
借景というマニフェスト・デスティニー
インタビュー / アンドリュー・マークル
I.
ART iT あなたは、ネイティブ・アメリカンの虐殺や死刑の問題に言及する作品や、ブラックパンサー党の元文化相、エモリー・ダグラスとの共同企画など、アメリカ合衆国の歴史を掘り下げる制作活動をキャリアを通じて続けてきました。しかしながら、アメリカ社会の人種的不平等を念頭に置いたとき、あなたは必然的に白人で男性のアーティストという特権的な立場からこうした問題にアプローチすることになり、それを文化の盗用や搾取の形として捉える人もいるのではないでしょうか。取り上げる題材と自分自身との関係をどのように考えていますか。また、キャリアを通じて、その考え方に変化はありましたか。
サム・デュラント(以下、SD) あなたはここでアメリカ合衆国における人種や人種間関係の歴史に言及した作品や、その作品がどのように政治的権力、あるいは不平等や抑圧のシステムという点に対峙できるのかについて挙げてくれました。おっしゃるとおり、私は白人男性です。私はアメリカ合衆国の歴史とは「私たち」の歴史だと信じていて、白人コミュニティ、もしそのようなものがあるとすればですが、その白人コミュニティがそのような問題に取り組むのは大切なことだと考えています。それはアフリカ系アメリカ人やネイティブ・アメリカン、ほかのあらゆるマイノリティの問題であると同時に、私たちの問題でもある。白人至上主義が未だに存在する以上、なおさらのことです。
ここのところ、自分たちの歴史は自分たちのもの、自分たちだけのものだから、白人はそれを語るべきではないという、あまりに極端なアイデンティティ・ポリティクスがマイノリティ・コミュニティの一部から再び出てきました。ありとあらゆる状況の特殊性を考慮に入れることは、その立場には都合がいいけれど、私たちは気をつけなければいけません。包括的な規範や二者択一をつくろうとすると問題に出会すことになる。ある特定の状況におけるニュアンスや細部に関わることや、ことによると、思いもよらなかった結末にたどり着いてしまうかもしれないという心構えが必要です。
自己矛盾の怖れもありますが、一般的に言えば、歴史は私たちみんなに属していて、勝者の視点からではなく、むしろ、そこに関わるすべての人への効果を示すやり方で思い出したり、語り直さなければいけません。いわゆる「勝者」には、一歩下がった位置から、歴史の反対側を見て、そこから学ぶ責任があります。こうしたことに長年取り組んできました。

ART iT 「Scenes from the Pilgrim Story: Myths, Massacres and Monuments」プロジェクトのアーティスト・ステートメントで、この作品は「ヨーロッパ系白人アメリカ人」に向けたものだと書いていましたが、これは非白人の観客を排除しているのではないでしょうか。
SD そうですね。私は常に自分の作品がまず第一に「ヨーロッパ系白人アメリカ人」の観客に向けられていると言ってきました。「ヨーロッパ系白人アメリカ人」の観客は、美術界やアメリカ合衆国の主流派です。美術界は圧倒的に白人、欧米人の世界です。ちょうど私のような。もちろん私の作品はすべての人々に開かれたものですし、誰もがアクセスできるものだと願っています。つい最近まで、アメリカ合衆国政府によるネイティブ・アメリカンを対象とした虐殺政策に言及した私の作品は、ネイティブ・アメリカンの人々にさまざまな形で支持され、理解され、話し合われ、展示されてきました。ネイティブ・アメリカンのキュレーターも彼らの展覧会やプロジェクトに私の作品を入れたり、私の作品について書いたりしてきました。たとえコミュニティ内に反対する人がいても、私のことを支持するに値する人物だと思う限り、彼らは私を支持し続けてくれるだろうと願っています。それは公民権運動やアメリカ合衆国に奴隷制から現在まで続く人種的抑圧に関する問題を扱った作品のときと同じです。作品はもちろんアフリカ系アメリカ人の人々に開かれています。彼らのアイデンティティ、私のアイデンティティ、問題となっている特定の政治共同体を尊重すべく、彼らに相談しながら制作しました。
私が作品の中で主張しているのは、アメリカ合衆国において、人種とは政治的/イデオロギー的立場として構築されたものだということ。個人個人やそれぞれの体験について話しているわけではありません。そうした個々が自分自身をどのように表現するのかはその人次第なので、私は決して誰かの代弁をしようとは思いません。私が向き合っているのは、個人や彼らの主観ではなく、アメリカ合衆国でずっと組織ぐるみで抑圧されてきた政治共同体としての「黒人コミュニティ」です。私の作品が言及しているのは、抑圧のシステム、制度的・構造的人種差別のことなのです。私も含め、白人はそうしたシステムから利益を得ていて、私たちはそれを根絶するために動かなければいけない。Black Lives Matterが出した新しいスローガン「白人の沈黙は暴力に等しい」はすごくいいですね。


ART iT 自分自身の作品を政治的な作品だと考えたことはありますか。
SD 私はあらゆる美術作品が政治的だと考えていますが、美術界はそれに同意しないでしょうね。たくさんの人々にとって、わかりやすい形で政治を扱っている作品だけが政治的な作品です。現時点ではそれが現実ですが、いつか「政治的なアート」というラベルが必要なくなる時がくるでしょう。その一方で、自分が政治的なアーティストというラベルを貼られていることは誇りに思っていて、アーティストの多くがそれを前向きに受け入れるべきです。私はたくさんのことをフェミニズムから学んできました。そして、押し付けられるあらゆるラベルに抗う女性や、「フェミニスト」というラベルを誇りを持って、開放的に引き受けるすばらしいアーティストからもたくさんのことを学んできました。彼女たちの勇気は、そうしなければ矮小化されてしまうかもしれない言葉を自分が受け入れることを助けてくれました。
ART iT わかりやすい政治的表明の代わりに、あなたの作品では並置という手法が用いられる傾向にありますね。たとえば、「Proposal for White and Indian Dead Monument Transpositions, Washington, DC」(2005)や、ヨコハマトリエンナーレに出品した、黒船来航によるアメリカ人と日本人との出会いにまつわるさまざまな表象を比較した作品など。
SD 政治的な側面には言外の意味以上のものがあります。ヨコハマの出品作品では、現実世界の政治、あるいは帝国主義におけるアーティストの問題やアーティストという機能について提示しようとしました。ペリー提督は日本への航行に、ペーター・ヴィルヘルム・ハイネというアーティストを帯同していました。ハイネは日本との交渉任務を記録し、その物語をアメリカ合衆国で出版しました。この場合、アーティストがどのように歴史の一部となり、実際、どのように歴史叙述に参加することができるのかが一目瞭然です。そして、私たちはハイネが自分の語るべき物語を伝えていることをはっきりと理解することができます。私がしたことは、同じ出来事を日本側の視点から描いた日本のアーティストのイメージを、ハイネのイメージと比較することでした。写真がまだ定着する前の時代に、ふたりのアーティストが伝えた同じ物語のふたつの側面を見ることは魅力的だと思いました。そして、そこに自分自身を関与させることもプロジェクトの一部としてありました。アーティストは清廉潔白ではありません。政治的なアーティストは高潔で、倫理的、道徳的であるべきだという考えがありますが、おそらくそれはそこまではっきりとしたものではありませんし、アメリカ合衆国出身のアーティストであればなおさらでしょう。歴史上最も強大かつ破壊的な帝国出身の自分が、どうしたら清廉潔白でいられるでしょうか。考えるのも気まずいですね。

ART iT そもそも何があなたをこのような問題に駆り立てたのでしょうか。
SD 私はベトナム戦争が続き、公民権運動が起きたばかりのマサチューセッツ州に育ちました。ボストンは非常に人種差別的な都市でした。70年代はあまりにも人種差別も酷くて、連邦政府が人種差別撤廃のために強制介入しなければならないほどでした。毎日のように起きる人種差別がもたらす若者への影響を見ながら、思春期の大半を過ごしました。当時、クールな人々はみな政治活動家でした。反戦デモに参加する人々や参政権運動に加わるために南部へと向かう人々を尊敬の眼差しで見ていました。こうやって世界の見方を学んでいきました。
ART iT あなたはロバート・スミッソンに言及した作品もいくつか制作しています。大きな影響を受けていると思いますが、社会的不平等や人種的抑圧という関心に彼はどのように当てはまるのでしょうか。
SD 彼は60年代から70年代初頭にかけて積極的に活動していましたが、飛行機事故で若くしてこの世を去ってしまいました。私にとって、彼は悲劇的かつ伝説的な人物でした。彼の作品における主要なコンセプトはエントロピーでした。誰もが、そして、あらゆるものが死ぬのは、エントロピーの法則だと言うことができるでしょう。そして、私にとってそれは68年以降のアメリカ合衆国の社会的・政治的契機に起きたことと繋がっているようにみえました。右翼の反革命運動が社会運動を壊したのではなく、エントロピーの崩壊によるものだと考えました。あの作品を90年代中頃に制作しているとき、自分の子供時代のアーカイブを見ながらあの時代を振り返ることに関心を持っていました。社会的、政治的、文化的な力が世界に影響を与えている(at play)一方で、私はそれに気づかずに「遊んで(at play)」いました。
ART iT エントロピーの崩壊によって、公民権運動の終焉と新自由主義の誕生について言及しようとしているのでしょうか。
SD おそらく、音楽と文化とスミッソン作品の交差するところを考察する、一連のドローイングや彫刻、インスタレーションを制作するのに2、3年は費やしたと思います。私はただ現実を抑圧するために信じるに値するオルタナティブとしてのユースカルチャーやヒッピーカルチャーの終焉や、ラディカルな政治運動のことを考えていました。当時、私はそうしたものが消えていく原因、いわば、まったく新しい経済体制やそれを制度化する政治的勢力、つまり、新自由主義のことなど理解していませんでした。


ART iT 90年代初頭に制作をはじめた「Abandoned Houses」、荒廃した近代住宅を象った模型のシリーズも崩壊していく社会を示唆するような作品でしたね。
SD まず、建築模型やマケット、ミニュアチュアの原型のような要素を孕んでいます。それは子供時代の記憶にあるような、おそらく誰もがさまざまな方法で意識的、無意識的に心に留めているもの。それが想像力を幻想の生産へと導く様に魅力を感じています。私は生計のために何年間も大工や建設労働者として働き、階級に強く基づいた建築との関係を持っていました。建築労働者の間には建築家に対するある一定の敵意が必ず存在しました。自分たちは労働者で、彼らは手も汚さずに指図するだけの雇い主や知識人だと考えていました。これは完全に偏っていますが、「Abandonded Houses」やほかの作品を特徴付ける心理学的要素のひとつで、ある意味、建築に対する私の個人的な清算だったのではないかと考えています。
それらの模型は20世紀中頃にロサンゼルスで建てられた典型的な住宅で、90年当時は現在のような価値がまったくなかった住宅を元にしています。ちょうどミッドセンチュリーモダンがマスメディアに持てはやされる直前で、それらの住宅は新たな持ち主に売却するとき、次の世代に渡すときに「改築」されていました。持ち主は住宅が近代的に見えないように、列柱とポーチの古典様式やスパニッシュ・コロニアル様式を付け足していました。私はこうした「改築」を、ソーシャル・エンジニアリングの形式を含んでいたオリジナルのデザインに対する批評の形式として、あるものは階級に基づいた批評、またあるものは心理学的な批評として捉えていました。建築家たちは異なる暮らし方を提案しましたが、結果的に、その住宅で生活したほとんどの人々が提案された暮らし方を望まなかった。これはその他さまざまなことのメタファーでもありましたね。
協力:ヨコハマトリエンナーレ2017
サム・デュラントは、日本の開国へと至る黒船来航をテーマとする一連の作品を横浜美術館で発表している。展覧会は11月5日(日)まで開催。
ヨコハマトリエンナーレ2017 島と星座とガラパゴス
2017年8月4日(金)- 11月5日(日)
http://www.yokohamatriennale.jp/2017/
サム・デュラント|Sam Durant
1961年アメリカ合衆国ワシントン州シアトル生まれ。現在はロサンゼルスを拠点に活動。社会や政治、文化に関わるさまざまな事象を扱いながら、アメリカ合衆国の歴史を掘り下げたり、同国に残る根深い不平等の問題に向き合った制作活動を展開している。過去の資料にあたりながら、ドローイングなどを通じて現代の問題へと繋げる手法は、アメリカ合衆国におけるネイティブ・アメリカンの虐殺の歴史を扱った作品を発表した2005年の個展『Proposal for White and Indian Dead Monument Transpositions, Washington D.C.』(ポーラ・クーパー・ギャラリー)でも顕著に現れていた。また、2015年には州刑務所の被収容者とともに制作した公共彫刻「Labyrinth」をフィラデルフィア市庁舎の前に設置している。2012年にキャロライン・クリストフ=バカルギエフがアーティスティックディレクターを務めたドクメンタ13で、大型インスタレーション「Scaffold」を発表。2017年に同作のウォーカー・アートセンターのミネアポリス彫刻庭園への設置を巡り、抗議運動が巻き起こり、協議の結果、デュラントとウォーカー・アートセンターは作品の撤去を受け入れ、作品の処分をダコタ族の長老たちに一任することになった。
デュラントは90年代初頭より、ロサンゼルス現代美術館(2002)、ラインランデ&ヴェストファーレン・クンストフェライン(2003)、ゴヴェット=ブリュースター・アートギャラリー(ニュージーランド、2003)、ゲント現代美術館(2004)といった個展や、第50回ヴェネツィア・ビエンナーレ企画展(2003)、ホイットニー・ビエンナーレ(2004)など数々の展覧会で作品を発表。また、ブラックパンサー党の元文化相、エモリー・ダグラスとの共同企画で彼の作品を書籍にまとめ、『Black Panther: the Revolutionary Art of Emory Douglas』を企画し、ロサンゼルス現代美術館やニュー・ミュージアムで展覧会を開催したり、ニューオーリーンズの文化復興プロジェクト「Transforma」を共同で設立するといった活動も展開。2008年にはヒューゴ・ボス賞のファイナリストにノミネートされている。日本国内では2000年に小山登美夫ギャラリー、2015年にブラム&ポーで個展を開催。『ヨコハマトリエンナーレ2017 島と星座とガラパゴス』にも出品。
Sam Durant:http://www.samdurant.com/
ヨコハマトリエンナーレ2017 島と星座とガラパゴス
2017年8月4日(金)- 11月5日(日)
http://www.yokohamatriennale.jp/2017/