サム・デュラント インタビュー(2)


Gallows Composite B (John Brown Gallows, Billy Bailey Gallows, Lincoln Conspirators Gallows) (2008), wood, mirror, installed dimensions variable, installation view at Praz-Delavallade, Paris, 2008. Courtesy Sam Durant and Praz-Delavallade, Paris. All images: Unless otherwise noted, © Sam Durant, courtesy Blum & Poe, Los Angeles/New York/Tokyo.

 

借景というマニフェスト・デスティニー
インタビュー / アンドリュー・マークル
I.

 

II.

 

ART iT 今年、あなたの作品「Scaffold(絞首台)」がミネアポリスのウォーカー・アートセンターの彫刻庭園に設置されたことをめぐって論争が巻き起こりました。地元のダコタ族の人々は、この作品に1862年にダコタ族38名を処刑した、アメリカ合衆国史上最大の集団処刑に使われたマンカトの絞首台を認識し、混乱していました。この論争により、アメリカ合衆国における極刑の考古学を装い、同国の歴史におけるさまざまな絞首刑で構成された、この作品のキメラ的構造が埋もれてしまいました。ひとつの具体的な出来事に限定した作品ではなかったのですが。

SD ええ、「Scaffold」はそれが一体何なのかすぐにはわからないように、入り組んだ構造にしました。絞首台とはこういうものだと広く理解されている「原型」として。絞首台のようなものはあらゆる文化に存在します。誰もが知っていて、どの文化もそれを使用した歴史を持つ殺し方。だからこそ、この作品はアメリカ合衆国の歴史に強く関係する一方で、アメリカ合衆国以外の歴史的、文化的文脈にも関係していました。

「Scaffold」は2012年のドクメンタ13のコミッションワークとして制作し、その後も3年間にわたってヨーロッパで問題なく展示していました。ある意味では、極刑や、暴力を独占する国民国家について考えるディスカッションのためのプラットフォームという、私が意図していた形で活用されていました。しかし、アメリカ合衆国に持ってきたとき、「Scaffold」は象徴という観点では受け入れられませんでした。同作品がウォーカー・アートセンターの彫刻庭園に建設されていくなか、ダコタ族の人々はすぐにマンカトの絞首台の形を識別しましたが、作品設置に関して事前に何の情報も出していませんでした。私たちは致命的な過ちを犯していました。どのコミュニティにもアウトリーチせず、この地域で生活するダコタ族の人々と何の関係も築いておらず、そのため、公共の場にあの作品を設置するとき、誰もそれがどんなものなのか把握していませんでした。彼らの目には、権力側のエリート文化を代表するウォーカー・アートセンターが、自分たちダコタ族が経験した虐殺に関する何かを建てようとしているとしか映りませんでした。あの虐殺は非常にトラウマ的なもので、絞首台といった象徴がアメリカ合衆国の中で、とりわけ、祖先が処刑されたミネアポリスという地に暮らすダコタ族の人々にとって、どれだけ強い影響力を持ち続けているのかを私は自覚していませんでした。あの歴史は彼らにとって非常に現実的なもので、象徴的なものではない。「Scaffold」はあの地域に暮らすダコタ族の人々に深く精神的な苦痛を与え、私が意図していたものとして理解される余地がないことは明らかでした。

 

ART iT あなたはあの作品を彫刻庭園から撤去し、破壊することに同意した理由を、もはやそれが自分の意図を遂行することがないからだと明言しました。表現の自由を容易に引き合いに出しうる状況において、なかなか見られない対応でしたが、しかし、それは同時に、芸術的な誠実さという基準を通じて問題にアプローチするための代替となる方法に見えました。

SD ほかの方法はありえませんでした。あの作品はダコタ族コミュニティにとってあまりにもトラウマ的なものだったので、もし彼らが望むなら彼らが所有すべきだとさえ思っていました。アーティストの制作によってある特定のマイノリティ集団の感情を傷つける事象が数多く起きているわけで、新しいアプローチに挑むべきではないか、と。なぜなら、アーティストは大抵の場合、「これは表現の自由、そういうものです。私には言いたいことを言う権利があって、あなたにそれを止めることはできない」としか言わない。それは大前提で、憲法にも書かれているけど、制限と責任のない表現の自由などありえません。そして、特権を持つ私たち白人には特別な責任があります。白人以外の人々が「心が痛む、嫌だ」と伝えてくる声に、耳を傾けなければいけません。

 


Both: Pilgrims and Indians, Planting and Reaping, Learning and Teaching (2006), mixed media, motorized platform, 274.3 x 487.7 cm, installation view at Blum & Poe, Los Angeles, 2007.

 

ART iT そのことで作品が持つ意義は変わりましたか。

SD 自分でも重要な作品、公共空間に長く残る作品だと考えていたものを失うのは悲しいことですが、この状況によって、おそらく作品それ自体が持ち得たものよりも重大なものが生み出され、このプロセス全体を通じて、作品がこれからも長く続いていくだろう対話や議論へと姿を変えたのだと認めています。私のように、明らかに政治的な作品、この世界に言及する作品を制作するとき、そこには世界に影響を与えるという意図がある。私はアートそのものが制度を変えたり、政治的な変化を生み出すなどとは考えていませんが、アートには個人個人が物の見方を変えたり、変革を体験しうる状況を創り出せると信じています。人々に影響を与えたいと主張しながら、いざ予期せぬ結果や望まぬ結果が起きたときに、自分はアーティストで、これはアート作品に過ぎないのだと態度を変えるなんて、まったく公平ではありません。だから、「ありえない。これは(表象なんかじゃなくて)現実だ。(このままでは)夜も眠れないし、悪夢にうなされるし、PTSDも誘発するし、子どもたちも怯えている」などと言われて、アーティストの役割だとかこれは表象にすぎないという考え方の外へ出なければならないと思いました。

 

ART iT 指摘された部分はそこまで目立っていたのでしょうか。

SD はい。マンカトの絞首台はあの作品を構成する絞首台の中で最も大きなもので、作品の構造上、最も目を引くものです。人々は動揺し、怖がり、ひどく興奮していました。彼らはマンカトの絞首台をすぐに認識しました。話し合いの場で年配の方々から聞いた話は本当に酷いものでした。そうした話し合いからたくさんのことを学びました。作品を設置する前に話し合いの場を設けていれば、違うことができたかもしれません。そう、私たちみんなで何か違うことを。みんなというのは話し合いの場にいたウォーカー・アーツセンターのスタッフや理事会のことも含みます。たとえば、ダコタ族の10代の若者の自殺率は、この国のほかのどの集団のものよりも高く、おそらく世界で最も高いかもしれません。そして、彼らが自殺するときに最も多い手段が首吊りです。これは彼らのところを訪れて話をしない限り、おそらく知ることのないことでしょう。そして、私たちはそれを怠った。どう考えても大きな間違いでした。もうひとつ、私がミネソタで実感したのは、この時代、「Scaffold」はアメリカ合衆国のどこに置いたとしても問題になったのではないかということです。なぜならそれは私たちが自分たちの歴史の責任をとっていないから。私たちはそれを認識していない。ドイツがナチス時代やホロコーストのことを受け入れる考え方と比べたとき、ドイツにはありとあらゆるところにジェノサイドに関する墓碑や追悼碑、記念碑があり、学校では毎日その歴史を学んでいる。忘却しないこと、「二度と再び」というコンセプトが、文化のあらゆるレベルに徹底的に組み込まれています。この国(アメリカ合衆国)もそうしない限り、「Scaffold」のような作品は、この国の寛大な文化が扱うことのない、あまりにも多くの痛みを誘発することにしかならないでしょう。

 


Above: We are the people (index) (2003), graphite on paper, 76.2 x 55.9 cm. Below: We Are the People, on view at Project Row Houses, Houston, 2003. Photo Rick Lowe, courtesy Project Row Houses, Houston.

 

ART iT あなたが編集を務めたエモリー・ダグラスの作品集『Black Panther: The Revolutionary Art of Emory Douglas(ブラックパンサー:エモリー・ダグラスの革命アート集)』(2007)の話に移りますが、この企画は出版後に展覧会として、ロサンゼルス現代美術館からニューヨークのニュー・ミュージアムへと巡回しました。展覧会それ自体は盛況でしたが、企画の段階で、エモリーとは抵抗という立場から制度的な文脈へ移行することの倫理性について話をしましたか。

SD エモリーはずっと美術館やギャラリーでは展示したくないと言っていました。彼はブラックパンサー党の機関誌『The Black Panther』のために作品を制作していた。ブラックパンサー党の指導者、ヒューイ・ニュートンは、自分たちが声を届けようとしている人々には字が読めず、新聞を読めない人もいるから、物語を視覚的に伝える必要があり、そうすることで彼らはイメージを通じて問題を学ぶことができるし、切り抜きを壁に貼ったり、ポスターとして近所に貼ってくれるかもしれないとエモリーに話していました。その作品はアートのためではなく、政治的意識を高めるためにありました。

2000年代初頭に彼のところを訪ねたとき、彼はアーティストとして積極的には活動していませんでした。そして、あらゆる社会運動は新自由主義や、政治的急進派などに対するバックラッシュにより崩壊していました。非主流派だけでなく主流派をも含む数多くの新聞が姿を消したので、エモリーは自分の作品も新聞とともに消えていく恐れがあり、ブラックパンサー党の運動全体も消滅の危機に晒されていることに気づいていました。自分が保存しなければ、若者たちがあの運動を学べなくなるのだと実感し、彼は作品集を制作し、美術館という文脈で作品を発表することに同意してくれました。

おそらく、彼は自分の作品にどれだけの関心があるのか、人々が自分の作品やブラックパンサー党の歴史を学ぶことがいかに重要かを目の当たりにして、これからも作品を見せ続けるべきだと理解したのだと思います。2008年のシドニー・ビエンナーレに参加したとき、彼はオーストラリアのアボリジニの権利回復運動と再び繋がりを持ち、以来、ニュージーランド、アフリカ、ヨーロッパ、アジア、そしてもちろんアメリカ合衆国など、さまざまな場所の若い活動家に知識を与え、世界各地との繋がりを構築、再構築しています。彼の作品は再燃し、美術館に収蔵されたものもありますが、そのほとんどは未だにいろんなコミュニティのもとにあります。たとえば、彼はメキシコのチアパスに1ヶ月間滞在し、学校や公共の建物に現地のサパティスタとともに壁画を残しています。

 

ART iT エモリーの作品を「Revolutions: Forms That Turn」というテーマで開かれたシドニー・ビエンナーレ(2008)で見たことを思い出しました。彼の作品やその国家的暴力の描写は、Black Lives Matter(ブラック・ライブス・マター)運動を受けて、新たな繋がりを獲得したのではないでしょうか。

SD あの時代(60年代後半から70年代)について言えることのひとつは、それが戦争だったということ。ブラックパンサー党は武装した革命組織でした。自ら銃撃戦をはじめることはないけど、もし警察が撃ってきたら彼らも撃ち返したでしょう。当時は警察との銃撃戦になっても、彼らが勝つのではないかと思われていました。党員の多くは軍隊経験を積んだ百戦錬磨のベトナム戦争復員軍人でしたし。現在、誰も警察との銃撃戦に勝てるとは思っていないし、挑むのは無謀だとわかっています。それとは異なる戦術や戦略が必要で、歴史を学び、ブラックパンサー党やほかの革命組織から学んでいるブラック・ライブス・マターはすばらしい運動だと思います。一方で、ブラック・ライブス・マターも時代を反映しています。たとえば、この運動にはさまざまな場所にさまざまな組織がある。この局所性はすばらしい。ブラックパンサー党は軍隊式の極めて階層的な組織でした。彼らはまるで自分たちが闘っている警察や軍隊のように、党員全員に階級があり、規律に従っていました。いま、活動や組織の違うやり方があります。ブラック・ライブス・マターの指導的立場の人々は、本当に希望にあふれた方向を示していると思います。

 

ART iT アメリカ合衆国の問題を中心に扱う作品をそれ以外の国で見せることについてどう考えていますか。これまでに世界各地で発表する中で、どのような反応がありましたか。

SD ヨーロッパで最初に展示をはじめたとき、ヨーロッパの多くの人々がアメリカ合衆国の歴史についてアメリカ人よりも知っている感じました。これは今でも変わらないのかわからないけれど、おそらく変わらないのではないでしょうか。日本での発表はおよそ1年半前の東京のブラム&ポーの個展がはじまりですね。それはアメリカ合衆国と日本の間に存在する関係を反映した作品を制作するという試みでした。ペリー提督による日本の開国は、世界史における重要な瞬間で、近代における最も重要な出来事のひとつです。日本の対応は、日本の近代化という点においても、「生き残りたければ、帝国にならねばならない」という世界の中での身の振り方に対する指導者の理解という点においても、ただただ驚くべきものでした。それから半世紀経たずに、ロシア帝国という数百年もの歴史を持っていた欧州列強のひとつを打ち破ったのですから。いかに早くそれを成し遂げたかを考えると本当に驚きです。

日本のほとんどの人が既に知っていると思うので、ある意味これはアメリカの観客向けの作品になったのかもしれません。しかし、もちろんアメリカ合衆国ではこのことを誰も特に気にしていません。まあ、人々がより興味を持ったり理解を示したりする節点はありますが……。一例として、ボストンはアメリカ合衆国の歴史における中国や朝鮮、日本の重要性に対する意識が高く、ボストン美術館には世界有数のアジア美術のコレクションがあります。私の経験上、西海岸の人々の方が関心は低いです。知らないことはある種の抑圧ではないか、と。それは19世紀に中国からの大量の移民が合衆国西部を「制圧」し、鉄道を建設し、第二次世界大戦時は日本からの移民が捕虜収容所に収容されて、さらに韓国系コミュニティはこの地域で最も早く成長したコミュニティのひとつだということ。美術界はこのことにほとんど注意を払っていません。環太平洋地域は関連するものとして考えられていません。西海岸は自身を含む環太平洋という地域ではなく、主にニューヨークやヨーロッパの方を向いているようです。ヨーロッパよりも日本や中国、フィリピンが近くにあることを苛立たしく思っているわけです。

 


Above: The Commodore’s Dream (2017), model ships, 59.1 x 134 x 27.9 cm. Below: Proposal for a Map of the World (Asian-African Conference, Bandung, Indonesia, 1955) (2015), intaglio print with silkscreen, 119.8 x 147.6 cm in frame.

 

ART iT あなたの作品で繰り返されるテーマのひとつに「置換」があります。アーカイヴされた抗議運動の画像からスローガンを抜き出して新たな文脈に置いた一連の「displaced sign」の作品や、「Proposal for White and Indian Dead Monument Transpositions, Washington, DC」を通じて、場所を変えることで、発言内容も変わることを示しています。

SD はい。文脈を変えること、場所を変えること、時間を変えること、これらは私たちの社会で当然だと思い込んでいるものに対する気づきを促す効果的な方法です。ものを新たな場所に置いたり、時間の枠組みを過去から現代に置き換えてみたりすることで、私たちの物の見方を変えることができます。一方で、「Scaffold」は自分が置き換えようする状況への意識を欠いたとき、物事が間違った方向へと進んでしまう可能性があるという一例です。ある意味、それは対象となるものを元の場所、元の文脈に置き換えたもので、反対の結果という観点から考えるのに興味深い事例です。

 

ART iT 置換や転位は、イデオロギーを可視化する方法としても考えられますか。

SD そう期待しています。正確には置換ではありませんが、ヨコハマトリエンナーレに出した巻物の作品は、黒船来航に対するアメリカ合衆国と日本の表象という比較可能な関係性をつくりだすことで似たようなことをしているのだと考えています。ふたつの物事の比較、あるいは同じ物事に対するふたつの視点を提示しました。現代的なコンテナ船の上に黒船が乗っている模型「The Commodore’s Dream」(2017)においても、国際貿易に関連したペリー提督の歴史上の航行と、私たちが経験している今日のグローバリゼーションの状況を比較しようとしました。過去を現代に持ってくるというアイディア、そしてもちろん現代が常に過去を内包していることを示すアイディアは尽きることがない。おそらく、ここに詩的な側面があるのではないでしょうか。私はアートにおける政治的な側面に強い関心を持っていますが、美学的な側面にも関心があります。ほかの何でもなくて、アートにしかできないことは、世界の新しい見方を与えることです。喜びや驚き、詩的なものや予期せぬもの、そうしたものを何と呼ぶとしても、それを与えるのがアートです。それは政治的行為でもジャーナリズムでも報道でもない。何か別のもの。そして、予期していたものが予期せぬものになる空間を見つけること、作品とはそういうものです。

 

協力:ヨコハマトリエンナーレ2017
サム・デュラントは、日本の開国へと至る黒船来航をテーマとする一連の作品を横浜美術館で発表している。展覧会は11月5日(日)まで開催。
ヨコハマトリエンナーレ2017 島と星座とガラパゴス
2017年8月4日(金)- 11月5日(日)
http://www.yokohamatriennale.jp/2017/

 

 


 

サム・デュラント|Sam Durant
1961年アメリカ合衆国ワシントン州シアトル生まれ。現在はロサンゼルスを拠点に活動。社会や政治、文化に関わるさまざまな事象を扱いながら、アメリカ合衆国の歴史を掘り下げたり、同国に残る根深い不平等の問題に向き合った制作活動を展開している。過去の資料にあたりながら、ドローイングなどを通じて現代の問題へと繋げる手法は、アメリカ合衆国におけるネイティブ・アメリカンの虐殺の歴史を扱った作品を発表した2005年の個展『Proposal for White and Indian Dead Monument Transpositions, Washington D.C.』(ポーラ・クーパー・ギャラリー)でも顕著に現れていた。また、2015年には州刑務所の被収容者とともに制作した公共彫刻「Labyrinth」をフィラデルフィア市庁舎の前に設置している。2012年にキャロライン・クリストフ=バカルギエフがアーティスティックディレクターを務めたドクメンタ13で、大型インスタレーション「Scaffold」を発表。2017年に同作のウォーカー・アートセンターのミネアポリス彫刻庭園への設置を巡り、抗議運動が巻き起こり、協議の結果、デュラントとウォーカー・アートセンターは作品の撤去を受け入れ、作品の処分をダコタ族の長老たちに一任することになった。
デュラントは90年代初頭より、ロサンゼルス現代美術館(2002)、ラインランデ&ヴェストファーレン・クンストフェライン(2003)、ゴヴェット=ブリュースター・アートギャラリー(ニュージーランド、2003)、ゲント現代美術館(2004)といった個展や、第50回ヴェネツィア・ビエンナーレ企画展(2003)、ホイットニー・ビエンナーレ(2004)など数々の展覧会で作品を発表。また、ブラックパンサー党の元文化相、エモリー・ダグラスとの共同企画で彼の作品を書籍にまとめ、『Black Panther: the Revolutionary Art of Emory Douglas』を企画し、ロサンゼルス現代美術館やニュー・ミュージアムで展覧会を開催したり、ニューオーリーンズの文化復興プロジェクト「Transforma」を共同で設立するといった活動も展開。2008年にはヒューゴ・ボス賞のファイナリストにノミネートされている。日本国内では2000年に小山登美夫ギャラリー、2015年にブラム&ポーで個展を開催。『ヨコハマトリエンナーレ2017 島と星座とガラパゴス』にも出品。
Sam Duranthttp://www.samdurant.com/

ヨコハマトリエンナーレ2017 島と星座とガラパゴス
2017年8月4日(金)- 11月5日(日)
http://www.yokohamatriennale.jp/2017/

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