っています。

ART iT それは「撮る」という時点と、「見る」という時点のどちらにおいてもポピュラーだということでしょうか。

HF そうです。どちらの時点でも。いい例ではありませんが、僕はタバコはマルボロライトを吸っていますが、これは世界で一番チャラいタバコです。美味しくはないんです。でも、世界のどこにいっても、少しずつ味は違うが偏在する。映像をメディアとして選択したのは、それと同じ側面があります。映像は社会において人々が毎日取り入れている凡庸で偏在的なものだからです。ですから、映像の画質もテレビや映画館で人々が見ている高解像度なものに更新させていきます。僕は制作の延長としてワークショップもするのですが、公園で生活する野宿者に今日の標準的なビデオカメラの使い方を教えて、その人の社会的困難をその人なりに撮影し、それをYouTubeにアップすることで政治化させるということをしました。その映像は、映画芸術という雑誌の監督が選ぶ年間ベスト1位に選ばれたりもしましたが、テクノロジーを平等化させることで、逆説的に社会にある格差や貧困が見えてきます。これは、現在、ISがこれほどまでに脅威な存在になっていくかを考えても、彼らが制作している映像が高解像度であるだけでなく、複数台のカメラで撮影され、さらにはドローンまで使われ、僕らが普段の生活のなかで見ている支配的な映像形式をきっちり踏襲しているからだということも指摘されていいと思います。そこには特異な美の形式があるのではない。今日のテクノジーが作りだすグローバル規模の美意識というか感性的なもので、テロリストがそれを共有する者たちであることを認識するのは重要です。僕はテロリストの映像やその編集の仕方を注意深く観察し続けていますが、アルカイダがMacを使っていたとか、PUMAの靴を履いているなとか、映像の各所に映るディテールを見ます。一般的にイメージするテロリストとは違う側面がそこから見える。危険な呼びかけであろうと、グローバルな映像言語で表現された瞬間、それは触発の効果をあげてしまう。映像は越境的な存在で、他者との結節点となり得ることをテロリストはよく知っています。


宮下公園 行政代執行 2011年

ART iT それに対して、自分で撮影するときはそのような効果を敢えて抑制しているところがありますよね。例えば、スペクタクルな映像が撮れる場合でも、そこにブレーキをかけているのではないかと想像するのですが。

HF もちろん抑制します。レールやドリーを使うこともありますが、ほとんどが固定カメラでの撮影です。感情的な場面を記録する時でも、三脚を立て、35mmのレンズで引き気味のフルショットで撮影する。観客が被写体に感情移入することができない距離を保ちます。一方でワイヤレスマイクとガンマイクを使って親密な距離から被写体の声を録音するので、見ることと聞くことの距離は矛盾した関係になります。結果、総体として微妙な距離の感覚が生み出される。また、僕の撮影する場所が「フクシマ」に象徴されるような政治化した場所が多く、無防備な映像をつくるとヘイトスピーチを触発して関係者に現実問題として危害が加わります。実際に映像によってもたらされる不利益をいろいろと目のあたりにしてきた経験が抑制させるのかもしれません。

ART iT その効果について考えると、最初の方に出てきたカメラの暴力性という文脈において、フレーミングは典型的なものとして知られています。そのとき、藤井さんの作品における被写界深度の狭さはどのようなものだと考えられますか。例えば、藤井さんが人物をアップで撮る場合、その人が動くことでピントを外れても、ピントを合わせようと追うことなくピントの位置を固定しています。

HF 極端な話を言うと、これも効果の話だと思います。最近、三歳の息子と『オリンピア』を見ていたんです。僕の映像をすぐ見飽きる子が、『オリンピア』はずっと見ている。悔しい気もしましたが、リーフェンシュタールの映像美に触発されていく。「ここを見よ」という排除のフォーカスによって視線をコントロールされていました。三歳だから文脈はわからずに張り付いて見れる触発的な映像です。観客と映像の距離を消滅させるファシズムの撮り方に対して、僕の場合、正確にピントを追うことよりも、批評的な距離を作り出すカメラの構造的配置を探すことに関心があります。とはいえ、自分の映像における撮り方というのは、まだ自分のなかでそこまで整理されていません。ピントを正確に合わせて、クローズアップを多用し、観客と映像の距離を徹底的に消滅させるような映像を一本はつくっておいたほうがいいのかもしれないとも思います。

ART iT そもそも定点であるというのは決めているのですか。物理的に距離をとり、定点を決めていくという方法にいたった理由などはありましたか。

HF 本当にやむを得ないときだけ手持ちで撮るという方法を徐々にルール化していきました。現実がその方法を規定すると言うか、社会的な動きに参加するなかで必然的なものとして生まれた形式とも言えます。かつて美術家の中谷芙二子さんが水俣病の加害企業の前で「水俣病を告発する会」の支援者と合流した時に、抗議活動を記録したビデオ映像を、小型モニターを使ってその場でフィードバックしていますが、僕はYoutubeを使って同じようなことをしていました。そして次第に、自分が手がけた映像が現実世界を記録した資料として裁判所や国会で取り扱われるようになっていきます。アクティビストたちが不当に逮捕される場面に遭遇する機会が増えたからです。三脚を使った定点の映像が増えるのはその頃だと思います。そういう衝突や敵対性が表面化する混沌とした場所に三脚を置いて撮影すると、それまで見えなかった細部が見える。公共性をめぐる闘争からオキュパイ運動に発展した宮下公園では、警察による強制排除が行われたのですが、その時には三脚が倒されるまで定点で撮影しています。周りの人には迷惑な話しですが、映像に記録される人々の身振りや個別の表情が認識できるレベルまで撮影するには、僕には三脚が必要でした。映像はそこに映り込む人々を無名化し匿名の存在にしてしまうものですが、現実にはそれぞれに名前があり、違う考えがあり、固有の感性的な存在です。細部を認識できるものとして映し出す定点の映像は、それぞれの固有性を取り戻す作業なのかもしれません。公共性を問う社会運動に連動するかたちで、そのような撮影の形式が生まれました。

ART iT 撮影に関する事柄とは別に、藤井さんの作品では「観客」も重要な要素かと思います。例えば、『ASAHIZA 人間は、どこへ行く』の場合、人々を撮影した映像がスクリーンに上映されて、それを見る観客がいる。そこでは、観客の位置や時間のずれが発生して、複数の観客が想定されています。先程も藤井さんから「観客」という言葉が出てきましたが、そこに対する意識はいつ頃からどのように生まれたのでしょうか。

HF  僕がパリで制作をはじめた頃というのは、モノとしての作品よりも関係性や、インタラクティヴィティが問われていく時代でした。初期の作品では観客の参加によって成立するインスタレーションがほとんどです。世界像であれ、人間像であれ何かを概念化するその時代の表現でもありましたが、帰国後の個人的な体験から、その傾向は社会的な関係性の中に直接的に参加し関与していく方向に向かいます。そこでは、観客と言っても美術を受容する人々だけではなくなり、芸術という言葉すら使う必要のない場所で表現が問われました。面白いのは、そういった場所では、観客が作品によってより個別的にイメージされていくことです。抽象的な漠然とした観客ではなくなっていきます。例えば、『ASAHIZA』における観客は、被写体となった福島県南相馬市の人々でした。その家族、その土地で暮らす住人もゆるやかに観客として繋がっていきます。そこに、僕も含めて撮影地から遠く離れた場所で生活する人々を同時に観客として想定することで、撮影の態度、カメラの構造的配置、編集の方針が具体性をおびて現れてきます。

藤井光 インタビュー(2) 公開予定

藤井光|Hikaru Fujii
1976年東京都生まれ。パリ第8大学美学・芸術第三博士課程DEA卒。メディア・アーティストとして活動をはじめる。2005年、アーカススタジオのレジデンスプログラムへの参加とともに帰国すると、社会的、政治的事象に関わりながら、映像メディアを中心にその可能性を探求している。2013年に製作した映画『ASAHIZA 人間は、どこへ行く』や「プロジェクトFUKUSHIMA!」の活動を記録した同名ドキュメンタリーは国内外各地で上映されている。これまでに、東京国立近代美術館、水と土の芸術祭2012、水戸芸術館現代美術ギャラリーやせんだいメディアテーク、山口情報芸術センター[YCAM]などで作品を発表するとともに、「ビデオカメラを文房具のように」という考えのもとに各地でワークショップを開催。
2015年は、青森市所蔵作品展『歴史の構築は無名のものたちの記憶に捧げられる』(青森公立大学国際芸術センター青森)でゲストディレクターを務めた。また、演出とテキストを手がけた演劇/映画作品『饗宴のあと アフター・ザ・シンポジウム』(東京都庭園美術館)が、4月7日まで開催中。


TTM:IGNITION BOX(イグニションボックス)2015
PROGRAM_D『饗宴のあと アフター・ザ・シンポジウム』
2015年1月17日(土)-4月7日(火)
東京都庭園美術館
https://www.teien-art-museum.ne.jp/

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