ミン・ウォン インタビュー (2)

 

インタビュー/アンドリュー・マークル

 

II. 中級編: アップレーゲン、アオフレーゲン、アオスレーゲン、ベレーゲン、バイレーゲン、ダールレーゲン、アインレーゲン、エアレーゲン
ミン・ウォン、ファスビンダー、パゾリーニ、そして世界各国の服装倒錯に対する姿勢を語るART iT 前回までは初期作品『Whodunnit?』が言葉によってアイデンティティの仕組みを露にすることについてお話を聞いていました。これはその後の作品でもずっと探求してきたテーマと言えるのでしょうか。

MW はい。その後に続いた作品では外国語の、いわゆるワールドシネマの映画を再解釈しています。例えばライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの映画や、ピエル・パオロ・パゾリーニの『テオレマ』(1968)からのシーンを使い、自分にドイツ語やイタリア語を話せるようになることを課しました。スペイン語もやりましたね。知らない言語を学び、何度も繰り返して失敗をする過程も全て作品の一部です。アイデンティティの構築のプロセスの根幹的なところにこのようなオウム返しや真似事があります。言語だけでなくて行動全般も、例えばテレビやポピュラーカルチャーの中で見られるものを真似するという点で同様です。この真似事は私たちの話し方や振る舞いに直接影響を及ぼします。言葉はその中でも特に突出した一例でしかありません。

 

ART iT ご自身に複数の役をあてることや、言葉の使用や誤用などのアイディアを踏まえた上で、参照されているアーティストはいるのでしょうか。例えば、あなたの作品の視覚的な解釈からは森村泰昌やシンディー・シャーマンが想起されます。

MW 森村泰昌とシンディー・シャーマンにはよく比較されますし、作品もとても好きです。類似点は私にも見えますし、森村泰昌に関しては彼が対象とする作品を決めるプロセスや、作品がオリジナルからどのように異なるかという点に特に興味があります。でも個人的には、どちらかというとブルース・ナウマンなど、言葉にまつわる作品を作るアーティストに影響を受けていると思います。

 

ART iT 作品の中では必然的に視覚的要素よりも言葉を優先しているということでしょうか。

MW 両方の要素を組み合わせています。言葉にまつわる作品を作るアーティストに敬服しているというのはつまり、言葉を視覚的に捉えるアーティスト、文字を取り入れた作品ではなくて言葉のパフォーマンスによる作品を作るアーティストを指しています。だからブルース・ナウマンの、言葉・意味・反復を扱った映像作品——例えば喋る頭の作品や道化師の作品、それらは非常に本質化された力強い作品です。言葉のパフォーマンスは私にとって興味深い指標で、それは現代美術のみならず、ダンスのように動作・表現・言葉が、言葉を使った劇ではなくて題材として扱われるものまでも示します。例えばピナ・バウシュは素晴しいと思います。彼女のダンスでは、言葉を解する必要がないので。

 


Video still from Lerne Deutsch mit Petra Von Kant (2007).

 

ART iT では、『Four Malay Stories』で始めた「言葉の探求」を続けてきたのは、慎重に定められたコンセプチュアルなアプローチの反映であるということでしょうか。

MW 個人的なことでもあるのです。『Four Malay Stories』はとても個人的ですし、最新作もとても個人的です。『Four Malay Stories』は私自身の忘れられた、あるいは失われた一部をも表します。小さい頃、テレビがついていて、P・ラムリーの映画が流れており、それらを見ながら、それらを背景として育ちました。当時は意味がわかりませんでしたが、それでも私の文化的体質の重要な一部でした。それらの映画を通して自分がマレー諸島に囲まれた国、シンガポールの出身であり、本土の中国人や世界中の他の場所にいる中国人とは違うのだと自覚したのです。私はシンガポールという国の起源に繋がりを感じています。しかし、中国本土からシンガポールへと新たな移民がどんどん入ってきている今、その関係は変わっています。1970年代に生まれた私の世代の人間はこの変化を目の当たりにしているのです。今ではマレーシア文化の影響はあまりはっきりと見て取れません。そこで私はその影響を再び明るみに出したかったのです。そのような意味で、この作品は過去——私自身の過去、そして親の過去をも表しています。
ファスビンダーの『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』(1971)を基にした次作、『Lerne Deutsch mit Petra Von Kant』(2007)もとても個人的な作品でした。その頃は多分、アーティストとしてちょっとした危機に陥っていたのだと思います。ロンドンでは何でも高価なだけでなく、社会的にも徐々に変化があったもののまだ色々と大変で、私はベルリンに引っ越すことに決めようとしていました。安心感や馴染みのあるコンテクストを置き去りにして、自分が置かれた状況の意味に真っ向から向き合う必要がありました。映画の登場人物は朽ち果てた30代のデザイナー、私も朽ち果てた30代のアーティストとしてベルリンでその登場人物と似たような状況に置かれるかもしれないと思ったわけです。その状況において自分がどうやってドイツ語で意思表示をするか確認するのは悪くないと思いました。作る者にとってカタルシスをもたらす作品でした。
その次の『Angst Essen / Eat Fear』(2008)はファスビンダーの『不安と魂』(1974)を基にした、個人的な作品でした。ベルリンに着いたと思ったら私はクロイツベルクにいて、周りはトルコ人ばかり。そこは典型的なドイツではなくてトルコでした。その地域に住む一部の人たちは二世や三世ですが、それでも何も改善されていません。この問題へのドイツ政府の対応が非常に遅く、状況に共感できた私にとって、ファスビンダーの映画は本当に適切なアナロジーに思えました。あの映画をリメイクするというのは、1974年から何も変わっていないということを証明する行為です。これもまた明るみに出すべきだと感じました。
最新作の『Life and Death in Venice』(2009–10)もまた危機に陥ったアーティストにまつわる作品です。2009年のヴェネツィア・ビエンナーレでシンガポールを代表した後は、一体何をすればいいというのか。もうすぐ40歳を迎える身として老いや死について考えており、それらはルキノ・ヴィスコンティ監督『ベニスに死す』(1971)に集約されていました。『ベニスに死す』は老い、死、若さ、美しさ、そのようなテーマを総出させた映画です。私が題材を選択するときにはある意味、心が判断基準になっているような気がします。

 

ART iT ファスビンダーは性やアイデンティティの問題を扱う、限界を果敢に押し広げる映像作家として知られていますが、メロドラマのお決まりの登場人物や犯罪物語に型破りな変化をつけた風俗映画監督という点ではP・ラムリーと比較することができますね。

MW そうですね。そしてファスビンダーの映画を総体として見たとき、それは彼の同胞、ドイツ社会の批判であることが分かります。ニュージャーマンシネマの映像作家のうち、戦争の過ちを償い再出発しようと試みている戦後ドイツの社会不安の核心を直撃することを恐れなかった数少ないひとりでした。戦後の復興は国としてのアイデンティティに非常に大きな影響を及ぼしましたが、誰もファスビンダーと同じように取り上げる人はいませんでした。ドイツ社会の実態を露にした人として、私は尊敬しています。

 

ART iT それではパゾリーニやヴィスコンティに関しては、何に惹かれたのでしょうか。

MW パゾリーニもまた尊敬しています。彼はファスビンダーと同様に、社会の部外者であり評者でもあります。ある意味、多くの人々の神経に触ったでしょう。イタリアが物質主義、うわべばかりの大量消費社会に移り変わり、伝統を失っていくことを彼は声高に批判しました。
ファスビンダーもパゾリーニも、それぞれのコンテクストにおいて部外者だったのです。ファスビンダーはミュンヘン出身で、太ったドイツの田舎者として見下されていました。「こんなうるさい、散々な作品を作ったこの男は一体何者だ?」と。全ての作品が良いわけではありません。彼は部外者であり、社会のはみだし者とつるんでいました。でもそこからユニークな、型破りなものが出現しました。

 


Video still from Angst Essen / Eat Fear (2008).

 

ART iT でも、『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』のような映画を扱うときには実際にはどのような意味があるのでしょう。あなた個人の状況との繋がりは理解できましたが、どのような鑑賞者を想定しているのでしょうか。例えば、その作品を見て移住の結果としての疎外感を理解できるヨーロッパ人の鑑賞者を想定しているのでしょうか。あるいはシンガポール人の鑑賞者でしょうか。

MW 誰でもいいと考えています。『Angst Essen / Eat Fear』は特にドイツ人の鑑賞者を想定して作っているわけではありません。元の映画をご存知の方はまた別の理解の仕方をすることができますが、ファスビンダーについても、もとの映画についても何も知らなくても関係ないのです。そこに見られるのは、ひとりのアーティストが、ゼノフォビア(外国人恐怖症)や階級という普遍的な問題についての映画のあらゆる登場人物に扮することを試みている様子です。でも全体的になんだか滑稽なのです。鑑賞者にある程度の距離感を持ってもらうためには、原作自体も、私がそれを使ってすることも多少滑稽である必要があります。そうすれば原作を知っていても新たな視点から見ることができますし、知っていなければ最初から一定の距離感を持っていることになります。多少は知っている過去、聞いたことのある過去、おぼろげにしか覚えていない過去——出来が悪かったり非現実的だったりすることもある私の作品に見出す何かを信じる妨げになるような焦燥や障害に対して、その距離感は重要になります。私は社会の特定の層のために作品を作っているわけではありません。あらゆる人にとって意味のあるものであってほしいのです。

 

ART iT あなたの作品でひとつ個人的に興味を持ったのは服装倒錯の概念です。女装をした男性にはどこかコメディーの要素が感じられる反面、単に性別の問題だけに収まらない、社会によって定められた役割に挑戦するという、微かに政治的な概念でもあります。

MW 年齢、性別、階級、国籍、全てです。むしろ、それを更に拡大しようとしています。性別の問題に限られるわけではなければ、他には何があるのか。私はベルリンを拠点としているので、作品の鑑賞者の大半は欧米にいることはもちろん認識していますが、アジアでも展示の機会が段々増えていますので、これらの異なるコンテクストにおける解釈の差異を見出そうとしています。例えば、ある解釈では、私は中国人、あるいはアジア人の俳優であり、様々な役を演じていることが重要なポイントとなります。つまり、アジア人男性の世界的な映画スターは数少ないので、それは珍しいことと捉えられる場合があります。欧米の一般的な鑑賞者にとってはそれ自体が目新しいことになります。

 

ART iT 2010年2月に恵比寿映像祭で作品を展示した際、日本の鑑賞者はどのように反応していたと感じましたか。

MW 日本の鑑賞者は私の作品に共感を持てるのだと思います。日本では様々な意味での服装倒錯があちこちで見られて、いろんな人が他の人に化けていますが、それが国内で真剣に受け止められていることが非常に魅力的です。誰かが他の誰かに化けようとしているのを見ることは、日本の鑑賞者にとっては普通のことなのだと思います。そうなると、問題は何に化けようとしているか、この新たな人格はどこが違うのか、ということになります。別のアイデンティティを演じることに対する衝動、あるいは社会的な受け入れ、もしくは社会的な期待とまで言ってもいいのかもしれません——それらについて、是非、掘り下げていきたいと思います。
面白いことに、これはある意味、ドイツに関して言えることでもあります。これはとても広義でのことですが、多くのドイツ人は他の人を演じなければならないゲームを好み、恥ずかしいと思ったりはしないような印象を受けています。以前、いろんな人に仮装してカラオケで歌ってもらうというプロジェクトをしていたのですが、誰もが自分を意識せず、全く異質な何かに仮装することに対して抵抗を示すことはありませんでした。本当に驚きました。イギリスでは、グレイソン・ペリーみたいなアーティストは例外として、よほど酔っていないと誰もやってくれませんよ。

 

All images courtesy the artist.

 


ミン・ウォン インタビュー
反復がもたらすシネマへの提案
I. 初級編:アフリカ系カリブ人、アフリカ系黒人、インド系アジア人、東アジア人、中国人、アイルランド人、ウエールス人、東ヨーロッパ人、ユダヤ人
II. 中級編: アップレーゲン、アオフレーゲン、アオスレーゲン、ベレーゲン、バイレーゲン、ダールレーゲン、アインレーゲン、エアレーゲン
III. 上級編:Yishmór, Tishmór, Tishmór, Tishmrí, Eshmór, Yishmrú, Tishmórna, Tishmrú, Tishmórna, Nishmór

第3号 シネマ

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