風間サチコ「けりのつかない物語」

けりのつかない物語
インタビュー / アンドリュー・マークル

 


風間サチコ《ディスリンピック2680》2018年(細部)撮影:宮島径、Courtesy of the artist and MUJIN-TO Production

 

風間サチコ(1972年東京都生まれ)は、グラフィックや漫画由来の美学、絵画にひけをとらない作品のサイズなどの要素を、歴史的資料、ポピュラー文化、日常生活を源泉とするイメージと組み合わせ、日本の現代社会を鋭く諷刺する版画作品を制作している。黒一色のみの単色でありながら濃淡を駆使した表現で、中間層の消費意識、学校のいじめ、原子力エネルギー産業、日本帝国主義の遺産、オリンピックなど幅広いテーマに取り組んでいる。

これまでに『六本木クロッシング2013展:アウト・オブ・ダウト』(森美術館)、『ヨコハマトリエンナーレ2017「島と星座とガラパゴス」』(横浜美術館)などの展覧会に参加。2019年には下道基行とともにTokyo Contemporary Art Award(TCAA)の初の受賞者に選ばれた。東京都が主催するTCAAは、賞金300万円、海外での制作活動支援、東京都現代美術館での成果・受賞展の機会、日英表記のモノグラフの作成など、受賞者に複数年にわたる継続的な支援を提供する。

2021年3月から6月にかけて、『Tokyo Contemporary Art Award 2019-2021 受賞記念展』が東京都現代美術館で行なわれ、風間はドイツの作家、トーマス・マンの小説に着想を得た、『魔の山』と題された展示を発表。新作と過去作を交えた構成で、スイスのアルプス山脈にあるサナトリウムを中心に展開する世紀末の空気を纏ったマンの教養小説と、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的流行下での不安定な生活との相似性を提示した。

ART iTでは同展開催中に風間を訪ね、これまでのキャリアについて語ってもらった。

風間サチコの個展『ディスリンピアン2021』が無人島プロダクションにて、2021年10月30日から11月20日まで開催。

 


 

I.

 


風間サチコ《噫!怒涛の閉塞艦》2012年 撮影:宮島径、Courtesy of the artist and MUJIN-TO Production

 

ART iT 2011年3月11日の地震、津波、そして、原発事故を経験する中で、日本のアーティストの多くは災害を受けて美術に何ができるのかを自問自答してきたのではないでしょうか。そこで風間さんは、原子力産業を明治維新以降の日本の歴史的な展開と結びつけた作品によって、日本社会に対する鋭い指摘や事故の歴史的な位置づけをするという形でひとつの答えを示しました。あれから10年経った現在、メディアではそれほど言及されませんが、新型コロナウイルス感染症(Covid-19)の世界的流行に直面し、あのときと同じ問いに向き合うアーティストも少なくないでしょう。風間さんの場合は、10年前のその問いとコロナ禍の状況を重ね合わせて、どのように考えていますか。

風間サチコ(以下、SK) 10年前を振り返ると、私の周りには無人島プロダクションの加藤翼さんやChim↑Pomのように、3.11という衝撃的な現実に対し、即座に反応し行動に移せるアーティストがいました。私自身は固まってしまい、被災地に行く勇気もなく、アクションの起こせないことに苦しい思いがありました。一方で、自分の瞬発力の無さも自覚できて、では、すぐに行動できなかった私はどうすればよかったのか?人智のおごりの結果のような人災と、津波という自然の力によって人間の小ささを思い知らされたあまりにも巨大な出来事に対し、アーティストとしてどのような仕事をすれば良いかを1年かけて考えました。私は原子力発電には20年くらい前から興味があって、旅先に原発関連施設があれば立ち寄って見学するようにしていたのですが、その時に感じていたのは「胡散臭さ」でした。安全神話を構築するためにたくさんの予算を使ってPRしているにもかかわらず、そのすべてが空々しくて、幼稚でナンセンスな印象を受けました。「原子力は安全安心。平和な社会に貢献しているんだよ」そんな押し付けがましいアピールに怪しさを感じずにはいられませんでした。その嘘っぽさの正体は3.11のフクイチ(東京電力福島第一原子力発電所)の大爆発で明らかになりました。一番の責任者である東京電力は、とにかく犠牲者や被災者のためではなくて自己保身しか頭になく、いままで築き上げてきた安全神話の中に閉じこもろうとする姿を見て、今まで感じてた違和感は間違いではなかったなと。そこで、それまでに蓄積してきた原発の知識やPR館でのナンセンスなエピソードなど、自分の体験を作品に活かせるのではないかと思ったのです。

そして1年間の構想期間を経て、2012年に3つの作品を完成させました。メインとなる《噫!怒涛の閉塞艦》(2012)では、日露戦争の時に旅順で実行された閉塞作戦(旅順港口閉塞)という自国の船をわざと海に沈めてバリケードをつくるという壮大な、しかし失敗に終わってしまった作戦をモチーフにしました。失敗を虚飾で隠蔽した大作戦と沈みゆく原子力産業を重ねました。批判というよりもむしろ3月11日以降に起きた水素爆発の惨状とそれまでの核の歴史を客観的に、ヒロシマ、ナガサキからフクシマ、フクシマ以降に元々原子力船「むつ」だったものを海洋汚染を調査する海洋地球研究船「みらい」に姿を変える顛末をひとつの絵にして、日本の原子力のクロニクルを1枚の記録画として残そうと考えていました。私自身もそうですが、絶対に忘れないであろう強烈な出来事でも時が経つと薄れてきてしまいます。ですので、この絵を見た途端に当時の恐怖感や嫌な気持ちが蘇ってくるような恐ろしい記録画にしようと思いました。これをメインの作品として制作し、残る2点はこれまでリサーチしてきた原発情報を元に、《黎明のマークⅠ》(2012)では福島第一原発の土地に重層する搾取の歴史を、《獄門核分裂235》(2012)では「平和な核」を支配し、操る者たちの姿を暴きました。10年前に混乱した気持ちの延長線上で作ったこの3点は、今冷静になって見て反省点はありますが、当時自分の中にあった黒い塊のようなものを正直に吐き出せた作品だと思っています。

世界規模での災害の質はまったく違う今回のパンデミックについて、私自身アーティストとして何ができるのかというのは、まだ災害の渦中にあるので簡単に答えは出せないと思います。現実を見て考察する時間が必要かなと…見えないウイルスが感染拡大するように、憶測や思い込みを作品で拡散させるようなことは避けたいですね。半ば強制的に自宅待機させられたステイホーム期間が長かったので、逆にこれを活かせないかと考えました。今まで社会と対峙していたのを今度は自分自身と向き合えないかと。心のページに挟んで忘れてしまった栞を拾い集めるような感じの、昔の宿題を今になって提出するような作品を作りたいと思いつきました。なので、新作は「内省」をテーマの一つにしました。私はいつもアートが目的を持ってはいけないと思っています。アートに社会自体を改善する役目があるとか、ちょっと穿った正義で以て何が正しいかを提案できるとか、私自身、そういう驕りみたいなものがちょっと苦手で。メッセージ性を強調せずに自分の感覚に正直になって好きなことをしたい。情報量が多い上に整合性にかけた作品でも、少しは面白いと感じる人が観客の中にいてくれたらいいなぐらいに思っています。コロナ禍の今に関しては、感染症の拡大がきっかけで浮き彫りになった社会問題は、これからどんどん時間が経つことで深刻になると思います。それはアートで解決できるほど簡単では無いけれど、悪い意味で世界で共有してしまった災難を作品に記すことは自分なりに考えたいです。それは《臆!怒涛の閉塞艦》の記録画とは違った形になるかもしれませんが。

 


風間サチコ『没落 THIRD FIRE』展示風景、無人島プロダクション、東京、2012年 撮影:宮島径、Courtesy of the artist and MUJIN-TO Production


風間サチコ『Magic Mountain』展示風景、東京都現代美術館、東京、2021年 ©️Sachiko Kazama 撮影:高橋健治、Courtesy of Tokyo Arts and Space

 

ART iT 3.11には決定的なイメージ群とともにある種のスペクタクルがあったと思いますが、それに対して、コロナ禍はアンチ・スペクタクルというか。たくさんの人々が部屋に閉じこもり、Netflixを見るだけでいいというようなとても奇妙な事態になりましたね。

SK たしかに、NetflixやYouTubeを心の拠り所にしてる人が増えたような気がします。私自身はもともと内向的で自分の世界に安住してしまってるような人間なのですが、私の代わりに作品が外と繋がって活動をしてくれてるので、全く外部と遮断されているわけではありません。なのでそれほど不自由を感じませんでした。ただ、社会全体ではネット環境が充実して情報網には限界が無くても、行動が制限されると経済活動の方に限界がくる。生活環境で不平等や格差が生じる、これは難しい問題ですね。本当にウィルスというのはすごくやっかいな存在だと思います。目には見えない実体のつかめないウイルスのせいで人間の生活様式を変えざるを得ない。そう考えると、アートもNetflixやYouTubeのような自宅でも観れる映像作品が主流の時代になって、アンチ・スペタクルが進化するかもしれません。その点で言うと私の巨大木版画は時代に逆らってますね。いま不安なことといえば、ウイルスの存在を疑う陰謀論といったデマ、ソーシャルネットワークの写真もバーチャルという、本物や真実が見えにくくなっていること。モヤモヤした疑心暗鬼のせいで人心が荒んできてるような感じがします。

 

ART iT しかし、コロナ禍を受けて、アートの必然性は問われますよね。

SK 世の中すごく合理的に物事を考えるようになって、役に立つか立たないかという基準で判断されてしまうことが多い。そのなかで選別されたら、アートは無くても死ぬわけではないし、優先順位がかなり低いと思います。かといって、社会に役立つものを意識してつくるのも違う気がします。意思表示のためにアートがあるのも一つの存在価値ですが、私の場合は「無用の用」というか、無目的だからこそ存在価値が高いと思ってます。芸術は非合理的なもので役に立たないからこそあった方が良い。人間の利己心で発展し続けた近代社会は、いわば合理主義の天下です。それに対するアンチテーゼが役立たずの芸術ではないかと。というのもYahooニュースのコメント欄で、あいちトリエンナーレの騒動に対し「思想の宣伝に税金を使うな」だとか「アートなんかに税金が注ぎ込まれるのが理解ができない」といった書き込みを多く見ました。自分の意に沿わないものや、わけのわからないアートに税金を使うことに断じてNOという市民感覚もあって当然かと思いつつ、自分が理解できたものは自分のためになったもので、わからないものは無駄な時間をお金を使ってしまったとイライラしてしまう態度に反知性主義を感じてしまいます。そうなると、定評があって著名なアーティスト、お金を払う価値のある人の作品だけをみたいということになり、美術館などもそういう集客が見込めて赤字にならない展覧会しかできなようになってしまうのではないでしょうか。私自身はわからないものほどリスペクトに値すると考えてますし、謎を秘めたものの方が魅力的じゃないかと…。むしろ誰でも賛成できるわかりやすさには、ポピュリズムのような危険を感じます。多数派への疑いを込めて、無用な芸術の必然性が求められますね。w

 

ART iT では、東京都からTCAAを受賞したことには重い責任があるわけですね。

SK そうですね。特に下道基行さんと私は第1回目の受賞者ですので、もしもTCAAの意義を伝える東京都現代美術館での展覧会で失敗したら、こんなものに都民の血税を使ったのかと賞自体の評価を下げてしまいかねません。このアワードの今後のことまで考えて、新しい賞の受賞は嬉しかったけれど、中堅作家の責任の重さを後になってズッシリ感じました。TCAA展は都現美という大きな箱では珍しい入場無料の展覧会なので、あえて大盤振る舞いというか、たくさんの作品で構成したいと思いました。旧作と代表作に加え新作のコーナーも企画したので、ちょっとした回顧展のようになりました。「役に立たない方がすばらしい。そういうものこそ文化だ」ということをポリシーにしてきたので、やたらと大きくて緻密すぎる木版画で会場を埋めて、私の作品を初めて観るお客さん達をびっくりさせたいと考えました。

 


風間サチコ『プチブル』展示風景、無人島プロダクション、東京、2014年 撮影:宮島径、Courtesy of the artist and MUJIN-TO Production


風間サチコ『ディスリンピア2680』展示風景、原爆の図丸木美術館、埼玉、2018年 撮影:宮島径、Courtesy of the artist and MUJIN-TO Production

 

ART iT 3.11以降のコンテクストに戻ると、2012年に『没落(THIRD FIRE)』、その次に2014年に『プチブル』、2016年に『電撃!!ラッダイト学園』、2018年の原爆の図 丸木美術館での『ディスリンピア2680』と、私は無人島プロダクションでの個展を中心に作品を見てきましたが、これら一連の展覧会に共通するのは、過去の作品と新作を組み合わせた展示構成です。こうした構成によって、風間さんが一貫して取り組んでいる問題に観客が気づきやすくなっていますね。これが3.11に由来するものかどうかはわかりませんが、3.11以降の10年間、風間さんの社会に対する鋭い問題意識や歴史に対する問題意識を観客のひとりとして感じてきました。

SK でもそれは3.11以降にはじまったものではありません。私の初個展は1998年でしたが、その頃からひとつの展示にひとつのテーマを決めて発表することにしていました。最初の個展のテーマは「中流意識」。テーマに社会的なことをあげつつも、現実のおぞましさに触発されてイメージした世界を木版画で拡張していく。虚と実が入り混じった世界がまっさらな紙に立ち上げるのが私の喜びで、これをただひたすら続けているのです。3.11を題材にした制作は苦しかった仕事のひとつでしたが、約25年間にわたる作家活動でつくられた作品群を「人間の業」という大きなテーマで括った時に、重要なトピックスとして不可欠なものとなりました。

 

ART iT その社会に対する問題意識を持つきっかけとなったものはなんだったのでしょうか。

SK 小さい時から集団に馴染めず、一人ぼっちで端っこから「一般社会」を観察しているような子供でした。なので、主に家で本を読んでいることが多く、高校時代は近代詩が好きだったので、その延長で美術学校に入学した当初は戦前の詩集の装画のようなリリカルな作品をつくっていました。けれども、単なるモノマネから始めた木版画で形ばかりの自己満足にすぎず、自分の作品が素直に良いと思えませんでした。このままレトロなだけの絵で続けていくことに迷いがありました。ちょうどその頃、同じ版画科にいた現代美術に詳しいカッコいい憧れの先輩が、新しい芸術の潮流も外界を知らず自分の世界に閉じこもってしまっている私たち後輩を心配してくれたのか、「こいつらに現代美術を見せなければ」と言わんばかりに、ある日の放課後、銀座のギャラリー巡りを企画してくれて、5、6人くらいのグループでついていきました。初めて行った現代美術のギャラリーで見た光景は驚きの連続でした。ホワイトキューブの空間で展示されていた「ただの物(透明の箱とロープだったと記憶してます)」に動揺…。正直言って意味不明でした。後になってそれが「インスタレーション」という展示方法で、そこには何かコンセプトなど意味があることを知りました。最初はなんだかよく解らない現代美術でしたが、だんだんと親しみが湧いてきて鑑賞のコツを掴んできました。そしてアート作品には社会の鏡のような役割というものがあるということや、表現方法には制限が無いことにも気がつきました。幼少の頃から感じてた社会への違和感、それは強い人間を中心とした世界への憎しみだったのですが、そのようなネガティブな嫌悪感ですら作品にすることができるんだ。21、22歳の頃にそう気がついて、絵を描く理由がはっきりして、前向きに制作できるようになりました。学生だった当時は、原始的世界観から見た現代社会批判、いわゆる民俗学がブームだったので、に傾倒してたこともあり資本主義などへの反抗心が制作意欲に変わりました。過去と現代それから未来と時間を行き来する方法の原点もここにあるような気がします。

 

ART iT 版画という手法を使うことで20世紀初頭の木版画運動が連想されるのですが、当時、版画は大衆的なメディアのひとつでした。しかし、写真イメージが溢れ、支配的になった現在、版画はもはや大衆的なものとは言えません。そこで、版画と運動の系譜を考えるときに、その系譜と風間さんの実践との間にある種の矛盾が浮かび上がるのですが、そのような矛盾を扱うことが現代美術なら可能だということでしょうか。

SK 写真とかニュースメディアのように実際に起こっていることをリアルタイムで映すことは、いま生きている人たちにとってはすごくダイレクトに伝わって、わかりやすいと思います。ただ今現在私たちが目にしていることには、裏があったり、過去があったりします。そして、いま起きていることが未来に及ぼす影響というものも必ずあります。この現在、過去、未来の3点を同時にビジュアルに変換することはなかなか難しいことですが、私は自分の版木の上に画像を彫り起こし、3点ごちゃまぜの世界を創造することができます。空想による補完というところもありますが、それでも自分なりに真実を精査して描こうと思っていて。現在、過去、未来を垂直に透視するような観点で描くことは可能だなと。それを気づかせてくれた現代美術と出会って、色々な挑戦ができることは自分にとって幸運ですよね。そして、発表する場があり鑑賞者がいるということが自分の安心感に繋がっています。

 

ART iT そういう意味で《人外交差点》(2013)などの割と大きめの作品は、鑑賞者に対してビジュアルとしての直接的な印象を与えますが、ディテールを見ていくと、ある種のエッセイというか、各要素がそれぞれ何かを訴えかけているという構造になっていますね。

SK 《人外交差点》では、特に過去のニュースとか出来事とか歴史的な事象とかから、相互監視の世界を描くのに必要なものを集めました。戦前から戦時中の防諜運動や言論弾圧、それから思想犯の取り締まりなど、現在のネット上で他者への異常な執着から起きる「炎上」トラブルや、国から国民への紐付け、そういったものを全部あのスクランブル交差点に閉じ込めるために、今と昔でリンクするモチーフを捜し集め、魑魅魍魎の集団としてぎゅっと押し込めました。

 


風間サチコ《人外交差点》2013年 ©️Sachiko Kazama Courtesy of Mori Art Museum

 

ART iT そもそもルポルタージュ絵画に興味はありましたか。

SK 中村宏さんのファンなんですよ。2013年の六本木クロッシングで中村さんと赤瀬川原平さんと私の作品を展示する企画をいただき、とても興奮しました。中村さんと同じ空間に作品が並ぶなんて、こんなことがあっていいのかと。中村さんに関しては、ルポルタージュ絵画以降のフェティシズム色の強いセーラー服の少女や機関車の作品が好きです。どちらかというとですが、呪物的な造形へのこだわりに魅かれます。正直なところ風合いや絵柄に魅力を感じて木版画を始めたので、民衆のプロパガンダに使われているという歴史的な背景よりも、むしろ、木版画の表現するビジュアルを重視しています。ドイツ表現主義のシャープな線なのにドロッと暗い変な感じの木版画や、谷中安規のあっけらかんとしてるのに悪夢のような雰囲気は木版画でないと出せない味だなあと…そういう奇妙な感じの作品が一番好きです。政治的なモチーフを扱っているので意外に思われますが、韓国とか中国とかの民衆的な版画にはそれほど影響を受けていません。

 

ART iT とはいえ、ひとつの作品をつくるときに、いろんな要素を参照し、それらを再編するようなプロセスを採っていますよね。たとえば、ナチスのプロパガンダや戦時中の日本のプロパガンダからそれぞれ持ってきたものを、原発とか渋谷交差点といった現代的なイメージと組み合わせるような。そこにはただ造形や質感だけでなく、イメージにおける意義といったものもあるのではないでしょうか。

SK 理不尽な現実に対する憤りだとか純粋な疑問に出発点がありつつも、好奇心が旺盛なので、リサーチをして「歴史の裏にこんな秘密があったんだ!」という驚きの発見があったり、一人でこっそり闇を暴いていく感じがスリリングで好きなんですよ。なので、ひとつの作品をつくるのに昔の古本を買い集めて調べたり、趣味的な研究にハマってしまいます。絵の中に拾い集めて来たトピックスをたくさんモチーフとして詰め込むのは、ある意味で自分のスパイ活動の成果発表みたいな感じです。歴史の暗部をしつこく掘り起こして、収集した情報を絵にしてつぶさに明るみに出したい、という欲望に独自の妄想が加わって画面がどんどん密になります。特に《人外交差点》や《大日本防空戦士2670》(2009)は、こんなに調査しました!ぜひ見てやってください!という思いが強い作品です。

 

 

風間サチコ インタビュー(2)※近日公開予定

 


 

風間サチコ|Sachiko Kazama
1972年東京都生まれ。「現在」起きている現象の根源を「過去」に探り、「未来」に垂れこむ暗雲を予兆させる黒い木版画を中心に制作する。ひとつの画面にさまざまなモチーフを構成した木版画は、漫画風でナンセンス、黒一色のみの単色でありながら濃淡を駆使した多彩な表現を試み、彫刻刀によるシャープな描線によって、きわどいテーマを巧みに表現している。2018年にTokyo Contemporary Art Award(TCAA)を下道基行とともに受賞し、2021年には東京都現代美術館で『Tokyo Contemporary Art Award(TCAA)受賞記念展』を開催。コロナ禍を機に、自分自身の創作の原点「内省と空想・世界と自我の対立と和解」に立ち返り、トーマス・マンの『魔の山』から着想した「内省による対立からの脱却」をテーマに制作した最新作シリーズ「Magic Mountain」を中心に、関連する過去作品を交えた展示を構成した。近年の主な展覧会に、『日産アートアワード2020』(ニッサン パビリオン、2020)、個展『セメントセメタリー』(無人島プロダクション、2020)、個展『風間サチコ展 コンプリート組曲』(黒部市美術館、2019)、個展『ディスリンピア2680』(原爆の図丸木美術館、2019)、ヨコハマトリエンナーレ2017、光州ビエンナーレ2016などがある。
http://kazamasachiko.com/

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