ナリニ・マラニ インタビュー

それを声とせよ、あなたはなにを聴くのか
インタビュー / アンドリュー・マークル

 


Remembering Toba Tek Singh (1998), four-channel video play with 12 monitors, tin trunks and mirror surrounded with mirror reflecting material, sound, 20 min. All images: Courtesy Nalini Malani.

 

ART iT あなたはこれまでに「Remembering Toba Tek Singh」(1998)や「Gamepieces」(2003)など、インドの核実験だけでなく、ヒロシマ、ナガサキに言及した作品を制作していますが、福島第一原子力発電所事故後に日本で展示することについて、なにか思うところはありますか。

ナリニ・マラニ(以下、NM) 私の作品は進行中の問題を扱っています。フクシマだけが進行中なのではなく、ヒロシマは今もそこにあり、過ぎ去ったことだとは言えません。また、これは日本だけでなく、原子力エネルギーを使用するすべての地域の問題です。ここ日本で起きてしまったことは大変遺憾に思っています。もちろんここで起こったことは誰もが知っています。このような事故、また核実験に対して、我々は抗議の声を上げるべきです。抗議行動こそ唯一の手段なのです。

今ではFacebookやTwitterといったネットワークを通じて、抗議行動への支持をたくさんの人々から集めることができます。1988年にインドのラージャスターン州ポカランで地下核実験が行なわれたときには、地元住民の皮膚に異変が生じたことを新聞はまったく伝えませんでした。彼らは声なき人々なのです。抑圧され、疎外された人々。貧困が蔓延しているインドのような場所こそ、彼らに声を与えなければいけません。

この世界に流布する戦争抑止力としての原子力というプロパガンダは完全に矛盾していますよね。たとえこれまでになかったとしても、いつかは大惨事が起こるでしょう。我々が人間と言うものを信じるのなら、あらゆる領域でこの起こりうる可能性に抗わなければいけません。

 

ART iT 現在、日本では誰もが放射線被ばくの可能性を意識し、食べものの産地やどこにどれだけいるかといったことに気を配っています。それは緊張を強い、神経をすり減らす身体的な体験です。あなたはインスタレーションで混沌とした状況を創り出しますが、そうした状況に鑑賞者が没入する体験も、ある意味では身体的なものだと言えます。絵画や映像作品、インスタレーションを制作する上で、身体はどのような役割を果たしているのでしょうか。

NM 突き詰めれば、身体こそが経験するのだと言えます。皮膚が感情を抱き、境界を維持し、個別のやり方で作用するのです。インドとパキスタン、その緊迫した状態というのは、二国間の国境線のことだけでなく、自分自身の皮膚の境界のことでもあるのです。結局、最も苦しむのは女性であり、いずれにせよその攻撃の矢面に晒されるのも女性、核実験の結果になにかあれば、そこで生まれてくる子どもを育てるのも女性です。だからこそ女性の声に耳を傾けるべきなのです。「妊婦の声に耳を傾けよ」とオノ・ヨーコも言っています。彼女は世界の人々に活力を与えたひとりです。

 


Splitting the Other (2007), 14-panel painting environment, each panel 200 x 100 cm. Installation view, National Art Center, Tokyo, 2013.


Splitting the Other (detail) (2007), 14-panel painting environment, each panel 200 x 100 cm. Installation view, National Art Center, Tokyo, 2013.

 

ART iT それでは制作の際には、身体に自分自身を任せたり、身体が制作の重要な役割を果たすことがあるということでしょうか。

NM アーティストになる前に医学書用のイラストを描いていましたが、今ではそのときよりもずっと、体内器官を対話可能なものとして捉えています。注意深く見れば、私の作品には脳や腎臓、肝臓など、あらゆる器官や骨が飛び回っています。身体はとてもたくさんのもので成り立っていて、話すときの口の動きや顔の表情に驚くほどの筋肉が関係しています。若いときはこれらが問題なく働くことを当然のことのように考えています。しかし、年を取るとこれらの動きは鈍くなり、体内器官が話しかけてくる声に耳をすますと、警告を伝えているのがわかります。だからこそ、こうした体内器官をモチーフとして作品に使っているのです。

 

ART iT たしかにあなたの絵画に残る筆跡は体内器官や排せつ物を示唆するとともに、それ自体が絵画的な身ぶりとなっていますね。

NM たしかに筆跡と、ものや形から意味を読み取るというふたつのレベルがあります。異なる形式やスタイルからのメタファーや引用を多用していますね。おそらく日本の鑑賞者は北斎のイメージに気がつくと思いますが、インドでも近代初頭にカリガートと呼ばれる絵画の様式がありました。英国統治下のインドでは、アーティストが従来の支援を失って、貧乏になっていきました。しかし、そうした経済的理由から彼らは水彩画を選び、それが新しい動向になっていったのです。インドの美術史家であれば、私の作品にカリガートの線を瞬時に見つけるでしょう。引用のこうした遊び心は好きですね。

 

ART iT 現代美術においてビデオが普及しはじめた比較的早い段階で、あなたもビデオを使いはじめ、絵画も映像作品も多様な文化の影響を上手く取り入れています。さらに、絵画からプロジェクションやシャドープレイへの展開もありますね。あなたにとって、絵画と映像作品の関係はどのようなものなのでしょうか。

NM 当時の状況は、私をより多様な人々に届く制作へと向かわせました。インドでは、特定の階級の人々だけが訪れるホワイトキューブで発表する形式として絵画があります。しかし、それ以外の人々のことを考えたとき、映像作品が最適ではないかと考えたのです。なぜなら、彼らはテレビ番組や映画をたくさん観ていて、モンタージュにも慣れていますし、絵画の言語よりも映像言語を理解しています。そして、映像作品は彼らがいつどこでも目にしているものであり、欲しているものなのです。

核実験が行なわれたちょうど1998年に、12個のモニタを用いた4面プロジェクションのインスタレーション作品「Remembering Toba Tek Singh」を公共的な空間で発表しました。わずか10日間の展示でしたが、毎日3000人が訪れ、話し合われました。当時は、核実験をこの国の目覚ましい進歩だとみる高揚感が漂っていましたが、私は政府の方針に相反する情報や、人々が知らないヒロシマのその後を映したNHKの映像を作品に使いました。「お母さんに言われたように柱に掴まってたけど、いったい何が起きたのか全然わかりませんでした。すべてが吹き飛んでしまったのです」と語る少女の場面を使いました。ヒロシマの体験が彼女のいたましい声で語られるのです。

原子力をこの国の最上のものと考え、「パキスタンに対抗し、彼らを殺してやる!」と考えるような人々に殺されそうにもなりました。そこには非常に激しい暴力性が現れていました。それが映像作品の制作をはじめた最大の理由のひとつで、欧米の映像作品の歴史とは関係がありません。運が良かったのは、親友が最高の映像機材を持つNGOで働いていて、彼らが親切にもそうした機材を使わせてくれたのです。

 


In Search of Vanished Blood (2012), six-channel video play with five reverse painted rotating Mylar cylinders, sound, 11 minutes.


In Search of Vanished Blood (2012), six-channel video play with five reverse painted rotating Mylar cylinders, sound, 11 minutes.

 

ART iT 先程、映像と絵画のリテラシーの話が出ましたが、物語的な絵画の形式は東アジアの絵巻、チベットの曼荼羅、西洋的アレゴリーなどさまざまな地域に存在しています。そのどれもが物語を形成するために特殊な方法で視覚的要素を進化させています。その意味で、円筒形状のスクリーンに投影し、図式的な物語を破綻させているあなたのインスタレーションは興味深いです。絵画からインスタレーションへといたるこのような物語はどのように考え出したのでしょうか。

NM それはほとんどキュビズム的だと言えますね。私は演劇にも非常に強い関心を持っていて、インドでは演劇を巡回させるのがとても難しく、映像作品であれば比較的容易に巡回させることができます。機材は安くないけど、なんとか見つけられます。そこでパフォーマンス・アーティストとともに映像作品を作りはじめました。このようなやり方が成功して、福岡では舞踏家とともに「Hamletmachine」(1999/2000)を制作し、この作品はこれまでに17カ国で発表され、日本語版もあります。事実、映像作品はこうして巡回させることができるのです。

あなたがおっしゃった円筒形状のスクリーンに対する解釈は興味深いですね。なぜなら、ドクメンタ13で発表した最新作「In Search of Vanished Blood」(2012)は鑑賞者がいつ、どこを見ても、新しいイメージを見つけ、異なる感情を抱くような作品に意図しました。非常に困難でしたが、やりがいがあって、取り組むべき豊かな形式だったと思います。

鑑賞者に思考することを促したいと考えていますが、この形式にはそうした効果があります。カッセルでは、人々は没入する誘惑に駆られているのだと気がつきました。とても不思議なことですが、作品に没入し、耳をすませると、そこにはまったく異なるドラマや、ある種の破壊が起きています。果たして何が起こっているのだろうかと耳をそばだてるのです。そこで聴こえてくる引用をスローガンとして受け取ってもらいたくはないのですが、それはある意味で私的なものであってほしい。この作品のために選んだそれぞれの引用にはそうした力があるのです。

 

ART iT 同時にそれは従来の物語構造を破綻させる試みでもありますよね。

NM ひとつの物語の形として時系列的な物語もあります。しかし、アジアにはそれとは異なる物語の形があります。登場人物が何度も現れるコミックブックのような「Splitting the Other」(2007)という絵画の連作には、連続的な物語の形を用いています。アジアにはさまざまな物語の形式、特に円環的な物語性が強い神話などが既に存在しています。すべては伝達手段とテーマによりますね。私の興味はただ“現在”にありますが、コミュニケーションの橋渡しとして、過去にも言及するのは、究極的にはそれこそが“現在”というものだと考えているからです。

 

 

ナリニ・マラニ インタビュー(2)

 


ナリニ・マラニ|Nalini Malani
1946年カラチ生まれ。暴力や抑圧といった社会的矛盾や寓意的、宗教的、土着的図像を混淆した絵画や映像、インスタレーションで90年代以降国際的な注目を集めるアジアを代表するアーティストのひとり。印パ分離独立時に難民としてインドに移住。ムンバイで絵画を学んだ後に、1970年代初頭の渡仏を経て、90年代に入るとそれまでの絵画制作に加え、映像作品やパフォーマンス、ビデオ・インスタレーションへと表現を展開させていく。これまでに、ローザンヌ州立美術館を含む6箇所の美術館にて巡回回顧展、ニューヨークのニュー・ミュージアムやアイルランド近代美術館で個展を開催。そのほか、ドクメンタ13や第52回ヴェネツィア・ビエンナーレをはじめとする多数の国際展、企画展に参加している。日本国内でも、国立新美術館や『現代美術への視点—エモーショナル・ドローイング』(東京国立近代美術館、京都国立近代美術館)、『アジアをつなぐ—境界を生きる女たち 1984-2012』(福岡アジア美術館、栃木県立美術館)などで作品を発表している。

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